本好きの魔女、闇の帝王を読書仲間にする。   作:パラプリュイ

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ルシウス視点。


番外編 マルフォイ家の家族会議⑭

 ルシウス・マルフォイは、フローリシュ・アンド・ブロッツ書店の新刊台の前で震えていた。

 手にしているのは、一冊の黒い本だった。

 

『トム・リドルの日記』

 

 題名だけなら、まだいい。

 

 問題は著者名である。

 表紙の下部には、銀色の文字でこう書かれていた。

 

『トム・マールヴォロ・リドル』

 

 ルシウスが目を細めて見ていると、文字がゆっくりと動いた。

 

 TOM MARVOLO RIDDLE

 

 アルファベットが勝手に並び替わっていく。

 

 I AM LORD VOLDEMORT

 

 買おう。

 買う以外の選択肢はない。

 

 自分の娘が、闇の帝王の本名と半生を暴露した本を出版したのだ。父親として五冊くらい買っておかなければならない。

 

 しかし、それとは別に、ルシウスは心の底から思った。

 早めに寝返っておいてよかった。

 本当に、心から。

 

 もし、この本が発売された時点で、まだ闇の帝王がマルフォイ家の本邸に滞在していたらどうなっていただろう。

 

 朝食の席で本を開く。

 著者名が変わる。

 闇の帝王が見る。

 

 そこから先を、ルシウスは考えるのをやめた。

 クルーシオよりひどい未来が見える。

 

「まあ」

 

 横からナルシッサが本を覗き込んだ。

 

「綺麗にできているわね」

 

「感想はそこなのか?」

 

「何が?」

 

「著者名だ」

 

「ああ」

 

 ナルシッサは、再び変わった文字を見つめた。

 それから、ふっと口元を緩めた。

 

「娘が誇らしいわ」

 

 ルシウスは妻を見た。

 

 誇らしい。

 なるほど。

 そういう見方もある。

 

 自分の娘は闇の帝王の正体を世間に公開した。

 普通の父親なら誇らしく思うべきなのかもしれない。

 

 ルシウスも、できればそう思いたかった。

 だが、誇りと恐怖を天秤にかけると、恐怖が床を突き破った。

 

「……私は、生きて発売日を迎えられたことを喜んでいる」

「それも大事ね」

 

 ナルシッサはあっさり同意した。

 ルシウスは五冊の『トム・リドルの日記』を抱えたまま、会計へ向かおうとした。

 そこで、別の新刊が目に入った。

 

 淡い青色の表紙に白銀の髪に青い差し色の入った令嬢と金髪の美男子が載っていた。

 

『未来の令嬢は自称英雄作家に恋をする』

 

 作者は水仙姫だった。

 ルシウスは思わずナルシッサを見た。

 

「あら、もう発売されたのね」

 

 妻は涼しい顔をしている。

 

「それも買うの?」

 

「妻の書いた本を夫が読むのは、おかしなことではないだろう……何だ、その顔は」

 

「いいえ?」

 

 ナルシッサは笑っていた。

 

「あなたが恋愛小説を買う日が来るとは思わなかっただけよ」

 

 ルシウスは答えずに会計へ向かった。

 これ以上話すと何かに負ける気がする。

 

 ナルシッサは恋愛小説家だとルシウスにバラしてから、前よりもオープンになった。以前はポーカーフェイスを貫いていたようなことでも、恋愛が絡むとすぐに目を輝かせてネタを羽ペンでメモし始める。

 

 非常に居心地が悪い。

 ただし、妻の本は面白かった。

 その事実だけは、認めざるを得なかった。

 不死鳥の騎士団は、今もマルフォイ家の本邸を監視していた。

 

 しかし、闇の帝王が戻ってきた形跡はない。

 おそらく、まだ杖を探しているのだろう。

 あれほど執着していたのだから、そう簡単に諦めるとは思えない。

 

 ルシウスはそう考えながら、ダイアゴン横丁を歩いていた。

 そして、向こうから歩いてきた一家を見て、足を止めた。

 

 ルーファス・スクリムジョールだ。

 いや、スクリムジョールに化けたバーティ・クラウチ・ジュニアだった。

 

 その隣には妻らしき女性がいて、さらに少年が一人いた。

 親子三人で買い物をしている。

 

「来年からホグワーツなの」

 

 母親らしき女性がそう話しているのが聞こえた。

 ルシウスは遠い目になった。

 

 そうか。

 息子がホグワーツに入学するのか。

 父親はスクリムジョールを殺し、彼に化けている。

 母親や息子は何も知らない。

 

 バーティはいつまでスクリムジョールになりすますつもりなのか。

 ルシウスは、ほんの少しだけ全員に同情した。

 

 世の中には、マルフォイ家以外にも複雑な家庭があるらしい。

 それを知ると、少し安心した。

 

 その日の午後、マルフォイ家別邸は平和だった。

 庭には柔らかな光が落ち、窓から入る風は穏やかだった。

 ルシウスは紅茶を片手に長椅子へ腰を下ろし、ナルシッサの新作を読んでいた。

 知り合いがモデルだと分かっていると読みづらかったが、ロックハートのキラキラが現実より控えめで少し安心した。

 作中の二人はどう考えても両想いなのに、なぜか互いに相手が自分を愛していないと思い込んでいる。その様子がやけにじれったかった。

 以前のルシウスなら、なぜ直接聞かないのかと思っただろう。

 

 今なら分かる。

 聞けないのだ。

 聞いて否定されたら終わる。

 だから、聞けない。

 

「……若いな」

 

 そう呟きながら、ページをめくる。

 

 続きが気になる。

 その瞬間だった。

 

 左腕が焼けるように熱くなった。

 

「っ」

 

 本が落ちた。

 ルシウスは反射的に袖を押さえた。

 

 闇の帝王が、自分を呼んでいる。

 

 ルシウスは腕を押さえたまま、じっと座っていた。

 

「行くの?」

 

 ナルシッサが尋ねた。

 

「行かない」

 

 ルシウスは、もう一度腕を押さえた。

 

 ものすごく痛い。

 そして、無視するのもものすごく怖い。

 だが行ったらもっと怖い。

 

 ならば、ここにいるしかない。

 

 人生とは選択の連続である。

 最近のルシウスの選択肢は、だいたい両方とも怖い。

 そんなことを考えてしばらくすると、痛みは収まった。

 少し経った後、暖炉が緑色に燃え上がった。

 現れたのはフェルディナンドだった。

 顔を見た瞬間、ルシウスは嫌な予感がした。

 

「何があった」

 

 フェルディナンドは短く答えた。

 

「本邸が全壊しました」

 

 ルシウスは瞬きをした。

 

「……何?」

 

「悪霊の火です。ほぼ何も残っていません」

 

 ルシウスは闇の魔術を深く知っていた。悪霊の火は術者のコントロールが重要な難しい闇の魔術だ。消火が難しく、術者であっても飲み込まれてしまうことも多い。

 

 

「何も?」

 

「何も」

 

 頭の中に、本邸が浮かんだ。

 

 先祖代々の家具や肖像画。

 古い魔法具や別邸へ運び切れなかった蔵書。

 父から受け継いだ机。

 客間の長椅子。

 

 あれもこれも全部。

 

「最初はダンブルドアが蛇を殺すために放ちましたが、ヴォルデモートも対抗するように悪霊の火を屋敷に放ち、それが屋敷中に広がりました」

 

 ルシウスは座り直した。

 膝から力が抜けた。

 

 寝返った報復だ。

 そう考えれば自然だった。

 そして、その次の言葉は、さらに重かった。

 

「ダンブルドアがヴォルデモートに殺されて死にました」

 

 ルシウスは顔を上げた。

 フェルディナンドの表情は硬かった。

 

「……そうか」

 

 言葉がそれしか出なかった。

 

 ダンブルドアが死んだ。

 

 ならば、これからどうなる。

 寝返った直後だ。

 自分は闇の帝王に敵と認識された。

 

 本邸は焼かれた。

 

 そのうえ、こちら側の最大の抑止力が消えた。

 

 自分が寝返ったのがまずかったか。

 判断を誤ったか。

 もう少し待つべきだったのではないか。

 家族を守るための選択が、かえって家族を危険にさらしたのではないか。

 

 ルシウスが考え込んでいると、フェルディナンドが言った。

 

「ダンブルドアは、自分の責務を果たしました」

 

 ルシウスは黙って彼を見る。

 

「ルシウスさんが場所を伝えてくれたおかげでもあると思います」

 

「……私のおかげだと?」

 

「あなたが寝返らなければ、あの戦いは成立していない」

 

 フェルディナンドはそれ以上言わなかった。

 

 慰めるような口調でもなかった。

 ただ、事実をそっと置いた。

 

 ルシウスは、床に落ちた恋愛小説へ目をやった。

 主人公は、どう見ても両思いなのにまだ好きな人に気持ちを言えずにいる。

 現実の方が、よほど厄介だった。

 

 ダンブルドアの葬儀は、厳重な警備のもとで行われた。

 

 ルシウスはかなり悩んだが、参列することにした。

 裏切ったばかりの死喰い人が、不死鳥の騎士団に囲まれた葬儀へ出る。

 

 安全と言えば安全だ。

 危険と言えば危険だ。

 結果として、ルシウスはナルシッサと並んで参列した。

 

 そして、会場を見渡して、すぐに見覚えのある顔を見つけた。

 

 スクリムジョール。バーティが化けた姿だ。

 ルシウスは視線を逸らした。

 なぜ来ている。

 

 いや、政治家なのだからいるべきなのだろう。

 立場上、来なければそれはそれで不自然だ。

 

 分かるが、近づきたくない。

 ルシウスは少し位置をずらした。

 すると、スクリムジョールがハーマイオニー・グレンジャーに声をかけているのが見えた。

 何を話しているのか気になったが、近づいて面倒なことになる方が嫌だった。

 

 隣を見ると、ナルシッサは別の意味で忙しそうだった。

 参列者をよく見ている。

 誰と誰が隣にいるか。

 誰が誰に話しかけたか。

 誰がどんな顔をしているか。

 

 完全に取材の目だった。

 

「ナルシッサ」

 

「何?」

 

「今日は葬儀だ」

 

「知っているわ」

 

「楽しそうに見える」

 

「こういう機会でないと会えない人も多いでしょう」

 

 それはそうだった。

 

 葬式や結婚式でしか顔を合わせない相手というのはいる。

 大人とは、そういうものなのかもしれない。

 ルシウスがそう納得しかけたところで、湖畔にいる二人が目に入った。

 

 ローゼマインとトムが少し離れた場所で、二人きりで話している。

 ルシウスはぎょっとした。

 

 隣を見る。

 ナルシッサが「あらあら」という顔をしていた。

 

 さらに、その向こうを見る。

 フェルディナンドが、ほんのわずかに目を細めていた。

 

 そして、シリウス・ブラックも二人を見ていた。

 ルシウスは嫌な予感がした。

 シリウスは、こういう時に空気を読む男ではない。

 

「なあ」

 

 やはり始まった。

 

「もしかして、マインはトムのことが好きなんじゃないのか?」

 

 ルシウスは咳き込んだ。

 フェルディナンドはシリウスを見た。

 

「それで?」

 

「婚約、まだ続けるのか?」

 

「彼女次第だ」

 

 それだけだった。

 表情が読めない。

 

 ルシウスは、フェルディナンドを見た。

 

 ナルシッサを見る。

 ナルシッサは完全に楽しんでいる。

 娘の恋愛事情なのだぞ。

 なぜそんな顔ができる。

 

 葬儀後、ローゼマインは今度はフェルディナンドと湖畔へ向かった。

 

 ルシウスは落ち着かない。

 

 何を話している。

 なぜ二人きりだ。

 さっきトムと何を話した。

 

 ナルシッサの小説を読む前なら、ここまで娘の恋愛の行方に興味を持たなかったかもしれない。

 今は非常に気になる。

 

 やがて、フェルディナンドだけが戻ってきた。

 

「どうした?」

 

 シリウスが聞く。

 

「婚約を解消した」

 

 ルシウスは固まった。

 ナルシッサがゆっくり振り返った。

 

「……あの子が望んだの?」

 

「いや」

 

 フェルディナンドは短く答えた。

 ルシウスの胸がざわついた。

 

 では、なぜ。

 ローゼマインはトムを選んだのか。

 だからフェルディナンドが婚約をやめたのか。

 いや、違うのか。

 

 婚約を解消したからといって、即座に別の男を選んだことにはならない。

 

 だが、さっき二人で話していた。

 

 いや、しかし、彼女がトムに惚れているとしたら。

 

 ルシウスは、自分がここまで娘の恋愛について深く考える日が来るとは思わなかった。

 ローゼマインは良くも悪くも本以外は無関心で恋愛など興味なさそうだったじゃないか。いつの間にかこんなに進展していたのか。

 

 ナルシッサの本を読む前に戻りたい。

 少なくとも、もう少し鈍感でいられたのに。

 

 その夜、別邸へ帰ると、ナルシッサはすぐに机へ向かった。

 

「何をしている?」

 

「書いているの」

 

「何を」

 

「婚約破棄ものよ」

 

 羽ペンが猛烈な勢いで羊皮紙の上を走っている。

 

「……今日のことか? 娘の婚約解消を小説として書くつもりなのか?」

 

「物語はどこからでも生まれるのよ」

 

 ナルシッサは生き生きしていた。

 ルシウスは何も言わなかったが、作家という生き物が少し怖くなった。

 

 翌朝、ルシウスは朝刊を開き、すぐに一面で手を止めた。

 

『ゲラート・グリンデルバルド、ヌルメンガードを脱獄』

 

「……こんなことがあるのか」

 

 向かいで紅茶を飲んでいたナルシッサが紙面を覗いた。

 

「あら。物騒な世の中ね」

 

「その一言で済ませるな」

 

「今に始まったことじゃないもの」

 

 確かに最近は物騒だ。

 ダンブルドアが死んだ直後に、グリンデルバルドが脱獄した。

 偶然とは考えにくい。

 ダンブルドアという存在が、どれほど多くのものを押さえ込んでいたのか。

 死んで初めて分かる。

 

 ただ、闇の帝王とグリンデルバルドが手を組むとは思えなかった。

 あの二人が同じ部屋にいたら、協力より先にどちらが上かで揉める気がする。思想も似ているようでまるで違う。

 それだけは少し安心材料だった。

 

 学期が終わり、ルシウスはキングズ・クロス駅までローゼマインとドラコ、おまけにトムを迎えに行った。

 

 ダンブルドアの葬式が終わったあとにルシウスはマインに頼まれごとをしていた。

 まず、トムもマルフォイ家別邸に滞在していいか。

 ルシウスはすぐに了承した。

 

 本邸にあったトムの私物は別邸の一室に集めてあった。そこをトムの部屋として開ければいい。たまたまではあったものの、もしかしたらどこか予見していたのかもしれない。

 もちろんもしローゼマインに何かしたら殺す。

 その点だけは父親として譲れなかった。

 

 二つ目は出版のための取材で客人を招いていいかだった。

 ペットにバジリスクや黒犬に化けたシリウス・ブラックを選んだ彼女のことだ。客人は多少変わっている可能性が高い。

 だが、出版社の仕事ならそこまで変なことはないだろう。

 ルシウスは今までの前例から目をそらし、こちらも快く了承した。

 

 列車から降りたローゼマインは、大量の原稿を抱えていた。

 

「何だ、それは」

 

「ダンブルドア先生の原稿」

 

「亡くなった後なのに、まだあるのか?」

 

「下巻に追加する指示が遺品の中に入ってたの」

 

 ルシウスは額を押さえた。

 

 あの老人は。

 死んでもなお出版社へ仕事を投げるのか。

 恐るべき執念だった。

 

 屋敷に戻ると、ローゼマインは原稿を抱えたままあたりを見渡し、何でもないことのように尋ねた。

 

「お父さま、別邸に大事なものを保管できる金庫のようなものってある? アクセサリー入れくらいの大きさでいいんだけど」

 

「あるが」

 

「よかった」

 

「何を入れるのに必要なんだ?」

 

 ついにローゼマインがアクセサリーを買ったのか。

 あの本にしか興味のないローゼマインが。

 年頃の娘になったものだとルシウスは自然と笑顔になった。

 

「このくらいの大きさの賢者の石っていうのを入れたくて」

 

 ルシウスの笑顔が固まった。

 

「……何?」

 

「賢者の石だよ」

 

「聞こえなかったわけではない」

 

 ルシウスは娘を見る。

 

「錬金術師のニコラス・フラメルが作り、闇の帝王がかつて狙っていた、あの賢者の石か?」

 

「うん」

 

「なぜそれをお前が持っている。ダンブルドアに遺品としてもらったのか?」

 

「ううん。この前ドラコと作ったから」

 

 ルシウスはドラコを見た。

 ドラコは目を逸らした。

 

「作っただと?」

 

「うん」

 

「賢者の石を?」

 

「そう」

 

「何のために?!」

 

 ローゼマインは、なんてことないようにけろっと答えた。

 

「トムを人間にするためだよ」

 

 ルシウスは黙ってトムを睨みつけた。

 トムは肩をすくめるだけだった。

 

 なるほど。

 トムを人間にする。

 

 そのために、伝説の錬金術師しか作れないはずの賢者の石を作った。

 

 ローゼマインはトムのためにそこまで。

 

 ルシウスの頭に、トムとマインが二人きりで話す湖畔の光景が蘇った。

 

 やはり彼女はトムのことが好きなのではないか。

 だから、フェルディナンドの婚約を断ったのか。

 マインはトムと結婚するつもりなのか。

 

 頼むから違ってくれ! 

 

 ローゼマインはルシウスの心配などつゆほども知らずに客人を迎える準備を始めていた。

 机の上には原稿や羊皮紙が用意してある。

 自動速記羽ペンのインク交換も念入りだった。

 やけに気合いが入っている。

 

 ルシウスは、近くにいたドラコへ尋ねた。

 

「そういえば、今日の客人は誰なんだ?」

 

 ドラコは黙った。

 

「ドラコ?」

 

 返事がない。

 嫌な予感がした。

 最近、この家で誰かが黙る時は、大抵ろくなことがない。

 

「……まさか、闇の帝王ではないだろうな」

 

 ドラコはさらに黙った。

 

「なぜ黙る。それより悪い相手などいないだろう? ドラコ、そうだと言ってくれ」

 

 その瞬間、暖炉が緑色に燃え上がった。

 一人の老人が現れた。

 

 床までつく長いローブ。

 整った顔立ち。

 年老いてなお、目を引くほど端正だった。

 ルシウスは、その顔をどこかで見たことがある気がした。ゆっくりとテーブルの上の朝刊へ目を落とす。

 

『ゲラート・グリンデルバルド、ヌルメンガードを脱獄』

 

 写真を見る。

 老人を見る。

 もう一度写真を見る。

 

 写真と同じ顔だった。

 

「ゲラート・グリンデルバルドだ。お招き感謝する」

 

 本人が名乗った。

 ルシウスは目を閉じた。

 

 そうか。

 娘の客人とは。

 脱獄した史上最悪級の闇の魔法使いだったか。

 

 さすがに想定外だった。

 

「まあ!」

 

 ナルシッサが目を輝かせた。

 

「私も同席していいかしら?」

 

 ルシウスは妻を見た。

 

 なぜだ。

 なぜそんなに嬉しそうなのだ。

 相手はあのグリンデルバルドだぞ。

 

「構わない」

 

 グリンデルバルドは椅子へ座った。

 ルシウスも座った。

 

 本当は今すぐにでも立ち去りたかった。

 ものすごくその場から離れたかった。

 しかし、家族を残して別室へ逃げるわけにもいかない。

 父親とはつらい立場だった。

 

 取材が始まった。

 ローゼマインはダンブルドアについて質問した。

 グリンデルバルドは、時折皮肉を交えながらも答えた。

 ダンブルドアの自伝の上巻について補足した内容もあった。ダンブルドアが自伝でふんわりと隠したことを包み隠さず彼は全部話した。

 

 しかも、話が妙にうまい。

 歴史上の出来事を語っているだけなのに、聞いている側が続きを知りたくなる。自分がどう見られているかも分かっていて、少し笑えば相手がどう反応するかまで承知しているようだった。

 ルシウスは、嫌なことに気づいた。

 ルシウスは最初、グリンデルバルドの見た目とその経歴から、闇の帝王とロックハートを足して二で割ったような男なのかと思っていた。

 違う。

 どうやら二で割らなかったらしい。

 闇の魔術の腕は本物で、話術も容姿も申し分なく、そのうえ本人まで自分の魅力をよく理解している。

 ロックハートならまだ、中身を知れば幻滅できた。

 この男には、その逃げ道すらない。

 

 闇の帝王とロックハートを足したような男なんて最悪極まりない。

 

「ダンブルドア先生は、誰の呪文だったか分からないと書いていました。グリンデルバルドさんは誰のものだったかご存知ですか?」

 

 ローゼマインが原稿から顔を上げる。

 グリンデルバルドは少し目を伏せた。

 

「あれはアルバスの嘘だ」

「……え?」

 

 マインが目を見開いた。

 

「少なくとも私は知っていた。アバーフォースもな」

「じゃあ、ダンブルドア先生も?」

「知っていた、と思う」

「だったら、どうして誰も言わなかったんですか?」

 

 グリンデルバルドは深くため息をついた。

 

「一人だけの罪ではなかったからだ」

 

 やがて話題が、若い頃の二人へ移った。

 

「血の誓い?」

 

 ナルシッサが食いついた。

 

「ああ」

 

 グリンデルバルドが言った。

 

「互いに戦わないと誓った。最終的には戦わなくてはならなくなったが」

 

「まあ」

 

 ナルシッサの目が、見る見る輝いていった。

 ルシウスには分かった。

 

 これはまずい。

 恋愛小説家の目だ。

 

「その誓いは、どちらから?」

「さあ。どちらだったかな」

「誓いを結んだ時、お二人はどんな関係だったの?」

 

「ナルシッサ」

 

 ルシウスが止めた。

 

「何?」

 

「それ以上は」

「大事なところよ」

 

「何にとってだ」

 

「次の小説に決まっているでしょう!」

 

 ナルシッサは羽ペンを握り締めた。

 

「次のテーマはこれよ!」

 

 ルシウスは妻を見た。

 こんなに生き生きしたナルシッサを、長い結婚生活の中でもそう何度も見たことはない。

 

 目の前にいるのは、二十世紀最悪の闇の魔法使いの一人である。

 それでも楽しそうに彼女は恋愛小説の案を考えている。

 怖いもの知らずにもほどがある。

 

 ローゼマインたちがあれこれ質問している間に取材は長丁場となり、朝になっていた。ハウスエルフが食事を運んでいたものの、ルシウスは正直限界を迎えていた。

 その間、かつてヨーロッパ中を震撼させた闇の魔法使いは、当然の顔で食堂に座っていた。

 ローゼマインは途中で食卓で寝てしまい、トムが寝室まで運んでいった。

 

 グリンデルバルドは大人の余裕か、紅茶を飲み落ち着いた顔をしている。

 

「この茶葉は悪くない」

 

「ありがとうございますわ」

 

 ナルシッサが穏やかに答えた。

 ルシウスは新聞の向こう側から二人を見た。

 

 褒められている場合ではない。

 この男は脱獄犯である。

 

 しかも、ただの脱獄犯ではない。ゲラート・グリンデルバルドだ。魔法省がその気になれば、ここへ闇祓いが百人くらい押しかけてきてもおかしくない。

 

 

「それで」

 

 ナルシッサがティーポットを置いた。

 

「これから、どちらへ?」

 

 ルシウスはやっとその話になったとため息をついた。

 グリンデルバルドはカップの縁に指を添えたまま、少し考えた。

 

「特に決めていない」

 

「まあ」

 

 ナルシッサが眉を上げた。

 ルシウスは嫌な予感がした。

 

「ヌルメンガードへ戻るのかしら?」

 

「それはないな」

 

 いや、頼むから戻ってくれ。

 

「ホテルのご予約は?」

 

「身分証明を求められるだろう」

 

「知人のお宅は?」

 

「生きている知人があまりいない」

 

「あらまあ」

 

 ルシウスは新聞を畳んだ。

 

「ナルシッサ」

「なあに?」

「いや……」

 

 まだ何も言っていない。

 止めるには早い。

 しかし、止めなければならない気がした。

 

 ナルシッサはグリンデルバルドを見た。

 

「でしたら、しばらくここに滞在なさる?」

 

 ルシウスは新聞を落とした。

 紙面がテーブルの下へ滑り落ちる。

 グリンデルバルドより先に、ルシウスが口を開いた。

 

「ここに?」

 

「ええ」

 

「この屋敷に?」

 

「ほかにどの屋敷があるの?」

 

「いや、あるだろう。マルフォイ家にはいくつも──」

 

「本邸は燃えたでしょう」

 

「そうだったな」

 

 痛いところを突かれた。

 ナルシッサは何でもないことのように続ける。

 

「客室なら空いているわ。食事を一人分増やしたところで、家計が傾くわけでもないでしょう?」

 

「問題は食費ではない」

 

 ルシウスは即答した。

 グリンデルバルドが面白そうにこちらを見た。

 

「では、何が問題なのかな?」

 

 本人に聞かれた。

 ルシウスは口を閉じた。

 あなたです、と言えるほどルシウスは勇敢ではなかった。

 

「何かご不満?」

 

 ナルシッサまで聞いてくる。

 

「……脱獄したばかりの男を自宅に住まわせることについて、夫として多少の懸念を抱くことくらいは許されると思うが」

 

「でも、今さらでしょう?」

 

「今さら?」

 

「うちには闇の帝王もいたし、死喰い人もいたわ」

 

 ナルシッサは優雅に紅茶を飲んだ。

 

「それに、ローゼマインもあなたに聞きたいことがたくさんあるようですし」

 

「ほう」

 

 グリンデルバルドの目がわずかに細くなった。

 その反応だけで、ルシウスはさらに嫌な予感がした。

 

「あの子が?」

 

「ええ。賢者の石を使って魂を独立させる方法についてグリンデルバルドさんに聞きたいと言っていたわ」

 

 ルシウスは絶句した。

 グリンデルバルドはしばらく黙っていた。

 先ほどまでの戯れめいた表情が薄れ、代わりに、何か新しい玩具を見つけた少年のような光が瞳に宿る。

 

「賢者の石か」

 

 短く呟いた。

 

「それは興味深いな」

 

 ルシウスは額を押さえた。

 

 しまった。

 食いついた。

 

「では、お言葉に甘えよう」

 

「ええ。好きなだけいらしてくださいな」

 

「ナルシッサ」

 

「なあに?」

 

「せめて期間を決めないか?」

 

 妻は少し考えた。

 

「では、次のお住まいが決まるまで」

 

 それでは半永久的ではないか。

 ルシウスがそう指摘するより早く、ナルシッサはハウスエルフを呼んでいた。

 

「客室を一つ整えてちょうだい。南側の部屋がいいわね」

 

「ナルシッサ」

 

「あそこなら本もたくさんあるでしょう?」

 

「聞いてくれ」

 

 グリンデルバルドは愉快そうに紅茶を飲んでいる。

 

 こうしてマルフォイ家は、闇の帝王を裏切った直後に、前世代の闇の帝王を居候させることになった。

 ルシウスにはもう、何を守るためにここまで頑張ってきたのか分からなくなりつつあった。

 

 隣で、小さく袖を引かれた。

 ドラコだった。

 

「父上」

 

 小声で呼ばれる。

 

「何だ」

 

「これ」

 

 小瓶を差し出された。

 

「何だ?」

 

「スネイプ先生に教えてもらった作り方で作ったよく効く胃薬です。通常の胃薬の10倍は効きます。僕もよく飲んでいます」

 

「……お前が作ったのか」

 

「はい」

 

 ルシウスは栓を抜いた。

 

 一気に飲んだ。

 非常に苦いが、胃の痛みによく効いている気がする。

 少なくとも、今まで生きてきた中で一番よく効く薬だった。

 

「良い薬だ。後でレシピを教えてくれ」

「もちろんです、父上」

 

 マルフォイ家は、今日も平和だった。

 少なくとも、誰も死んではいない。全員まだ生きている。

 最近のルシウスは、それを平和と呼ぶことにしていた。

 





半純血のプリンス編これにて完結です。よく頑張った!
感想お待ちしています!

マルフォイ家の家族会議ももう⑭です。まさかここまで続くとは思いませんでした。
マルフォイ家にまた新しい居候が増えましたね。ルシウスの胃が休まるときははたして訪れるのでしょうか。
マルフォイ家の家族会議は恐らくこれが最後です。 

次の章が最終章です。最後までよろしくお願いいたします。
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