バーティ・クラウチ・ジュニアはルーファス・スクリムジョールの髪が長持ちすることに感心していた。
死体から切り取ったときには、こんなものをずっと保管することになるとは思っていなかった。乾燥させ、一本ずつ小瓶に分け、湿気も光も避けて保存してある。ポリジュース薬一回につき一本。残量を数えるたび、自分がずいぶん几帳面な殺人犯になったものだと思った。
今朝も一本を薬に落とした。
濁った液体を飲み干すと、骨が軋み、肩幅が広がり、視界がわずかに高くなる。
鏡の中には、険しい顔をしたルーファス・スクリムジョールが立っていた。
「今日も似合ってますねえ」
背後からロックハートが言った。彼は「私は美男子にしかなりたくない」と主張して、ポリジュース薬を飲むことを拒否して外見を少しいじっただけに留めていた。
「黙れ」
「褒めたのに」
ロックハートは不満そうだったが、すぐ鏡を覗き込んで自分の前髪を整え始めた。
ロックハートの秘書としての仕事ぶりには、思いのほか不満はなかった。
書類整理は雑だったし、会議の時間もたびたび間違えたが、彼にはそれを補って余りある特技がある。
都合の悪い人間の記憶を消すことだ。
政治という仕事には、あまりにも向いていた。
魔法法執行部部長のスクリムジョールとして魔法省へ通うようになった当初、バーティは政治家が嫌いだった。
自分では何も決められないくせに、誰が決めたことなのかだけは異様に気にする。責任を取る人間を決めるための会議に二時間使い、その責任者が責任を取らないための文書を三日かけて作る。
馬鹿馬鹿しい仕事だった。
だが、一月もしないうちに考えを改めた。
政治家より記者の方が嫌いだった。
「スクリムジョールさん! こちらの件について一言!」
「スクリムジョールさん、アンブリッジ大臣との対立は事実ですか!」
「マグル生まれに対する取り締まり強化について──」
魔法省の玄関を出ただけで、羽ペンと羊皮紙が群がってくる。
最初の頃は全員まとめて呪い殺したくなった。
だが、幸いにもバーティには記者だった時代がある。
ロルフ・スキャマンダーとして羽ペン通信に潜り込んでいた頃、彼は嫌というほど記者という生き物を観察した。
記者は真実が欲しいのではない。
他の記者が知らない真実が欲しいのだ。
記者一人一人と会うときに、バーティはそれぞれに別々の独自の情報を伝えていた。
「君には先に教えておこう。闇祓い局の増員を検討している」
記者の目の色が変わった。
実に分かりやすい。
「これはまだ内々の話だ」
月に二、三本、独自情報らしきものを与えておけばいい。他紙より先に書けたという満足感さえ与えれば、記者というものは驚くほど扱いやすい。
気がつけば新聞には、「改革派スクリムジョール」と「保守派アンブリッジ」という構図が出来上がっていた。
魔法省内部でも、いつの間にか職員たちがスクリムジョール派とアンブリッジ派に分かれている。
権力というものは、案外勝手に増殖するらしい。
それより面倒なのは家庭だった。
政治家には勤務時間がある。
父親にはない。
「父さん」
夕食の席で、少年が顔を上げた。
スクリムジョールの息子だった。
来年、ホグワーツへ入学するらしい。
バーティは子どもが嫌いだった。
「僕、どの寮になると思う?」
ナイフが止まりかけた。
向かいに座るスクリムジョール夫人は、穏やかな顔で夫の答えを待っている。
困った質問だった。
スクリムジョールの出身寮なら知っている。グリフィンドールだ。
組分け帽子の性質も知っているし、四寮の特徴も知っている。どの寮に入れば将来どういう人脈ができるかまで説明できる。
だが、父親として何を言えば正解なのかは知らなかった。
「どこでも、お前次第だ」
無難に答える。
「父さんは、僕がグリフィンドールだったら嬉しい?」
「なぜグリフィンドールなんだ」
「父さんがそうだったから」
「……好きなところへ行けばいい」
少年は嬉しそうに笑った。
その顔を見ると、妙に腹が立った。
自分が十一歳だった頃、父親にこんな質問をした記憶はない。
寮について語り合った記憶もない。
試験の順位を報告するときだけは、よく覚えている。
二位だった日は、特によく覚えていた。
父親は、二位を褒めるような男ではなかった。
一位でなければ意味がない。
出来て当然。
間違えれば恥。
泣けばさらに恥。
バーティは、いつから自分が子どもでなくなったのか知らなかった。
たぶん最初から、子どもでいることを許されていなかった。
「父さん、ホグワーツって、本当に階段が動くの?」
「ああ」
「肖像画も喋る?」
「喋る」
「すごいなあ」
少年の目が輝いた。
バーティはイライラしながらナイフで肉を切った。ナイフで子どもの喉を掻っ切れたらどんなにいいかと思った。
そういう顔が嫌いだった。
マグル生まれも同じ顔をする。
魔法を初めて知った子どもたちは、目を輝かせる。
箒が飛ぶことに驚き、蛙チョコレートに笑い、動く肖像画を何十分も眺める。
まるで魔法界が、自分たちを歓迎するために用意された遊園地であるかのように。
何も知らない。
何も失っていない。
順位を一つ落としたところで、世界が終わるわけでもない。
それなのに、同じ学校へ入ってくる。
同じ杖を持ち、同じように魔法使いを名乗る。
虫唾が走った。
だから、仕事が忙しい日は帰りに一人捕まえることにしていた。
良い気分転換になった。
魔法省の職員ばかり狙えば足がつくので、対象は広く取った。学生、店員、事務員。家族が騒ぎそうなら記憶を弄ればいい。
悲鳴にも当たり外れがあった。
よく響く声に当たった日は、翌日の仕事が妙にはかどった。
会議資料を三十枚読まされても腹が立たなかった。
そのうち、闇の帝王との会議にも連れていくようになった。
天井から吊るしておくだけで、場が華やぐ。
「今日は一人だけ?」
ベラトリックスが不満そうに言ったことがある。
「会議に人数が必要なのか?」
「多い方が楽しいでしょう?」
「目的が変わってるぞ」
自分が注意する側になるとは思わなかった。
その日の議題は、デルフィーから送られてきた調査結果だった。
アルバス・ダンブルドアの杖。
それが、ニワトコの杖である可能性が高い。
闇の帝王は、その報告をひどく気に入った。
世界最強の杖。
最強の魔法使いにふさわしい。
実に分かりやすい思考だった。
問題は、その後だった。
マルフォイ邸へ向かった闇の帝王を待っていたのは、忠実な死喰い人たちではなかった。
不死鳥の騎士団だった。
ルシウス・マルフォイが裏切ったのだ。
ダンブルドアは闇の帝王の目の前でナギニを殺した。
デルフィーは混乱の中でダンブルドアの杖を奪った。
そして闇の帝王がダンブルドアを殺した。
スネイプはすぐに駆け寄り、遺体を連れて姿くらましした。
その顛末をバーティが知ったのは、ダンブルドアの葬儀の日だった。
デルフィーから届いた手紙を物陰で読み終え、バーティはしばらく動かなかった。
ルシウスが裏切った。
ならば、知っている。
スクリムジョールが死んでいることも。
今ここにいるスクリムジョールが、自分であることも。
「……なるほど」
妙に納得した。
泳がされていたのだ。
腹立たしい。
殺すなら殺せ。
捕まえるなら捕まえろ。
こちらが毎朝まずいポリジュース薬を飲み、妻と夕食を食べ、息子の学校生活の相談までしている間、連中は知った上で眺めていたらしい。
趣味が悪い。
「スクリムジョール」
背後から声がした。
振り向くと、闇祓いが三人立っていた。
その表情を見た瞬間、バーティはため息をついた。
「ああ。今日か」
「ご同行願います」
「嫌だと言ったら?」
三人が杖を抜いた。
面倒だった。
もう仕事を休ませてほしい。
バーティは横へ跳び、最初の呪文を石碑に当てた。
「ロックハート!」
「はいはい!」
墓地の反対側から、妙に明るい声がした。
ロックハートが杖を振る。
「オブリビエイト!」
一人。
「オブリビエイト!」
二人。
「はい、そこの人もオブリビエイト!」
三人。
見事な手際だった。
こういうときだけは本当に役に立つ。
「魔法省の担当者も記憶を消しておいてくれ」
「何人です?」
「知っているか聞けばいいだろう」
「面倒ですねえ」
「記者もだ。他に化ける相手を探す前に記事を書かれては面倒だ」
「何人です?」
バーティは墓地の入口を見た。
「全員だ」
「私、今日中に帰れます? 今日こそパーヴォの顔を見たかったのに」
「知らん」
結局、その日の午後は記憶処理だけで潰れた。
事情を知っていそうな職員。
葬式で見た闇祓い。
妙な記事を書きかけていた記者。
ロックハートが片っ端から記憶を消していく。彼らの記憶からスクリムジョールが偽者という記憶が抜かれた。
「仕事多すぎじゃないですかね。昇給してくださいよ」
「嫌だ」
夕方には、バーティは心底疲れていた。
もういい、スクリムジョールは捨てよう。
髪も残り少ない。
家庭も面倒だ。
政治家にも飽きた。
次の人間を探せばいい。
そう考えながら墓地を出ようとしたときだった。
「あの、スクリムジョールさん」
聞き覚えのある声に呼び止められた。
振り返る。
ハーマイオニー・グレンジャーが立っていた。
バーティは瞬きをした。
「少し、お時間よろしいでしょうか」
「ああ」
「魔法法執行部に興味があり、ぜひお話を伺えればなと」
バーティは安心した。彼女は何も気づいてなさそうだった。
バーティは少し考えた。
スクリムジョールは近いうちに捨てる。
ならば、最後に使えるものは使っておいた方がいい。
「そういえば、君は卒業後、魔法省を志望していたな」
「はい」
「ちょうど夏季のインターンを受け入れる予定がある」
ハーマイオニーの目が輝いた。
学生らしい顔だった。
「インターン、ですか?」
「ああ。一般募集の前だから、まだ外には出していない」
少し声を落とした。
「君なら推薦できる」
「本当ですか?」
驚くほど簡単だった。
成績のいい人間ほど、自分が努力によって得た機会を疑わない。
「来週、魔法省へ来るといい。詳しい話をしよう」
「ありがとうございます!」
ハーマイオニーは嬉しそうに礼を言った。
バーティは笑って別れた。
今日は散々だったが、最後に少しだけ運が向いてきたらしい。
その夜、スクリムジョール家へ帰ると、妻が居間で待っていた。
「遅かったのね」
「仕事だ」
「葬儀だったでしょう?」
「葬儀も仕事のうちだ」
上着を脱ぎながら答える。
息子はもう眠っていた。
「最近、ずっと忙しそうね」
「ああ」
「無理しないで」
妻が近づいてきた。
何度も繰り返した会話だった。
スクリムジョールなら、ここで何か言ったのだろう。
だがバーティには、その台詞までは分からなかった。
「もう寝ろ」
「あなたもね」
妻が笑う。
そして、ごく自然に顔を寄せてきた。
この展開は初めてだな。スクリムジョールはもっと淡白だと思っていた。
バーティは彼女のキスに応じた。
ほんの数秒だった。
離れたとき、妻の顔から笑みが消えていた。
「どうした」
彼女は答えない。
じっとこちらを見ている。
「ルーファス」
「何だ」
「もう一度」
「何を」
「キスして」
面倒だと思った。
だが断れば、余計に怪しまれる。
もう一度唇を重ねた。
今度は妻が先に離れた。
顔が青ざめている。
「あなた……誰?」
バーティは目を細めた。
見た目は完璧だった。
声も同じ。
癖もかなり覚えた。
妻は震えながら一歩下がった。
「ルーファスは、そんなふうにキスしない」
くだらない。
そんなところで見破られるとは思わなかった。
「いつから?」
妻の声が掠れた。
「いつから、あなたは──」
バーティは杖を抜いた。
妻の目が大きく見開かれる。
「待って」
「分からなければ」
杖先を向ける。
「死なずにすんだものを」
閃光が走った。
床に倒れた妻をしばらく眺める。
静かになった。
バーティは窓を開けた。
ポケットを探り、煙草を一本取り出した。
記者をしていた頃に覚えた習慣だった。
杖先で火をつけて一口吸う。
煙を肺へ入れ、ゆっくり吐いた。
夜風に白い煙が溶けていく。
「何で分かったんだろうな」
答える者はいなかった。
寝室の方からも物音はしない。
バーティはもう一口吸った。
この家も、そろそろ捨て時だった。
*
バーティはイライラしながら羊皮紙に書かれた闇の帝王の指示を読んだ。
我が君は賢者の石の作り方をほぼ解読したらしい。しかし、最後が解読できなかったのでバーティに解読するようにとのことだった。
あの方は正気か。
そんなに簡単に賢者の石ができてたまるか。
その日はハーマイオニー・グレンジャーとの約束の日だった。
彼女は約束通り魔法省へやってきた。
鞄には羊皮紙と筆記具を詰め込み、いかにも仕事を学びに来た学生という顔をしている。
バーティはパイアス・シックネスに化けていた。
「パイアス・シックネスだ。君がハーマイオニー・グレンジャーだね。ルーファスから話は聞いているよ」
「まず、どちらの部署へ?」
「特別部署だ」
「特別部署?」
「まだ公表されていない」
そう言えば納得した。
記者と同じだ。
自分だけが秘密を知らされたと思うと、人間は簡単に警戒を解く。
エレベーターを降り、さらに地下へ向かう。
人気がなくなった頃、グレンジャーが首を傾げた。
「こんな場所にも部署があるんですね」
「表に出せない仕事もある」
重い扉を開いた。
中へ入ったところで、誰かの咳が聞こえた。
「……今の、何ですか?」
その奥から、すすり泣く声がする。
バーティは扉を閉めた。
廊下の左右には鉄格子が並んでいる。
何人ものマグル生まれが閉じ込められていた。
「助けて」
格子の向こうから声がする。
ハーマイオニーの顔色が変わった。
「この人たちは……?」
「穢れた血だ」
ハーマイオニーが杖へ手を伸ばす。
バーティの方が早かった。
「エクスペリアームス」
杖が床を滑る。
「あなた……誰ですか?」
「遅いな」
バーティはため息をついた。
「あの女はキスしただけで分かったぞ」
「何を言ってるんですか」
「面倒だった」
牢を開ける。
「入れ」
ハーマイオニーは動かなかった。
杖を向けると、やがて唇を噛んで中へ入った。
「誰なんですか」
格子越しに睨んでくる。
「あなたは」
「そうだな、君の友達なら知ってるかもな」
顔から血の気が引いた。
「誰も教えてくれなかったのか?」
バーティは笑った。
「可哀想に」
それから数日、ハーマイオニーも地下牢の住人になった。
バーティは、ときどき仕事の合間にそこへ降りた。
会議で腹が立った日。
新聞に気に入らない記事が出た日。
賢者の石がまた失敗した日。
理由など何でもよかった。
牢を開け、適当に一人選ぶ。
少し脅せば泣く者もいた。
反抗する者にはクルーシオを使った。
ハーマイオニーは、何度来ても同じ目でこちらを見た。
怯えていないわけではない。
バーティが牢の前に立つと、肩がわずかに強張る。杖を抜けば、指先が反射的に握り込まれる。それでも、視線だけは逸らさなかった。
「まだそんな顔ができるのか」
バーティは杖を指先で回した。
「じゃあ今日は君にしよう」
格子の鍵を開ける。
ハーマイオニーは立ち上がった。何日もまともに眠れていないのだろう。壁へ手をついて身体を支えながら、それでも自分の足で牢から出てきた。出てこなければもっと苦しい思いをすると分かっているからだ。
「クルーシオ」
赤い光が胸元を撃った。
次の瞬間、ハーマイオニーの膝が石床へ叩きつけられた。
声を堪えようとしたらしい。
最初に漏れたのは、悲鳴ではなく喉を押し潰したような息だった。
だが、呪いが身体を貫くにつれて耐えきれなくなった。
「あーーーっ、あああああ!」
指が床を掻く。
全身の筋肉が自分の意思とは関係なく強張り、背中が反り返った。身体の内側へ焼けた針を何千本も突き立てられ、それを一本ずつ骨の隙間へ押し込まれているような痛みを感じているはずだ。
バーティは杖を向けたまま、その様子を眺めた。
クルーシオは便利な呪文だ。
跡が残りにくい。
道具もいらない。
しかも術者が手を離すまで終わらない。
「どうした?」
ハーマイオニーは答えられない。
歯を食いしばり、ただ床の上で身体を震わせている。
「さっきまで威勢がよかったじゃないか」
バーティは少しだけ杖を持ち上げた。
呪いが切れて、ハーマイオニーの身体から力が抜けた。
荒い息だけが地下牢に響く。
額には汗が浮かび、乱れた髪が頬へ張りついていた。
「……それで?」
掠れた声がした。
バーティは眉を上げた。
ハーマイオニーは顔を上げようとしていた。
「何?」
「それで……私が、あなたの思い通りになると思ったんですか」
立ち上がることさえできないくせに、目だけはまだこちらを睨んでいる。
バーティはしばらく黙っていた。
それから笑った。
「そういうところ、本当に嫌いだな」
もう一度杖を向ける。
「クルーシオ」
今度は最初から悲鳴が上がった。
牢の中にいた子どもが耳を塞ぐ。
誰かが顔を背けた。
それでもハーマイオニーの隣へ駆け寄ろうとした女がいたので、バーティは空いている手で杖を振った。
「動くな」
女の足元へ呪文を撃ち込む。
石床が砕け、破片が散った。
「次はお前にする」
女は止まった。
ハーマイオニーだけが、床の上で身体を震わせている。
バーティはそれを見ながら、ようやく少し機嫌が直っていくのを感じた。
答えの出ない問題ばかりだった。
だが、これは違う。
杖を振れば泣く。
呪文をかければ叫ぶ。
少なくとも、ここには分かりやすい答えがある。
しばらくして呪いを解いた。
ハーマイオニーはそのまま床へ伏した。
「今日はこの辺にしておこう」
返事はない。
バーティは背を向けた。
「明日もあるからな」
その言葉に、牢の中の誰かが息を呑んだ。
だが翌日、地下へ降りてみると、ハーマイオニーはまた囚人たちの間に座っていた。
震える手で子どもへ水を渡しながら、一人ずつ名前を確認している。
「何をしてる」
「覚えているんです」
「何を」
「全員の名前を」
バーティは牢の格子へ寄りかかった。
「何のために?」
ハーマイオニーはゆっくりと顔を上げた。
昨日より顔色は悪い。
声にも力がない。
それでも、答えだけははっきりしていた。
「ここから出たとき、誰がいなくなったのか分かるように」
「出られると思ってるのか」
「必ず出ます」
それだけは気に食わなかった。
記者には別の話題を流した。
誰も地下までは来ない。
そう思っていた。
その日も、賢者の石は失敗した。
出来かけた赤い結晶が、完成の寸前で甲高い音を立てて割れた。鍋の底へ沈み、赤い欠片は見る間に黒ずんで液体へ溶けていく。
文献には一言だけ書いてあった。
──最後の錬成は一人では成し遂げられない。
「知るか」
バーティは文献を机へ放った。
二人でやった。
魔力の量も合わせた。
相手を何度も変えた。
何度試しても、最後だけが完成しない。
その苛立ちを抱えたまま、バーティは地下へ降りた。
重い扉を抜けると、牢の中にいた者たちがこちらを見る。
話し声が止まった。
子どもが壁際へ身を寄せる。
最近は、この反応を見るだけで少し気分が良くなった。
ハーマイオニーは一番奥の壁にもたれて座っていた。
髪は絡まり、頬は以前より痩せている。それでもバーティを見ると、ゆっくり顔を上げた。
「今日は誰ですか」
「察しが良くなったな」
「毎回来れば、嫌でも分かります」
「じゃあ君でいい」
バーティは牢の鍵を開けた。
ハーマイオニーが壁へ手をつき、時間をかけて立ち上がる。
それでも目だけは、相変わらずだった。
嫌いな目だった。
バーティは杖を持ち上げた。
そのとき、遠くで、扉の開く音がした。
重い蝶番が軋み、続いて錠の金具がぶつかる。
バーティは振り返らなかった。
入口には魔法省の職員を二人置いてある。
ここへ通していい人間についても、念を押しておいた。
それなのに、足音がする。
こつ。
こつ。
石床を叩く音が、迷うことなく近づいてきた。
バーティは舌打ちした。
「誰も通すなと言っただろう」
返事はない。
足音だけが続く。
「聞こえなかったのか?」
苛立って振り返る。
最初に見えたのは、桃色だった。
地下牢にはあまりにも不似合いな、柔らかな色。
裾にはフリル。
胸元には猫のブローチ。
そこでようやく、バーティの言葉が止まった。
「……ああ」
ドローレス・アンブリッジだった。
彼女はいつものように笑っていた。
口元だけをきれいに持ち上げた、あの甘ったるい笑顔。しかし、その笑みには怒りが滲んでいる。
「これはこれは」
バーティは杖を下ろさないまま言った。
「大臣閣下」
「ごきげんよう、シックネスさん」
アンブリッジはゆっくりと地下牢へ足を踏み入れた。
まず、右側の牢を見る。
痩せた男。
怪我をした女。
奥で身体を寄せ合っている子どもたち。
そして、開いた牢の前に立っているハーマイオニーへ視線を止めた。
ハーマイオニーは呟いた。
「アンブリッジ先生」
呼ばれても、アンブリッジは答えなかった。
最後に、その丸い目がバーティへ戻る。
「なるほど」
声だけは穏やかだった。
「わたくしの知らないところで人事が動く。予算が消える。記録上は存在しない部屋に、定期的に物資が運び込まれている。そして、ルーファスの周囲だけ妙に記憶の曖昧な職員が増えていく」
バーティは内心で舌打ちした。
「それだけで?」
「いいえ」
アンブリッジが微笑んだ。
「それだけなら、単にルーファスがわたくしに隠れて悪さをしているだけだと思っておりましたわ」
「実際そうではないのでしょうか。ルーファスの考えることは分かりませんが」
「でしょうね」
まったく動じない。
それからアンブリッジは、牢の中のハーマイオニーへ視線を向けた。
「気づいたのは、ハーマイオニーさんに言われたからですの」
バーティの笑みが止まった。
「……何?」
バーティはグレンジャーを見た。
一体、いつから。いつから気づいていたのだ。
まさか、最初から?
アンブリッジの視線が、バーティの杖へ落ちた。そして、グレンジャーへ移動する。
床には、何度も呪文を撃ち込んだ跡が残っている。
格子の向こうでは、誰も声を出さなかった。
アンブリッジの笑みが、ほんの少し深くなった。
「ずいぶん長いこと」
杖を取り出す。
「好き勝手してくださったようですわね」
今度は笑顔のまま、杖先をバーティへ向けた。
「わたくしの城で」
甘い声が、地下牢の奥まで響いた。
「何をしてらっしゃるの?」