図書室の貸出カウンターの上に、読み終えた本を一冊ずつ積んでいった。
分厚い専門書の間には、小説も何冊か挟まっている。
最後の一冊を置いたところで、本の山の向こうからマダム・ピンスが顔を出した。
「これで全部ですか?」
「はい!」
数日前、グレイブス先生がマグル学の授業用に大量の本を図書室へ入れてくれて以来、わたしは暇さえあれば棚へ通っていた。
印刷技術、映画、広告、通信、自動車。
どれも魔法界ではほとんど扱われないものばかりだ。
本棚に知らない背表紙が増えるだけで、図書室そのものが広くなったような気がする。
「久しぶりにマグルの本をいっぱい読めました」
「そうですか」
「やっぱり面白いですね。魔法が出てこないのに、知らないことがこんなにあって。戦争の本を読んだあと映画史を読むと、同じ時代でも全然見え方が違うし、広告の本を読むと今度は──」
「ミス・マルフォイ」
「はい」
「ここは図書室です」
マダム・ピンスは声を荒らげもしなかった。
ただ視線だけで、試験勉強に励む生徒たちを示す。
「すみません」
マダム・ピンスは返却印を押し、慣れた手つきで本を分類していった。
そうだ。
今日確認したかったことは、返却だけではない。
「この前お願いしたビブリオバトルなんですけど」
マダム・ピンスの手が止まる。
「図書室を使ってもいいですか?」
「騒ぎませんか?」
「騒ぎません」
マダム・ピンスはしばらくわたしを見つめたあと、諦めたように息を吐いた。
「図書室では静かに」
「ありがとうございます!」
嬉しくなって、カウンターへ少し身を寄せた。
「今回のテーマは『愛』なんです」
「そうですか」
「マダム・ピンスだったら、何を紹介します?」
「私が?」
「気になります」
マダム・ピンスは返却された本の背を揃えながら、少し考えた。
「『閉架書庫の番人』ですね」
「知らないです」
「古い小説です」
それだけ言って仕事へ戻ろうとする。
「……どんな話ですか?」
「戦争で城を追われた主人から、一つの閉架書庫を任された男の話です」
「本を守るんですね」
「書庫を守ります」
「違うんですか?」
「違います」
きっぱり言われた。
「主人はそのあとどうなるんです?」
「死にます」
「えっ」
「城も落ちます。使用人も逃げます。それでも番人は残る」
「なんで?」
「任されたからです」
マダム・ピンスは、当然のことのように答えた。
「でも主人はもういないんですよね?」
「命じた者がいなくなったからといって、命じられたことまでなくなるわけではありません」
妙に力がこもっている。
「読みたいです」
「そうでしょうね」
「貸してください」
「今、何冊返したと思っているのですか」
「返したから借りられます」
筋は通っている。
マダム・ピンスは何も言わず、本棚の方へ消えた。
しばらくして戻ってきた手には、革張りの古びた一冊がある。
表紙には、鍵穴のついた扉と、その前に立つ男の姿が金箔で描かれていた。
「ありがとうございます」
マダム・ピンスは満足そうに頷いた。
ビブリオバトル当日、図書室へ入ったわたしは、扉をくぐったところで足を止めた。
ヴォルデモートがいた。
窓際の長机に、何事もなかったような顔で座っている。
なぜ。
白銀卿としてホグワーツ校長をしている以上、校内にいること自体はおかしくない。
図書室にいることも、おかしくはない。
しかし、このタイミングで?
隣にはロックハート先生もいた。
いつもの完璧な笑顔だが、額にはうっすら汗が浮いている。
「ロメルダ」
ロメルダを呼び止める。
「なに?」
「まさか、校長先生呼んでないよね?」
視線だけでヴォルデモートを示す。
ロメルダはぶんぶん首を横に振った。
「呼ぶわけないでしょ」
「だよね」
「あたしだってそこまで命知らずじゃないよ!」
「よかった」
「よくないですよ」
横からロックハート先生が割り込んできた。
「昨日、校長に聞かれたんです。明日、図書室で本を紹介する催しがあるそうだな、と」
「それで?」
「私も参加したい、と」
ロックハート先生の笑顔が少し引きつった。
「断れませんよね?」
「断れませんね」
二人でヴォルデモートを見る。
ちょうど向こうもこちらを見た。
「何か問題が?」
「いえ」
わたしは社交用の笑顔を浮かべた。
「ビブリオバトルは皆に開かれていますから」
「そうか」
ヴォルデモートは満足そうに頷いた。
そこへロンが入ってきた。
ヴォルデモートを見て、聞いてないぞという仕草をわたしに向かってしてきた。
わたしだって聞いてない。
ドラコも来た。
校長席にいるヴォルデモートを見ても表情を変えず何も言わず鞄を抱えて座った。
マルフォイ家の次期当主は顔色を買えない訓練をしたことがあるのかもしれない。
ルーファスは今日は参加せず、見学だけだった。
入口からヴォルデモートを見た瞬間、ほんの少し目つきが鋭くなる。
一年生が闇の帝王へ向ける顔としては、だいぶ生意気だと思う。
最近のルーファスはスリザリンなのに、どんどんハリーの子分みたいになってきた。
そのハリーはジニーとデートに行っていた。
本当によかった。
ここにヴォルデモートとハリーまで揃っていたら、本の紹介より先に別の催しが始まりかねない。
コウタも用事があって不参加だった。
昨日、「愛なら紹介したい本があったのに……」と数冊本をかかえてこの世の終わりみたいな顔をしていた。全てわたしが編集した本だったのはたまたまだろう。
そして、トムもいた。
「来てたんだ」
「ああ」
「本は紹介しないの?」
「愛について人前で発表する趣味はない。今日は見学だけだ」
「本を紹介するだけだよ?」
「なおさらしない」
即答だった。
トムは一冊の本を開いたまま、こちらを見もしない。
その時、図書室の扉がもう一度開いた。
「遅くなった」
グレイブス先生だった。
わたしはゆっくりロメルダを見る。
「ごめーん、言い忘れてた! グレぴ先生誘ってたんだった。マグルの恋愛小説教えてって」
ロメルダは知らない。
グレイブス先生の中身は、ゲラート・グリンデルバルドである。
改めて部屋を見渡した。
ヴォルデモート。
グリンデルバルド。
ロックハート先生。
見学席にはトム。
今日のテーマは愛だ。
どうしてこんなことになったんだろう。
闇の魔法使いが集まりすぎている。
「……始めようか」
考えても仕方ない。
図書室の奥、窓際の長机を囲んで座る。
秋の光が高い窓から差し込み、机の上に細長い四角を作っていた。
外では風に揺れた枝が、時折ガラスを軽く叩いている。
ルーファスとトムは少し離れた見学席へ。
マダム・ピンスは貸出カウンターの奥で仕事を続けていた。
ルーファスはヴォルデモートから視線を逸らそうとしているのか、遠くにあるカウンターの本の山を睨みつけていた。
「それでは、魔法書研究会のビブリオバトルを始めます! 今回のテーマは『愛』です。一人ずつ本を紹介して、最後に一番読みたいと思った本へ投票します。自分が紹介した本には投票できません」
ロンが小さく拍手する。
ロメルダも続く。
ヴォルデモートは拍手しない。
グレイブス先生は楽しそうに周囲を眺めている。
「急に参加することになった校長先生とグレイブス先生、本はありますか?」
「ある」
「私も」
二人とも即答だった。
なんで愛をテーマに紹介できる本を、そんなにすぐ用意できるんだろう。
「じゃあ順番を決めます」
ポケット・グリモアを開く。
白紙のページに人数分の縦線を引き、途中を横線でつないでいく。
隣から赤い目が覗き込んだ。
「何だ、それは」
「あみだくじで順番を決めます」
「なぜ線を辿る必要がある?」
「その方が楽しいから?」
ヴォルデモートが納得できないものを見る目をした。
ポケグリの上で線を辿る。
順番が決まった。
一番は、わたしだった。
「どうせ本への愛だろ」
ロンが言った。
ロメルダも、グレイブス先生までこちらを見ている。
みんな知っているという顔で頷いている。
「まだ何も言ってないよ」
「じゃあ違うのか?」
「……違わないけど」
悔しい。
わたしは一冊の本を机に置いた。
「わたしが紹介するのは、『華氏451度』です」
グレイブス先生が表紙を見て、わずかに口元を上げる。
「私が図書室へ入れた本だな」
「はい。久しぶりに読んだマグルの小説です」
表紙を撫でる。
「この小説に出てくるのは、本を読むことも持つことも禁止された世界の話です。本が見つかったら燃やされます」
「マインには拷問だな」
ドラコがつぶやいた。
「地獄だよ」
「そこまでか?」
「本があるのに読めないんだよ?」
「分かった分かった」
ドラコが手を振った。
「でも、わたしが一番好きなのはそこじゃないの」
本を開く。
「本が燃やされても、内容を残そうとする人たちがいるんです。一人が一冊を全部覚えて、自分自身が本になるの」
ロメルダが目を丸くした。
「丸暗記するの?」
「そう。いつか、もう一度本にできるように」
「すごいな」
ロンが素直に言う。
「でしょ?」
わたしは嬉しくなった。
「本そのものがなくなっても、人が覚えていれば戻せるでしょう?」
ロンが手を挙げた。
「質問」
「どうぞ」
「その人まで忘れたら?」
考えた。
「一人しか覚えてなかったら困るね。でも、誰かに話してたら残るよ。本にしたらもっと残る。その人が覚えてたことを記録することが大事なんだよ」
自分でも思いついたまま口にしていく。
羽ペン通信だってそうだ。
書いた瞬間、その日の出来事は紙の上に残る。
「本でも新聞でも、手紙でも、ポケグリでもいいと思う。人は忘れるけど、書いたものは残せるから」
グレイブス先生が腕を組んだ。
「それを愛だと?」
「わたしはそう思います」
「本への愛か?」
「本と、本を書いた人と、これから読む人への愛です」
口にしてから、少し照れくさくなった。
真面目なことを言いすぎた。
ロンがまた手を挙げる。
「もう一個」
「なに?」
「お前がその世界に行ったら?」
「燃やされないように本を全部隠す」
今度は即答した。
ロンが笑い、ロメルダも吹き出す。
ドラコはやっぱりなという顔をした。
二番目はロン。
ロンが机の上に薄い本を置く。
タイトルを見た瞬間、ロメルダが笑った。
『チャドリー・キャノンズはなぜ万年最下位なのか?』
「それ、自分の本じゃん。しかも全然売れなかったやつ」
「うるさい!」
ロンの耳が赤くなる。
「売れなかったけど、だからって悪い本じゃない!」
「愛のテーマで自著って、ロックハート先生みたい」
「それは嫌だ!」
「心外ですね」
ロックハート先生が傷ついた顔をする。
ロンは咳払いした。
「チャドリー・キャノンズは弱い」
「知ってる」
ドラコが言う。
「お前は黙ってろ」
「紹介なんだから事実だろ」
「僕が言うのはいいんだよ」
ロンは本を開いた。
「監督を替えても弱い。選手を補強しても弱い。たまに調子が良くなっても、大事なところで負ける」
「ひどい紹介ね」
「だから、なんで弱いのか調べたんだよ」
ロンは指を折る。
「育成、戦術、スカウト、フロント、金の使い方。全部」
「それで強くなった?」
ロメルダが聞く。
「なってない」
「駄目じゃん」
「僕が監督じゃないから!」
声が大きくなりかけ、ロンは慌ててマダム・ピンスを見る。
マダム・ピンスは本を整理しながら、こちらを見ていた。
ロンは背筋を伸ばした。
「……でも、弱いから応援をやめるなら、とっくにやめてる」
さっきまでより声が落ち着く。
「勝ってるチームが好きなだけなら、別にどこでもいいだろ。でも僕はチャドリー・キャノンズが勝つところを見たいんだ」
ロンは本の表紙を軽く叩いた。
「だから、なんで負けるのか知りたかった」
少しだけ、ロメルダの表情が柔らかくなる。
「本は売れなかったけどね」
「そこに戻るな!」
三番目はロメルダだった。
「あたしのはちゃんと愛の話だよ」
「僕のだって愛だよ!」
ロンを無視して、ロメルダが本を置く。
『より大きな愛のために』
母が書いた恋愛小説だった。しかも、よりによってモデルはグリンデルバルドとダンブルドアだ。
四番目はグレイブス先生。
「私もマグルの本を選んだ」
机の上に置かれたのは、『グレート・ギャツビー』だった。
「本というのは、読み方を一つに決める必要はない」
先生は表紙を指先で撫でた。
「主人公のギャツビーは、一人の女を長い間求め続ける。だが、彼が本当に愛していたのがその女本人だったのか、それとも彼女と一緒なら実現できたはずの未来だったのか」
グレイブス先生はそこで少し言葉を切った。
さっきまでの、人の反応を面白がるような笑みが薄れる。
「人間は時々、相手そのものより、その相手となら作れたはずの未来を愛する」
窓の外で枝が揺れた。
「そして、失った未来ほど美しく見える」
妙に実感がこもっていた。
「先生にも、そういう人がいたんですね」
言った瞬間、ドラコがわたしを見る。
やめとけ、という顔だ。
でももう言ってしまった。
グレイブス先生は微笑んだ。
「これはギャツビーの話だ」
「……はい」
五番目はロックハート先生。
「さて!」
椅子から立ち上がるだけで、妙に華やかだった。
「お待たせしました!」
「待ってない」
ロンが小さく言った。
「何か?」
「何でもありません」
ロックハート先生が取り出したのは、
『ヘンリー・ポーターと魔法界の英雄』
だった。
「あ、それ好き」
ロメルダが身を乗り出す。
「お目が高い!」
ロックハート先生は嬉しそうに髪を払った。
「この巻の魅力は、何といっても白銀卿が魔法界全体から愛されるようになるまでの過程です」
白銀卿を名乗っているヴォルデモートが目の前にいる。
ヴォルデモートは何も言わない。
ロックハート先生も気にしない。
「愛とは何か」
胸に手を当てる。
「人気です!」
「違うと思います」
わたしはすぐ言った。
「ミス・マルフォイ」
「はい」
「名前を覚えられる。顔を見れば喜ばれる。新聞に載れば切り抜かれる。サインを欲しがられ、写真を飾られる」
「それは人気ですよね?」
「だから、人気は愛なのです」
「理屈が一周しただけじゃない?」
ロメルダが言った。
「若い皆さんにはまだ分かりませんねえ」
ロックハート先生は余裕の笑顔を崩さない。
「もちろん、世界中から愛されるのは素晴らしいことです」
「先生はそうでしょうね」
ロンが言う。
「ですが」
ロックハート先生の指が、開いたページの上で止まった。
「何万人から好かれていても、たった一人に嫌われたくないと思うことはある」
ロメルダがにやりとする。
「誰?」
「本の話ですよ」
「先生の話じゃなくて?」
「さて」
ロックハート先生は笑った。
いつもの、自分がどう見えるかまで計算された笑顔。
でも、ほんの一瞬だけその奥に別のものが見えた気がした。
「誰のことですか?」
わたしも聞いてみる。
「秘密です」
「愛のビブリオバトルなのに?」
「秘密があるから、人は魅力的なんですよ」
そこから先は教えてくれなかった。
「ともかく」
ロックハート先生は髪を整え直す。
「まず自分自身を愛せない者が、他人から愛されようなどと思ってはいけません!」
「そこに戻るんだ」
ロンが呟いた。
六番目はドラコ。
鞄から取り出した本を見た瞬間、わたしは背筋を伸ばした。
錬金術書の本だ。
しかも、賢者の石についてかなり詳しく書かれている本だ。
どうしてそれを持ってきた。
さらに悪いことに、ヴォルデモートも一目で気づいた。
「その本は」
声が少し低くなる。
ドラコが本を机へ置く手を止めた。
「錬金術の研究書です」
「賢者の石について書かれているな」
「……一部だけです」
一部ではない。
かなり詳しく書いてある。
わたしはドラコを見る。
ドラコもわたしを見る。
絶対に言うな。
視線だけでお互いに念を送り合った。
「僕がこの本を選んだ理由は」
ドラコが一度咳払いした。
「錬金術を愛しているからです」
ロンが眉を寄せた。
「錬金術? 魔法薬学じゃなくてか?」
「そうだ」
押し切る気だ。
「錬金術師は、成功する保証もない研究に何十年も人生を費やす。結果が出なくても続ける。それだけ一つのことに時間を使えるなら、愛と言ってもいい」
意外と筋が通っている。
ヴォルデモートだけは、愛の定義より本の方に興味があるようだった。
「賢者の石についてはどう考える?」
来た。
ドラコの肩がわずかに硬くなる。
「今日は愛がテーマですので割愛します」
「賢者の石を題材に選んだのはお前だ」
「錬金術を題材に選びました」
「同じことだ」
「違うところに注目しています」
グレイブス先生は完全に楽しんでいる。
ロックハート先生まで少し身を乗り出している。
ヴォルデモートは納得していない顔だった。
ただ、それ以上追及はしなかった。
ドラコはすぐに本を閉じ、鞄へ押し込んだ。
さらにその上へ別の本を二冊重ねる。
念入りだ。
あれは今日中にどこかへ隠した方がいい。
最後はヴォルデモートだった。
立ち上がる。
さっきまで椅子の背にもたれていたロンが、少しだけ姿勢を正した。
ロメルダも口を閉じる。
闇の帝王が、愛について本を紹介する。
何度考えても変だ。
机へ置かれたのは、見覚えのある本だった。
『吟遊詩人ビードルの物語』
「私が選んだのは、この中の一編だ」
ヴォルデモートがページを開く。
「『毛だらけ心臓の魔法戦士』」
見学席のトムは、何の反応も見せなかった。
「ある魔法使いが、愛を弱さだと考える」
ヴォルデモートは淡々と話し始めた。
「恋愛によって判断力を失う者を愚かだと考え、自分は同じ過ちを犯さないよう、心臓へ魔法を施す」
ドラコが複雑な顔をしている。
グレイブス先生は口元だけで笑った。
「感情を排除すれば、より合理的になれると考えたわけだ」
「それで?」
ロメルダが聞く。
「失敗する」
ヴォルデモートは簡潔に答えた。
「感情を切り捨てたつもりでも、その結果生まれた欠落まで制御できたわけではない。最後には破滅する」
「じゃあ、愛が必要だったって話?」
ロメルダが重ねて聞く。
「そう単純ではない」
すぐ否定する。
「方法を誤っただけとも読める」
やっぱりそう読むんだ。
「先生」
「何だ」
「その魔法使い、自分に似てると思いませんでした?」
ロンがむせた。
ドラコが額を押さえた。
ロックハート先生は目を閉じた。
グレイブス先生だけが楽しそうだった。
ヴォルデモートは迷いもしなかった。
「まったく」
「そうですか」
「私は心臓を取り出していない」
「そこ?」
「重要な違いだ」
そうなのだろうか。
見学席を見ると、トムが今度はわずかに眉を寄せていた。
「じゃあ、どうしてこの話を選んだんです?」
ヴォルデモートは少しだけ考えた。
「理解できないものについて読むことには意味がある」
「愛を?」
「人間が、なぜそこまで感情に価値を置くのかをだ」
それ以上は言わなかった。
愛を理解したわけではない。
理解したいと言ったわけでもない。
ただ、読む価値はあると思ったらしい。
以前なら、それすらなかった気がした。
「以上で全員です」
わたしはポケット・グリモアを開いた。
「では、一番読みたいと思った本へ投票してください」
またヴォルデモートが覗き込んでくる。
「それで投票もできるのか?」
「はい、もちろん!」
わたしはポケグリへ視線を戻した。
投票の結果、一番票を集めたのは『華氏451度』だった。
わたしは嬉しかったけれど、ヴォルデモートは当然のようにドラコの錬金術書へ一票を入れていたし、グレイブス先生はロメルダの『より大きな愛のために』へ投票していた。本人なのに。
トムも『華氏451度』を選んだらしい。
理由を聞いても、「読みたいと思っただけだ」としか答えてくれなかった。
まあ、いい。
本は読んでもらえれば、それでいいのだから。