ハロウィーンが近づくにつれて、ホグワーツではかぼちゃより先に妙な噂が増え始めた。
ヴォルデモートや死喰い人に反抗的だった生徒が、ある日突然ロックハート先生に呼び出される。
そして戻ってくるころには、別人みたいに大人しくなっているというのだ。
「パーバティもそう」
羽ペン通信の編集会議で、パドマが言った。
空き教室の長机には、今日も各寮から部員が集まっている。机にはパンプキンパイや百味ビーンズが並んでいた。
学校へ来られないハーマイオニーだけは、机の真ん中に開いたポケグリから参加していた。
「前なら校長のこと、普通に悪く言ってたのよ。呼び出された翌日から、『校則には従った方がいいんじゃない』って」
「パーバティが?」
ハリーが聞き返す。
「本人は『考えが変わっただけ』って言ってるけど」
パドマは納得していない顔だった。
「双子だから分かるの。あれは考えが変わったというより、興味をなくした感じ」
ハリーが腕を組んだ。
「ロックハートが関わってるな」
「私もそれが気になってる」
パドマが頷く。
「記憶を消してるってことでしょうか」
アストリアが眉を寄せた。
「可能性はあると思う。でも、証拠がない」
パドマはそう言ってから、机の中央にあるポケグリを見る。ハーマイオニーが話し始める。
『それなんだけど、昨日ホグワーツページで気になる投稿を見つけたの』
「ホグワーツページ?」
わたしも自分のポケグリを開く。
最近のホグワーツページは、最初に作ったころとはだいぶ様子が変わっていた。
授業情報や部活動。
中古教科書の譲渡。
恋愛相談。
食堂のメニュー。
先生の目撃情報。
ついには「今日の階段がどこにつながっているか」を報告し合うページまでできている。
当初は本名を使っていたのに、皆ハンドルネームを使い始めて匿名化も進んでいる。だんだんマグルのインターネット掲示板みたいになってきていた。
「よく見つけたね」
『学校に行けないと暇なのよ』
「勉強してるんじゃないの?」
『勉強と読書以外にやることがないのよね。ゲームもそこまで興味ないし』
本を好きなだけ読めるなんて夢のような生活だ。
「それで、何があったの?」
ハーマイオニーが投稿を転送してくる。投稿文は隠語が多かった。
黒猫:白銀卿の名前が禁句になっているから注意。口にすると呼び出されて金ピカ行きになるらしい。注意。
「金ピカってなんだ? ロックハートのことか?」
ロンが顔をしかめる。
その下には大量の返信がついていた。
動く階段被害者:禁句って? 白銀卿って呼ぶのがまずいの?
黒猫:「ヴォルデモート」の方な。確認できた範囲では、名前を口にしたあと呼び出されてる。
百味ビーンズ塩味:黄4の薬草強い子もそうかも。昨日まで逆銀だったのに、今日から急に「規則は守るべき」とか言ってる。
スニッチ見失った:赤7の双子も銀落ちしたって聞いた。
魔法史は寝る時間:それほぼ特定できるだろ。
スニッチ見失った:名前出してないからセーフ。
レイブンクロー減点常習犯:青6にも一人いる。禁句踏み→翌朝金ピカ行き→その日の午後には銀落ち。
地下牢から出たい:もうパターンできてるじゃん。
初代魔女:禁句踏んだ時刻と、呼び出された時刻まで分かる人いる?
ニンバス型落ち:赤5の箒オタは夕食後に踏んで、翌朝呼び出し。
蛙チョコカード収集中:黄4は廊下で踏んで一時間くらい。
OWLから逃げたい:逆銀だから狙われてるんじゃなくて、禁句踏んだから場所バレてる説?
黒猫:たぶんそっち。銀寄りでも踏まない方がいいし、校外でも禁句が適用されてるらしい。
動く階段被害者:黒猫はこれ書いて平気なの?
黒猫:今のところは無事。
魔法史は寝る時間:その「今のところ」が一番怖い。
「すごいな。校長に逆らうとロックハート先生と一対一で話さなきゃいけないか。それだけで罰として完成してるじゃん」
ロンが言うと、ハリーも頷いた。
「自分でトム・リドルって名前を捨てて、新しく名乗り始めたくせに、その名前も呼ばれたくないなら、結局なんて呼んでほしいんだ? 白銀卿か?」
「矛盾のかたまりだよね」
「最初に投稿した人、よく気づいたわね」
パドマは返信を上から順番に読み始めた。
こういうときのパドマは早い。
話の面白さより、まず事実関係を並べる。
「呼び出された生徒の寮はばらばら。学年にも共通点なし。反抗的だったかどうかにも程度の差がある」
『でも、名前を口にしたという証言だけは共通してる。名前そのものが監視対象になってる可能性が高いと思う』
部屋のあちこちで嫌そうな顔が並んだ。
校長への悪口を監視しているだけなら、まだ分かる。
名前を呼んだだけで居場所を知られるとなると、話は別だ。
「記事にはした方がいいとは思うけど、扱いが難しいな」
アーニーが言った。
「知らないまま名前を言って呼び出される生徒が出る」
「でも、そのまま『禁句です』って書いたら?」
アストリアが尋ねる。
「こっちが仕組みに気づいたって知らせることにもなる」
ドラコが答えた。
「向こうが次の手を打つかもしれない」
「つまり、知らせたいけど、気づいたことには気づかれたくない」
コウタが整理する。
「新聞としては最悪の条件ですね」
「そこを何とかするのが編集会議よ」
パドマが言った。
コウタが少しだけ姿勢を正した。
その隣では、ルーファスも真剣な顔で話を聞いている。
そこでロンが言った。
「でも僕たち、ヴォルたんの話なんて毎日してるだろ?」
全員がロンを見た。
「……ヴォル、たん?」
コウタが目を瞬いた。
ロンがパンプキンパイを食べながら首を傾げる。
ハリーが笑い出す。
「それか」
「何が?」
「魔法書研究会から、誰も呼び出されてない理由」
研究会では、いつのころからかヴォルデモートのことをヴォルたんと呼ぶようになっていた。
最初に誰が言ったのかは、もう覚えていない。たぶんロメルダだ。
「まさかヴォルたんに救われるとは……」
アーニーが呟いた。
「ヴォルたんは安全なのね」
ルーナが納得したように頷く。
「ハリーはすぐ名前で呼びたがるけど、ルール作っておいて良かったわね」
ジニーが言った。
「じゃあ記事で『みんなヴォルたんと呼びましょう』って書けば?」
ロンの提案に、ドラコが即座に首を振った。
「広まるわけないだろ。悪ふざけみたいだ」
「何でだよ」
「ルーファスはどう思う?」
ドラコはルーファスを見る。
ルーファスは少し考えてから言った。
「僕は呼べる」
「お前に聞いた僕が馬鹿だった」
確かに、愛称を全校生徒へ浸透させるのは難しい。
もっと分かりやすくて。
誰でも使えて。
しかも、ヴォルデモート本人にとって嫌な呼び方。
そこまで考えて、思いついた。
「だったら、本名をちゃんと広めればいいんじゃない?」
今度は、みんながわたしを見た。
ハリーがすぐに笑う。
「それは嫌がりそうだな」
「前に出版したときは一瞬だけ話題になっていましたけど、知らない人は知らないですよね?」
アストリアが言った。
たしかに、『トム・リドルの日記』出版の際にスラグホーン先生が記事を書き、ヴォルデモートの本名がトム・リドルであることが世間に少しずつ知られるようになった。しかし、トム・リドルと呼ぶまでには至らなかった。
「少なくとも一年生は知らない」
ルーファスが頷く。
「『トム・リドルの日記』を読むまでは知らなかった」
「僕もです。読んでない人は知らないでしょう」
コウタも頷いた。
トムが書いた『トム・リドルの日記』を読んだ人なら知っている。
でも、全校生徒が読んでいるわけではない。
ヴォルデモートという名前なら、誰でも知っている。
なのに、その人が昔トム・リドルという名前だったことは、知らない人の方が多い。
「じゃあ、もっと読む機会を作ればいいよ」
「どうやって?」
ロンが聞く。
「ポケグリで」
最近、ホグワーツ生のポケグリ所有率は九割を超えた。羽ペン通信は寮にあるものを読む人も多く、購読率はせいぜい半分程度だった。『トム・リドルの日記』も売れたとはいえ、全員が知っているわけではない。
ここまで来ると、一人ずつ本を押しつけて歩くより早い。
「『トム・リドルの日記』は今も読めるけど、有料だから全員は読めていないと思う。試し読みで載せてみれば、みんな興味が湧くかも」
パドマがすぐに頷いた。
「悪くないわ。単に『本名はトム・リドルです』って記事を書くより自然」
「本の宣伝にもなるな」
ドラコが言う。
「そこ大事」
「たしか、ダンブルドア先生の『忘れられない教え子たち』にもトム・リドルの話はあったわよね。しかも、今回にちょうどぴったりな内容だった」
パドマが言った。
ダンブルドア先生が生前に書き残した連載だ。
「名前は書いてないけど、読めば分かる」
ダンブルドア先生は、かつての教え子について何人も書いていた。
英雄になった人。
問題児だった人。
目立たなかった人。
そして、道を踏み外した人。
「掲載順、変える?」
わたしが聞く。
「変えましょう」
パドマは即答した。
『トム・リドルの日記』の試し読みと、ダンブルドア先生の連載を同じ日に出す。
これなら、「禁句に気をつけろ」と直接書かなくても、本名だけを自然に広められる。
「次の議題は」
パドマが羊皮紙をめくった。
「ロメルダの連載ね」
「はい!」
待ってましたとばかりに、ロメルダが手を上げた。
机の上に置かれた原稿の表紙には、大きく題名が書いてある。
『ピンクウィッチ』
ホグワーツに通う、ピンク色が大好きな女子生徒が主人公の学園ラブコメディだ。
登場人物の名前はすべて実在にはいない。
でも主人公はピンクが好きで、少し規則にうるさくて、猫は猫でも引っ掻いてこない猫が好きで、周囲から「アンブリっち」と呼ばれている。
わたしは原稿を編集したので、すでに最後まで読んでいる。
「一面でいいと思う」
「そんなに?」
ハリーが驚いた。
「すごく面白かった」
「やった!」
ロメルダが両手を上げる。
これは悔しいけれど本当に面白かった。
教師に叱られ、恋に悩み、友達と喧嘩し、なぜか毎回校則を増やそうとするアンブリっち。
読み終わるころには、次に何をやらかすのか気になってしまう。
編集部内でも反対する人はいなかった。
「一面連載で決定ね」
パドマが書き込む。
「それと、マグル向けにも出せるかもしれない」
わたしが言うと、ロメルダの目が輝いた。
「本当に?」
「マルフォイ家で、ようやくマグル向けの出版社を作ったから」
まだ名前も決まっていない。
でも出版準備は進んでいた。
まずは母──水仙姫の『薔薇色の惚れ薬は二度効く』を、マグル生まれ向けに出す予定になっている。
「水仙姫の小説がうまくいったら、『ピンクウィッチ』も出せそう」
「マグルにもアンブリっちが!」
ロメルダが感動している。
「最後に、これは大事ね」
パドマが二枚の白い羊皮紙を取り出した。
「新入部員二人」
ルーファスとコウタが同時に顔を上げた。
「今までは取材の手伝いが中心だったけど、そろそろ自分の企画を出して」
「企画ですか?」
ルーファスが聞く。
「自分で調べて、自分で記事にするの。一本書けば終わりじゃなくて、何回か追えるテーマの方がいい」
パドマは二人の前に羊皮紙を置いた。
「それができたら、魔法書研究会の立派な記者よ」
コウタはすぐに手を上げた。
「僕、あります」
「早い」
「ローゼマイン先輩について書きたいです」
「わたし?」
「はい」
「なんで?」
「ローゼマイン先輩についてもっと知りたいからです」
目が怖かった。
「シリウス・ブラックの冤罪を晴らし、リータ・スキーターに対抗する新聞を作り、出版社まで作って本を世に送り出し、ポケグリの発売にも関わり、そのうえ闇の帝王を相手に平然とビブリオバトルまでなさる……ローゼマイン先輩、あなたはいったいどこまで偉業を積み重ねれば気が済むのですか? 僕はもう、今まで何をなさったのか、次に何をなさるのか、記事にせずにはいられません!」
羨望の眼差しでコウタはわたしを見つめていた。
「こいつ入部させて良かったのかマイン?」
ロンがにやっと笑って言った。
「うーん、わたしの記事なんて出しても面白いかな?」
「あたしは読みたい! ブクマちゃんの恋の話ならあたしに任せて。取材に協力するよ!」
「そんな話はないよ」
パドマが別の原稿束を取り出す。
「そういえば、ダンブルドア先生の『忘れられない教え子たち』に、マインの回もあったわね」
「あった。まだ出してないよね?」
「まだ」
「じゃあ、コウタの連載と同じ時期に出そう」
コウタも乗り気だった。
「連載のタイトルも、それにつなげたいです」
「どういうのがいい?」
「じゃあ、『本好きの魔女を追いかけて』は?」
コウタが言った。
「追いかけるの?」
「取材なので、ぜひ一日つきっきりでローゼマイン先輩についていかせてください」
「ちょっと怖い」
パドマがタイトルを書き留めた。
「悪くないと思う。仮題でそれにしましょう」
最後はルーファスだった。
ルーファスは一年生で最年少。わたしたちが羽ペン通信を作った当初は皆二年生以上だった。一年生が何を記事にしたいと思うのか、わたしにはまだ想像がつかなかった。
みんなに見られても、ルーファスはすぐには口を開かなかった。
羊皮紙を見ながら、しばらく考えている。
「僕は」
ようやく顔を上げた。
「やっぱり父さんと母さんのことを書きたいです」
ドラコの表情が少し変わった。
「どうして殺されたのか、僕、ちゃんと知らないから」
パドマは厳しい顔つきになった。
「なら、調べなさい」
「はい」
「誰かから聞いた話だけで書かないこと。新聞記事、魔法省の記録、当時を知っている人。できる限り取材して、分からないところは分からないと書く」
ルーファスは真剣に頷く。
「できる?」
「やります」
「じゃあ企画にして持ってきて」
それで編集会議は終わった。
数日後、ポケグリの読書ページには、『トム・リドルの日記』の試し読みが掲載された。
同じ日に、羽ペン通信にはダンブルドア先生の『忘れられない教え子たち』が載った。
*
忘れられない教え子たち
名前を捨てた帝王
彼は、自分の名前を嫌っていた。
その名は特別ではなく、どこにでもある平凡な名前だった。そして何より、自分を捨てた父親と同じ名前だった。
自分は他人とは違う。特別な存在である。
幼いころからそう信じていた彼にとって、父親から受け継いだありふれた名前は、ひどく気に入らないものだったのだろう。
ホグワーツへ来てからの彼は、期待どおり優秀だった。
成績はよく、礼儀正しく、教師が何を求めているかを見抜くことにも長けていた。多くの教師が彼を気に入った。
一方で、彼は自分の出自を調べ続けた。
母親について。
父親について。
なぜ自分が孤児院にいたのか。
そして、自分がどこから来たのか。
その過程で、自分と同じ名前を持つ父親の存在を知った。
やがて彼は、その名前を捨てた。
自分で新しい名前を作り、その名を人々が恐れることを望んだ。
実際、彼は成功した。
多くの者がその名を口にすることさえためらうようになったのだから。
だが、名前を変えても、過去まで消えるわけではない。
私が覚えているのは、闇の帝王ではない。
大広間で食事をし、図書室で本を読み、教師に質問をしていた少年だ。
知識を求め、力を求め、死を恐れ、自分が特別であることを証明しようとした少年。
その少年は、選び続けた。
恐れるより、恐れられることを。
誰かを信じるより、従わせることを。
死を受け入れるより、魂を傷つけてでも逃げ続けることを。
そして最後には、自分の名前まで選び直した。
彼は平凡な名前を捨てれば、平凡な人間ではなくなれると思ったのかもしれない。
けれど教師というものは、昔の生徒を案外しつこく覚えている。
世界が彼をどんな名で呼ぼうと、私は彼がかつて一人の生徒だったことを忘れない。
恐ろしい名だからと口を閉ざす必要はない。
むしろ、恐れによって作られた名前ではなく、その人がかつて持っていた名前を知り、呼ぶことには意味がある。
名前を呼ぶことは、相手を大きくすることではない。
その人もまた、過去を持ち、選択を重ねてきた一人の人間だったと確かめることだ。
だから私は、彼の本当の名を恐れずに呼んでほしいと思う。
*
名前は書かれていない。
それでも、読めば誰のことか分かった。
そして、ホグワーツの廊下では、少しずつ呼び方が変わり始めた。
「今日、トム・リドル校長見た?」
「声大きいって」
「でも禁句じゃないだろ。呼んでも何も起きなかったし」
「トムって呼ぶか?」
「ジェドゥソール先生と紛らわしい」
「じゃあ銀のトムとか?」
「銀トムで良くない?」
その日の夜には、ポケグリのホグワーツページで「銀トム」が飛び交っていた。
ヴォルデモートという名前を口にしてはいけない。
だからみんな、彼がいちばん捨てたかった名前で呼び始めた。
禁句を作るというのも、なかなか難しいらしい。