コウタ・オオニシの連載『本好きの魔女を読む』は、悔しいことに好評だった。
記事が読まれること自体はいい。むしろ新聞を作ってきた人間として、読者の反応があるのは喜ばしいことだ。
問題は、書かれているのがわたしだということである。
魔法書研究会でも、第一回の記事を読んだみんながすっかり味をしめてしまったらしい。
「次はルーファスね」
パドマが何でもないことのように言った途端、部室にいた全員の視線が、一斉にルーファスへ向いた。
羊皮紙に何かを書いていたルーファスの手が止まる。
「えっ」
顔を上げたまま固まった。
「期待してるぞ、次世代」
ロンが後ろからぽん、と肩を叩く。
「一年生ですよ、僕」
「だからいいんじゃない。今から育てれば六年後には立派なスクープ記者よ」
パドマが当然のように言う。
「何を育てようとしてるんですか?」
ルーファスの困惑はもっともだった。
最近の魔法書研究会は、出版研究会なのか、新聞部なのか、記者養成所なのか、わたしにも分からなくなってきた。
最初はただ本について語る集まりだったはずなのに、気づけば新聞を作り、取材をし、人脈を作り、挙げ句の果てには一年生へ記者教育まで始めている。
もっとも、ルーファス本人は期待されると弱いらしい。
翌日にはパドマの隣に座り、魔法省の裁判記録の読み方を教わっていた。どこを見れば証言者の発言が分かるのか、判決文と証拠資料をどう区別するのか。分厚い記録を前にしても投げ出さず、細い指で一行ずつ追っている。
その翌日には、ハリーに透明マントを借りていた。ハリーはルーファスをとても気に入っていていて、快く貸していた。
「僕だって貸してもらったことないのに……なんで取材に透明マントが必要なんだよ」
銀色の布を広げているルーファスを見て、ロンが呆れた声を出した。
ルーファスは至って真面目だった。
「取材相手に見つからずに行動を見るためです」
「お前、記者じゃなくて探偵のが向いてるんじゃないか?」
わたしも隣で頷いた。
取材対象に気づかれないよう尾行する技術まで、一年生に教える必要はないと思う。
さらにロメルダからは、雑談から情報を拾う方法まで教わっていた。
「いい? いきなり聞きたいこと聞いたら警戒されんの。まず相手が喋りたい話させんだよ」
ロメルダは机に頬杖をつき、もう片方の手で羽ペンをくるくる回していた。
「たとえば恋愛。これ最強ね。惚気たい人ってマジで勝手に喋るから」
「ロメルダ先輩は、それで何か掴んだことあるんですか?」
ルーファスが素直に尋ねる。
「あるある。超ある」
ロメルダは待ってましたとばかりに胸を張った。
「ロックハート先生の息子って、ヴォルたんの孫らしいよ」
羽ペンの先が止まった。
誰もすぐには言葉を返せなかった。
「……何だって?」
最初に反応したのはロンだった。
「あたしも最初びっくりしたんだけど。ロックハート先生って奥さんと息子の話になるとマジ止まんないの」
ロメルダは楽しそうに続ける。
「で、適当に恋愛の話振ってたら、奥さんが誰で、その親が誰で、みたいな話まで出てきてさ。つなげたらそうなった」
「つまり」
パドマが慎重に言葉を選ぶ。
「ロックハート先生は、ヴォルたんの娘と結婚しているということ?」
「そゆこと」
ロメルダはあっさり頷いた。
ロックハート先生はデルフィーとの間に息子までいたのか。
それなら、ロックハート先生が死喰い人の中で妙に重宝されている理由にも説明がつく。
忘却呪文の腕だけではなかったらしい。
ロンはしばらく黙って考え、それから露骨に顔をしかめた。
「闇の帝王の義理の息子がギルデロイ・ロックハートって、どんなジョークだよ」
「ね。あたし今までなんか気に入らなくて、あだ名付けてなかったんだけど」
「そこか?」
ロンがすかさず突っ込む。
「でも急に好きになった。今日からギルたん先生って呼ぼっと。ヴォルたんとおそろ!」
ロメルダが楽しそうに笑うと、ロンも口元を歪めた。
「本人が聞いたら喜びそうなのが一番嫌だな」
「絶対喜ぶじゃん。『ついに私にも愛称が!』とか言うって」
「銀トムは絶対怒りそうだよな」
「まずヴォルたんって呼ばれてることに怒るでしょ」
目に浮かぶ。
ヴォルたんとギルたん。
並べて呼んだ瞬間、少なくとも片方はものすごく怒りそうだった。
そんなくだらない会話まで、ルーファスは律儀に羊皮紙へ書き留めている。
わたしは思わず手元を覗き込んだ。
「それも書くの?」
「何でもない会話に情報があるってロメルダ先輩が」
「そーそー」
ロメルダは満足そうに頷いた。
「でも、質問しながらメモ取りすぎると取材がすぐバレるから気をつけてね」
「はい!」
返事だけは立派だった。
ロメルダが妙に先輩らしい。
わたしが感心している横で、ロンが壁の時計を見上げた。
「あ、やべ。ハーマイオニーと話す約束してるんだった」
椅子を引く音が響いた。
「何の話?」
「いろいろ」
それ以上は答えず、机の脇に置いてあった鞄を引っ掴む。
「じゃあな」
ロンは片手を上げ、慌ただしく部室を出ていった。そのまま廊下を駆けて消えていく。
ロメルダは、その背中を一度だけ目で追った。
「……ロメルダ、いいの?」
わたしが尋ねると、彼女はすぐにこちらを向いた。
「何が?」
「ロン」
「あー」
心底どうでもよさそうな声だった。
「あたし、元カレの恋愛取材とか死んでもしたくないんだよね」
「そういう話じゃなかったんだけど」
「なら、なおさらいい」
ロメルダは回していた羽ペンを机の上へ置いた。
「別れた男が誰と何話すかまで気にしてたら、人生ヒマすぎっしょ。最近は前みたいに友達っぽく話してるよ」
あっさりしたものだった。
ロメルダは思っていたよりずっと大人だ。
わたしが少し感心していると、ロメルダは付け加えた。
「まあ、面白い修羅場になったら後で誰かに聞くけどねー」
やっぱりロメルダはロメルダだった。
*
その日の夕方、わたしは図書室にいた。
魔法書研究会の活動が終わったあと、そのまま調べ物をするために来たのだ。
クリスマス休暇を目前に控えているからか、いつもなら埋まっている長机にも空席が目立った。すでに帰省した生徒も多いらしく、広い図書室にはページをめくる音がときおり聞こえる程度だった。
高い窓の向こうでは、朝から降り続いている雪が中庭を白く覆っていた。
厚い石壁の内側にいても、窓際には冷気が溜まっている。
暖炉から離れた席を選んだのは失敗だったかもしれない。本のページをめくるたび、乾いた紙の冷たさが指先にまとわりついた。
「ミス・マルフォイ」
名前を呼ばれて、顔を上げた。
机の横にマダム・ピンスが立っている。
「はい?」
「少し休憩してはいかがです」
意外な言葉だった。
わたしは本へ栞を挟みながら首を傾げる。
「まだそんなに読んでませんよ?」
「朝から来ているでしょう。食事もとっていないのでは?」
「うっ……」
言葉に詰まった。
バレている。
昼食を後回しにしたことまで見抜かれていた。
さすが図書室の番人である。誰が何時に来て、何時間居座って、本を何冊積み上げているのかまで把握しているのかもしれない。
けれど、もっと驚いたのは次の言葉だった。
「お茶でもどうですか」
「……お茶ですか?」
「ええ」
マダム・ピンスがお茶を淹れる。
そんなことがあるのか。
明日は雪ではなく蛙でも降るのだろうか。
差し出されたカップを両手で受け取る。
「ありがとうございます」
湯気が頬に触れた。
一口飲む。
少し苦い。
茶葉を長く蒸らしすぎたのかもしれないと思ったけれど、冷えていた身体には温かさの方がありがたかった。
喉を通った熱が、ゆっくり胸のあたりまで落ちていく。
「実はお願いがあるんです」
マダム・ピンスが言った。
「禁書棚を少し整理したいのです。手を貸してもらえませんか」
「禁書棚を?」
思わず声が弾んだ。
禁書棚も整理することがあるのか。
考えてみれば当然だ。本棚である以上、新しい本も入れば、古い本の位置を変えることもある。
ただ、普段は許可なく近づいただけでも睨まれる場所である。
合法的に、しかもマダム・ピンス公認で棚をじっくり見られる機会など、滅多にない。
「やります!」
答えるまで一秒もかからなかった。
マダム・ピンスの口元が、ほんの少しだけ緩んだように見えた。
「そう言うと思いました」
カップを返し、椅子から立ち上がる。
マダム・ピンスの後ろをついて図書室の奥へ進んだ。
一つ、また一つと書架を越えるたび、入口付近に残っていた生徒の気配が遠ざかっていく。
やがて、鎖で閉ざされた区画の前へ着いた。
金属の擦れる音とともに鍵が外される。
扉が開いた途端、古い革表紙と埃、それから薬品とも香草ともつかない匂いが鼻をくすぐった。
本の匂いだ。
わたしは思わず周囲を見回した。
棚には、背表紙を見ただけで開きたくなる怪しげな本がいくつも並んでいる。
「そういえば」
棚の前へ進んだところで、マダム・ピンスが何気なく口を開いた。
「以前はよく錬金術の本を借りていましたね」
「そうでしたね」
わたしは並んだ本の題名を追いながら答えた。
「最近はまったく借りていない」
「もう必要ないので」
一冊の背表紙へ手を伸ばす。
そのときだった。
「なぜですか?」
「え?」
振り返る。
マダム・ピンスはこちらをじっと見ていた。
「ずいぶん熱心に調べていたでしょう。急に必要がなくなる理由があるのですか?」
「それは……」
もちろん理由はある。
でも言えるわけがない。
賢者の石を作っていました、なんて。
どう誤魔化そう。
別の研究に興味が移ったと言えばいいだろうか。
そう考えていたのに、口から出た言葉は違った。
「賢者の石はもう完成したので」
「……え?」
反射的に口元を押さえた。
心臓が、胸の内側を強く叩いた。
今、何を言った?
言うつもりなんてなかった。
頭の中では、まったく別の答えを考えていた。
「なるほど」
マダム・ピンスは驚かなかった。
それが余計におかしかった。
「やはり完成したのですね」
背中を冷たいものが這った。
手にしていた本から指を離す。
「最後の工程がどうしても分からないのです。教えてください」
答えるな。
その質問に答えてはいけない。
頭では、はっきり分かっていた。
それなのに、唇が勝手に動いた。
「お兄さまと一緒にやったら、できました」
止まらない。
喉を塞ごうとしても、次の言葉が出てくる。
「きっと、あれは一人では作れないんです。信じ合える相手と作らないと、最後まで完成しないんだと思います」
真実薬を盛られた?
そこまで考えた瞬間、杖へ手を伸ばした。
「エクスペリアームス!」
鋭い声。
指先が杖に触れるより早く、衝撃が走った。
杖が手を離れ、石床を滑っていく。
「っ!」
拾いに行く暇もなかった。
続けざまに閃光が飛ぶ。
避けようと身体を捻ったが、間に合わない。
光が胸元へ当たった。
両腕が一瞬で身体の脇へ張りつき、足が強張った。
膝すら曲げられない。
そのまま床へ倒れそうになったところで、マダム・ピンスが腕を掴んだ。
「誰」
動くのは口だけだった。
顔を上げる。
「あなたは、誰ですか」
返事の代わりに、目の前の司書は笑った。
「司書は天職だと思ったよ」
偽物のマダム・ピンスは、どこか満足そうに禁書棚を見上げる。
「借金取りに追われることもなければ、政治家を追いかけ回すことも、記者に追いかけ回されることもない」
その言葉で分かった。
「……バーティ・クラウチ・ジュニア」
「正解」
愉快そうな声だった。
喉の奥が冷たくなる。
そのとき、奥の書架から足音が聞こえた。
一歩ずつ、こちらへ近づいてくる。
やがて姿を現したのは、金色の髪をきっちり整えた男だった。
彼は指先で前髪をさっとかき上げ、いつもの完璧な笑顔を浮かべる。
「久しぶりだね、ローゼマイン」
ギルデロイ・ロックハート先生だった。
「困ったことにね。あの方は、君から最も大切な記憶を奪いたいらしい」
心底困ったというように眉を下げる。
その口調だけ聞けば、まるで自分はこの計画に反対しているかのようだった。
「私は最初、本だと思ったんだよ。本好きの魔女だからね。実に分かりやすい」
ロックハート先生はローブの裾を整えながら、わたしの前へしゃがみ込んだ。
「だが、私の経験からすると、たぶん違う」
「……何がですか」
「私はね」
嬉しそうに笑う。
「結婚する前は、自分を一番愛していたんだ」
ものすごく納得できた。
この人以上に、自己愛という言葉が似合う人をわたしは知らない。
「世界中の誰よりも自分が好きだった。それで何の問題もなかった。だって私はギルデロイ・ロックハートだからね」
その点については、たぶん誰も異論がない。
けれど、先生の笑みが少しだけ変わった。
「でも今は違う」
さっきまでの、自分の写真を眺めているときのような笑顔ではなかった。
「今は妻と息子が一番大切だ。自分よりもね」
そう言って、わたしの目を覗き込んだ。
「君もそうだろう?」
答えたくない。
何も言ってはいけない。
でも、真実薬はそんな抵抗を許してくれなかった。
「わたしも家族が、一番大切です」
言葉が勝手にこぼれた。
ロックハート先生は、答え合わせが済んだように満足げに目を細めた。
「真実薬は嘘をつかない」
杖が持ち上がる。
杖先が、まっすぐわたしへ向いた。
嫌だ。
忘れたくない。
何を奪われるのか分かったからこそ、怖かった。
「オブリ──」
「ペトリフィカス・トタルス!」
突然、書架のどこかから声が飛んできた。
子どもの声だった。
次の瞬間、わたしを支えていたバーティの腕が硬直した。
「な──」
バーティの身体全体が一本の棒のように強張る。
そのまま横倒しになり、肩から本棚へ激突した。
棚が揺れ、積まれていた何冊もの本がばらばらと床へ落ちる。
その向こうから、小さな影が飛び出した。
「ルーファス!?」
ルーファスは杖を両手で強く握り締めている。
頬から血の気が引き、唇まで白くなっていた。
それでも杖先だけは、床に倒れたバーティへ向けたままだった。
「やっぱり、あんただった」
声が震えている。
けれど目は逸らさなかった。
「前に偽物の父さんと暮らしていたときと、同じ匂いがした」
倒れたバーティの目が大きく見開かれた。
「ずっと胡散臭いと思ってたんだ。だから見張ってた」
ロックハート先生の笑顔が消えた。
立ち上がる。
杖が、今度はルーファスへ向いた。
「オブリビエイト!」
「プ、プロテグ──!」
ルーファスが叫ぶ。
何かがおかしかった。
発音なのか、杖の振り方なのか、それとも両方なのか。
薄く歪み、輪郭も安定していない。
そこへロックハート先生の忘却呪文がぶつかった。
白い光が膨れ上がる。
次の瞬間、呪文が弾けた。
二つに。
「え」
一方が、撃った本人であるロックハート先生へ飛んだ。
もう一方は、こちらへ向かってくる。
避けられない。
白い光が、視界いっぱいに広がった。
*
「……ローゼマイン先輩!」
遠くから声が聞こえた。
「ローゼマイン先輩!」
まぶたが重い。
ゆっくり目を開く。
最初に見えたのは、天井だった。
どうして寝ているんだろう。
身体を起こそうとして、周囲を見る。
石床の上に散らばった本。
棒のように身体を硬直させて倒れている男。
少し離れた場所では、ロックハート先生が頭を抱えて呻いている。
「……ルーファス?」
「ああ、よかったです。僕のことが分かるんですね」
すぐそばにいたルーファスが、その場へへたり込んだ。
張りつめていたものが切れたように肩を落とす。
その肩に、銀色に光る布が引っかかっていた。
「それ……」
「透明マントです。ハリー先輩に借りてたんです。記憶は?」
ルーファスが恐る恐る尋ねる。
「無事ですか?」
「……分からない」
自分の頭に触れる。
痛みはない。
自分の名前も分かる。
ここがホグワーツの図書室だということも分かる。
ルーファスが誰なのかも分かる。
ただ、どこかがおかしい。
何かを置き忘れてきたような感覚だけがある。
けれど、忘れてしまったものが何なのかなんて、忘れた本人に分かるはずがない。
「先生を呼びます」
ルーファスが立ち上がった。
「スネイプ先生を呼んで。こういう薬とか呪文とか、たぶん一番詳しいから」
「今ポケグリで呼びました」
準備がいい。
少し前まで、死喰い人に素手で挑もうとしていたとは思えない手際の良さだ。
間もなく、急ぎ足が近づいてきた。
スネイプ先生は禁書棚へ入るなり足を止めた。
まず床に転がっているバーティ・クラウチ・ジュニアを見た。
次に、頭を押さえているロックハート先生。
最後に、床に座り込んでいるわたし。
先生の眉間の皺が、見る間に深くなった。
「説明しろ」
ルーファスは、少し息を整えてから全部話した。
マダム・ピンスが偽物ではないかと以前から疑っていたこと。
以前、偽物の父親と暮らしていたときに嗅いだものと同じ匂いがしたこと。
わたしとマダム・ピンスが二人きりで禁書棚へ向かったため、ハリーから借りていた透明マントを使って後をつけたこと。
そこで、わたしが拘束され、聞かれたことに次々答えているのを見たこと。
マダム・ピンスの正体が、バーティ・クラウチ・ジュニアだったこと。
そして、ロックハート先生がわたしへ忘却呪文を使おうとしたこと。
「……プロテゴで跳ね返そうとしました」
報告を聞いていたスネイプ先生の目が、わずかに細くなった。
「一年生が?」
「父がよく使うのを見ていたので……でも、呪文がうまくいかなくて、二つに分裂しました」
スネイプ先生は一度目を閉じた。
言いたいことが山ほどありそうだった。
けれど今は、先に確かめることがあるらしい。
長い黒衣を床へ広げながら、わたしの前へしゃがみ込んだ。
「ローゼマイン」
「はい」
「自分の名前は分かるか?」
「ローゼマイン・マルフォイです」
「学年は?」
「六年生」
「寮は?」
「スリザリンです」
質問にはすぐ答えられた。
大丈夫。
全部覚えている。
少しだけ肩の力が抜ける。
忘却呪文はまともに当たらなかったのかもしれない。
ルーファスの盾が、ちゃんと守ってくれたのかもしれない。
けれどスネイプ先生は安心しなかった。
しばらくわたしの顔を見つめてから、低い声で次の質問をした。
「両親のことは覚えているか」
「もちろん」
すぐ答えた。
「父は──」
そこで言葉が途切れた。
何かがおかしい。
「……あれ?」
胸の奥がざわついた。
知っている。
そのはずなのに。
思い出そうとした瞬間、そこだけ白い霧がかかった。
「母親は」
スネイプ先生が続ける。
記憶を辿ろうとする。
けれど、手を伸ばした先には何もない。
そこに何かがあったことだけは分かるのに、霧の中へ指を差し込んでいるようで、何ひとつ掴めない。
「兄は」
先生が尋ねた。
わたしは顔を上げた。
「わたしに兄がいるんですか?」
言った瞬間、スネイプ先生の顔が険しくなった。
その表情を見て、胃の奥が冷えた。
どうしてそんな顔をするんだろう。
どうして胸がこんなに苦しいんだろう。
知らないはずなのに。
何か、とても大切なものをなくした気がした。
スネイプ先生はしばらく黙っていた。
やがて、苦々しい声で言った。
「お前は家族の記憶を奪われたようだ」
言葉の意味だけは分かった。
それなのに、失ったものの大きさが分からない。
図書室の奥で、床に落ちたままの本が一冊、ゆっくりとページをめくった。
誰も触れていないのに、薄い紙が一枚だけ持ち上がり、ぱたりと次のページへ倒れた。