本好きの魔女、闇の帝王を読書仲間にする。 作:bookworm
秘密の部屋の場所を知っている。
そう言った瞬間、談話室の空気は完全に止まった。
暖炉の火だけがぱちりと音を立てる。
ハリーは口を半分開けたまま固まり、ロンはその半分上をいっていた。ハーマイオニーは目を細めてわたしを見ている。ドラコは片手で額を押さえた。
「……詳しく聞こうか」
とても静かな声だった。
静かだったけれど、怒っていることはよく分かった。
「うん。でも、その前に少し待って」
「待って、で済むと思うなよ」
「すませるつもりはないよ」
わたしはそう言って、くるりと踵を返した。
「どこ行くんだよ!」
ロンが言う。
「すぐ戻るから」とだけ返して、わたしは寮の自室へ駆け込んだ。
ベッドのカーテンを閉め、日記を開く。
「トム!」
頁の上に黒いインクが広がり、やがて文字が浮かぶ。
『どうしたんだ』
『お兄さまとハリーたちに秘密の部屋のことがバレた』
『は?』
トムにさっきまでの出来事を伝える。
「追い詰められたんだ」
『追い詰められる方にも問題がある』
「今そこ責める?」
インクが揺れ、トムが姿を現した。寝台の縁に腰掛け、相変わらず感じの悪い美しさでこちらを見る。
『それで、どこまで話した』
「場所を知ってるってことだけ」
『上出来だ』
上出来らしい。
わたしとしてはあまり上出来な気分ではない。
「ここまで来たら隠せないよ」
『そうだろうね』
「どうする?」
トムは少しだけ考えてから、あっさり言った。
『まず、僕のことは伏せろ』
「うん」
『日記のことも前の継承者のことも言わないようにね。前は死者が出ているから』
「うん」
『女子トイレからは行かない方がいいな。スリザリン寮で秘密の部屋を見つけたということにしよう』
「それも思ってた。マートルがうるさいし」
『それもある。マインは秘密の部屋を偶然見つけたと思い込ませるんだ』
「味方に引き込めってこと?」
『そうだ。恐怖だけでは人は長く黙らない。利点を見せろ』
さすがにそういうところはうまい。
嫌だけど。
「じゃあ、寮側の入口を使うね」
『その方がいい』
「あと、アルドゥスのことは?」
『ポッターに話させれば、誤解が解けるはずだ』
トムはそこで少しだけ目を細めた。
『蛇語が分かるならそれが一番いい』
「分かった。じゃあ、トムは先に行ってアルドゥスに伝えて」
『言われなくてもそうする』
トムはそう言って、実体化すると談話室から外に出る。
出る直前に彼は付け足した。
「うまくやれ、マイン。味方は多い方がいい」
談話室へ戻ると、空気はまだ固かった。
「お待たせ」
「待たせすぎだ」
「何をしてたの?」
ハーマイオニーの目が鋭い。
危ない。勘がいい人は困る。
「一人で考えをまとめてただけだよ」
「案内するのか」
「する。でも一つだけ約束して」
全員がこちらを見る。
「変な悲鳴を上げないこと」
「悲鳴を上げるような怪物がいるのか。まさか蜘蛛じゃないよな」
ロンがしかめっ面をする。
「あと、勝手に触らないこと」
「何を?」
ハーマイオニーが訝しげに言った。
「とにかく来て」
スリザリン談話室のさらに奥。普段は誰も使わない古い廊下の先。壁の一面には蛇の彫刻が絡みついていて、いかにも何かありそうな顔をしていた。
「……まさか、寮の中にあったの?」
ハーマイオニーが唖然とした顔で呟く。
「わたしが最初偶然見つけたのはこっち。本来の入口はこっちだと思うよ」
「女子トイレじゃないの?」
ハリーが聞く。
「そっちからも行けるけど、面倒。マートルがいるし」 「それは確かに面倒だな」
ハリーが真顔で言った。
わたしは蛇の彫刻に近づいて、低く命じた。
『開け』
石が、ずるりと動いた。
全員が息をのむ。
ロンは露骨に一歩下がり、ハーマイオニーは目を細め、ハリーは呆然と口を開けた。ドラコだけが、こめかみを押さえている。あれは嫌な予感が的中した時の顔だ。よく見る。
開いた先は、長い石の階段だった。
そして、その先でみんなはそろって止まった。
秘密の部屋は、思っていたのと少し違ったらしい。
暗い。広い。ひんやりしている。古い石の匂いがする。 でもまず目に飛び込んできたのは、怪物ではなかった。
本棚だ。
しかも、いかにも「ここに元からありました」みたいな立派な古代遺物ではない。どう見ても後から運び込まれた棚だった。木の色もまばらで、寸法も揃っていない。少し傾いている棚まである。頑張って作った感がひどい。 その代わり、並んでいる本だけは妙に整っていた。薬学書、歴史書、詩集、目録。仮ラベルまで貼ってある。
近くには作り直したばかりの看板が立っていた。
秘密の書庫
ドラコが、その看板を見て、心底嫌そうに言った。頭を抱えている。
「……お前」
「うん?」
「まさかと思うが」
「何?」
ドラコは片手で額を押さえた。
「秘密の部屋を見つけて書庫にしようとしてるのか?」
「うん」
「正気か?!」
ロンが即座に叫んだ。
「その棚も自分で作ったのか?」
「うん!」
ドラコに笑顔で返すも、彼は険しい顔をさらに深めた。ロンは混乱して大声でわめき始めた。
「なんで秘密の部屋に本棚作ってるんだよ!」
「空間がもったいなかったから」
「“もったいない”で済ませていい場所じゃないだろ! 台所の隅じゃないんだぞ!」
ハーマイオニーが棚に近づいて、呆れたようにラベルを見た。
「分類までしてる……すごいわよこれ」
「褒めるな、ハーマイオニー!」
「褒めてないわよ! ただ、作りが意外としっかりしてるなって」
「褒めてるじゃないか!」
ハリーだけが、棚とわたしを見比べて、なんとも言えない顔をしていた。
「秘密の部屋って、もっとこう……」
「殺伐としてると思った?」
「うん」
「まだ発展途上だからね。本をたくさん入れたらもっと変わるよ」
「そういう意味じゃない」
ハリーが真顔で言った。
その時、部屋の奥で、ずるりと何かが動いた。
ロンが飛び上がる。
「うわっ、何かいる!」
「あ、ごめん。忘れてた」
「先に言えよ! “いるよ”で済むサイズじゃないだろ!」
低い声が響いた。
『おまえ、また増やしたのか』
闇の中から、アルドゥスがゆっくりと現れた。
巨大な身体。鈍く光る鱗。口を開けば、その辺の生徒なら三日くらい悪夢を見るだろう牙。ただ目元が黒い布でぐるぐる巻きにされている。
ロンが固まる。
「ハグリッドでもここまででかいのは飼ったことないはずだぞ」
「未遂だけどね」
ハグリッドとはあまり話したことがないが、どうやら大きい生き物が好きらしい。
「いやでも本当だろ! ハグリッドの危険生物趣味って、せいぜい“教育上どうなんだ”くらいだったじゃないか! これはもう“逮捕しろ”の領域だよ!」
わたしは手を上げた。
『おはよう、アルドゥス』
『それは何だ』
『わたしの友達。食べるの禁止』
『増えすぎだ』
『本もだめ』
『最近そればかりだな』
わたしは頷いた。
「ほら、ちゃんと会話できてる」
次の瞬間、ハリーが変な顔をした。
「……いや、ちょっと待って」
「何?」
「今の、微妙に会話成立してなくない?」
「え?」
「マインの蛇語が思ったより片言で……」
「ひどい!」
ハリーは一歩前に出た。
『こんにちは。僕はハリー・ポッター』
アルドゥスがハリーに向く。
『おお。まともに喋れる者か。我はアルドゥス』
ハリーが目を見開いた。
「何て?」
ロンがハリーに聞く。
「……“まともに喋れる者か”って」
「えっ」
わたしは瞬きをした。嫌な予感がした。
『今までも普通に喋ってたもん。ね、アルドゥス?』
『喋っておらん』
アルドゥスが即答した。
ショックである。
『おまえは“おはよう”“本食べちゃだめ”“ごはん”くらいしか言えていなかった』
衝撃の事実だった。たしかに蛇語はまだ勉強したばかりだ。発音もそこまで上手くない。
トムがたまに首を傾げてたのはこれか!
「わたしの蛇語あんまり通じてなかったの?!」
「いや待って。君、伝説の怪物相手にずっとカタコトだったの? それでよく書庫化計画まで進めたね?」
辛口なロンにハリーは咳払いをした。たぶん笑いそうになったのを我慢したのだと思う。失礼である。
『この子たちを食べる気はある?』
『ない。あの小さいのにうるさく言われる』
「一応、抑止力にはなってるんだね」
ハリーは納得した様子だが、ロンは反論する。
「“一応”を命綱にするなよ。学校の安全管理が雑すぎるだろ。いや、ホグワーツはいつも化け物ばっかだけどさ。知らない方が平和だったな、これ」
そしてアルドゥスは、まるで長年の不満をついに聞いてくれる相手を見つけたみたいに、急に饒舌になった。
『私は本来、もっと静かで暗い場所で、ひっそり寝ていればよかった』
『うん』
『だが、ある日からこの小さいのが来た』
ハリーがたまに通訳してハーマイオニーたちに説明する。
『壁を見て、本棚を置きたいと言った』
「君ほんとに頭おかしいね」
ハリーの通訳を聞いたロンがまた口を挟む。
「今さらだな」
ドラコが低く言った。
『そのあと、この小さいのは棚を作って持ち込み、本を運び込み、札を貼り始めた』
ハリーがそれも皆に通訳すると、ハーマイオニーはあきれたような顔になった。
「秘密の部屋の本来の用途、完全に無視してるじゃない」
「本来の用途もだいぶ物騒だけどね」
「そこを比較して中和しようとするな」
アルドゥスは、不満そうに尾を動かした。
『最近は“ここは薬学”“ここは歴史”“禁書は別管理”とうるさい』
ハーマイオニーの目が少しだけ光る。
「禁書は別管理なの?」
「そこ食いつくなよ!」
ロンがハーマイオニーにツッコミを入れる。
「何で君たちはそんな普通に話せるんだ? バジリスクだぞ?! 目が合ったら死ぬんだぞ!?」
ドラコはついに我慢ができなくなったとばかりに声を荒げた。
「でも、フラッフィーと違って言葉が通じるし、目は覆われているから大丈夫じゃない?」
ハリーが冷静に言う。
「やーい、お前とは場数が違うんだよ」
ロンがドラコを煽る。
アルドゥスは少しだけ声を和らげた。
『……この小さいのはよい子だ』
ハリーが翻訳すると全員が黙った。
わたしもちょっと黙った。そこは素直にうれしい。
『肉をたくさんくれる』
数秒の沈黙のあと、ロンが言った。
「評価が完全に“餌くれる人間ランキング”なんだよな」
「それはそれで分かりやすいけど」
ハリーはアルドゥスを見た。
『ミセス・ノリスを石化させたのは君?』
アルドゥスは舌を鳴らした。
『狙っていない。水に映った私を見た。事故だ』
ハリーの顔が曇る。
「事故、だって」
「事故で石化とか最悪だろ」
「“ごめんうっかり”で済む被害じゃないわよ」
ハーマイオニーは、今度は真っすぐわたしを見た。
「あなた、これを知っていて黙っていたの?」
「……うん」
「うん、じゃないわ」
ハーマイオニーの声は冷たかった。
「石化した被害者がいるのよ。事故かどうかは関係ない。危険な存在がいると知っていて黙っていたなら、先生に言うべきよ」
「そうそう、そういうこと」
ロンがすぐに乗る。
「秘密の部屋にバジリスク隠して、ついでに本棚まで自作してました、で退学になったら? そりゃ自業自得だろ」
ドラコがロンを睨みつけた。
「自業自得で済ませるな、まだ一年生だぞ」
「へえ、大変だね。でも秘密の部屋にバジリスク飼って書庫まで増設してたんなら、むしろ“今までよく無事だったね”って感想しかないけど」
「ロン」
ハリーがたしなめるようにロンを止める。
「何だよ。だって本当だろ? ここまで来ると校則違反っていうか、アズカバンに入れられてもおかしくないよ。バジリスクも殺処分になるだろうし」
ハリーは顔をしかめた。
「アルドゥスも殺されるの?」
「いやむしろ、そこで“かわいそうだから黙っとこう”になる方がおかしいんだよ。話せるからって同情するなよ」
「だって可哀想だよ。こんなところで一人でずっといたなんて」
「でかい蛇だぞ!?」
「でかい蛇でも一人ぼっちだよ!」
「同情は分かるわ。でも危険を放置していい理由にはならない」
「放置じゃないよ」
ハリーは周りを見渡す。
「管理すればいい」
その時、今まで黙っていたドラコが、低く言った。
「先生に言うのは簡単だ」
全員が振り向く。ドラコの顔色は悪かった。怒っているし、たぶん本気で胃も痛そうな顔をしている。
「でも言った瞬間、マインがどうなると思ってる」
ロンが肩をすくめる。
「良くて退学、最悪アズカバンじゃない?」
ドラコがロンを睨みつける。
「何だよ。ここで“かわいい妹だから減刑で”ってなると思ってるの? スリザリンっておめでたいね」
「二人ともやめて」
ハーマイオニーが二人を落ち着ける。
「だって実際そうだろ!」
ロンはアルドゥスと本棚を順番に指差した。
「ほら見ろよ。バジリスク。秘密の部屋。しかも棚つき」
ドラコは唇を引き結んでから言った。
「……だからこそ、軽々しく教師にこの話は渡せない。先に父上に伝える」
「うわ、出た」
ロンが即座に言った。
「さすがマルフォイ家。隠蔽の解像度だけ高い」
「隠蔽じゃない!」
「じゃあ何」
「……対処だ」
「その言い換え、いかにもマルフォイ家って感じするね」
ドラコは深く息を吐いた。
「学校のふくろうは使わない。ドビーに伝言を託す」
「ハウスエルフで父親に密書を送る。マルフォイ、君って完璧だよ」
ロンは皮肉たっぷりに言った。
ハリーはまだアルドゥスを見ていた。
「少なくとも、今すぐ先生に言うのはだめだ」
ハリーがアルドゥスの味方になったことで形勢が逆転した。
「君ほんとに反対なんだな」
「反対だよ。事情も聞かずに終わらせるのは違う」
「へえ、じゃあ次の被害者が出たら、“でも彼にも事情があったんだ”ってお見舞いのカードに書く?」
「ロン!」
「何だよ、きれいごとじゃ済まないだろって話だ!」
その時、部屋の奥の闇の中で、ごく小さく笑い声がした気がした。たぶん、わたしだけに聞こえた。
トムだ。絶対に笑っている。腹が立つ。
ハーマイオニーは腕を組んだまま、きっぱり言った。
「私は先生に報告すべきだと思う」
「僕も」
ロンも続けて言う。
「というか、バジリスクがどうなろうと正直知ったこっちゃない。マインが退学になるなら、それはまあ、そういうことだろ」
「お前、本当に感じが悪いな」
ドラコはロンを睨みつける。ハリーは首を横に振った。
「僕にはできないよ。わざとじゃなかったのに」
「だと思ったよ」
「だって、悪意でやったわけじゃない」
「でも被害は出た」
「分かってる!」
「じゃあそこからだろ」
ロンの声から、少しだけ皮肉が消えた。
「可哀想かどうかじゃなくて、危ないかどうかで決めろよ」
部屋が静かになる。
ドラコは目を閉じ、こめかみを押さえた。
「……とにかく、今は教師には言わない。父上に先に伝える」
「全然納得してないけど」
「私もよ」
わたしはみんなの顔を順番に見た。ハーマイオニーは本気で怒っている。ロンは皮肉で殴ってくる。ハリーはアルドゥスに同情していて、ドラコは頭痛と責任感で限界そうだった。
たぶん、一番面倒な形だ。
ドラコが低く言った。
「いいか、ローゼマイン。父上への伝言は僕が何とかする。お前はそれまで絶対に勝手なことをするな。見ているからな」
「わかった」
「次に被害が出たらその時は私が先生に言う。そこは譲らないわ」
「僕も納得はしてない」
ロンもハーマイオニーに同意する。
「黙るのは、君らがそうしろってうるさいからだ。別に君の書庫化計画に賛同したわけじゃない」
ドラコはこめかみを押さえたまま言った。
「誰かに漏らせば、マインもアルドゥスも終わる。軽い気持ちで喋るな」
わたしは思わず息を吐いた。
少なくとも、今この場でアルドゥスが処分されることはなさそうだった。
その代わり、ハーマイオニーには睨まれ、ロンにはほぼ犯罪者扱いされ、ドラコには厳重監視を言い渡され、ハリーはハリーでバジリスク保護団体でも作りそうな顔をしている。
……うん。
秘密の部屋、皆に知られて前より秘密じゃなくなったのに、前よりずっと面倒になっている。
書庫化計画は、どうやら想像以上に前途多難らしい。