本好きの魔女、闇の帝王を読書仲間にする。 作:bookworm
誰も納得していない顔のまま、秘密の部屋の空気は重たく沈んでいた。
ハーマイオニーは腕を組み、ロンは嫌そうな顔でアルドゥスとわたしを見比べ、ハリーはまだ巨大な蛇に同情の眼差しを向けている。ドラコはこめかみを押さえたまま、しばらく何かを考えていた。
そして、低く言った。
「……ドビー」
ぽん、と小さな音がした。
「お呼びでしょうか、ドラコ様──ひっ」
現れたドビーは、まずドラコを見た。次にわたしを見た。さらに視線をずらして、目隠しをされたアルドゥスを見た。最後に、その横に立っている手作り本棚と『秘密の書庫』の看板を見た。
そしてその場に崩れ落ちた。
「ドビー!?」
「当然の反応だな」
ロンが言った。
「むしろ今までの僕らが落ち着きすぎてたんだよ」
ドビーは床に手をついたまま震えていた。
「お、お嬢様が……秘密の部屋で……本棚を……」
「そこ一番だめそうな言い方やめて」
「どこから訂正していいか分からないですぅ……」
ドラコが苛立たしげに言う。
「落ち着け。父上に伝言を頼みたい」
「旦那様に……」
ドビーはちらりとアルドゥスを見た。
「どの部分をですか?」
「全部だ」
「全部!?」
ロンが同情の眼差しでドビーを見つめている。
「それを“全部”で済ませるの、情報量の暴力だろ」
ドラコはわたしを睨んだ。
「紙は」
「あるよ」
「なぜある」
「目録用カードならたくさん」
「今この状況で目録用カードが出てくるの、本当に嫌だな」
ロンが呟いた。
わたしは持ってきていたカード束とインク瓶を差し出した。ドラコはものすごく嫌そうな顔で受け取り、その場でさっと父宛ての文面を書き始めた。字がやけに綺麗なのが腹立たしい。
ハーマイオニーが覗き込もうとすると、ドラコはすっと隠した。
「見せない」
「見る気はないわ。ただ、今その手紙に“妹が地下でバジリスクと書庫を共同運営しています”って書いてるのかなと思っただけ」
「違う」
「違わないだろ」
ロンが言った。
「言い方の問題であって内容はだいたいそうじゃないか」
ドラコは最後まで書き終えると、それを折りたたんで封じた。
「父上に直接渡せ。誰にも見せるな。誰にも聞かせるな。返事があればそれも直接僕に」
「ドビー、命を懸けてお届けします」
「いや懸けなくていいから」
わたしはドビーに言う。
ドビーは手紙を受け取ったまま、まだ床にへたり込んでいる。
「……ドビー?」
「はい、お嬢様」
「そんなに怖い?」
「はい」
「即答だね」
「お嬢様が恐ろしい秘密の部屋を見つけて、伝説の怪物とお友達になって、しかも棚を作って書庫にしているので……ドビーはたいへん順当に怖いです……」
正論だった。
ドラコが深く息を吐いた。
「行け」
「はい、若様!」
ぽん、と音がして、ドビーは消えた。
しばらく沈黙。
その沈黙を破ったのは、ハーマイオニーだった。
「……で」
その“で”には、だいぶ多くの感情が詰まっていた。
「先生に報告しないなら、最低限の管理は必要よ」
「出た」
ロンが言った。
「通報したい派が一番仕事が早い」
「通報したい気持ちは今もあるわよ」
ハーマイオニーはきっぱり言った。
「でも、あなたたちが全力で反対するなら、その間に誰かが現実的に動かないとだめでしょう」
「それっぽく言ってるけど、やってることは秘密の部屋の運営開始なんだよな」
ロンが言うも、ハーマイオニーはもう気にしていなかった。鞄から羊皮紙を取り出し、羽ペンを走らせる。
「まず第一。ここへの出入りは単独禁止」
「賛成」とドラコが言った。
「第二。アルドゥスの目隠しは絶対に外さない」
「賛成」とロンも頷く。
「第三。餌やりは記録をつける」
「何で?」
わたしが首を傾げた。
「量と頻度を把握しないと危ないでしょう!」
「完全に飼育管理表だね」
「違うわ。安全管理よ」
「名前を変えただけだろ」
ロンがツッコむ。ハリーが手を挙げた。
「アルドゥスの居場所も決めた方がいい。入口の近くにいられると危ないし」
「賛成」とハーマイオニーが言う。
「じゃあ奥の方を寝床にする?」
『私はもともと奥にいた』
アルドゥスが不満そうに言った。ハリーが通訳する。
「“私はもともと奥にいた”だって」
「ほら」とロン。
「元の住人が迷惑してるじゃないか」
アルドゥスは長い身体をゆっくりと巻きながら、さらに何か言った。ハリーが聞いて、それからちょっと困った顔になる。
「ええと……」
「何て?」
「“最近は静かに寝ていると、たまに釘を打つ音がしてうるさい”って」
ロンがわたしを見た。
「釘?」
「本棚を補強してたの」
「秘密の部屋で大工仕事までしてたの!?」
「棚は丈夫な方がいいから」
「だからって場所を選べ!」
ハーマイオニーが羊皮紙に書き足す。
「第四。書庫化作業は一時停止」
「ええっ」
「当然よ」
「禁書の移送計画が」
「停止」
「まだ目録の途中で」
「停止」
「でも空き棚が」
「停止!」
ロンが腕を組んだ。
「初めてハーマイオニーと完全に気が合った」
アルドゥスが、低く長い息を吐くように言った。ハリーが聞き取り、わずかに笑う。
「“静かになるのは良い”だって」
「うわあ」
「バジリスクとハーマイオニーの利害も一致した」
ハーマイオニーは気にせず書き続ける。
「第五。ここで起きたこと、見たもの、聞いたものは他言しない」
「付け加えろ」
ドラコが真剣な顔で言う。
「“軽率に喋った場合、全員まとめて終わる”」
「物騒だなあ」
「事実だ」
「そういうとこだけ妙に説得力あるの、嫌だね」
ハリーはその間もアルドゥスのそばに立っていた。さっきから目隠し越しに何度か言葉を交わしている。あの巨大な頭の横に立っていると、普通にサイズ感が終わっている。
「何話してるの?」
「ちょっと」
「ちょっとで済む相手じゃないだろ」
ロンの反応に、ハリーは少し迷ってから言った。
「……アルドゥス、五十年くらい、ほとんど誰とも喋ってなかったみたい」
部屋が少し静かになった。
「前の継承者の時は?」
ハーマイオニーが聞く。ハリーがアルドゥスに尋ねる。返ってきた言葉を聞いて、顔を曇らせた。
「命令は聞いた。だけど、あまり喋らなかったって」 「でしょうね」
ロンは肩をすくめる。
「会話が弾む主従関係ではないだろうし」
「でも」とハリーは続けた。
「今は、ただ寝ていて、たまにマインが来て、肉を置いて、本棚を増やしていくのを見ていたって」
「見えてないけどな。目隠ししてるし」
ロンが訂正する。
「雰囲気だって」
「雰囲気で本棚増設を察知されるのも嫌だな」
アルドゥスがまた何か言う。ハリーが聞いて、今度は本当に少し笑った。
「“しかも、たまに一人で長々と本の話をしていく”だって」
ハーマイオニーがわたしを見た。
「あなた、まさか読み聞かせまでしてたの?」
「だって静かに聞いてくれるから」
「君、話し相手の条件がだいぶ緩くない?」
アルドゥスがさらに一言。ハリーが訳す。
「“内容はよく分からないが、機嫌は良さそうだった”」
ロンがとうとう両手で顔を覆った。
「でかい蛇に“最近のご主人は楽しそうです”みたいな報告させるなよ……」
ハーマイオニーは羽ペンを置いて、羊皮紙を見直した。
「ひとまずこんなところね」
彼女は羊皮紙を読み上げた。
「秘密の部屋暫定管理規約」
「本当に作った!」とロン。
「第一条、単独入室の禁止。第二条、アルドゥスの目隠し維持。第三条、餌やり記録の作成。第四条、書庫化作業の一時停止。第五条、父親からの返答があるまで他言しない──」
「ちょっと待って」とわたし。
「わたしは第四条に反対」
「却下」
「まだ言い終わってない」
「聞く必要がないもの」
「横暴だ」
「秘密の部屋に本棚を自作した人にだけは言われたくないわ」
それはそうかもしれない。
ロンが羊皮紙を覗き込んだ。
「第六条は空欄?」
「今書くところよ」
「何?」
ハーマイオニーは少しだけ考えてから、書き足した。
「“次に被害が出た場合、この規約は無効とし、直ちに教師へ報告する”」
誰もすぐには口を開かなかった。
最初に反応したのはドラコだった。
「……それでいい」
ハーマイオニーは頷く。
「私は最初から報告すべきだと思ってる。でも、今ここで押し切れないなら、せめてそこは絶対条件よ」
「僕も異議なし」とロンが言う。
「むしろそこが重要だろ」
ハリーは少しだけ黙って、それから小さく頷いた。
「……分かった」
「本当?」
「本当だよ。でも、その前にできることはやろう」 「君、ほんとに情が深いよな」
ロンは呆れたように言った。
「相手が巨大蛇じゃなかったら感心してた」
ドラコが羊皮紙を受け取り、ざっと目を通す。
「全員署名しろ」
「えっ」
「えっ、じゃない」
「秘密の部屋管理規約に?」
「絶対に破らないと誓わないと意味がない」
それは確かにそうだった。
ハーマイオニーが最初に署名した。次にロンが、「こんなものに署名したくない」とぶつぶつ言いながら書き、ハリーが書き、最後にわたしが書いた。ドラコは一番最後までためらってから名前を記した。
「何か、結成してはいけない団体みたいだね」
ハリーはアルドゥスに条約を丁寧に通訳していた。アルドゥスがぼそりと何か言った。ハリーが首を傾げる。
「“肉の量についての条項がない”だって」
ロンが天を仰いだ。
「そこはしっかり聞いてるんだな」
「餌の量はあとで相談する」
「本当に運営する気じゃないか」
ロンがあきれたような顔をする。
ドラコは羊皮紙を丸めると、きっぱり言った。
「これで終わりだ。今日はもう出るぞ」
「今日は、って言った?」
ロンが反応する。
「明日以降も来る前提なんだ」
みんなが出口へ向かい始める。ハリーだけが少しだけ振り返って、アルドゥスを見上げた。
『また来る』
アルドゥスはゆっくりと頭を動かした。
*
翌朝、わたしは嫌な予感で目が覚めた。
具体的には、枕元に立っていたドビーのせいだ。
「お嬢様」
「ぎゃっ」
「朝から悲鳴はよくありません」
「朝から枕元にドビーがいるのもよくないと思う」
「申し訳ございません!」
ドビーは目を潤ませたまま、両手で一通の封書を差し出した。黒い蝋に、見慣れたマルフォイ家の紋章がある。
「旦那様から、若様へお返事です」
「お兄さまに? なんでわたしに知らせたの?」
「内緒でお渡ししようと思いましたが、ドビーはどのみちお嬢様も巻き込まれているので、もう誤差だと思いました」
「その判断いやだな」
とはいえ、内容は気になる。ものすごく気になる。
「それで?」
「若様にはもうお伝えしました」
「早い」
「若様は昨夜ほとんど眠っておられませんでしたから」
ちょっと申し訳ない。
ドビーはそこで少しためらって、それから声をひそめた。
「……旦那様は、お嬢様の持ち物に“黒い日記帳”がないか確認するように、と」
心臓が、どくんと重く鳴った。
「見つけた場合は、決して他人に見せず、すぐ回収しろとも書いてあります」
「……へえ」
「お嬢様」
「何でもないよ」
全然何でもなくなかった。
父は日記の存在そのものは知っている。知っていて、しかも妙にそこだけ具体的だ。
嫌な感じしかしない。
「若様、朝食のあとにお嬢様と話すと仰っていました」
「だろうね」
「ドビーはこのあと何も見なかったことにします」
「ありがとう」
ぽん、と音がして、ドビーは消えた。
わたしはしばらくその場に座り込んでいた。
黒い日記帳は、ベッドのカーテンの内側、枕の下にある。昨夜は心配で、近くに置いたまま寝た。
静かな沈黙の中で、ぱらりと日記がひとりでに開く。
『……聞こえたよ』
「うん」
『厄介なことになったね』
「知ってる」
『日記を回収するつもりらしいね』
「うん」
『渡すのかい?』
その問いに、わたしはすぐには答えられなかった。
渡したくない。
それは、すぐに分かる。
本だからでも、秘密の手がかりだからでもない。
トムがいるからだ。
「……いや」
小さく答える。
「トムは友達だから」
インクが一瞬、揺れた。
文字はしばらく出なかった。
やがて、少し遅れて浮かぶ。
『君は時々、僕の想定を雑に超えてくるね』
「褒めてる?」
『まったく』
でも、少しだけ日記のページが温かい気がした。
朝食の席は、予想通り最悪だった。
ドラコはわたしを見るなり言った。
「あとで話がある」
「食後?」
「今すぐでもいい」
朝食が終わるとすぐ、ドラコはわたしを人気のない廊下へ連れ出した。
ドラコは周囲を確認してから、低い声で言った。
「父上から追加指示が来た」
「うん」
「黒い日記帳を持っているだろう」
「何のこと?」
「とぼけるな」
「お兄さまこそ、急に何の話?」
「ローゼマイン」
名前を呼んだ声は思ったより厳しかった。
「父上がそこだけああいう書き方をするのは珍しい。普通の本じゃないんだろ」
「……」
「寄越せ」
あまりにもあっさり言われて、逆に頭が真っ白になった。
「嫌」
「嫌で済むと思うな」
「でも嫌なものは嫌」
「ローゼマイン」
ドラコが一歩近づく。わたしは一歩下がった。
「トムは友達だから」
「は?」
ドラコの顔が、本当に何を言われたのか分からない人の顔になった。
「今なんと言った」
「友達」
「本に!?」
「本じゃないよ。トムだよ」
「なお悪い!」
ドラコは本気で頭を抱えた。
「何なんだお前は! 秘密の部屋にバジリスクを飼って、そのうえ得体の知れない日記帳と友達だと!?」
わたしはローブの内ポケットの上から日記を押さえた。渡したくなかった。どうしてここまで嫌なのか、自分でも少し分からないくらい嫌だった。
「父上は回収しろと言った」
「でもわたしは嫌」
「お前の意思を聞いているんじゃない」
「聞いてよ!」
その瞬間、廊下の空気がびりっと震えた。
まずい、と思った時にはもう遅かった。
壁の燭台が一斉に揺れ、窓ガラスががたがたと鳴る。床に落ちていた羽ペンがふわりと浮き上がり、ドラコの髪が見えない風に煽られた。
「ローゼマイン!」
ドラコが叫ぶ。
「落ち着け!」
「無理!」
「だって嫌なんだもん!」
「小さい子どもみたいなことを言うな!」
それはそうなのだけれど、でも嫌なものは嫌だった。
胸の奥から熱いものがどっと溢れる。
頭がくらくらする。
魔力が、身体の外へ押し出される。
その時だった。
日記の内側から、誰かがこちらへ手を伸ばした気がした。
『……なるほど』
トムの声がいつもよりずっと近かった。頭に響くように声が聞こえる。
『君、本当に僕を手放したくないんだね』
「……トム」
「何を言ってるんだ?」
ドラコが不思議そうな顔でこちらを見つめている。
『だったら少し借りるよ』
何を、と聞く暇もなかった。
世界が、一瞬だけずれた。
まるで自分の身体に自分よりもう一人、ぴたりと重なったみたいな感覚。
指先の角度、呼吸の深さ、視線の置き方。全部が自分なのに、自分だけではない。
ぞっとした。
次の瞬間、わたしの身体が自分の意思と関係なく動いた。
ドラコが目を見開く。
「マイン?」
答えられない。口は動かない。身体だけが、するりとドラコの横を抜けた。
『今は君の父親に渡すわけにはいかない』
耳の奥でトムが囁く。
『ダンブルドアに見つかるよりはましだが、それでも好ましくはない』
廊下を曲がる。
人の気配のする方へ。
身体の主導権は、ほんの一瞬しか続かなかった。
急に膝から力が抜ける。わたしは壁に手をついた。
「っ、は……」
息がうまくできない。頭がぐらぐらする。
ちょうどその時、角を曲がってきたのはハリーだった。
「え?」
「ポッター!」
ドラコの声が飛ぶ。ハリーが反射的にこっちを見て、わたしと衝突した。腕の中の日記は床に落ちるより先に、彼の腕の中の教科書の山にぶつかって、そのまま他の本に紛れ込んだ。
ハリーはよろめきながら本を抱え直した。
『夜に秘密の部屋でまた会おう』
「待って!」
トムの言葉に思わず叫ぶ。
「な、何?」
「何でもない!」
何でもなくはない。でも何でもないと言うしかなかった。
トムが自発的にハリーの教科書に紛れ込むようにした?
ドラコは今のを見ていないようだった。
ハリーは困った顔で言った。
「……本当に何でもないの?」
「うん」
「顔色ひどいけど」
「それはいつものこと」
「そこ威張るとこじゃないだろ」
ドラコが低く言った。
ハリーはまだ怪訝そうだったけれど、結局それ以上は言わなかった。本の山を抱え直して、去っていく。
黒い表紙は、もう見えなかった。
「マイン、日記を渡せ」
「部屋にあるから、待って」
わたしは部屋にある黒い表紙のどこにでもあるようなノートをドラコに渡した。どちらにせよ、ドラコはどれが本物なのか分かるはずもない。父は困るかもしれないけど、ふくろうで手紙を届けるのに一往復分かかる。
その夜、わたしは日記のない手元を、ずっと見つめていた。
「トム」
答えはない。
「トム」
胸の奥がすうっと冷えていく。
なくした。
正確には、なくしただけではない。
あれは、奪われたのではなかった。
トムが、自分で移ったのだ。
わたしの魔力を使って。
わたしの身体を、一瞬だけ借りて。
「……最悪」
上手く怒れないのは、別のことが引っかかっているからだ。
トムは、ハリーのところへ行った。
偶然ではない。あれは、選んだのだ。
机の上には、秘密の部屋関連で使っていた目録用カードが散らばっていた。
アルドゥスの餌の量だの、棚の配置だの、禁書候補だの、今となってはどうでもよくなるようなことまで書いてある。
その中から、わたしは一枚、空白のカードを引き抜いた。
羽ペンを持つ。
まず書いたのは、彼の名前だった。
TOM MARVOLO RIDDLE
わたしは羽ペンの柄で机をこつこつ叩いた。
五十年前のホグワーツ生。
秘密の部屋を開いた。
スリザリンの継承者。
蛇語が話せる。
そこまでは、もうほとんど確定している。
でも、そこから先が引っかかる。
ハリーのことだ。
トムはハリーの話をしたとき、やけにハリーを気にしていた。
「なんで、そこまで……」
わたしはカードの端に書き足す。
ハリーへの異様な関心
蛇語
羽ペンが止まる。
……変だ。
五十年前の継承者が、どうしてハリー・ポッター個人にそんな関心を持つ必要があるのだろう。秘密の部屋だけの話なら、そこにハリーは関係ない。それなのにトムは、まるで自分に関わることのように、あの子の話を聞いていた。自分と血がつながっているかもしれないから?
そこで、脳裏にひどく嫌な考えが浮かぶ。
まさか。
でも、そんなはずは──
わたしはもう一度、名前を見る。
TOM MARVOLO RIDDLE
なんとなく、文字を追う。綴りを分ける。並びを眺める。
本当に、ただの思いつきだった。でも一度そう思ってしまうと、もうただの名前には見えない。
わたしは新しいカードを引き寄せた。小さくカードを切って、一文字ずつ書き出す。
T
O
M
M
A
R
V
O
L
O
R
I
D
D
L
E
それを見つめる。
並べる。消す。もう一度書く。
心臓の音が大きい。
「……うそ」
最初に浮かんだのは LORD だった。次にVOLDEMORT。
最後に残った文字を並べる。
I AM LORD VOLDEMORT
わたしは手を止めた。
机の上に、二つの名前が並んでいる。
TOM MARVOLO RIDDLE
I AM LORD VOLDEMORT
一瞬、意味が分からなかった。分かってからの方が、もっと嫌だった。
喉がひどく乾く。
「うそでしょ」
でも、うそじゃない。こんな趣味の悪い遊びみたいなことをするのは、あのトムならむしろやりそうだと、最悪なことに思ってしまった。
トム・リドル。秘密の部屋を開いた継承者。そして、ハリー・ポッターに執着する誰か。
その全部が、今、机の上の文字で一つに繋がっている。
わたしはカードを掴んだ。
指先が少し震えていた。
「……ヴォルデモート卿」
声に出してしまってから、急に部屋の空気が冷えた気がした。
いつものように、すぐにインクが浮かんだりはしない。
日記はもうここにない。
トムはハリーのところにいる。
背筋のあたりだけがぞくりとした。
トムが前に言っていたことを思い出す。
君は時々、僕の想定を雑に超えてくるね。
「……超えたくて超えたんじゃないよ」
誰に言うでもなく呟く。
でも、もう見ないふりはできなかった。
トムは、ただの昔の継承者じゃない。ただの得体の知れない日記でもない。
そしてたぶん、ハリーに近づいた理由も、もう一つ先にある。
わたしは立ち上がった。椅子の脚が床を擦る音が、妙に大きく響く。
行く先は決まっていた。
問い詰める相手も、たぶん一人しかいない。