本好きの魔女、闇の帝王を読書仲間にする。   作:bookworm

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20話 トム・リドルとの約束

 

 秘密の部屋は、夜になると昼間よりずっと広く感じる。

 石の壁は冷たく、天井は高く、奥で長い身体を丸めているアルドゥスの気配だけが、薄暗い空間の底に沈んでいた。壁際にはわたしが作った本棚が並び、その前に立てかけた『秘密の書庫』の看板が、今はやけに場違いだ。

「トム」

 

 返事はなかった。

 

「いるんでしょ」

 

 少し間を置いて、聞き慣れた声がした。

 

「いるよ」

 

 本棚の影に寄りかかるように、トムが立っていた。輪郭は少し不安定だ。ハリーの手に渡ったばかりだからかもしれない。でも表情だけは、妙に落ち着いていて腹が立つ。

 

「わたしを利用したの?」

「そうだね」

「否定しないんだ」

「したところで、君は納得しないだろう」

 

 そういうところだ。そういう、分かっていてさらりと踏み越えるところが腹立つ。

 

「友達にすることじゃない」

「……君はまだその単語を使うんだね」

「使うよ」

 

 わたしは即答した。

 

「だってわたしは、そう思ってたから」

「思って“た”」

「今は怒ってるの」

 

 トムは少しだけ目を伏せた。反省しているようには見えない。でも、無傷でもない顔だった。

 

「わたしの身体を勝手に使った」

「一瞬だけだ」

「長さの問題じゃない」

「だろうね」

「しかもハリーのところへ行った」

 

 その名前を口にした瞬間、トムの目がほんの少し細くなった。

 

「確かめたいことがあったんだよ。マグルの中で嫌な思いをして育った人間が、それでもマグルを憎まずにいられるのか」

 

 わたしは眉をひそめた。

 

「本当にそれだけ?」

 

 わたしは握っていたカードを本棚の棚板に叩きつけた。そこには二つの文字列が並んでいる。

 

 TOM MARVOLO RIDDLE

 I AM LORD VOLDEMORT

 

 トムの表情が、初めてはっきりと揺れた。

 

「説明して」

「……いつから気づいていた」

「さっき」

「素晴らしいよ、マイン。君はいつも僕の想像を超える」

「あなたが、名前を言ってはいけないあの人なの?」

 

 トムが吹き出した。

 

「何で笑うの!」

「いや、失礼。その呼び方には慣れてなくてね」

 

 全然失礼だと思っていない顔で、トムは口元を押さえた。

 

「だって、そう呼んでたから」

「なるほど。賢い君なら、その日記を君の父親が持っていたことの意味も分かるだろうね」

 

 心臓がどくりと鳴った。

 そうだ。父は日記の存在を知っていた。知っていて、そこだけ具体的に回収を命じた。つまり父は、あれがただの古い本ではないと知っていた。どこまでかは分からない。でも、危険なものだとは分かっていた。

 

「……お父さまは死喰い人ってこと?」

「おそらくそうだね」

 

 トムは静かに言った。

 

「さっきの答えを教えよう。僕はヴォルデモート卿であって、ヴォルデモート卿ではない」

「嫌な答え方」

 

 トムはわたしが持ってきたカードの自分の名前を触る。

 

「正確な答え方だよ。僕は記憶だ。日記に残った十六歳のトム・リドルだ。君の知る“名前を言ってはいけないあの人”がこの先で何をしたか、その全部を僕は知らない。でも、彼はたしかに僕の未来の姿ということは知っている」

「とぼけないでよ。同じでしょ」

「同じ種ではあるだろうね」

「否定しないんだ」

「完全に否定したら嘘になる」

 

 トムはまっすぐわたしを見た。

 

「ヴォルデモート卿は、君に出会わなかった僕だ」

 

 静かな声だった。大げさじゃないのに、その分だけまっすぐ刺さる。

 

「ずるい」

「そうかな」

「だってそれじゃ、トムは悪くないみたいに聞こえる」 「そんなことは言っていない」

 

 トムの顔が、少しだけ硬くなる。

 

「正直君が掲げる理想は甘い。そんなことが言えるのは、君は最初から持つ側にいたからだろうとも思った。だが、僕が本当に実現すべきだったのはそういう理想だったのかもしれない」

「本が好きな人が幸せになれる世界?」

 

 トムはふっと笑った。

 

「僕が言いたいのはもっと広い。知識があり、実力がある人が本当に力を手にできる世界だ」

 

 ふざけているのかとも思った。

 昔闇の帝王と呼ばれ、名前を恐れられた人が実力主義の世界を本気で望んでいるのか。

 

「じゃあ約束して」

「何を」

「わたしの知ってる、名前を言ってはいけないあの人みたいにはならないって」

 

 トムは少し黙った。それから、いつもより低い声で言った。

 

「僕は僕だ。彼の未来をそのままなぞるつもりはない」

「約束?」

「……君がいる限りは」

 

 綺麗な誓いじゃない。でも、トムがこれ以上まっすぐなことを言うのはたぶん無理だ。

 

「ハリーに変なことしないで」

「変なこと、とは」

「そそのかすとか。利用するとか。わたしみたいに勝手に身体を使うとか」

「最後のは耳が痛いね」

「約束して」

「努力はするよ」

「努力じゃだめ」

「注文が多いな」

「友達なら約束は守ってほしいから」

 

 その言葉に、トムは一瞬だけ目を細めた。

 

「僕に友達はいたことがないよ」

「わたしが初めての友達なの?」

 

 トムの発言にわたしはびっくりする。トムは少し笑った。皮肉だけじゃなく、少しだけ自分でも困っているみたいな顔だった。

 

「……そういうことになるのかもしれないね」

 

 その輪郭がふっと揺れる。

 

「今日はもう長くは無理だ」

「待って」

「大丈夫。ハリーとは話してみたかっただけだから」

 

 トムは最後にわずかに表情をやわらげた。

 

「君は僕を切り捨てようとはしなかった」

「切る……? どういうこと?」

「父親に引き渡したり、教師に突き出したり、友人に相談したりしようとはしなかった。危険だと知っていたはずなのに」

「そうだね」

「だから君のことは信頼している」

 

 そう言って、彼は静かに消えた。

 あとに残ったのは、秘密の部屋の冷たさと、奥で丸くなっているアルドゥスと、やたらと場違いな本棚だけだった。

 

 怒っているし、呆れている。でも、それだけで終われないくらい、もう一緒に隠しごとをしすぎた。

 

 

 

 *

 

 

 

 入り口がスリザリン寮にあるという理由で、ハリーたちは女子トイレからわざわざ秘密の部屋に来なくてはならなかった。最初はハリーとロンは嫌がるかと思ったが、どうやらポリジュース薬を作るのによく利用していたらしく、そこまで抵抗感はなかったようだ。

 ハリーはほぼ毎日、ロンとハーマイオニーはハリーと一緒に週に4回くらいのペースで秘密の部屋に来るようになった。ドラコはルールに則ってわたしが行くときにはついてくる。

 

 

 図書室の隅で、ハーマイオニーが秘密の部屋暫定管理規約の清書版を机いっぱいに広げていた。

 

「第五条の文言、少し変えるわ。“他言しない”だけだと曖昧すぎるもの」

「十分わかるだろ」とロンが言う。

「普通の人間は“バジリスクの話を外でしない”で通じるんだよ」

「普通じゃない人がいるから細かく書くの」

 その視線がわたしに向く。

「ひどい」

「事実だろ」とロン。

 

 ハリーは羊皮紙をのぞき込んでいた。

 

「この“単独入室禁止”って、誰が誰を見張るかも決めた方がよくない?」

「見張るって言い方やめてよ」

「じゃあ監督」

「もっとやだ」

「どっちにしろ必要だろ」とドラコが言った。

「マインを一人で行かせたら、次は本棚じゃ済まない」

「失礼だなあ」

「失礼じゃない。実績だ」

 

 ハリーが小さく笑った。

 

「それはそう」

「ハリーまで!?」

 

 その時、棚の向こうから上級生のひそひそ声がした。

 

「最近、ポッターってマルフォイと変に一緒にいるよね」

「どのマグル生まれを殺してるか相談してるんだろ」

「どっちもろくでもなさそう」

 

 ロンが顔をしかめるより先に、ドラコが本を閉じた。

 

「聞こえているぞ」  

 

 声は低かった。

 上級生たちは気まずそうに去っていく。

 

 ロンが目を丸くした。

 

「マルフォイがハリーを庇った」

「うるさい」

 

 ドラコは不機嫌そうに言った。

 

「ありがとう」

 

 ハリーが素直にお礼を言うと、ドラコは顔をしかめる。

 

「感謝するな。気持ち悪い」

「お礼言っただけなのに!」

 

 ハーマイオニーがため息をつく。

 

「はいはい、そこまで。続きやるわよ」

「前より仲良くなった?」

「よくない!」  

 ドラコとハリーの声がきれいに重なった。

 ロンが天を仰いだ。

 

「そこだけ息ぴったりなんだよなあ、お前ら」

 

 

 秘密を共有したからといって、急に仲良くなるわけではなかった。

 むしろ逆だ。

 ハリーたちは秘密の部屋を知ってしまったせいで、前よりずっとわたしのことを見張るようになったし、わたしはわたしで、前よりずっと好き勝手がしづらくなった。

 そのうえ、体調まで妙に崩れ始めた。

 最初は寝不足かと思った。次はただの疲れだと思った。でも、授業で呪文の出力が急に強くなりすぎたり、変身術で一足のスリッパからレッサーパンダを何匹も作ったり、廊下の移動中にふらついてそのまま医務室へ運ばれたり、さすがに「ちょっと調子が悪い」で済ませるには無理があった。

 寝込む日も増えて、ドラコには心配され、スネイプ先生には「最近の君は魔力の暴れ方が荒すぎる」と嫌なほど正確に指摘された。

 わたしとしては大変不本意だったけれど、春先のわたしは、秘密の部屋の管理と一緒に自分の魔力まで管理しなければならない状態になっていた。

 

 一方で、ハーマイオニーは秘密の部屋対策に本気だった。

 あの日その場で作った「秘密の部屋管理規約」は、その後ほんとうに清書され、写しまで作られた。単独入室は禁止。アルドゥスの目隠しは維持。餌やりは記録をつける。書庫化作業は一時停止。次に被害が出た場合は即報告。

 最後の一文だけ、読むたびにちょっと胃が痛い。

 ロンは相変わらず文句ばかり言っていた。

「何で僕がバジリスクの生活環境を心配しなきゃいけないんだ」とか、「秘密の部屋を共同管理してる時点で人生の道を間違えた気がする」とか、だいたいその手のことを毎回言う。

 でも、文句を言いながらも一緒に来るあたり、根はまじめなのだと思う。

 ハリーは、アルドゥスとまともに蛇語で話せる唯一の人間として、気づけば秘密の部屋の空気をだいぶ変えていた。

 最初は「かわいそうだから秘密にしよう」くらいの同情だったのに、そのうち本当にアルドゥスの言い分を聞いてやるようになって、餌の量の相談まで始めた。

 そのせいで、ロンはますます「お前ら何なんだよ」と頭を抱えることになった。

 ドラコはドラコで、最初のころはずっと機嫌が悪かった。

 父への報告、わたしの監視、ハリーたちとの秘密共有。どれもこれも、本来なら自分の人生に存在しないはずの面倒ごとばかりだ。

 それでも、気がつけば「ハリー、そこは違う」とか、「ロン、お前はうるさい」とか、前よりずっと自然に名前で呼ぶようになっていた。

 仲がいいわけではない。でも、少なくとも同じ秘密を知っている人間同士として上手くいっていた。

 わたしにとっていちばん意外だったのは、ハーマイオニーとドラコの相性が、管理規約と目録作成に関してだけ妙によかったことだ。

 二人とも細かい。細かいうえに、片方は融通が利かず、もう片方は感じが悪い。

 見ていて気持ちのいいものではないけれど、仕事だけは早かった。

 

 学期末が近づくと、秘密の部屋の話題はだんだん下火になり、クィディッチの話題が大広間の空気を明るくした。朝食の席に着くなり、あちこちで試合の話が飛び交っていた。

 グリフィンドール対スリザリンの決勝戦が近づいてきたからだ。

 

「やっと再戦だな」

 

 ドラコが珍しく、朝から少し機嫌のいい顔をしていた。

 

「今度こそハリーに取らせない」

 

 向かいのグリフィンドール卓からロンの声が飛んでくる。

 

「ねえ、あいつ朝からやる気満々なんだけど」

「ドラコだから」とハリー。

「それで説明になるの?」

「調子いいのは今だけだ」

 

 ハーマイオニーはその会話をよそに、期末テストの試験対策に明け暮れているようだった。大量の本が近くに積み上がっている。

 

 スリザリン卓では、クィディッチ組がさっそく集まっていた。フリントが大きな声で何かを言い、他の選手たちが騒いでいる。いつものことだが、あの人の声は壁を抜ける。

 

「ビーターが出られなくなった」

「何で」

「腕を痛めたらしい」

「決勝前だぞ」

「でも代わりを入れれば」

「そんな都合よくビーターが湧くか」

 

 その時、ちょうどスリザリン卓の端を通りかかったのはフェルディナンドだった。

 フリントの目が光った。

 

「フェルディナンド」

「やらない」

「まだ何も言ってない」

「言わなくても分かる」

 

 即答だった。フェルディナンドは露骨に面倒そうな顔をしていたが、フリントはお構いなしに肩を掴んだ。

 

「一試合だけだ」

「嫌だ」

「ビーターが一人足りない」

「気の毒だな」

「飛べるだろ」

「飛べる」

「じゃあ出ろ」

「飛べるのと出るのは別だ」

 

 会話が早い。フェルディナンドは嫌そうな顔を隠そうともしない。

 ドラコが口を挟む。

 

「フェルディナンド先輩、出てくださいよ」

 

 フェルディナンドがちらりとこちらを見る。

 

「お前は気楽に言うな」

「決勝なんですよ!」

「だから嫌なんだ」

 

 本人は本気で嫌そうでフリントから遠くの席に移動しようとする。だがフリントは、そこで初めて切り札を出した。

 

「ディタニーの生株が二株」

 

 フェルディナンドの足が止まった。

 

「加えて毒触手草」

 

 フェルディナンドがゆっくり振り返る。

 

「質は?」

「悪くない」

「“悪くない”は信用できない」

「スネイプに見せても文句は言われない程度だ」

「そこそこ良いものを手に入れたようだな……ふむ」

 

 フェルディナンドはしばらく黙っていた。その沈黙の間、フリントは追い打ちをかけない。そこだけ妙に老獪で腹が立つ。

 やがてフェルディナンドは、ひどく不本意そうな顔で言った。

 

「……条件がある」

「言ってみろ」

「今回が最後だ」

「仕方ないがそれでもいい。他には?」

「出るなら勝つ」

「当然だ!」

「作戦とチームメンバーを教えろ」

 

 その声は静かだったけれど、卓の近くにいた何人かがぴたりと黙るくらいには威厳があった。

 母が前に教えてくれたが、フェルディナンドはブラック家の当主だ。普段の面倒くさそうな顔の奥に、たぶんそういう種類の当たり前がある。

 フェルディナンドは続けた。

 

「中途半端に入る気はない。出るなら相手シーカーの進路を確実に潰す」

 

 ドラコは口元を少し上げる。  

 フリントはもう勝ったような顔をしていた。ビーターの穴が埋まっただけじゃない。明らかに、もっと良い形で埋まったからだ。

 フェルディナンドは最後にフリントに薬草の受け渡し時期をきっちり確認してから、事務的に言った。

 

「じゃあ今回だけだ」

 

 言葉は淡々としているのに、決まった瞬間の空気だけが妙に重い。

 ドラコは満足そうだった。

 わたしは小さく瞬きをした。

 ああ、これ。たぶん試合が始まる前から、もうだいぶ嫌な予感しかしないやつだ。

 

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