本好きの魔女、闇の帝王を読書仲間にする。   作:bookworm

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22話 継承者の秘密は明かせない

 

 最初に見えたのは、白い天蓋だった。

 次に見えたのは、白いカーテン。白い枕。白いシーツ。白ばっかりで、読書向きではない。あまりにも読みどころがない景色だった。

 

「……医務室かあ」

 

 呟くと、喉が少しだけ掠れた。

 

「久しぶり」

 

 聞き慣れた声がして、わたしは勢いよく顔を横へ向けた。勢いよく向けたせいで、すぐに少しくらくらした。

 

 ベッド脇の椅子に腰掛けて、トムがこっちを見ている。いつものように、感じが悪いくらい整った顔で。輪郭は少し薄い。でも、前にハリーのところへ行っていた時よりは、ずっとはっきりしていた。

 

「……戻ってきたの」

「戻ってきたよ」

 

 トムは静かに言った。

「君が倒れたと聞いたからね」

「ハリーから?」

「そう」

「へえ」

 へえ、ではない。  

 たぶん、もっといろいろ言うべきだった。怒るとか、文句を言うとか、勝手に身体を使ったことを蒸し返すとか。なのに、目の前にトムがいるのを見た途端、そういう言葉が全部少しだけ遠のいた。

 代わりに、妙に身体が軽かった。

 さっきまで胸の奥にあったざわつきが、今はかなり薄い。熱っぽさも残ってはいるけれど、昨日までの、魔力が行き場を失って暴れている感じがずっと弱い。

 わたしはそこで、ようやく息を吐いた。

 

「……やっぱり日記に魔力を流してたから、少し楽だったんだ」

 

 トムは答えなかった。

 でも、黙っているということは、否定しないということだ。

 

「君の余剰魔力は、あの日記に流れることでかなり逃げていた」

 

 トムは指先を軽く組んだ。

 

「君の身体には過剰な魔力が多すぎる。そのまま閉じ込めておけば、不安定にもなる」

「じゃあ」

 

 わたしは顔を向けた。

 

「知ってたの?」

「だいたいは」

「何で言わなかったの」

「言ったら、君はもっと警戒しただろう」

「それはそうだけど」

「それに」

 

 トムは少しだけ目を細めた。

 

「僕も、君にとってどこまで必要なのか、正確には分かっていなかった」

 

 必要、という言葉が妙に引っかかった。

 腹が立つ。

 でも、完全には怒りきれない。

 だって、今まさに楽だからだ。

 

「仲直りのぎゅーを要求します」

 

 トムが黙った。

 完璧な沈黙だった。

 医務室は静かで、カーテンの向こうから誰かの寝息が聞こえるくらいだったのに、その沈黙だけ妙に大きかった。

 

「……何を?」

「だから、仲直りのぎゅー」

「聞き間違いであってほしかったんだけど」

「残念でした」

「君、起き抜けに言うことがそれかい?」

「どこまで必要なのか分からなかったとか言うから。生きるのに必須だと証明する」

「正気?」

「わりと」

「わりとな時点で駄目だろう」

 

 トムは眉を寄せた。心底嫌そうだった。実にいい気味である。

 

「君は今、僕に文句を言う流れじゃないのか」

「いっぱいあるよ」

「じゃあ先にそっちを処理したらどうだい」

「今はいいよ」

 

 トムはため息をついた。本当に大きく、呆れと諦めを同時に込めたため息だった。

 

「僕はそういう役ではないと思うんだけど」

「トムがいなくなって寂しかったんだよ」

 

 トムがわずかに目を細める。

 ああ、しまった、とちょっと思う。今のは少しだけ正直すぎた。もっとこう、勢いで押し切る予定だったのに、余計な本音が混ざった。

 でも、もう遅い。

 

「……君は」

 

 トムは言葉を切った。わたしは手をさらに少しだけ伸ばした。  

 熱のせいか、まだ少し身体が重い。腕もだるい。でも、それでも今言わないと、たぶんあとで悔しい。

 

「ほら」

「ほら、で済ませるのかい」

「急患なので」

「その理屈は初めて聞いた」

「……一回だけだよ」

「やった」

「まだ何もしていない」

 

 そう言いながら、彼は観念したように身を寄せた。

 そこで、わたしは遠慮なく抱きついた。

 わたしがトムを抱きしめると、彼はしばらく動かなかった。でも、完全に拒否している感じでもなかった。嫌そうではある。ものすごく嫌そうではあるけれど。

 

 トムはちゃんと実体のある男の子だった。体温を感じる。

 しばらく黙ってから、わたしはぽつりと言った。

 

「お父さまに帰ったら相談しようと思う」

 

 トムの眉がわずかに動く。   

 

「それはずいぶん思い切ったね」

「だって、もう誤魔化しきれないもん」

 

 わたしは毛布を少し握った。

 

「体調が悪いとか、寝不足とか、そういうので済ませるの、たぶん無理」

「君の父親が、どこまで知っているか分からないのに?」

「分からないから相談するんだよ」

「危険だ」

「分かってる」

 

 分かっている。すごく分かっている。でも、それでも、もう見ないふりでは済まない。

 

「日記に魔力を流すと少し楽だったことを言えば、トムと一緒にいるのを許してくれると思う」

「……なるほど」

 

 それ以上この話を続けると、たぶん本当に息が詰まる。

 だから、わたしはわざと話題を変えた。

 

「あ! 最近読んだ面白い本の話なんだけど」

 

 トムと最近読んだ本の話をして、しばらくするとトムは消えていった。

 でも、少しだけ日記のページが温かかった夜みたいに、医務室の空気が楽になった気がした。

 マダム・ポンフリーに「今日は絶対安静!」と言い渡されたあと、わたしは結局その日を丸ごと医務室で過ごした。絶対安静と言われても、本は読みたかったけれど、スネイプ先生にまで「読むな」と言われたので、さすがに諦めた。世の中は理不尽である。

 ただ、夕方には熱も下がり、魔力のざわつきもかなり収まった。トムがいるからだと気づいてしまったのは、少し悔しい。

 その日の夜、わたしは父宛ての手紙を書いた。

 黒い日記帳に魔力を流していた時期の方が安定していたこと、最近魔力の制御が悪化して倒れたこと、それらはちゃんと書いた。

 父は怒るだろう。たぶんすごく怒る。

 でも、怒られて済むなら、まだましだ。

 

 父から返ってきた手紙には「分かった。帰ったら話し合おう」とだけ書いてあった。本当に納得したのかは不明だった。

 

 それから先の数週間は、怒涛だった。

 学期末というのは、どうしてこう、教師も生徒も本気を出してくるのだろう。授業は詰め込まれるし、課題は増えるし、期末試験は普通にやってくる。

 医務室で寝込んだ数日を取り返すために、わたしは本気で勉強した。

 もともと本気ではあった。そこに「寝込んだ分を取り返す」が乗ったので、さらに本気になっただけだ。

 ドラコには「病み上がりでやる量じゃない」と怒られ、ハーマイオニーは大量の参考書を教えてくれた。ロンには「お前らって時々怖い」と引かれた。

 トムは、以前ほど長くは現れなかった。でも日記は戻ってきた。

 そして、日記が枕元にある夜は、やっぱり少しだけ眠りやすかった。

 それが癪で、でもありがたくて、だから余計に複雑だった。

 トムは勉強そのものにはほとんど口を出さない。ただし、わたしがうっかり凡ミスをすると、ものすごく嫌な声で指摘してくる。

 

『そこはさすがに気づけ』

『うるさい』

『その程度で一位を逃したら笑えないだろう』

『笑う気満々じゃん』

『もちろんだよ』

 

 ほんとうに感じが悪い。でも、その感じの悪さに少し助けられていたのも事実だった。

 

 試験の前日、廊下でハーマイオニーに捕まった。

 

「マイン、ちょっといい?」

「何」

「実技のことなんだけど」

 

 その言い方で、わたしは少しだけ身構えた。

 ハーマイオニーは一個上の学年だ。だからもう自分の経験として知っている。知っている人の「ちょっといい?」は、だいたい有益で、たまに痛い。

 

「あなた、実技でも普段みたいに魔力を絞るつもりでしょう」

「それはそうだよ」

 

 わたしは言った。

 

「普段から使いすぎると怒られてるし」

「普段はね」

 

 ハーマイオニーはぴしゃりと言った。

 

「でも試験は別よ」

 

 わたしは瞬いた。

 

「別?」

「別」

 

 ハーマイオニーは腕を組んだ。

 

「実技は、ちゃんと制御できているなら、出力が高い方が評価されるの。魔力をたくさん使ったら減点されるんじゃない。暴走したら減点されるの」

「……ほんとに?」

「ほんとに」

「そんな大事なこと、もっと早く言ってよ」

「あなたが普段、思いっきりやったら危ないからよ!」

 

 それはそうだった。

 あまりにもそうだったので、反論できない。

 わたしは過去の自分の前科をいくつか思い出し、黙った。

 フリットウィック先生が浮いたこととか、洗浄呪文で水流が大惨事になったこととか、だいたいろくでもない。

 ハーマイオニーはため息をついた。

 

「ローゼマイン、よく聞いて。実技のときは魔力のことなんて気にせず思いっきりやりなさい。いつも出力が多すぎるだけで効果は間違っていないんだから、思い切りやっても大丈夫よ」

「そんなこと言う人、初めて見た」

「試験だから言うの」

 

 彼女は真顔で言った。

 

「中途半端に抑えて精度が落ちる方がもったいないわ。あなたの場合、出力を削ることばかり考えて、かえって不安定になることがあるでしょう」

「……ある」

「でしょうね」

「そんな即答ある?」

「見てれば分かるもの」

 

 ハーマイオニーは少しだけ口元を緩めた。

 

「贅沢に使っていいのよ。ちゃんと使えるなら、それは長所なんだから」

 

 長所。

 その言葉が、妙に胸に残った。

 魔力はいつも、注意されるものだった。

 多すぎる。危ない。絞れ。抑えろ。気をつけろ。無理をするな。

 それは全部その通りで、全部必要な言葉だったけれど、「長所」と言われたことは、あまりなかった気がする。

 

 実技試験当日。最初の試験で、わたしは深呼吸した。

 課題は、パイナップルにタップダンスを踊らせること。

 いつもなら、ここでまず「絞る」を考える。

 水滴。ほんの少し。必要最低限。余計な出力はだめ。暴れたら終わり。

 でも今日は違う。

 試験官の前。

 評価される場。

 ちゃんと使えたら、加点になる。

 

 よし、と思った。

 わたしは杖を構えた。

 出力を絞ることは考えない。制御だけ考える。流れを散らさない。形を崩さない。

 でも、使う。きちんと、たっぷり。

 思う存分、贅沢に魔力を使った。

 

 呪文をかけた瞬間、パイナップルがぴたりと立ち上がった。

 次の瞬間、かっ、かっ、かっ、と机の上を軽やかに踏み鳴らす。

 ただ動くだけではない。リズムがある。ターンがある。跳ね方に緩急がある。葉の先までぴんと意志が通っていて、最後は舞台俳優みたいに一礼した。

 

 フリットウィック先生は楽しそうにケラケラ笑っていた。

 

 次の変身術でも、わたしは遠慮しなかった。

 課題は、ネズミを鼻煙入れに変えること。

 いつもなら、過剰出力を恐れてぎりぎりを狙う。

 でも今日は違う。きっちり形を取るだけの魔力を、惜しまない。

 杖先に魔力を集める。

 押し込むのではなく、満たす。

 絞るのではなく、支える。

 

 ネズミが消え、深緑色の鼻煙入れが机の上に現れる。

 蓋の蝶番まできれいに揃い、表面の艶も均一だった。装飾の縁取りまで滑らかで、わたしとしては「本型でもよかったのに」と少しだけ思ったが、試験なので仕方がない。

 マクゴナガル先生がそれを手に取り、開けて、閉じて、こちらを見た。

 

「見事です」

「ありがとうございます」

「出力が安定していますね」

 

 先生は淡々と言った。

 

「普段の授業でも、その水準でやりなさい」

「普段それをやると怒られます」

「暴走させるからです」

 

 でも、先生の目は少しだけ満足そうだった。

 その瞬間、分かった。

 ああ、そうか。

 魔力が多いこと自体が悪いんじゃない。

 扱えないことが悪いんだ。

 今までずっと「抑える」ことで生き延びてきたから、つい勘違いしていた。

 わたしの魔力は、ただ厄介なだけのものじゃない。

 きちんと使えれば、それははっきり武器になる。

 

 試験は終わった。

 その時点で、わたしはほとんど勝った気でいた。いや、正確に言うと「たぶん大丈夫」くらいだった。完全勝利を確信するほど傲慢ではない。たぶん。

 そして迎えた終業式の夜。

 大広間は飾りつけられていて、天井には夏の夕暮れみたいな色が浮かんでいた。先生たちも、生徒たちも、どこか浮き足立っている。終わる時のホグワーツは、いつも少しだけお祭りっぽい。

 寮杯の発表ではクィディッチ杯の得点が大きく響いていた。スリザリンはフェルディナンドという災害級ビーターまで投入して決勝をもぎ取り、その勢いのまま寮全体の得点も積み上げていた。

 

「今年の寮杯は──スリザリン!」

 

 今度こそ、大広間が揺れた。

 緑と銀の歓声が弾ける。フリントがどこかで吠えていて、ドラコは心底満足そうに口元を上げた。ロンが「最悪だ」と言い、ハーマイオニーが「クィディッチの影響が大きすぎるのよ」と言い、ハリーは苦笑しながらも、どこか吹っ切れた顔をしていた。

 

 スリザリン卓のあちこちで杯が掲げられる。

 わたしはその光景を見ながら、ふと思った。

 誰も知らない。

 この勝利の裏で、地下に秘密の部屋があって、そこにバジリスクがいて、わたしが本棚を作って、闇の帝王の日記に魔力を流していたことを。

 それなのに、地上ではこうして、優勝して、祝って、笑っている。

 たぶん、少しだけ性格の悪い勝ち方だ。

 

 わたしは試験で2位と大差をつけて1位を取った。ほとんどの科目で1位を取ったが、唯一魔法史はアストリアに負けた。魔法史オタクが強すぎた。

 

 最終日、ホグワーツ特急は例によって騒がしかった。

 

 わたしはコンパートメントの窓際に座っていた。ドラコは向かいで、試験結果をもう一度読み返している。彼は初めて魔法薬学でハーマイオニーを追い抜いて1位を取ったらしい。口では「まあ当然だ」と言っていたが、耳が少し赤かった。

 ドラコはそれからわたしの試験結果を見て、これまでで一番褒めちぎってきた。

 

「首席おめでとう」

 

 ハーマイオニーが通りがかりにそう言った。 

 

「ありがとう、ハーマイオニーもおめでとう」

「寮杯は悔しいよ」

 

 ハリーも後ろから声をかけてくる。

 

「知ってる」

 

 わたしが言うと、ハリーは少し笑った。

 

「来年はグリフィンドールが取るから」

 

「どうだか」

 

 ドラコがふんと鼻を鳴らす。

 

「感じ悪いなあ」

「うるさいぞ」

 

 ロンが後ろから顔を出す。

 

「何でお前ら、名前で呼び合ってんのにずっと嫌味なんだよ」

「それが普通になっちゃったからじゃない?」とハーマイオニー。

 

「あなたたち、いつからそんなにグリフィンドールと仲良くなったの?」

 

 ダフネが別のコンパートメントへ行くハリーたちを見て不思議そうに言った。後ろにはアストリアもいる。

 

「ずるいです、わたしもグレンジャーさんと話してみたかったのに」

 

 アストリアがむくれてわたしの隣に座った。

 

「今度紹介するよ」

 

 トムは出てこなかった。でも、鞄の奥にある日記の気配だけは分かる。

 話さなくても、いるのが分かるのは少し不思議だ。  

 

 汽車がキングズ・クロス駅に着いた。

 ホームに降りると、夏の空気がどっと押し寄せてくる。終業式の後の駅は、行きよりもずっと騒がしい。親たちの声、トランクの音、ふくろうの鳴き声、あちこちで再会の歓声。

 その中で、わたしは一目で父を見つけた。

 いや、見つけたというより、目立ちすぎていた。

 整えられた金髪。冷えた灰色の目。そして、今まで見たことがないくらい不機嫌な顔。

 父はホームの少し奥で腕を組んだまま立っていた。  母はいない。父だけだ。

 それだけで、だいぶ嫌な予感しかしない。

 

「……うわ」

 

 ドラコがが小さく言った。

 

「怒ってるなあ」

「すごく怒ってるね」

「あの顔は、完全に知ってる時の顔だ」

「何を」

「面倒なことを」

 

 もっともである。

 父はまっすぐこちらへ歩いてきた。周囲のざわめきが、ほんの少しだけ遠のいた気がした。

 

「ドラコ」

 

 父はまず兄の名を呼んだ。

 

「父上」

「1年間ご苦労だった」

 

 短い。

 そして、その次に向けられた視線が、わたしに刺さる。

 

「ローゼマイン」

「はい」

「家で話を聞こう」

「どの話?」

 

 聞き返した瞬間、父上の目が細くなった。  

 まずい。これはまずい。

 

「全部だ」

 

 その一言だけで十分だった。

 秘密の部屋。

 黒い日記。

 魔力のこと。

 たぶん、その全部が、今夜の食卓で問われる。

 わたしはそっと鞄を抱え直した。

 その奥で、黒い表紙が静かに沈んでいるのが分かる。

 

 父の怒った顔を前にして、わたしは小さく息を吐いた。

 秘密の部屋は、最後まで秘密のままだった。

 けれど、秘密というのは守り切れば終わりではない。

 守り切ったあとで、たいていもっと面倒になる。

 ──わたしの一年目は、どうやら最後まで、そういう年だったらしい。

 





秘密の部屋編、まだちょっと続きます!
次話はマルフォイ家の家族会議②です。
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