本好きの魔女、闇の帝王を読書仲間にする。   作:bookworm

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27話 避難所を作ろう

 

 医務室から解放された翌日、わたしはまっすぐ図書室へ向かった。

 吸魂鬼がホグワーツ特急に乗り込んできた、という事実だけで、学校全体の空気は妙に落ち着かない。廊下では誰もが小声でシリウス・ブラックの名前を口にし、談話室では「本当に学校に来るのか」「どうやって入るのか」と不安と憶測が飛び交っている。

 そういう時にどうするか。

 決まっている。図書室へ行くのだ。

 人にはそれぞれ避難場所がある。わたしにとっては本棚の前である。非常に文化的だと思う。

 図書室の扉を開けると、ハーマイオニーはすでにいた。

 やっぱり、と思う。こういう時に図書室へ来ないハーマイオニーなんて、もはやハーマイオニーではない。

 

「ローゼマイン!」

 

 ハーマイオニーが小声で手を振った。

 

「もう大丈夫?」

「昨日よりはだいぶまし」

「昨日よりは、って言い方がもう不安だわ」

「最近みんなそればっかり言う」

「だって少し白いもの」

「元が白いんだけど」

「今日はもっと白い」

 

 反論しづらい。

 どうしてみんな、人の顔色にだけは異様に詳しいのだろう。

 わたしは向かいに座って、本を机に置いた。

 そして、言おうと思っていたことを切り出す。

 

「ハーマイオニー」

「何?」

「魔法書研究会に入らない?」

「魔法書研究会?」

「本好きが本を読み、語り、必要なら整理し、さらに必要なら調べ物もする、健全で文化的な集まりだよ」

「だいぶあなたの都合で説明してない?」

「気のせいだよ」

 

 ハーマイオニーは少し考えてから、机に頬杖をついた。

 

「他に誰が入るの?」

「アストリアはかなり乗り気。ルーナも誘ったら入るって言ってた」

「ルーナ・ラブグッド?」

「うん。クィブラーを読んでた子」

「……だいぶ個性的な会になりそうね」

「本好きなら大歓迎だよ」

「そこだけは一貫してるわね」

 

 ハーマイオニーは少し笑って、それから頷いた。

 

「私も入るわ。ちょうど調べたいことがあったの」

「ほんと?」

「ええ。ロンのお父さんが言っていたらしいの。シリウス・ブラックがアズカバンで、寝言みたいに『あいつはホグワーツにいる』って繰り返してたって」

「ホグワーツに?」

「そう。だから、ハリーを狙ってるんじゃないかって。ほら、あなたたちもブラックがハリーを狙ってるって言ってたでしょう?」

 

 わたしは少し息を止めた。

 十分いやな話だ。寝言でまで不穏なの、やめてほしい。

 

「わたしも聞いちゃったんだ」

「何を?」

「駅で、お父さまとお母さまがフェルディナンド先輩に“絶対に自分からシリウス・ブラックを探すな”って言ってた」

「それで?」

「先輩、“あいつだけは殺さないといけない”って」

 

 ハーマイオニーが目を見開いた。

 

「それは、だいぶ穏やかじゃないわね」

「穏やかさが一粒もなかったよ」

 

 少し沈黙が落ちた。

 図書室は静かだ。でも、その静けさの底にも、昨日からのざわつきが沈んでいる気がした。

 

「ハリーのためにも」

 

 ハーマイオニーが言った。

 

「シリウス・ブラックが何者なのか、ちゃんと知った方がいいわね」

「うん。敵を知るのは大事だよ」

「ずいぶん実戦的なことを言うのね」

「だって、ただ怖がってるだけじゃ本も読めないし」

「そこなのね」

「そこだよ」

 

 大事なことだ。

 怯えているだけでは頁は進まない。頁が進まないのは困る。

 

「ハリーやロンも誘う?」

 

 わたしが聞くと、ハーマイオニーは少し首を傾げた。

 

「魔法書研究会そのものに入るかは微妙ね」

「まあ、そうかも」

「でも、“シリウス・ブラックについて調べる”って名目なら、参加してくれると思うわ。少なくともハリーは放っておけないでしょうし、ロンも結局ついてくるもの」

「それは分かる」

「でしょう?」

「じゃあ」

 

 わたしは机の上で指を組んだ。

 

「魔法書研究会の最初の活動は、シリウス・ブラックについて調べることにしよう」

「賛成よ」

 

 ハーマイオニーはきっぱり言った。

 

「新聞記事、裁判記録、ブラック家の記事、できればアズカバン関連の資料も」

「あと家系図」

「そこは少しあなたの趣味が入ってる気がする」

「気のせいだよ」

「その台詞、本当に便利に使うわね」

 

 こうして、魔法書研究会は設立された。

 会員候補、ハーマイオニー、アストリア、ルーナ、場合によってはハリーとロン。

 発足理由、読書と調査。

 ただし、一つ問題がある。  

 部活動の場所だ。

 

「図書室を活動場所にしたいなら、マダム・ピンスの許可がいるわ」

 

 ハーマイオニーが言う。

 

「どうするの?」

「仲良くなる」

「簡単に言うわね」

「司書は本の話をすると心を開くはず」

「理屈としては分かるけど、相手はマダム・ピンスよ?」

 

 そのマダム・ピンスは、ちょうど少し離れた棚の前にいた。

 相変わらず、図書室でうるさくした生徒を一瞬で察知して飛んでくる人である。生徒人気は高くない。むしろ、だいぶ低い。だって怖いし。

 でも、司書というのは本に対して真剣だ。

 そこに賭ける価値はある。

 というか、賭けるしかない。

 わたしたちは返却本の整理を手伝うふりをして、自然な流れでマダム・ピンスに近づいた。

 自然だったかは少し怪しいけれど、少なくともわたしは自然のつもりだった。たぶん大丈夫。たぶん。

 

「マダム・ピンス」

 

 わたしはできるだけ真面目な顔で言った。

 

「この棚、棚札の順番と実際の配列が少しずれてます」

「知っているわ」

 

 マダム・ピンスは乾いた声で言った。

 

「昨夜、慌てた生徒が戻し方を間違えたの」

「では昨夜の時点で気づいていたんですね」

「当然でしょう」

 

 さすがである。

 ちょっとかっこいい。

 

「すごいです」

「……何が?」

「返却後の配列の乱れを一晩で把握してるところです」

「司書なら当然よ」

「そうですけど、当然を当然にできるのはすごいことです。わたしも実はあなたみたいな司書になりたいんです」

 マダム・ピンスがほんの少しだけこちらを見た。

 おっと。今ちょっと効いた気がする。

 

 そこからは早かった。

 棚の並び順、目録の作り方、装丁の傷みやすさ、湿気対策、古い新聞の綴じ方。話題を振るたびに、マダム・ピンスの返答は少しずつ長くなっていった。

 ハーマイオニーが途中からびっくりした顔をしていた。わたしも少しびっくりしている。司書は本の話になるとちゃんと話してくれるのだ。真理である。

 

「つまり、頁を折る生徒は敵です」

 

 わたしが力を込めて言うと、「その通りよ」とマダム・ピンスは即答した。

 

「それから、食べかすを挟む者も」

「いますよね、そういう人」

「信じがたいことにいるのよ」

「最低ですね」

「最低だわ」

 

 その瞬間、たぶんわたしたちは少し分かり合えた。  本を雑にする者への敵意は、人を繋ぐ。

 最終的にマダム・ピンスは、「静かにすること」「本を雑に扱わないこと」「禁書に勝手に近づかないこと」という条件つきで、図書室の一角を魔法書研究会の活動場所として認めてくれた。

 本の話だけでここまで距離が縮まるとは思わなかった。司書は偉大だ。あと、褒めるポイントを間違えなければ意外と話が通る。

 

「あなた、本のことになると妙に人たらしになるわね」

 

 マダム・ピンスの背中が遠ざかってから、ハーマイオニーが言った。

 

「本への愛は人を動かすんだよ」

「今のはちょっと名言っぽかったけど、だいぶ偏ってるわ」

 

 その日の放課後、わたしは久しぶりに秘密の部屋へ行った。

 ハーマイオニーも、ロンも女子トイレ経由で来た。ハリーは早くもクィディッチの作戦でウッドに呼び出されており、蛇語で部屋を開けるのはロンがやったらしい。

 いつの間にか二人とも、『開け』だけでなく簡単な日常会話なら蛇語で分かるようになっていたし、ロンに至っては文法はだいぶ怪しいのに、発音が良いのでなぜか意味だけは通るようになっていた。語学って不思議だ。

 入口を開けて中へ入ると、ひんやりした空気の向こうに、見覚えのある巨大な影がいた。

 

「……あれ?」

 

 わたしは思わず立ち止まった。

 

「アルドゥス、ちょっと丸くなってない?」

 

 ちょっとではない。だいぶだ。

 以前より確実に胴が豊かである。蛇の豊かさというのがどういう概念なのかは分からないけれど、少なくとも「太った」は言える。言えてしまう。

 アルドゥスはのっそりと頭を持ち上げた。

 

『おなかすいてない』

 

 蛇語でそう言った。

 その発言だけで、だいたい事情は察せられる。

 

「……ドビー?」

 

 わたしが呼ぶと、ぱちん、と小さな音がしてドビーが現れた。

 

「ドビーは、ローゼマインお嬢さまたちのお言いつけ通り、テスト期間のころからせっせと餌やりをしておりました」

「うん、それは知ってる」

「アルドゥスさまが“まだ食べられる”という雰囲気を出してらっしゃったので」

「ご飯をあげ続けていたと?」

 

 ドビーは口をぎゅっとしめた。

 ものすごく、もう何も言うまい、という顔である。賢明だ。

 

「甘やかしたわね」

 

 ハーマイオニーが小声で言う。

 

「だいぶ」

 

 ロンも言う。

 

「でも、ほら。元気そうだし」

 

 わたしが言うと、「そこを元気で片づけていいの?」とハーマイオニーに真顔で返された。

 だめかもしれない。

 アルドゥスは床に頭をこすりつけた。

 丸い。前より確実に丸い。

 つやもいい。ドビー、ずいぶん丹念に育てたな。

 

「かわいいね」

「その感想でいいの?」

 

 ロンが聞く。

 

「少なくとも空腹で機嫌が悪いよりはいいよ」

「まあ、それはそうだけど」

「でも、食事管理は見直した方がいいわ」

 

 ハーマイオニーがきっぱり言った。

 

「これ、飼育記録をつけるべきよ」

「もうつけてる」

 

 奥から声がした。

 トムだった。

 いつの間にか本棚の脇に立っている。相変わらず気配が薄い。司書としての適性が変な方向に高い。

 

「あなた、ここで何してるの?」

「トムを司書兼給餌係として雇ったんだ。授業中にアルドゥスのお世話をしてくれるよ」

 

「給餌回数、量、体調、脱皮の時期」

 

 トムが淡々と続ける。

 

「最低限は記録している」

「ほんとに司書兼餌やり係だ」

 

 ロンが呟く。

 

「本人が引き受けたから」

 

 わたしが言う。

 

「少なくとも、記録をつける人材は貴重だもの。歓迎するわ」

「それ、ずいぶん実務的な歓迎のされ方だね」

 

ロンが口を挟む。

 

「わたしは好きだよ」

 

 トムが薄く笑った。

 それからわたしたちは、本棚の前で少し真面目な話をした。

 吸魂鬼が校内に入ってきた以上、秘密の部屋は単なる書庫予定地では済まない。いざという時の避難場所、シェルターとして運用した方がいいのではないか、という話になったのだ。

 

「静かで、人目につかなくて、ある程度の本もある」

 

 わたしが指を折る。

 

「あと巨大な蛇もね」

 

 ロンが付け足した。

 

「そこは長所として扱っていいのかな」

 ハーマイオニーは机に羊皮紙を広げた。

 

「必要なのは、毛布、灯り、水、非常食、あと最低限の薬ね」

「本も」

 

 わたしは言った。

 

「本は非常時の必需品だよ」

「あなたの場合はそうでしょうね」

「え、違う?」

「違わないけど、一般化はしない方がいいと思う」

「じゃあ、一般向けじゃなくてわたし向けの必需品」

「それは認める」

 

 わたしは少し身を乗り出した。

 

「ところで」

「嫌な予感がするわ」

 

 ハーマイオニーが先に言った。

 

「去年、平和に済んだから本をもう少し増やしてもいいかな」

「条約があるでしょう」

「去年の条約は去年の状況を前提にしてるから」

「すごい理屈ね」

「シェルター運用なら資料の充実は必要だよ」

「ものすごくそれっぽく言うけど、要するに本を増やしたいだけでしょう」

「否定はしない」

 

 ハーマイオニーは深くため息をついた。

 でも、その顔は完全拒否ではなかった。いける。これはいける顔だ。

 

「上限は?」

「慎重に考えたい」

「具体的に」

「今の1.5倍」

「多い」

「じゃあ1.3」

「多い」

「1.2」

「……」

「1.2」

「いいわよそれで」

 

 ハーマイオニーは羊皮紙を引き寄せ、去年作った持ち込み制限の条約を書き換え始めた。

 なんだかんだで優しい。たいへんありがたい。

 

「ただし」

 

 彼女が言う。

 

「目録を作ること。勝手に危険な本を持ち込まないこと」

 

「そこに関しては僕が管理するから任せてくれ」

 

トムが自信ありげに言う。

 

「避難用物資の邪魔になる積み方をしないこと」

「はい」

「あと、アルドゥスの動線を塞がないこと」

「そこ大事だね」

 

 ロンが真顔で言った。

 たしかに大事だ。太った蛇の進路は確保しないといけない。

 ドビーはその横で、なおも口をぎゅっとしめていた。  たぶん「本を増やす」も「秘密の部屋をシェルターにする」も、何もかも思うところはあるのだろう。でも今のドビーは、もう何も言うまい、と決めた顔をしている。  賢明である。

 

「これでいいわ」

 

 ハーマイオニーが新しい条約を差し出した。

 わたしは勢いよく署名した。

 

「やった」

「そんなに嬉しい?」

「嬉しいよ」

 

 トムがその羊皮紙を覗き込み、静かに言った。

 

「よくできた管理規約だ」

「でしょう」

「君たち、秘密の部屋で何を目指してるの?」

 

 ロンが聞く。

 

「安全で快適な書庫兼避難所」

「すごく分かるようで分からない」

「わたしには分かる」

 

 ハーマイオニーが言った。

 

「ローゼマインの理想郷なんじゃない?」

「かなり近い」

 

 アルドゥスが満足そうに鎌首をもたげた。

 

『ひろい。あたたかい。ごはん多い』

『アルドゥスの理想郷でもあるんだね』

『いいところだ』

『それはよかった』

 

 今年のホグワーツは、たぶん去年よりもっと騒がしい。  シリウス・ブラックのことも、フェルディナンド先輩のことも、調べなければいけない。ハリーのためにも、わたしたちのためにも。

 でも、その一方で。

 図書室には魔法書研究会の場所ができて、秘密の部屋にはシェルター運用の計画ができて、司書と餌やり係まで正式に配置された。

 世界が少し危うい時ほど、本棚を増やして備えたくなるのは、たぶんもう性分なのだと思う。

 

「じゃあ、次はブラックの記事の続きね」

 

 ハーマイオニーが言った。

 

「あと、アズカバンについても。なぜ脱獄できたのかとっても気になるわ」

「わたしが気になるのは、シリウス・ブラックがなぜ“ホグワーツにいる”と言ったのかかな。ハリーがいるって何で知ったのか気になるし」

「よくそんなに気になることがポンポンでてくるね」

「ロン」

 

 ハーマイオニーが振り向く。

 

「あなたも手伝うのよ」

「えっ、僕も?」

「当然でしょ」

 

 わたしが言うと、ロンは心底不満そうな顔をした。

 でも、いつものことなので誰もあまり気にしなかった。

 少しだけ、わくわくしていた。

 危ないことが多い年ほど、調べることも増える。

 それは困るけれど、困るだけでは終わらない。

 少なくとも、わたしたちには本と場所と、読書仲間がいるのだから。

 

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