本好きの魔女、闇の帝王を読書仲間にする。   作:bookworm

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30話 危険生物飼育疑惑

 

 校長室という場所は落ち着かない。

 入口の石像は勝手に動くし、階段はぐるぐる回るし、部屋に入れば歴代校長たちの肖像画がこちらを見ている。見すぎである。そんなに小さい二年生が珍しいのか。珍しいんだろうな。知ってる。

 わたしは椅子に座り、膝の上で手を握っていた。

 隣にはルーピン先生。少し離れたところにダンブルドア先生。向かいには、見慣れない年配の魔法使いが座っている。

 少し乱れた髪に、旅慣れた古いコート。目はやさしいけれど、普通の教師や役人とはまるで違う。森の奥にいる生き物まで見てきました、という雰囲気がある。

 ダンブルドア先生は、その人へ穏やかに手を向けた。

 

「ローゼマイン。今日は、専門家に来てもらっておる。ホグワーツに正体不明の魔法生物が現れたと聞いての」

 

 年配の魔法使いは、少し気まずそうに微笑んだ。

 

「ニュート・スキャマンダーだよ」

 

 わたしは瞬きをした。

 ニュート・スキャマンダー。

 ニュート・スキャマンダー、ってもしかして。

 

「……えっ」

 

 間抜けな声が出た。

 

「『幻の魔法生物と生息地』の!?」

 

 知らないわけがない。言わずと知れた超有名作だった。

 魔法生物の話を読むのが好きでなんども読み込んだ。

 

「そうだけど」

「大好きな本です!」

 

 緊張が一瞬で吹き飛んだ。仕方ない。好きな本の作者が目の前にいるのである。危機管理より先に感動が出る。これは人間として自然な反応だと思う。

 

「……ありがとう」

 

 ニュート先生は少し照れたように言った。

 ルーピン先生が小声で言う。

 

「マイン、きみは本当にぶれないね」

 

 ぶれないのは褒め言葉として受け取っておく。

 だが、喜んでばかりもいられなかった。わたしがここに呼ばれた理由は、かなり明白だったからだ。

 

 ダンブルドア先生が手を組み、やわらかな声で言う。

 

「さて。では、事情を聞こうかの、リーマス。どういう状況で、ああなったのか」

 

 ルーピン先生が説明を始めようとした、その時だった。

 校長室の扉が、かなり強く叩かれた。

 返事を待たずに開く。

 入ってきたのは父だった。

 ルシウス・マルフォイ。

 黒いローブを翻し、杖を手に、とても険しい顔をしている。怒っている。かなり怒っている。だが、その怒りはたぶん、わたしに向けられたものではない。

 

「ダンブルドア」

 

 父の声は低かった。

 

「息子が魔法生物飼育学の授業でヒッポグリフに傷を負わされたと聞いた」

 

 校長室の空気が、一瞬だけ変わった。

 ダンブルドア先生は穏やかに言った。

 

「ルシウス、久しぶりじゃのう」

「本人は軽症だと言っているそうだが、問題はそこではない」

 

 父は鋭く言った。

 

「危険な魔法生物を授業に出し、生徒を負傷させた。これを看過するつもりはない。ホグワーツの管理体制には以前から疑問が──」

 

 そこで父の言葉が止まった。

 視線が、わたしを捉えたからだ。

 次に、ルーピン先生を見た。

 ダンブルドア先生を見た。

 最後に、ニュート・スキャマンダーを見た。

 父の眉間に深いしわが寄る。

 

「……なぜお前がここにいる」

 

 嫌な沈黙が落ちた。

 わたしは目を逸らした。

 ダンブルドア先生が、静かに言った。

 

「実はのう、ルシウス。今日、別の魔法生物の件でも話を聞いておったところでな」

「別の魔法生物?」

 

 父の声がさらに冷えた。

 

「ええ」

 

 ルーピン先生が慎重に口を開いた。

 

「私の闇の魔術に対する防衛術の授業中に、少々問題がありまして」

「少々」

 

 父が繰り返した。

 よくない。父が言葉を繰り返す時は、だいたいよくない。

 ルーピン先生は続けた。

 

「まね妖怪への対処を教えていました。生徒たちに順番に実践させていたところ、マインがとっさにサーペンソーティアを使いました」

「蛇を呼び出す呪文か」

「はい。ところが、出てきたのが、その、普通の蛇ではありませんでした。かなり巨大な、蛇と言っていいのか分からない謎の生き物でした」

 

 父の視線が、わたしに戻る。

 痛い。

 物理的に痛いわけではないのに、痛い。

 ダンブルドア校長が髭を撫でた。

 

「サーペンソーティアは、そこまで大きな蛇を呼び出せるほどの呪文ではなかったと思うがの」

「私もそう思います」

 

 ルーピン先生が言う。

 

「わたしもそう思います」

 

 わたしも言った。

 だが出てきたのである。出てきたものは仕方がない。現実は理論に対して無遠慮だ。

 父は目を細めた。

 

「ローゼマイン」

「はい」

「何を出した」

 

 わたしは黙った。

 黙った時点で、だいたい負けている。

 ニュート先生が、責めるでもなく、確認するように言った。

 

「君は蛇語を話していたね」

「……はい」

「生まれつき?」

「いいえ。聞き取るのも、話すのも、自分で覚えました」

 

 その瞬間、ダンブルドア先生が珍しく目を瞬いた。

 

「独学で話せるようになるとはのう」

「はい」

「聞き取れる者はおっても、話せるようになるのは簡単ではない。わしは聞き取りはできるが、話すことはできんよ。そこにいるニュートもじゃ」

「校長先生でも?」

「万能ではないんじゃよ、残念ながら」

 

 そう言う校長先生は、少し楽しそうだった。楽しそうにしないでほしい。わたしの父の顔色は全然楽しくなさそうだ。

 ニュート先生はしばらく考え込んでから、静かに言った。

 

「そのバジリスクは、きみが飼っているのかい?」

 

 空気が止まった。

 父の表情も止まった。

 次の瞬間、ゆっくりと、父がニュート先生の方を向いた。

 

「今、何と?」

「バジリスクです」

 

 ニュート先生は、実に落ち着いていた。

 

「おそらく、かなり長く生きている個体でしょう。目を覆われていて、命令にも反応していました。栄養状態も悪くなさそうでした。むしろ昔アフリカで見たバジリスクより大幅に肥満気味でした」

「肥満気味のバジリスク」

 

 父が低く言った。

 わたしは小さくなった。

 

「ローゼマイン」

 

 父の声は静かだった。

 

「君はバジリスクを飼っていたのかね?」

 

 ダンブルドア先生が尋ねる。

 

「飼っていません。元から住んでいた子に、ご飯をあげていただけです」

「それを世間では何と言うのかね」

「……保護?」

「それは飼育では?」

 

 ルーピン先生が口を挟む。

 ひどい。いや、反論は難しい。

 ニュート先生が尋ねる。

 

「どこで見つけたの?」

「二階の女子トイレの下です」

「二階の女子トイレの下」

 

 ダンブルドア校長が繰り返した。

 

「はて、そんなところに」

 

 まずそこに引っかかるのか。いや、引っかかるか。

 その時、また校長室の扉が勢いよくノックされる。

 

「入りなさい」

 

「校長先生!」

 

 ハリーだった。

 息を切らし、髪をいつも以上に乱している。階段を駆け上がってきたのだろう。彼は部屋の中の顔ぶれを見て一瞬ひるんだが、それでもすぐに言った。

 

「マインは悪くないです!」

 

 これは分かる。すごくハリーだ。勢いだけで来て、まず友達を庇う。分かる。

 ただし、ハリーはこの授業を見ていたわけではない。

 闇の魔術に対する防衛術の授業は、わたしの学年の授業だった。ハリーたちはいない。だから、彼が知っているのは、秘密の部屋のことと、アルドゥスのことだ。

 つまり、この場で彼が庇おうとすると、もっとまずい話が出る。

 やめてほしい。

 

「わざとじゃないんです。マインは、その、前から……」

 

 ハリーはわたしの鋭い目を見て止まった。

 えらい。

 そこで止まったのはえらい。

 ルーピン先生が少し困ったように言った。

 

「ハリー。君は授業にはいなかったね」

「はい。でも、僕はマインが無実だと知っています」

 

 やめて。

 知っています、が一番怖い。

 ダンブルドア先生が穏やかに言う。

 

「ハリーや。君は何を知っておるのかね?」

 

 ハリーはわたしを見た。

 わたしもハリーを見た。

 たぶん、今のわたしの顔には「それ以上言わないで」と大きく書いてあったと思う。できれば太字で。赤字で。下線も引きたい。

 ハリーは迷った末に言った。

 

「マインは悪くありません。あの子も……その、悪いやつじゃないんです」

「あの子」

 

 父が繰り返した。

 やめてほしい。父が繰り返すと、言葉が罪状みたいになる。

 ハリーはさらに黙った。

 言わないようにしている。

 しているのは分かる。

 でも、言わないようにしていることが、ものすごく伝わってしまっている。

 これはこれで危ない。

 ダンブルドア先生は、しばらくわたしたち二人を見比べたあと、ゆっくり立ち上がった。

 

「ふむ。では、現地を見てみるとしようかの」

 

 終わった、と思った。

 いや、終わってはいない。まだ生きている。だが、秘密の部屋の入口に大人たちを案内する流れになっている。これはかなり終わり寄りである。

 父は、額に手を当てていた。

 

「私は、ドラコの件で来たはずなのだが」

「はい」

 

 わたしは小さく言った。

 

「なぜ娘のバジリスク飼育疑惑に立ち会っている」

「わたしにも分かりません」

「分からないのはこちらだ」

 

 本当にそうだった。

 行き先は、二階の女子トイレだった。

 女子トイレは、いつも通り湿っていた。

 ひび割れた鏡、古い洗面台、どこかから聞こえる水音。嘆きのマートルは姿を見せなかった。こういう時だけ空気を読むのはやめてほしい。いや、出てきても困るけれど。

 背後には、ダンブルドア校長、ニュート先生、ルーピン先生、父、そしてハリー。

 圧がすごい。

 ただ蛇語で「開け」と言うだけなのに、人生で一番嫌な発表会みたいになっている。

 

「ここなのかね」

 

 父が低く言った。

 

「……ここです」

 

 わたしは洗面台の蛇口を見た。

 見た。

 もう一度見た。

 

「……あれ?」

 

 蛇の刻印が、ない。

 あの小さな蛇の刻印が、きれいさっぱり消えている。まるで最初からただの古い蛇口だったみたいに。

 背中に嫌な汗が流れた。

 

「ローゼマイン」

 

 父の声がした。

 

「説明を」

 

 説明したい。

 わたしが一番説明してほしい。

 それでも、何もしないわけにはいかない。わたしは蛇口に向かって、蛇語で囁いた。

 

『開け』

 

 何も起こらなかった。

 もう一度。

 

『開け』

 

 水音だけがした。

 ハリーが不安そうにわたしを見た。

 

「前は開いたんです」

 

 わたしは言った。

 

「本当です」

「僕も知っています」

 

 ハリーが言う。

 

「マインは嘘をついてません」

 

 その言葉はありがたかった。ものすごくありがたかった。

 だが、状況としては、わたしたち二人が揃って同じことを言えば言うほど、逆に怪しくなっていく。

 

「ハリー、君は女子トイレに行ったことがあるのかい」

 

 ルーピン先生が聞いて、ハリーはハッとした顔になる。

 

 ルーピン先生が、慎重に口を開いた。

 

「状況を見るに、錯乱の呪文……という可能性もあります」

「錯乱?」

「判断や認識を混乱させる呪文だ。強くかけられれば、見たものや記憶の解釈が歪むこともある」

「歪んでません!」

 

 わたしとハリーの声が重なった。

 重なったせいで、さらに駄目だった。

 大人たちの顔が、少しだけ痛ましげになった。

 やめてほしい。

 その顔はやめてほしい。

 わたしたちは可哀想な子ではない。

 父が静かに口を開いた。

 

「つまり、私の娘とポッターは、何者かに錯乱の呪文をかけられた可能性がある、と」

 

 父は息を大きく吐いた。まだ取り返しがつきそうだと判断した顔をしている。

 

「この学校で、生徒二人が、『地下にバジリスクがいて、それに餌をやっていた』と思い込む錯乱呪文にかけられた。そういう理解でよろしいか、ダンブルドア」

 

 言い方。

 言い方が本当にひどい。

 

「思い込んでいたんじゃなくて、本当に──」

「ローゼマイン」

 

 父がこちらを見た。

 

「黙っていなさい」

 

 黙った。

 ハリーが小声で言う。

 

「でも、本当にいたよね」

「いたよ」

「餌も食べてた」

「食べてた」

「言えば言うほど不利になる気がしてきた」

「わたしも」

 

 ルーピン先生が複雑そうな顔でわたしたちを見ている。

 ダンブルドア先生だけが黙って洗面台を調べていた。蛇口、床、壁、配管。目を細め、指先でそっと空気に触れるようにしている。

 

「魔力の流れに、不自然な断絶があるのう。何かが隠されていた、あるいは隠された後のような」

 

 わたしはぱっと顔を上げた。

 

「じゃあ、入口はあったんですね?」

 

 ダンブルドア先生は困ったように微笑んだ。

 

「そこまでは言いきれぬ。ただ、君たちが全てを作り話している、とも言い切れない」

 

 少し救われた。

 でも、完全には救われなかった。

 ダンブルドア先生は、しばらく黙って洗面台を見ていた。

 その沈黙が長かったので、誰も口を開かなかった。水音だけが響いている。古い女子トイレの中で、校長先生と魔法生物の専門家と防衛術の先生と父とハリーに囲まれている。どうしてこうなったのだろう。

 わたしは本を探していただけなのに。

 本はなかったけれど。

 本当に、本はなかったけれど。

 

「ひとまず」

 

 ダンブルドア校長がようやく言った。

 

「二人には医務室で検査を受けてもらおう。記憶、認識、魔法的干渉の有無を確認する必要がある」

「わたしたち、本当に錯乱してません」

 

「分かっておるよ」

 

 校長先生は優しく言った。

 

「だが、分かるためにも調べねばならん」

 

 正論だった。

 正論は、たまにとても嫌な形をしている。

 

 父はわたしの目の前にしゃがみ、目線を合わせて小声で言った。

 

「ローゼマイン」

「はい」

「今後、地下の巨大蛇に餌をやった、などという話は軽々しく口にするな」

「でも事実です」

「事実と思い込んでいても、だ」

 

 父は深く息を吐いた。

 

「……本当に事実なら、なお悪い」

 

 それは本当にそうだった。

 ダンブルドア先生は、もう一度だけ蛇口を見た。

 それから、静かに言った。 

 

「しかし、気になるのう」

「何がですか?」

 

 ハリーが訊く。

 

「もし本当に、ここに何かがあったとして。もし本当に、それが今、開かぬようになっているとして」

 

 校長先生の青い目が、ゆっくりと細められた。

 

「それを閉じた者がおるということじゃ」

 

 水音が、やけに大きく聞こえた。

 誰も何も言わなかった。

 ダンブルドア先生は、少しだけ困ったように、けれどどこか遠くを見るように言った。

 

「本物のスリザリンの継承者がどこかにいるのかもしれぬのう」

 

 その瞬間。

 わたしの頭に、ひとりの名前が浮かんだ。

 

 知識があるとは言ったが、本棚があるとは言っていない、と詭弁を弄した少年。

 

 トムが何かやったんだ。

 

 胸の奥が、ひやりとした。

 





金曜日はいつも更新できないことが多いんですが、頑張りました。
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