本好きの魔女、闇の帝王を読書仲間にする。   作:bookworm

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31話 錯乱していません

 

 医務室へ向かう廊下は、妙に長く感じた。

 前を歩くのはダンブルドア先生。隣にはルーピン先生とニュート・スキャマンダー先生。少し後ろに父。さらにその横にハリー。そしてわたし。

 並びとしては、完全に引率されている。

 しかも理由が、体調不良ではない。

 秘密の部屋の入口が開かず、わたしとハリーが錯乱している可能性が出たからである。

 ひどい。

 いや、状況だけ見れば分かる。分かるけれど、ひどい。

 わたしはちゃんと本当のことを言っている。秘密の部屋はあった。アルドゥスもいた。餌もあげた。目も隠した。バジリスクは大きくて、よく食べて、まね妖怪も食べた。

 ……言えば言うほど不利になる気がしてきた。

 隣のハリーも、さっきから眉を寄せている。

 

「ハリー、大丈夫?」

「うん。大丈夫……だと思う」

「だと思う?」

「見たことは覚えてるんだ。でも、説明しようとすると、なんか変になる」

 

 ハリーは額を押さえた。

 

「君が悪くないのは分かってる。あの子も悪いやつじゃないって分かってる。でも、どう言えばいいのか……」

 

 いつものハリーなら、もっと勢いで言う。

 言っていいことと悪いことの区別が、やや危なっかしいくらい言う。

 それなのに、今のハリーは言葉の端がぼやけていた。

 それが、妙に怖かった。

 医務室の扉を開けると、マダム・ポンフリーがこちらを見て、まず深いため息をついた。

 

「またあなたですか」

「今日はまだ倒れてません」

「胸を張るところではありません」

 

 正論だった。

 そして、医務室の奥には、先客がいた。

 ドラコである。

 ベッドに座って、腕に包帯を巻かれていた。顔色は少し悪い。だが、意識ははっきりしているし、姿勢も普通だ。思っていたよりずっと元気そうだった。

 父の表情が、ほんの少しだけ変わった。

 安心したような、けれど完全には安心しきれないような顔だ。

 

「ドラコ」

「父上」

 

 ドラコは少し背筋を伸ばした。

 

「軽症だと聞いた」

「はい。大したことはありません」

 

 そう言う声は、少し強がっている。

 父は包帯を巻かれた腕を見た。次に、ドラコの顔を見る。

 

「痛むか」

「少しだけです」

「歩けるか」

「歩けます」

「腕は動くか」

 

 ドラコはほんの少し顔をしかめながら、指を動かしてみせた。

 

「動きます」

「ならよい」

 

 父は短く言った。

 だが、その声は完全に冷たいわけではなかった。

 本当に軽症だったと分かって、半分は安心している。けれど、その目はすぐにわたしの方へ移った。

 残り半分は、たぶんわたしへの不安でできている。

 マダム・ポンフリーは、わたしとハリーを順番に椅子へ座らせた。

 

「何があったかは聞いています。二人とも、じっとしていなさい」

「わたしは錯乱してません」

「それを調べるのです」

「ハリーも錯乱してません」

「それも調べます」

 

 反論できない。

 マダム・ポンフリーとルーピン先生が、わたしたちにいくつかの呪文をかける。淡い光が杖先から伸びて、頭や胸元をなぞるように揺れた。くすぐったいような、冷たいような、変な感覚がする。

 先に結果が出たのはハリーだった。

 

「ポッターには、錯乱の呪文の痕跡があります」

 

 マダム・ポンフリーが言った。

 

「強くはありません。時間が経てば抜けるでしょう。ただ、直近の出来事を説明しようとすると、混乱が出るかもしれません」

「だから変だったんだ」

 

 ハリーはほっとしたような、悔しそうな顔をした。

 

「僕、ちゃんと説明できなかった」

 

 次に、わたし。

 マダム・ポンフリーは眉をひそめた。

 嫌な間だった。

 

「マルフォイにも、同じ系統の痕跡があります」

「えっ」

 

 声が出た。

 

「わたしにも?」

 

「ええ。ただし、ポッターよりは薄い。でも、何かしらの干渉を受けた可能性はあります」

「でも、わたしは本当のことを」

「錯乱の呪文を受けた人間は、たいていそう言います」

「それ一番言われたくないやつです!」

 

 ドラコがベッドの上で、少しだけこちらを見た。

 

「……おまえ、今度は何をしたんだ」

「今度はって何」

「今度は、だろ」

 

 否定できないのが腹立たしい。

 父は、ものすごく深いため息をついた。

 

「つまり、ローゼマインとポッターは、何者かに錯乱の呪文をかけられていた可能性がある」

 

 ダンブルドア校長が静かにうなずいた。

 

「その可能性はあるのう」

「二人が、地下にバジリスクがいて、餌をやっていたと思い込まされていた可能性もある」

「あり得る話じゃ」

「思い込まされてません!」

 

 わたしは言った。

 

「アルドゥスは本当にいます!」

 

 ルーピン先生が目を閉じた。

 

「名前までつけている」

 

 ひどい。

 でも大人たちの空気は、まだどちらにも傾ききっていなかった。

 わたしとハリーが錯乱している可能性はある。

 でも、何かを見た可能性もある。

 その中途半端な宙ぶらりんが、一番落ち着かない。

 ニュート先生が、静かにトランクを床に置いた。

 

「念のため、私が確保したバジリスクを確認しましょう」

 

 父が眉を上げる。

 

「確保した?」

「ええ。私のトランク内に一時的に入れておいた」

 

 わたしはぱっと顔を上げた。

 

「アルドゥス!」

 

 生きている。

 ちゃんと確保されている。

 それなら話が早い。トランクの中にいるなら、幻覚ではない。錯乱でもない。少なくとも、アルドゥスが実在することは分かる。

 ニュート先生は、慎重にトランクを開けた。

 中を覗き込む。

 そして、穏やかな声で言った。

 

「いるね」

 

 医務室が、しんとした。

 その沈黙は、さっきまでのものとは違った。

 疑いの沈黙ではない。

 実在してしまった沈黙だった。

 ニュート先生は、トランクの奥を確認しながら続ける。

 

「目隠しは保たれていて、落ち着いている」

「本当に……いたのか」

 

 父が低く言った。

 声に、わずかな安堵はなかった。

 むしろ、事態が一段悪くなったのを理解した声だった。

 わたしは、少しだけ胸を張った。

 

「ほら」

「胸を張るな」

 

 父が即座に言った。

 

「これは君の正しさを証明したのではない。君がバジリスクと接触していた事実を証明しただけだ」

「……はい」

 

 それはそう。

 ニュート先生が、わたしの方を見た。

 

「ローゼマイン。これは幻覚ではない。間違いなく実在するバジリスクだ」

「はい!」

「君だけで扱っていい生き物ではないよ」

「……はい」

 

 上がって、落とされた。

 でも、アルドゥスが幻覚扱いされるよりはずっといい。

 

「スリザリンの継承者が怪物を見られたから錯乱の呪文をかけたということでしょうか」

 

 ルーピン先生が考察する。

 ニュート先生はトランクをそっと閉じた。

 

「どちらにせよ、この子は当面私が預かるよ。魔法生物処理委員会がどう判断するかは分からないけど、少なくとも、すぐに処分という話には絶対にさせない」

「本当ですか?」

「もちろん。ただし、君がバジリスクに近づくのも認められない」

 

 とても大事な約束と、とてもつらい条件が同時に来た。

 父はニュート先生に向かって、やや硬い声で言った。

 

「スキャマンダーさん。娘が関わっていた以上、私からも礼を言うべきなのでしょう」

「礼には及びません。問題は、どう安全に扱うかです」

「その通りだ」

 

 父はわたしを見る。

 

「ローゼマイン」

「はい」

「帰ったらまた話をしよう」

 

 話という名のお説教だ。間違いない。

 ダンブルドア先生は、長いひげを撫でた。

 

「ふむ。幻覚ではない。だが、入口の場所は確認できなかった。二人には錯乱の痕跡がある。これは少々、込み入っておるのう」

 

 込み入っている、で済ませていいのだろうか。

 いや、校長先生が深刻な顔をしすぎると、それはそれで怖いので、これくらいでいいのかもしれない。

 父は低い声で言った。

 

「この件は、これ以上軽々しく口にするな」

「でも」

「でもではない」

 

 静かな声だった。

 怒鳴られるより、ずっと逆らいにくい。

 

「バジリスクを飼っていたという話よりは、誰かに騙されていたという話の方がまだましだ。だが、どちらにせよ、君の安全に関わる。分かるな?」

 

 わたしは黙った。

 父の言いたいことは分かる。騙されていたことにしておけという意味だ。

 分かるけど、納得はしていない。

 ダンブルドア校長が、ふと父へ向き直った。

 

「ところで、ルシウス。ドラコの件じゃが」

 

 父はドラコを見た。

 ドラコは少しだけ身構えた。父が校長室へ向かった理由は、そもそもそこだった。ヒッポグリフに怪我をさせられた。魔法生物飼育学の授業の安全管理に問題がある。そういう話のはずだった。

 父は包帯を巻かれたドラコの腕をもう一度見た。

 次に、医務室にいるわたしを見る。

 最後に、ニュート先生のトランクを見た。

 

「……もう、それは良い」

 

 ドラコが目を見開いた。

 

「父上?」

「軽症だ。治療も受けた」

 

 父は短く言った。

 

「ドラコ。ヒッポグリフに無礼な態度を取ったのなら、次から気をつけろ」

「……はい」

 

 父はドラコがなぜ怪我をしたのか気づいているようだった。ドラコは不満そうだったが、反論はしなかった。

 父はダンブルドア校長へ向き直った。

 

「本日のところは失礼する。ローゼマインの件は、後日改めて確認する」

「もちろんじゃ」

「それから、ディメンターについては別件として抗議する」

「承知しておる」

 

 父はわたしを見た。

 

「ローゼマイン。今日は安静にしていなさい」

「はい」

「余計な場所へ行くな」

「はい」

「地下へ行くな」

「はい」

「巨大な蛇に餌をやろうとするな」

「……はい」

 

 最後の返事だけ、少し遅れた。

 父の目が鋭くなる。

 

「ローゼマイン」

「はい。やりません」

「信用したいところだ」

 

 それは信用していない人の言い方だった。

 父は最後にドラコの肩へ軽く手を置き、それからマントを翻して医務室を出ていった。

 扉が閉まる。

 その瞬間、医務室の空気が少し緩んだ。

 ロンとハーマイオニーが入ってきたのは、そのすぐ後だった。

 

「ハリー!」

 

 ハーマイオニーが駆け寄ってくる。

 

「大丈夫?」

 

 ハリー、ロン、ハーマイオニー、わたしは、なぜかドラコのベッドの周りに集まる形になった。

 ドラコは不機嫌そうにこちらを見ている。

 

「おい」

「なに?」

「なぜ僕のベッドを囲む」

「流れで」

「流れで囲むな。うるさい」

 

 確かにうるさいかもしれない。

 でも、他に話せる場所がない。わたしとハリーはまだ検査後で、医務室から出るなと言われている。ドラコも怪我人なので出られない。自然とここに集まる。これは仕方ない。

 

「それで」

 

 ハーマイオニーが腕を組んだ。

 

「何が起きたの?」

「秘密の部屋の入口が開かなかった」

 

 わたしは言った。ハリーも頷く。

 

「僕、見たのは覚えてるんだ。マインが悪くないのも。でも説明しようとすると、頭がぐちゃっとする」

「錯乱の呪文の影響かしら」

 

 ハーマイオニーが真剣な顔をする。

 

「誰がかけたの?」

「分からない」

 

 わたしは答えた。

 でも、心当たりはある。

 あるけれど、ここでは言えない。

 

「それで、どこへ案内したの?」

 

 ハーマイオニーが訊いた。

 

「二階の女子トイレ」

 

 わたしとハリーの声が、ほとんど同時に重なった。

 ハーマイオニーが、ぴたりと動きを止めた。

 ロンもまばたきした。

 ドラコだけが、すごく嫌そうな顔でこちらを見ている。

 

「……二階?」

 

 ハーマイオニーがゆっくり言った。

 

「うん」

「二階の女子トイレ?」

「そう」

 

 わたしはうなずいた。

 

「そこに蛇の刻印がある蛇口があると思ったんだけどなぜかなくて──」

「三階でしょ?」

 

 ハーマイオニーが言った。

 

「え?」

「マートルがいる女子トイレは三階よ」

 

 医務室の空気が、すっと冷えた気がした。

 わたしは口を開けたまま、固まった。

 三階。

 三階の女子トイレ。

 言われた瞬間、頭の中で何かが一段ずれた。

 石の階段。

 湿った廊下。

 誰も使っていない女子トイレ。

 ひび割れた鏡。

 蛇の刻印のある蛇口。

 それは、二階ではなかった。

 三階だった。

 わたしは、二階だと本気で思っていた。

 でも今、ハーマイオニーに言われた瞬間、三階だったことも分かった。

 ぞわっとした。 

 

「……ハリー」

 

 わたしは隣を見た。

 ハリーも青い顔をしていた。

 

「僕も、二階だと思ってた」

「でも?」

「でも、三階だ」

 

 ハリーはゆっくり言った。

 

「言われたら、三階だって分かる」

 

 ロンが小さく言う。

 

「それ、めちゃくちゃ怖くないか?」

 

 怖い。

 すごく怖い。

 わたしは、誰かに記憶を全部作り替えられたわけではない。

 全部が嘘だったわけでもない。

 女子トイレだった。

 蛇口があった。

 蛇語で開いた。

 地下へ続いていた。

 そこまでは本当。

 でも、階だけが違った。

 一番大事なところだけ、ずらされていた。

 ハーマイオニーは顔をこわばらせた。

 

「やっぱり、ただの錯乱じゃないわ」

「どういうこと?」

 

 わたしが訊くと、ハーマイオニーは小声で言った。

 

「たぶん、誰かに話そうとした時だけ、場所を誤認するように呪文がかけられていたのよ」

「誰かに話そうとした時だけ?」

「そう。あなたたちは秘密の部屋の場所を教えようとした。だから、正しい場所じゃなくて、間違った場所を本当だと思い込んだ」

 

 ハーマイオニーは早口になっていく。

 

「普段の記憶を全部消したわけじゃない。だから今、私が指摘したら思い出せた。でも、大人たちに案内しようとした時は、呪文が働いた。二階だと思い込んだ」 

 

 ロンが引きつった顔をした。

 

「つまり、誰かがマインとハリーに“秘密をバラそうとすると間違える呪文”をかけてたってこと?」

「たぶん」

「それ、すごく嫌だな」

「ええ。ものすごく嫌よ」

 

 ハーマイオニーはわたしを見た。

 

「マイン。あなた、本当に心当たりはないの?」

 

 ある。

 ものすごくある。

 でも、ここでは言えない。

 言おうとしたら、また何かがずれる気がした。

 わたしは、膝の上で手を握った。

 

「分からない」

 

 嘘ではない。

 正確には、全部は分からない。

 ハーマイオニーは納得していない顔をした。でも、それ以上は追及しなかった。

 ロンがドラコの包帯を見た。

 

「で、マルフォイは何したんだよ」

「僕は被害者だ」

 

 ドラコが即答した。

 

「ヒッポグリフに腕を引っかかれた」

「いや、その前だよ」

 

 ハリーが言った。

 

「バックビークに、ちょっとひどい態度取ったんだろ?」

「バックビーク?」

 

 わたしが聞くと、ハーマイオニーが説明してくれた。

 

「ハグリッドの授業で出てきたヒッポグリフよ。礼儀を重んじる生き物なの。お辞儀をして、相手が返してくれたら近づいていい。失礼な態度を取ると危険なの」

「へえ」

 

 いい生き物だ。

 礼儀が分かるのは大事である。

 ロンが付け足した。

 

「で、マルフォイがそのヒッポグリフに向かって、なんか偉そうなこと言った」

「言ってない」

「言っただろ」

「少しだけだ」

「少しひどい態度ってこと?」

 

 わたしが訊くと、ハリーが微妙な顔でうなずいた。

 

「まあ、うん」

 

 わたしはドラコを見た。

 

「うわあ」

「なんだその顔は!」

「危険生物に失礼なこと言ったら危ないに決まってるじゃん」

「おまえにだけは言われたくない!」

「わたしはアルドゥスに失礼なことは言ってないもん。ちゃんとご飯もあげたし」

「そこが問題なんだ!」

 

 ドラコが叫んだせいで、マダム・ポンフリーに「静かに!」と怒られた。

 ドラコは不満そうに黙った。

 ロンは小声で言う。

 

「でも、マルフォイが軽症扱いなの、ちょっと面白いな」

「面白くない」

「だってお前、血出たのに、みんなナメクジ吐くよりはマシだろうって反応だったじゃん」

「誰のせいだと思ってる!」

 

 ドラコがわたしを見た。

 

「え、わたし?」

「お前以外に誰がいる!」

 

 わたしは心外だった。

 心外だったが、少しだけ心当たりもあった。

 ナメクジをずっと吐かされるよりはかすり傷はどうしても軽く見える。

 それはたしかに、比較対象が悪い。

 

 その時、わたしは膝の上の鞄に手を入れた。

 黒い日記がある。

 ずっと、そこにある。

 わたしはみんながドラコの包帯について話している隙に、そっと日記を開いた。

 小さく、ペン先を走らせる。

 

『トム、何が起きてるの?』

 

 少し待つ。

 黒いインクが、紙の上に浮かび上がった。

 

『それ、僕が聞きたいくらいなんだけど』

 

 む。

 出だしから感じが悪い。

 

『どういう意味?』

『ドビーから、アルドゥスが急にいなくなったって聞いた』

 

 わたしは日記を握る手に力を入れた。

 

『やっぱりトムがやったの?』

『うん。対処しておいてよかったみたいだね』

 

 良かった。

 良かった、ではない。

 

『アルドゥス、ニュート・スキャマンダー先生のトランクにいるよ』

 

 返事はすぐだった。

 

『そう。なら最悪は避けられたね』

『最悪?』

『アルドゥスが殺されることだよ。ニュート・スキャマンダーは魔法生物を殺すことを嫌うから』

 

 ものすごく冷静だった。

 冷静すぎて腹が立つ。

 

『わたしとハリーが錯乱した可哀想な子扱いされたんだけど』

『その程度で済んだなら、良かった方だよ』

『そうかな?』

『うん。秘密の部屋が開いて、大人たちが中へ入り、君がバジリスクに餌をやっていたと正式に判断されるよりは、はるかにましだ』

 

『ハリーに錯乱の呪文をかけた?』

 

 少しだけ、文字が出るまで間があった。

 

『軽いものだよ』

 

 やっぱり。

 

『わたしにも?』

『ごく薄くね。大人たちが“何らかの干渉があった”と判断できる程度だよ』

『ハーマイオニーに言われた。入口、二階じゃなくて三階だった』

 

 今度は、返事が早かった。

 

『ああ。そう認識するように魔法をかけたからね』

 

 わたしは日記を睨んだ。

 

『ああ、じゃない。なんで?』

『君が秘密の部屋の場所を、秘密を知らない相手に教えようとした時だけ、二階か三階かだけを間違えるようにしたんだ』

『勝手に!?』

『勝手に』

『反省してない!』

『する理由がない。前に僕が何もしなかった時、君は秘密の部屋にハリーたちを連れていっただろう』

 

 わたしは、ペン先を止めた。

 反論しようとして、できなかった。

 確かに連れていった。

 あの時は必要だったと思っていたし、今でも完全に間違いだったとは思っていない。でも、秘密を秘密のまま扱えていたかと聞かれると、かなり怪しい。

 

『だから、同じことが起きないようにした』

『わたしだけ?』

『違う。秘密を知っている全員だよ』

 

 背筋が冷えた。

 

『全員?』

『君、ドラコ、ハリー、ロン、ハーマイオニー。秘密の部屋の場所を正確に知っている者には、同じ保険をかけてある』

『ハリーたちにも?』

『もちろん。君だけにかけても意味がない。君が黙っても、ハリーが言う。ハリーが黙っても、ロンが言う。ロンが黙っても、ハーマイオニーが正確に説明する。秘密は、いちばん口の軽い者から漏れるんじゃない。いちばん説明が上手い者から漏れることもある』

 

 ハーマイオニー。

 たしかに、あの子は説明が上手い。

 上手すぎる。

 

『でも、ハーマイオニーたちはさっき三階だって言えたよ』

『君たち同士で話す分には問題ない。秘密を知っている者同士なら、正しい場所を思い出せる。だが、秘密を知らない相手に説明しようとした時だけ、場所の認識がずれる』

『大人たちに言おうとしたから?』

『そう。だから君とハリーは二階だと思い込んだ。ハーマイオニーは、秘密を知っている側だから訂正できた』

 

 わたしは日記を見つめた。

 ぞっとした。

 同時に、すごく納得してしまった。

 わたしは二階だと本気で思っていた。ハリーもそうだった。でも、ハーマイオニーに言われた瞬間、三階だと分かった。

 つまり、記憶が全部消されたわけじゃない。

 秘密を外へ出そうとした時だけ、目録の棚番号がずれるみたいに、場所がずらされる。

 

『ひどい』

『有効だよ』

 

『階が違ったら別の場所だよ! 本棚の棚番号を一つずらされるくらいひどい!』

 

 文字が少し止まった。

 

『でも、禁書を守るために偽の目録を置くことはある』

 

 言い返せない。

 例えが分かりやすいのがさらに腹立たしい。

 

『アルドゥス、どうやって連れ戻す?』

 

 わたしは、そこを書きながら少しだけ手が震えた。

 怒るより先に、それが心配だった。

 アルドゥスは今、ニュート先生のトランクにいる。

 目隠しはされている。

 落ち着いていると言っていた。

 でも、大丈夫だろうか。

 

『すぐには無理だね』

 

 返事は冷静だった。

 

『なんで?』

『今連れ戻せば、君が関与したと証明するようなものだ。ニュート・スキャマンダーのトランクからバジリスクが消える。直後に君が落ち着いている。疑われないと思う?』

『思わない』

『だろうね』

『じゃあ、どうするの?』

『しばらくはニュート・スキャマンダーに任せる』

『トムがそう言うの意外』

『彼は魔法生物の専門家だ。少なくとも、無知な役人よりはましに扱う。殺すためではなく、観察するために見る人間だ』

 

 それは、分かる。

 ニュート先生は、アルドゥスを見てすぐ処分とは言わなかった。

 殺さないために調べたい、と言ってくれた。

 

『でも、魔法生物処理委員会が来たら?』

『そこが問題だね』

 

 文字が少しだけ遅くなった。

 

『わたしは何をすればいい?』

『何もしない』

『一番難しいよ』

『知ってる』

 

 日記の文字が、やけに冷静に浮かんだ。

 

『でも今回は、それが最善だ。魔法生物処理委員会の反応でどうするか決めよう』

『アルドゥスに協力してもらう?』

『できるならね。でも、今は近づくな』

『分かった』

 

『トム』

『何?』

『ハリーたちにまで呪文をかけたのは怒ってる』

『だろうね』

『わたしにもかけたのも怒ってる』

『それもだろうね』

『でも、秘密を守るためだったのは分かる。アルドゥスを守ろうとしたことは……ありがとう』

 

 文字が、少しだけ止まった。

 いつもならすぐ皮肉が返ってくるのに、少しだけ間があった。

 

『礼を言う前に、不用意に喋らないこと』

 

 照れたのかもしれない。

 いや、トムが照れるわけないか。

 

『前から思ってたけど、君はスリザリン生とは思えない』

『わたし、スリザリンだよ』

『所属の話じゃない。立ち回りの話』

 

 文字が、いつもより少し速く浮かんでくる。

 

『秘密の部屋を見つけた。バジリスクを見つけた。餌をやった。名前を呼んだ。目を隠した。どうしてそれを大人の前で正直に並べられるの?』

『聞かれたし、怒られたらもっと嫌だから』

『そこで正直に答えるから問題なんだよ』

 

 ものすごく怒られている。

 

『でも、嘘は良くない』

『嘘をつけとは言ってない。言うべきことと言わなくていいことを分けろって言ってる』

『難しい』

『社交が下手すぎる』

 

 また刺された。

 

『君は本に関しては手段を選ばないくせに、肝心の場面であまりにも正直すぎる。秘密を持つなら、秘密らしく扱いなよ』

『でも、アルドゥスを殺されたくなかった』

『だからこそだよ。守りたいものがあるなら、情報を渡しすぎちゃいけない』

 

 わたしは言葉に詰まった。

 日記の文字は、少し間を置いてから続いた。

 

『今回は、アルドゥスもニュートに確保された。最悪ではない。でも、次も間に合うとは限らない。魔法生物処理委員会に死刑にされたらどうするの?』

『分かった』

『本当に?』

『気をつけます』

 

 日記の文字は、最後にこう締めた。

 

『まずは医務室で大人しくしてなよ。君は今日、十分すぎるほど騒ぎを起こした』

 

 わたしは日記を閉じた。

 その瞬間、ドラコがこちらを見た。

 

「おい」

「なに?」

「今、何を書いていた」

「日記」

「こんな状況で?」

「こんな状況だから」

 

 ドラコは深くため息をついた。

 

「やっぱりお前はおかしい」

「錯乱してることになってるから、今ならそれで通るかも」

「通すな」

 

 ハリーが少し笑った。

 ロンも笑いかけて、マダム・ポンフリーに睨まれて口を閉じた。

 

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