本好きの魔女、闇の帝王を読書仲間にする。   作:bookworm

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番外編 マルフォイ家の家族会議③

 

 マルフォイ邸の応接間には、いつも通り完璧な静けさがあった。

 暖炉の火は品よく燃え、銀器は磨き抜かれ、紅茶は香り高い。テーブルの上には、ホグワーツから届いた手紙が数通、きちんと並べられている。

 ただし、椅子に座っている顔ぶれは、いつも通りではなかった。

 ルシウス・マルフォイ。

 ナルシッサ・マルフォイ。

 そして、涼しい顔で腰掛けている少年。

 トム・リドルである。

 黒髪に整った顔立ち。古い型のローブをまとい、姿だけ見れば、どこかの優秀な上級生に見えなくもない。だが、本来なら日記の中にいるはずの存在が、当然のように紅茶の席に混ざっている時点で、かなりおかしい。

 

「……なぜ君が当然のように座っている」

 

 ルシウスが低い声で言った。

 トムは紅茶には手をつけず、穏やかに微笑んだ。

 

「家族会議だと伺いましたので」

「君は家族ではない」

「では、相談役ということで」

「頼んでいない」

「頼まれる前に問題を把握するのが、有能な相談役です」

 

 ルシウスは杖の柄を指先で軽く叩いた。苛立っている時の癖だった。

 ナルシッサは、少し困ったように微笑む。

 

「トム、無理に参加しなくてもいいのよ」

「ご心配なく。無理はしていません。むしろ、参加しない方が危険だと判断しました」

「どういう意味だ」

 

 ルシウスが問う。

 トムは、テーブルの上に置かれた手紙の一通へ視線を落とした。 

 

「ディメンターのことです」

 

 その一言で、応接間の空気が沈んだ。

 ルシウスの表情が険しくなる。

 

「魔法省は正気ではない。シリウス・ブラックが脱獄したからといって、ホグワーツに吸魂鬼を近づけるなど論外だ」

「そこは同意します」

 

 トムは静かに言った。

 

「あれは警備ではありません。制御しきれない生き物で、対象を選ばない。ブラックを捕まえるために、生徒全員の精神を人質にしているようなものです」

「その通りだ」

 

 ナルシッサは手紙を握りしめた。

 

「ローゼマインが倒れたのでしょう?」

 

 ルシウスは短くうなずいた。

 

「列車の中でディメンターに遭遇した。ドラコの手紙では、ポッターも倒れたらしいが、ローゼマインは虚弱なこともありかなり体調が悪くなったようだ。顔色がなくなり、呼吸が浅くなったと」

 

 ナルシッサの顔から血の気が引く。

 

「やはり、あの子には負担が大きすぎます」

「当然だ」 

 

 ルシウスは吐き捨てるように言った。

 

「あれは健康な大人でも不快な相手だ。ましてローゼマインだぞ。あの子は本が読めなくなる可能性だけでも倒れかねない」

「そこは否定できませんね」

 

 トムが淡々と言った。

 ルシウスは睨んだ。 

 

「ローゼマインは、読書環境の悪化に対して非常に繊細ですから」

 

 ナルシッサは、ほんの少しだけ笑った。だが、すぐに表情を曇らせる。

 トムは続けた。

 

「ただ、冗談では済みません。ディメンターは彼女にとって危険です。体の弱さと魔力の不安定さを考えれば、何度も接触させるべきではありません」

 

 その声は冷静だった。

 冷静すぎるほどだった。

 けれど、ナルシッサはその言葉を聞いて、わずかに表情を和らげた。 

 

「あなたも心配しているのね」

「合理的なリスク評価です」

「そういうことにしておきましょう」 

 

 トムは、それ以上否定しなかった。

 ルシウスは別の手紙を手に取った。

 

「一方で、ローゼマイン本人は相変わらずだ」

 

 ナルシッサの目が少し明るくなる。

 

「魔法書研究会の手紙ね?」

「ああ」

 

 ルシウスは紙面に目を落とした。

 

「ホグワーツで魔法書研究会を作るらしい」

「まあ」

 

 ナルシッサは本当に嬉しそうに微笑んだ。

 

「あの子が自分で研究会を。素敵だわ」

「名前だけならな」

 

 ルシウスは冷静に言った。

 

「目的は、魔法書や古い文献を読み、内容を整理し、危険な本については安全な扱い方を学ぶこと。図書室の本をより有効に活用するための会」

「立派ではありませんか」

「言葉だけなら非常に立派だ。閲覧禁止の棚の許可証を持ってなくて本当に良かった」 

 

 トムが横から言った。

 

「問題は、ローゼマインが“危険な本”という言葉を、“まだ読んでいない魅力的な本”と同義に扱うことです」

「本当に君はよく分かっているな」 

 

 ルシウスが嫌そうに言った。 

 

「観察していれば分かります」

「観察するな」

「無理です。彼女は観察しない方が危険です」

 

 ナルシッサは手紙を受け取り、嬉しそうに読み上げる。

 

「参加予定者は、アストリア・グリーングラス。魔法史や古い伝承に興味があるそうです。ローゼマインとは本の話が合うと書いてありますわ」

「グリーングラス家なら悪くない」

 

 ルシウスがうなずく。

 

「ハーマイオニー・グレンジャー」

 

 そこで一瞬、空気が止まった。

 ルシウスは眉を寄せた。 

 

「グレンジャー、マグル生まれの子か」

「ローゼマインは、彼女をとても優秀だと書いているわ」

「それは知っている。ドラコの手紙からも、腹立たしいほど優秀だということは伝わってくる」

 

 トムが静かに言った。

 

「能力を評価するのは正しいことです。血筋より使える頭脳を軽視する方が愚かですから」 

 

 ルシウスはトムを見た。

 

「君がそれを言うとは思わなかった」

「僕はそういう主義ですが」

 

 ナルシッサは、争いになりそうな空気を避けるように続けた。

 

「それから、ハリー・ポッター」

「なぜだ」

 

 ルシウスの声が低くなる。 

 

「蛇語の相談相手になるかも、と言っているわ」

「なぜ魔法書研究会に蛇語の相談相手が必要なんだ」

 

 トムが薄く笑った。 

 

「古い魔法書には蛇語に関わる記述がある可能性があります。理屈としては通っています」

「その理屈が通っていることが嫌なのだ」 

 

 ルシウスは額を押さえた。

 

「ほかには?」

「パドマ・パチル。新聞やルポ、裁判記録に興味があるそうね」

「裁判記録?」

「アーニー・マクミラン。推理が好きで趣味が合いそう、らしいわ」

「推理が好きな者ほど、しばしば真実から遠ざかります」

 

 トムが言った。

 ナルシッサが苦笑する。

 

「随分ね」

「経験則です」 

 

 ルシウスは手紙の続きを読み、指を止めた。

 

「……シリウス・ブラックについて調べる?」 

 

 応接間の空気が変わった。

 ナルシッサの表情から、先ほどまでの柔らかさが消える。

 

「その部分、私も気になったわ」

「なぜローゼマインがブラックについて調べる必要がある」

「ポッターが狙われているからでしょう」

「それは魔法省と大人の仕事だ」

「大人が信用されていないのでは?」

 

 トムの一言に、ルシウスは言い返しかけて、やめた。

 完全に否定できないのが腹立たしい。

 ナルシッサは静かに言った。 

 

「シリウスは私の従兄よ。でも、私もあの事件のすべてを知っているわけではありません。ブラック家の中でさえ、口にすることを避ける話だもの。フェルディナンドはシリウスに対して過剰に憎しみを抱えているようだし」

「だからこそ、子供が触れるべきではない」

「でも、ローゼマインは触れるでしょうね」 

 

 ナルシッサはため息をついた。

 

「止めても、調べるわ」

「誰に似たんだ」

 

 ルシウスが低く言った。

 ナルシッサは答えなかった。

 答えないことが、答えだった。

 トムは指先で、テーブルの縁を軽く叩いた。

 

「シリウス・ブラックの件は奇妙です」

 

 ルシウスが目を細める。 

 

「君がそれを言うのか」

 

 トムは涼しい顔で続けた。

 

「ブラックはポッター家を裏切り、秘密を漏らし、ペティグリューを殺し、十二人のマグルを巻き添えにした。そういうことになっている」

「そういうことになっている、ではない。そういうことだ」

「裁判は?」 

 

 ルシウスは黙った。

 トムは淡々と言った。

 

「明確な裁判記録はあるのですか。証言はどこまで取られたのでしょう。杖の検査は。記憶の確認は。本人の弁明は。ブラック家の名を持つ男を、ろくな手続きもなくアズカバンへ送ったのなら、それは事件ではなく処理です」 

 

 ナルシッサが、わずかに息を呑んだ。

 

「処理……」

「感情的には分かります。ポッター夫妻は死に、子供だけが残った。魔法界は恐怖から解放された直後だった。誰かを悪人として固定すれば、話は早い」

 

 トムは少しだけ目を細めた。

 

「ですが、話が早すぎます」

 

 ルシウスは不快そうに言った。

 

「まるでブラックが無実だと言いたげだな」

「そこまでは言っていません。情報が足りないと言っているだけです」

「ずいぶん慎重だ」

「当然です。十一年以上アズカバンにいた男です。理性が残っているかも疑わしい。仮に無実でも、危険人物であることに変わりはありません」

「なら、ローゼマインたちが調べるべきではないな」

「それは同意します」

 

 トムは即答した。

 

「ですが、彼女は調べるでしょう」

 

 ルシウスは額に手を当てた。

 

「そこも否定できないのが腹立たしい」 

 

 沈黙が落ちる。

 その沈黙を破ったのは、ルシウスだった。

 

「そもそも、ブラックはお前の手下だろう」

 

 トムの動きが止まった。

 

 ナルシッサも思わずルシウスを見る。

 

「ルシウス」

「世間ではそういう扱いだ。闇の帝王の忠実な下僕。ポッター家を売った裏切り者。そうだろう?」

 

 トムはしばらく黙っていた。

 それから、心底不愉快そうに微笑んだ。

 

「僕の手下ではありません」

「将来的にはそう呼ばれているのでは?」

「僕はまだ何も命じていません」

 

 ナルシッサは軽く目を伏せた。

 止めるべきなのかもしれないが、少しだけおかしかった。

 トムは落ち着いた声で言った。

 

「仮に僕が人を使うとしても、ブラックのような男を側近にはしません」

「理由は?」

「感情的すぎます。家との関係も悪い。忠誠心がどこに向くか分からない。名門の出であること以外、安定した駒としては使いづらい」

「駒」

 

 ナルシッサが静かに繰り返した。

 トムはほんの少しだけ言葉を止めた。

 

「……人材、と言い直します」

「遅い」

 

 ルシウスが冷たく言った。

 それでもトムは続ける。

 

「仮に本当に手下だとしたら、大人になってから心変わりしたのでしょう。親友を寝返らせるなんてなかなかできないことだ」

 

 その時だった。窓の外で羽音がした。

 マルフォイ家の灰色ふくろうが静かに現れ、封筒をルシウスに差し出した。そこには、ホグワーツからの短い連絡が乗っていた。

 ルシウスが封を切る。

 読み始めた瞬間、眉がわずかに動いた。

 ナルシッサが身を乗り出す。

 

「ドラコが魔法生物飼育学の授業で、ヒッポグリフに腕を引っかかれた」

「まあ……!」

「マダム・ポンフリーの処置を受ける予定。本人は軽症だと言っているらしい」

 

 ナルシッサは胸に手を当てた。

 

「軽症なのね?」

「本人がそう言っているなら、腕はついている」

「ルシウス」

「心配していないわけではない」

 

 ルシウスは手紙を畳んだ。

 その目が冷たくなっていた。

 

「だが、これは使える」

 

 ナルシッサの表情が曇る。

 

「ルシウス」

「危険な魔法生物を授業に出し、生徒に怪我を負わせた。しかも今年のホグワーツはディメンターまで近づけている。安全管理に重大な疑義がある。理事会で問題にできる」 

 

 トムがうなずいた。

 

「悪くありません。ディメンターの件と合わせれば、ダンブルドアの管理責任を問い、退任に追い込めます」

「君とは気が合いたくない時に限って意見が合う」

「同感ですね」

 

 ルシウスは立ち上がった。

 完全に政治家の顔になっていた。父親の顔ではない。いや、父親の怒りもある。だが、それをそのままぶつけるのではなく、刃物に研いで使う顔だった。

 

「ホグワーツへ行く」

「ドラコのところへ?」

「まずは校長室だ」

「まずは医務室ではなく?」

「医務室には後で行く。先にダンブルドアに話をする」

 

 ナルシッサは少しだけ呆れたように、けれど止めはしなかった。

 

「ナルシッサ。ドラコの詳しい容体が分かり次第、知らせる」

「ええ。お願い」

 

 ルシウスは暖炉へ向かった。

 緑の炎が上がる。

 その姿が消えたあと、応接間にはナルシッサとトムだけが残った。

 しばらく、沈黙が落ちた。

 トムは空になった暖炉を見ていた。

 さっきまでの余裕は、まだ消えていない。だが、ほんの少しだけ、考え込むような色が目元にあった。

 

「……トム?」

 

 ナルシッサが呼ぶ。

 トムが答えようとしたその時だった。

 ぱん、と乾いた音がした。

 応接間の端に、しもべ妖精が現れる。

 ドビーだった。

 いつもよりさらに耳を震わせ、目を見開いている。明らかにただごとではなかった。

 

「奥様! トム様! 大変でございます!」

 

 ナルシッサが立ち上がる。

 

「ドビー。どうしたの?」

「アルドゥス様が……!」

 

 その名前が出た瞬間、トムの表情から感情が消えた。

 ただし、声は荒げなかった。

 

「続けろ」

 

 ドビーはびくりと肩を震わせたが、必死に言った。

 

「アルドゥス様が、いないのでございます! ドビーが餌の確認に行きましたら、いつもの場所にいらっしゃらず、匂いも、音も、残っておりませんで……!」

 

 ナルシッサの顔色が変わる。

 

「アルドゥスって、秘密の部屋にいる?」

「はい、奥様! アルドゥス様が消えたのでございます!」

 

 トムは椅子から立ち上がった。

 ゆっくりとした動きだった。

 だが、その場の空気が一段冷える。

 

「いつ気づいた」

「たった今でございます!」

「ローゼマインは」

「お嬢様はホグワーツにいらっしゃいます!」

「それは知っている」

 

 トムの声は穏やかだった。

 だが、ドビーに向ける言葉だけは短い。

 

「問題は、今日、彼女が何をしたかです」

 

 ナルシッサがトムを見る。

 

「どういうこと?」

「アルドゥスは、自分からあの場所を離れません。理由もなく動くほど愚かではありませんから」

「では、誰かが連れ出したと?」

「あるいは、マインの魔力の暴走か。断定はできませんが、マインが関わっている可能性は高いです」

 

 ドビーが耳をぺたりと倒す。

 

「お嬢様は悪くないのでございます! お嬢様はいつも、アルドゥス様にお肉を――」

「ドビー」

 

 トムは静かに名前を呼んだ。

 それだけで、ドビーは口を閉じた。

 

「黙っていろ。今は説明ではなく、対処が先だ」

 

 ナルシッサは、静かに問いかける。

 

「トム。何が起きるの?」

「分かりません」

 

 トムはあっさりと言った。

 

「ですが、良くない条件が重なっています。ある程度手は打っているとはいえ、念には念を入れましょう」

 

 トムは暖炉の方を見た。

 

「ハリー・ポッターを利用します」

 

 ナルシッサの表情がわずかに強ばる。

 

「何をするつもり?」

 

 トムは、少しだけ微笑んだ。

 

「軽く混乱させるだけですよ、ナルシッサ」

 

 ナルシッサの目が細くなった。

 

「トム、まさか禁じられている呪文じゃないわよね?」

「まさか。説明しようとすると言葉が曖昧になる程度です」

「錯乱の呪文を?」

「似たようなものです」

 

 あまりにも平然とした声だった。 

 

「彼は“見た”とは言える。“マインは悪くない”とも言える。ですが、何をどこでどう見たか、説明しようとすると少し混乱する。その程度で十分です」

「ポッターにそれをかければ、検査で分かるのではなくて?」

「むしろ、検査のためです」

 

 トムは静かに言った。

 

「その方が都合がいい。ハリーに錯乱の痕跡があれば、大人たちは彼の証言を慎重に扱う。ローゼマインの証言も、それに引きずられるでしょう」

 

 ナルシッサは黙った。

 トムは続けた。

 

「真実を隠すには、嘘を作るより、真実を少し信じにくくする方が早い」

「……あなたは本当に、嫌なことを考えるのが上手ね」

「褒め言葉として受け取っておきます」

「褒めていないわ」

「でしょうね」

 

 トムは肩をすくめた。

 

「それで、少なくとも即座の調査は避けられます」

「ローゼマインは?」

「怒るでしょう」

「ええ」

「でも、生き残ります。退学にもなりにくい。アルドゥスもすぐには処分されない」

 

 トムは、ほんの少しだけ声を落とした。

 

「今回は、それで十分です」

 

 そう言うと、彼の輪郭が薄くなり始めた。

 黒い髪も、整った顔も、古いローブも、インクが水に溶けるように空気へ滲んでいく。

 最後に、トムはドビーを見た。

 

「ドビー」

「は、はい!」

「アルドゥスの様子を逐一報告しろ。ニュート・スキャマンダーに見つかったら、分かってるな?」

 

 ドビーはぶるぶる震えながらうなずいた。

 

 それだけ言って、トムは消えた。

 応接間には、ナルシッサとドビー、そしてテーブルの上の紙切れだけが残った。

 ナルシッサは、静かに紙切れを見下ろした。

 

「……本当に、面倒なことになったわね」

 

 ドビーは、耳をぺたりと伏せたまま、小さく震えていた。

 

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