本好きの魔女、闇の帝王を読書仲間にする。   作:bookworm

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46話 タイムターナー貸与条件

 

 ホグワーツへ戻る前日、わたしはトランクの前で真剣に悩んでいた。

 

「入らない」

「当然だ」

 

 ドラコが冷たく言った。

 わたしのトランクの中には、教科書、ノート、予備の羊皮紙、薬、ローブなどの服、そして本が入っている。

 本。

 本。

 本。

 さらに本。

 とても大事なものばかりだ。

 

「ローゼマイン。これは荷物じゃない。密輸だ」

「失礼だよ。全部必要なものだよ」

「必要なものだけで床板が軋むか?」

 

 床板は軋んでいない。

 たぶん。

 ちょっとだけ悲鳴みたいな音はしたけれど、古い屋敷にはよくあることだ。

 

 床には本が積まれている。

「魔法界各国図書館案内」。

 「危険な書物を安全に読むための基礎作法」。

 「大型魔法生物の健康管理と給餌方法」。

 「本を食べる虫・小妖精・呪いの完全図鑑」。

 他の本に噛みつこうと必死に頑張っているのを大きな大型犬用のガムで何とか誤魔化している「怪物的な怪物の本」。

 あと、この前客人に借りた「深い闇の秘術」。

 どれも必読でホグワーツに持っていく必要がある本だった。

 

「本は削れないよ。服を減らそうかな」

「服はこれ以上減らさない方がいいんじゃないか?」

 

 ドラコがトランクの中を見下ろした。

 服は端に押し込まれ、靴下は本と本の隙間に挟まれ、薬の箱だけがドラコの手によって安全地帯を確保されている。

 

「ローゼマイン、お前はホグワーツへ戻るんだ。書庫を移築するんじゃない」

「移築できるならしたい」

「するな」 

 

 ドラコが即答した。

 その時、部屋の扉が軽く叩かれた。

 

「久しぶり、ローゼマイン。借りていた本を返しに来たよ……深刻そうな顔をしてどうしたの?」

 

 入ってきたのはトムだった。

 この前も会ったばかりでそこまで久しぶりという気はしない。彼は黒いローブを着て、手には本を一冊持っている。どうしたのか聞く割に表情は落ち着いていて、いかにも「この世の愚かな騒ぎとは無縁です」という顔をしていた。

 でも、この人はだいたい面白そうな騒ぎには寄ってくる。

 

「見ての通り、荷造りをしてるよ」

 

 わたしが答えると、トムは床に積まれた本と、口を開けたまま苦しそうにしているトランクを見た。

 

「なるほど」

 

「違う。これだと荷造りではなく、図書館の密航準備だ。こんなに大量な本が必要になるのはおかしい」

 

 トムはドラコの発言に少しだけ笑った。

 

「拡張魔法をかければいいのに」

 

 部屋が静かになった。

 わたしは目を輝かせた。

 

「拡張魔法!」

 

 前にニュート先生が持っていたトランクを見せてもらったことがある。彼のトランクの中には魔法生物を飼育するスペースがあった。

 ドラコは顔を引きつらせた。 

 

「軽く言うな、さすがに無理だ」

「難しい魔法なの?」

「難しいし、扱いを間違えると危険だし、そもそも学生の荷物に気軽にかけるものじゃない」

 

 わたしはトムを見ると、彼はふっと小馬鹿にしたような顔でドラコを見ていた。

 

「学校に持っていく荷物を入れる程度なら造作もないね」

 

 トムは杖を取り出しながら言った。

 

「本当に? それなら、ニュート先生みたいに部屋にすることもできる?」

「もちろん。本棚と本を読む長椅子を置く小部屋くらいの大きさにしようか」

 

 トムはトランクの前に膝をついてトランクの長さを測り始めた。

 ドラコが慌てて一歩前に出る。

 

「待て。父上の許可は」

「虚弱なマインが背骨の曲がりそうな重いトランクを持って登校するよりはましじゃないかな」

 

 ドラコは言葉に詰まった。

 

 トムはトランクの縁に杖先を当てた。

 低く、聞き慣れない呪文を唱える。

 トランクの金具が、かすかに震えた。

 ぎし、と音がする。

 中に積まれていた本が一瞬浮き、ゆっくりと並び直す。底が深く沈んだように見えた。いや、沈んだというより、奥行きが増えて階段が現れた。小さな箱の中に、急に地下室ができたみたいだった。

 

「わあ……!」

 

 わたしは思わず身を乗り出した。

 トランクの中は、さっきまでとはまるで違っていた。

 なんと壁一面に本棚がある。革表紙の本は革表紙の本でまとまり、羊皮紙は筒状の区画に収まり、薬の箱は衝撃を受けないように柔らかい布に囲まれている。服は服で別の引き出しに分けられていた。

 

「すごい! トランクの中に本棚がある!」

「持ち運び用の簡易書架だね」

 

 トムは涼しい顔で言った。

 やはりトムは話が分かる。わたしが求めていたものを的確に出してきた。

 ドラコはトランクの中を覗き込み、顔をしかめた。

 

「……広すぎないか?」

「このくらいはないと息が詰まるよ」

 

 わたしは床に積んでいた本を一冊ずつ入れてみた。本は意思を持っているように自分と同じジャンルの本がある位置に収まっていった。

 

「トム、これ、分類もしてくれるの?」

「大まかにはね。魔法史、呪文学、魔法薬、魔法生物、未分類、危険本」

「危険本?」

 

 トムはわたしを見た。

 

「君が危険物と認識していない危険な本のための区画だ」

「失礼では?」

「それは必要だな」 

 

 ドラコが深くうなずいた。

 

 

 *

 

 

 翌日、ホグワーツ特急に乗る時、トランクは昨日よりずっと軽かった。

 中に入っている本の量は、昨日より減っていない。

 むしろ、少し増えた。

 けれど、トムの拡張魔法のおかげで、外から見れば普通の荷物に見える。

 外から見えないものほど危ない、という気はする。

 でも、普通に見えるのは大事だ。

 ドラコは何度も「重くないか」と聞いてきた。

 わたしが「軽いよ」と答えるたびに、ドラコは疑わしそうな顔をした。

「軽い荷物に見えるからといって、安全な荷物とは限らないからな」

「分かってるよ」

「分かっていない顔だ」

 

 ホグワーツに着くと、いつも通り大広間は騒がしかった。

 一年生の組分けがあり、組分け帽子は今年も歌い、上級生たちはそれぞれの寮の席で新入生を迎えた。

 わたしはスリザリンの席に座りながら、胸の奥が少しだけそわそわしていた。

 図書室へ行きたい。

 新学期の図書室の新着本を確認したい。

 テーブルの上にはごちそうが並んでいたけれど、わたしの頭の中には、本の誘惑が浮かんでいた。

 

 デザートが出て、ダンブルドア先生がトライウィザードトーナメントについて説明した後、スネイプ先生がわたしの前で足を止めた。

 

「マルフォイ」

「はい」

「来い」

 

 それだけだった。

 説明が少ない。

 でも、何のことかは分かった。

 ドラコが心配そうにこちらを見た。 

 

「マイン」

「大丈夫。時間割の説明を受けるだけだから」

 

 スネイプ先生についていく。場所は地下の一室だった。

 普段の魔法薬学の教室ではない。もっと小さく、もっと暗く、もっと「ここで署名したら二度と取り消せません」という空気の部屋である。

 机の上には、羊皮紙の束が置かれていた。

 その横に、小さな木箱。

 木箱には銀の留め金がついていて、スネイプ先生の指がその上に置かれていた。

 

「座れ」

「はい」 

 

 わたしは椅子に座った。

 椅子が固い。

 たぶん、長居させる気がない椅子だ。

 スネイプ先生は、いつも以上に不機嫌な顔をしていた。 

 

「お前が全科目履修を希望した件について、校長と各担当教師の協議が終わった」

「はい」

「本来なら却下すべきだ」

「はい」

「即座に」

 

 スネイプ先生はこれから非常に残念なことを言うという顔で大きなため息をついた。

 

「特別措置は認められた」

 

 スネイプ先生は、木箱を開けた。

 中にあったのは、小さな砂時計だった。

 金色の輪。

 細い鎖。

 ガラスの中で、きらきらした砂が沈黙している。

 わたしは息を止めた。

 

「これはタイムターナーだ。この一年はこれを活用してもらう」

 

 分かっていたはずなのに、実物を見ると、胸が少し跳ねた。

 時間を戻す道具。

 危険で、厳重に管理され、めったに貸し出されない魔法道具。

 それが、目の前にある。

 

「目を輝かせるな」

「輝いてません」

 

 スネイプ先生は木箱の蓋を閉じなかった。

 でも、わたしの手が届かない位置に置いた。

 信用がない。

 

「この道具は、時間を増やすためのものではない。負債を積む道具だ」

 

 負債。

 わたしが首を傾げていると、スネイプ先生は説明を続けた。

 

「戻った分だけ、お前は余計に起きている。余計に歩く。余計に考える。余計に疲れる。授業は増えるが、体は増えない」

「体が増えたら便利ですね」

「冗談のつもりか?」

「少し」

「全く笑えん」

 

 先生の顔は、まったく笑っていなかった。

 たぶん、本当に笑えないのだと思う。

 

「お前はただでさえ体が弱い。魔力も多すぎる。普通の生徒が無理をして倒れるところを、お前はもっと早く倒れる」

「気をつけます」

「その言葉ほど信用できないものはない」

 

 反論できなかった。

 

「使用は授業のためだけだ」

「課題のための図書室は?」

「必要最低限、課題のためだけに使え」

 

 厳しい。でも、課題に関係あれば本を読んでも良いということだ。

 わたしは砂時計を見た。

 小さい。

 でも、これ一つで授業が増える。

 本を読む時間も、少しは。

 

 スネイプ先生は羊皮紙を一枚取り上げた。

 

「貸与条件を説明する」

 

 説明というより、書類の読み上げだった。

 

「第一。タイムターナーの存在を、許可された教員以外に明かしてはならない。つまり、授業を受ける教師だけだ」

「はい」

「第二。自分が時間を戻した事実を、他者に悟られてはならない」

「はい」

「第三。過去の自分と接触してはならない」

「でも自分ですよね」

「周囲の問題だ」 

 

 スネイプ先生は低く言った。

 

「自分が二人いると知った人間は、冷静ではいられない。ましてお前のような生徒が二人になれば、被害も二倍だ」

「そんなに?」

「本棚が爆発するぐらいの被害だと思え」

「本棚ならむしろ守ります」

「黙れ」

 

 わたしは黙った。

 

「第四。一日に五時間以上戻ることはできない」

「五時間」

「それ以上は戻れん」

「どうして五時間なんですか?」

「安全上の限界だ」

「誰が決めたんですか?」

「魔法省の神秘部だ」

「魔法省の決めたことは、守らないといけないのですか?」

 

 スネイプ先生の眉間が深くなった。

 

「その質問をする生徒に、これを渡したくないのだが」

「でも、渡すんですよね」

「残念ながらな。とはいえ、安全制御上の問題で五時間以上は戻れないように設定されている」

 

 先生は、もう一枚羊皮紙を取り出した。

 

「第五。タイムターナーは、許可された本人のみが所持する」

 

 スネイプ先生は書類から目線を上げて淡々と言った。

 

「校内に所持者は一人だけだ」

「一人だけ?」

「そうだ」

 

 わたしは少し考えた。

 

「でも、たしかフェルディナンド先輩もOWL試験で全科目履修をしたと聞きました」

「……ブラックは自学自習で全て取得した」

「自学自習で全科目を?」

「授業に出られない科目は、教科書と課題で補った。試験範囲を確認し、担当教師に提出物を出し、必要な評価を受けた。それだけだ」

 

 そういう手段もあったのか。

 自学自習で全科目取得したフェルディナンドが超人のように思えてきて驚く。

 

「グリフィンドールのパーシー・ウィーズリーもですか? ロンが彼も十二科目取ったと言ってました」

「同じだ。自学自習で取得した」

 

 わたしは黙った。

 フェルディナンドはともかく、パーシー・ウィーズリーも自学自習なのか。

 

「私はなぜタイムターナーが認められたんですか? 自学自習でもいいわけですよね」

「体調を悪くして倒れられるよりはその方が良いという判断だ」

 

 スネイプ先生は脅すように声をさらに低くする。

 

「いいか。タイムターナーの所持者は校内に一人。お前だけだ。お前が万が一タイムターナーを使って悪さをした場合、来年度以降の生徒はタイムターナーを使えなくなる。謹んで行動するように」

「……はい」

 

 わたしは気を引き締めて背筋を伸ばした。

 こういう話は知っている。大学の推薦枠のように、上の代の生徒がやらかすと下の代に迷惑がかかる仕組みのようだ。

 

「第六」

 

 スネイプ先生は、さらに羊皮紙をめくった。

 

「卒業後も、タイムターナーを使った事実を公にしてはならない」

「卒業後も?」

「そうだ」

「ずっとですか?」

「ずっとだ」

 

 わたしは眉を寄せた。

 

「それは、使っていなかったことにする、という意味ですか?」

「公式には、通常履修で卒業したことになる」

「でも、実際には時間を戻して授業を受けるんですよね。誰かにどうやってやったのか聞かれたらなんて答えるんですか?」

「特別措置を取ってもらった、自学自習で何とかしたでいい」

「それ、嘘では?」

「他の生徒との公平性を保つためだ。次に、第七。必ず身体から離れないように保管すること。以上だ」

 

 スネイプ先生は、羊皮紙を差し出した。

 先生が読み上げた七つの規則の一番下に署名欄があった。

 わたしが羽根ペンを取ると、スネイプ先生が言った。 

 

「最後に私から一つ」

「はい」

「この道具は、お前を賢くはしない」

 

 わたしは顔を上げた。

 

「授業を増やしても、理解するのはお前だ。時間を戻しても、体調を管理するのはお前だ。課題を増やしても、倒れれば終わりだ」

「はい」

 

 スネイプ先生は、冷たい声で言った。

 

「時間を使えば、代価は必ずどこかで払うことになる。眠気か、疲労か、記憶か、あるいはもっと別のものか。支払いを忘れた者から破綻する」

「……はい」

「ローゼマイン、お前は、限界を忘れるな」 

 

 その言い方が、少しだけいつもと違った。

 怒っているというより、釘を刺している。

 あまりにも信用がない。

 でも、たぶん心配はされている。

 

「分かりました」

 

 わたしは羽根ペンを動かした。

 ローゼマイン・マルフォイ。

 名前を書き終えると、羊皮紙の文字が一瞬だけ光った。

 契約が成立したのだと分かった。

 スネイプ先生は木箱をこちらに押し出した。

 小さな砂時計が、静かに光っている。

 時間を戻す道具。

 時間を増やす道具ではない。

 負債を積む道具。

 そして、たぶん、使い方を間違えれば危険な道具。

 

「首から下げろ。服の下に隠せ」

「はい」

 

 鎖は思ったより冷たかった。

 胸元に砂時計が触れる。

 ほんの少し、重い。

 見た目よりずっと重い。 

 

「それから」

 

 スネイプ先生は、机の引き出しを開けた。

 そこから小瓶を三本取り出す。

 見覚えのある色だった。

 あまりにも見覚えがあった。

 

「先生」

「何だ」

「それ、いつもの薬では?」

「そうだ」

 

 スネイプ先生は淡々と答えた。

 小瓶を一本、二本、三本と机の上に並べる。

 並べ方が、処刑台に薬瓶を置いているみたいだった。

 

「タイムターナー使用期間中は、通常の三倍量を持たせる」

「三倍? 今三倍とおっしゃいましたか?」

「そうだ。耳は正常なようだな」

「正常だから聞き返しています」

 

 わたしは小瓶を見た。

 普段飲んでいるスネイプ先生の優しさゼロのとてもまずい薬。

 それが三倍。 

 

「そんなに飲むんですか?」

「飲む量を三倍にするという意味ではない。馬鹿なことを考えるな」

「良かったです」

 

 スネイプ先生は小瓶のラベルを指で叩いた。

 

「これは予備だ。お前は通常よりも長く起きて、通常よりも多く歩き、通常よりも多く魔力を使う。倒れる確率も通常より上がる」

「通常より、という言葉が多いです」

「お前が通常から外れるからだ」 

 

 ひどい。

 でも、反論はしづらい。

 

「朝と夜の服用は今まで通り。追加で、タイムターナーを使用した日は、その分一回服用を増やすように。疲労、頭痛、動悸、魔力の揺れ、食欲不振、発熱、記憶の混乱があれば即座に報告しなさい。時間割を鑑みるに、毎日一回は使用が必要になるだろう。一週間経って、問題無ければ継続して使用していい。以上だ」

 

 わたしは急いで立ち上がった。

 扉に向かう途中、胸元の砂時計が小さく揺れる。

 時間が、服の下に隠れている。

 誰にも見せてはいけない。

 誰にも言ってはいけない。

 卒業後も、使っていなかったことにしなければならない。

 それはまるで、禁書を一冊、心臓の近くに隠して持ち歩くみたいだった。

 わたしは廊下に出た。

 ホグワーツの階段は、いつも通り気まぐれに動いている。

 誰も、わたしの胸元にある時間には気づいていない。

 わたしは小さく息を吸った。

 全科目履修。

 読める本が増える。

 受けられる授業が増える。

 でも、時間は増えない。

 増えるのは、支払いだけ。

 それでも。

 わたしはタイムターナーを服の上から押さえた。

 

 それでも、読む教科書が増えるのなら使いこなしてみせる。そう思った。

 





安定して書けるようになってきたので、これからは12:04更新にしたいと思います。数占いでは7が強いらしいので、合わせて7になる数字にしました。
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