本好きの魔女、闇の帝王を読書仲間にする。   作:bookworm

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59話 恋に効く読書会

 

 ユールボールのあと、ホグワーツには、少しだけ恋愛の浮ついた空気が残っていた。

 

 少しだけ、というのはかなり控えめな表現だ。

 

 正確に言うなら、ホグワーツ全体が、ほんのり砂糖菓子の匂いをまとったようになっていた。廊下では誰と誰が踊っただの、誰が誰を誘っただの、誰のドレスローブが似合っていただの、誰が誰の足を踏んだだの、そういう話がミツバチのように飛び交っていた。

 

 そして、困ったことに。

 

 魔法書研究会にも、そのミツバチが侵入していた。

 

 魔法書研究会とは、魔法書を読み、魔法書について語り、魔法書に関する不審な事件を調べ、たまに学校の闇を踏み抜く会である。

 

 恋愛相談所ではない。

 

 なのに、最近はどうも様子がおかしい。

 

「ハリー、今日も来ないの?」

 

 わたしが聞くと、ルーナがふわっと顔を上げた。

 

「チョウと一緒にいるんじゃないかな。恋人になると、たまに人は足が二本では足りなくなるもの」

 

「足が二本では足りない?」

 

「行きたい場所が増えるんだよ」

 

 ルーナの説明は、いつも分かるような分からないようなところに着地する。

 

 ハリーはチョウ・チャンと付き合い始めた。恋愛重視で魔法書研究会にあまり姿を見せなくなった。ハリーいわく、ハリーが女子生徒と一緒にいるのを見るとチョウが嫉妬するかららしい。

 

 まあ、それはいい。

 

 ハリーはずっと命を狙われたり、疑われたり、変なバッジを作られたりしてきたのだ。少しくらい浮かれても罰は当たらない。

 

 ただし、問題はその周辺に発生していた。

 

「ハーマイオニーもいないね」

 

「図書室にはいる」

 

 パドマが新聞から顔を上げずに言った。

 

「え、じゃあなんでここに来ないの?」

 

「クラムといるから」

 

 なるほど。

 

 同じ図書室の中にいるのに、魔法書研究会の机には来ない。

 

 それはもう、かなり重症ではないだろうか。

 

「ハーマイオニーも忙しいんだね」

 

「本と恋の両立って大変そうだよねー」

 

 ロメルダはデコレーションされた羽ペンを片手にけらけら笑った。

 

 そして、今日の一番面倒な問題は。

 

「……別に、僕は気にしてない」

 

 ロンだった。

 

 ロンは机に突っ伏していた。髪型は寝癖でとても生えていて、髪まで機嫌が悪そうに見える。

 

「誰が誰と図書室で一緒にいようと、僕には関係ないし」

 

「ロンロン、チョコ食べる? マダム・ピンスに見られないうちに」

 

「食べる」

 

 ロメルダが包みを開けて、ロンの前にチョコを置いた。

 

 ロンは拗ねた顔のままチョコを食べた。

 

 すごい。

 

 拗ねながら食べている。

 

「僕は別に、クラムがどうとか思ってない。ハーマイオニーもなんで敵と絡んでるんだ?」

 

「はいはい、そっかー。じゃあこっちの砂糖羽根ペンも食べる?」

 

「食べる」

 

 また食べた。

 

 魔法書研究会の全員が、そっとロメルダを見た。

 

 ロメルダは親指を立てた。

 

「これでもあたしんち、弟が3人いるんだよねー。男子の拗ねは糖分で一時停止できるから任せて」

 

「一時停止なんだ」

 

「解決はしないよ。そこまでは面倒見きれんし」

 

 ひどいが、的確だった。

 

 アーニーはその横で、真剣な顔で羊皮紙に何かを書いていた。パドマも新聞を折りたたみ、羽ペンを構えている。

 

「第二の課題は、料理対決に違いない」

 

 アーニーが厳かに言った。

 

「根拠は?」

 

 パドマが尋ねる。

 

「金の卵には何かが入っている。なら、割る、温める、茹でる、焼くなどの可能性が」

 

「料理対決になっているわ」

 

「トライウィザード・トーナメントとは、三大魔法学校対抗料理試合だったんだ」

 

「違うと思う」

 

「でも、もし卵なら」

「アーニー、卵から離れて」

 

 アーニーは真剣だった。

 真剣すぎて、かなり外していた。

 ハッフルパフ生がなぜアーニーの仮説箱を読むのか、少し分かった気がする。外れる過程がとても丁寧なのだ。

 

 どうやらアーニーとパドマは、第二の課題を推理するゲームをしているらしい。

 

 ゲームと言いつつ、かなり本気である。羊皮紙には「火の次は水?」「金の卵で作る卵焼きは美味しいのか」「ドラゴンの卵は食べられるのか」など、不思議な組み合わせの単語が並んでいた。

 後半二つがアーニーの時点で勝敗は見えている気がした。

 

「そういえばさー」

 

 ロメルダが急に声をひそめた。

 

 声をひそめたのに、目だけは妙に輝いている。これはよくない話をするときの顔だ。

 

「トム様、フラ様と別れたっぽいよ」

 

 羽ペンが止まった。

 

 アーニーが身を乗り出す。

 

「情報源は?」

 

「女子の噂」

 

「信頼度は?」

 

「リータ・スキーターよりは上」

 

「それは信頼度が高いのか微妙なところね」

 

 パドマが真顔で言った。

 

「そもそも付き合っていたのかも曖昧だったけどねー。でも、ユールボール後にちょっと空気変わったっぽいんだよね。で、あたし見ちゃったんだけど」

 

「何を?」

 

「トム様とブクマちゃんが一緒にいたとこ」

 

「一緒にいたって、話してただけだよ」

 

「その“話してただけ”が一番怪しいんだよねー」

 

「怪しくないよ。本の話だったし」

 

「出た。本好きの免罪符」

 

 ロメルダがびしっと指を差してくる。

 

「何でも本の話にすれば許されると思ってるっしょ」

 

「許されないの?」

 

「許される時と許されない時がある」

 

 わたしはただ、トムに『薔薇色の惚れ薬は二度効く』を勧めただけである。

 別に、変なことはしていない。

 

「マイン」

 

 低い声がして、わたしは顔を上げた。

 

 目の前にトムが立っていた。

 

 図書室にいる女子の何人かが入口付近で一斉に姿勢を正した。

 怖がっているのか、ときめいているのか、どちらなのか分からない。

 たぶん両方だ。

 ロメルダもしきりにメイクが変じゃないか手鏡で確認している。

 

「少し時間ある?」

 

「あるよ。どうしたの?」

 

「ホグズミードに行かないか」

 

 図書室の空気が止まった。

 ロメルダの目が、今までで一番輝いた。

 

「ほらー!」

 

「何がほらなの?」

 

「ほらじゃん!」

 

「だから何が?」

 

「ホグズミードに誘うのは、ほらじゃん!」

 

 トムはさらっと答えた。

 

「トムズ・アンド・スクロールズで古書フェアを開催しているらしい」

 

「行く」

 

 即答だった。

 

 ロメルダが机を叩いた。

 

「ブクマちゃん、ちょろ!」

 

「本屋だよ?」

 

「だからちょろいんだよ!」

 

 失礼な。

 

 ただ、問題が一つあった。

 

「わたしホグズミード行ったことない」

 

 今度こそ、全員がわたしを見た。

 

「許可書はあるんじゃないの?」

 

 パドマが聞く。

 

「持ってるよ。でも体調が悪かったり、授業の補填があったり、本を読んでたりして、まだ行ってない。お父さまに、行くときはお兄さまに聞いてって言われてるんだよね」

 

「本読んでるのがだいたいの理由だろ」

 

 ロンがぼそっと言った。

 

 否定しきれない。

 

「お兄さま、ホグズミードに行ってもいい?」

 

「ああ、いいんじゃないか」

 

 珍しく返事が早い。いつもなら、色々な理由をつけて安全か確認しようとするのに。

 

 でも、何か上の空だった。

 

「本当に聞いてた?」

 

「聞いていた。ホグズミードだろう。いいんじゃないか」

 

「いいんだ」

 

「ああ」

 

 ドラコはもう一度、本に目を落とした。

 

 文字を追っていない。それどころか、本が逆さまだった。

 

「何かあったのか?」

 

 アーニーがたずねる。

 

「何もない!」

 

「本、逆さだよ」

 

 ドラコは無言で本を戻した。

 

 これは何かあった。

 

「フォイ君も絶対なんかあったでしょ」

 

「だよね……」

 

 アストリア関連だろうか。アストリアは図書室には来ていなかった。

 

 

 

 *

 

 

 

 新学期の占い学の授業では水晶占いを学ぶことになった。

 

「みなさん」

 

 トレローニー先生が、いつものようにふわふわした声で言った。

 

「今日から、いよいよ水晶占いに入ります」

 

 教室のあちこちで、小さなどよめきが起きた。

 茶葉占いの時は、カップの底に残った茶葉を見ればよかった。

 手相占いの時は、手のひらの線を見ればよかった。

 どちらも、少なくとも見るものはある。

 でも、水晶占いは違う。

 水晶玉の中に何かが見えなければ、何も占えない。

 つまり、何も見えない場合、どうしようもない。

 かなり不親切な占いだと思う。

 

「水晶玉は、心の奥にある内なる目を映します」

 

 トレローニー先生は、黒い布をそっと取った。

 水晶玉が、ランプの光を受けて白く光る。

 

「茶葉や手相は、すでに現れている予兆を探す占いです。けれど水晶は、予兆の方から現れるのを待たなければなりません。焦ってはいけません。見よう、見ようとすればするほど、未来は霧の奥へ逃げてしまいます」

 

 トレローニー先生は、薄いショールを揺らしながら教室を歩いた。

 

「水晶玉に何が見えるかは、人によって異なります。霧の中に人影を見る者もいれば、動物を見る者、建物を見る者、色や音のように感じ取る者もいます。特に、強く心惹かれるものがある生徒は、その形を通して未来を見ることが多いのです」

 

 それを聞いて、わたしは少し安心した。

 強く心惹かれるもの。

 それなら、本だ。

 もし本が見えるなら、占いとしてはかなり読みやすい。

 本は開けば読める。

 題名があり、目次があり、本文があり、場合によっては索引もある。

 未来にも索引があればいいのに。

 

「では、始めましょう。水晶玉をのぞき込み、呼吸を整え、そこに現れるものを受け入れるのです」

 

 わたしは水晶玉をのぞき込んだ。

 最初は、何も見えなかった。

 白い霧。

 自分の顔のぼんやりした影。

 揺れるランプの光。

 それだけ。

 周りでは、ちらほら声が上がり始めた。

 

「煙みたいなのが見える」

「僕は塔かな」

「それ、さっきから教室の柱が映ってるだけじゃない?」

「先生、丸いものが見えます」

「水晶玉じゃない?」

 

 水晶占いは難しそうだ。

 わたしはもう少し顔を近づけた。

 霧の奥が、少しずつ暗くなる。

 暗いというより、紙の影のようなものが重なった。

 ページだ。

 わたしは瞬きをした。

 水晶玉の中に、一冊の本があった。

 黒い装丁の本。

 銀色の留め具。

 表紙には題名がない。

 本は、机に置かれているわけではなかった。水晶玉の中の霧の上に、ふわりと浮かんでいる。誰も触れていないのに、表紙が開いた。

 ページがめくれる。

 文字がある。

 わたしは息を止めた。

 読める。

 完全ではない。ところどころ、インクが水に溶けたみたいににじんでいる。けれど、確かに文章だった。

 

『■■の奥で、時を持つ者は』

 

 読めない。

 大半がにじんでいる。

 次の行。

 

『五つ目の鐘を越えたとき、死者が戻ったとき、八つに裂かれし王の欠片の一つが永遠に王の下を立ち去る』

 

 

 かろうじて読めたのはその行だけだった。

 わたしは水晶玉にさらに目を凝らした。

 ページの横には挿絵があった。

 黒い線がぐるぐると重なった絵。

 迷路に見える。

 その中心に、小さな砂時計。

 砂時計にはひびが入っていた。

 その下には、白い手袋のようなもの。

 手袋の先だけ、赤く染まっている。

 そして、ページの端に、角のような細い線が描かれていた。

 鹿の角に見えた。

 わたしは思わず顔を上げた。

 

「先生」

 

 トレローニー先生が、ふわりとこちらを向いた。

 

「何か見えましたか、ミス・マルフォイ?」

「本が見えます」

 

 トレローニー先生は、一瞬だけ黙った。

 

「……本?」

「はい。水晶玉の中に本があります。本文と挿絵があります」

「それは、あなたの願望ではなく?」

「願望なら、もっと厚い本です」

 

 何人かが吹き出した。

 トレローニー先生は、少し困った顔をした。

 

「水晶占いは、人によって見え方が異なります。先ほども言った通り、心が強く惹かれるものの形を通して予兆が現れることがありますわ。ミス・マルフォイの場合、それが本なのでしょう」

「つまり、わたしは未来を本として読んでいるんですか?」

「その可能性はありますわ」

 

 先生は、少しだけ真面目な顔になった。

 

「ただし、すべての文字が読めるとは限りません。未来はまだ固定された本文ではありません。にじみ、欠け、挿絵だけを残すこともあります」

「挿絵は見えました」

「何が?」

「迷路と、ひびの入った砂時計と、赤く染まった白い手袋と、鹿の角みたいなものです」

 

 トレローニー先生の顔から、いつもの大げさな笑みが消えた。

 教室の暑さが、少しだけ遠くなった気がした。

 

「強い象徴ですわね。あなたの未来には危険が差し迫っているのかもしれませんわ」

 

「先生、目次はありませんか?」

 

 トレローニー先生は、悲しそうにわたしを見た。

 

「未来には、目次がないことの方が多いのです」

「不便ですね」

「ええ、とても」

 

 先生に同意された。

 その時、隣のルーナが静かに言った。

 

「わたしはユニコーンが見えるわ」

 

 今度は全員がルーナを見た。

 ルーナは、水晶玉をのぞき込んだまま、ふわっと微笑んでいる。

 

「白いユニコーン。森の端にいるの。角が少し曇っているわ」

「ルーナ、ユニコーン?」

 

 わたしが聞くと、ルーナは頷いた。

 

「ええ。でも、水晶玉の中だけではないかもしれない。水晶玉の向こう側にいるみたい」

「向こう側?」

「見ているというより、こちらを見ているの」

 

 トレローニー先生がゆっくり近づいた。

 

「ミス・ラブグッド、ユニコーンは清らかさ、守護、癒やしの象徴です。けれど角が曇っているなら、守護が弱まる、あるいは癒やしが届かない暗示かもしれません」

「角が曇るのは、近くに時間の砂を食べる小さな虫がいる時にも起きるわ」

 

 ルーナは当然のように言った。

 トレローニー先生は固まった。

 

「……時間の砂を食べる虫?」

「ええ。お父さんは、砂喰い虫と呼んでいるわ。時計や砂時計の近くに集まるの。普通の砂じゃなくて、使われなかった砂を食べるのよ」

 

 教室の空気が、何とも言えないものになった。

 でも、分からないことは、だいたい本で調べるべきだ。

 

「ルーナ、その砂喰い虫について書いた本はある?」

「お父さんの記事ならあると思うわ」

「読みたい」

「今度持ってくるわ」

 

 トレローニー先生は、わたしたちを見比べて、少しだけ遠い目をした。

 

「……占い学の授業で、参考文献の相談が始まるとは思いませんでしたわ」

「でも、予兆を正しく読むには資料が必要です」

「それは、ある意味では正しいです」

 

 先生はため息をついた。

 

「けれど、覚えておいてくださいませ。水晶玉は本ではありません。見えたものを、読みやすい形に変えてくれることはあっても、未来そのものを完全な文章にしてくれるわけではないのです」

「じゃあ、水晶玉は不完全な本ですね」

「……そう言われると、否定しにくいですわ」

 

 トレローニー先生は、少し疲れた顔をした。

 授業の終わりに、先生は宿題を出した。

 水晶玉で見えたものを記録し、可能な象徴解釈を三通り書いてくること。

 これは、もっと資料がいる。

 隣でルーナは、ゆっくり羽根ペンを動かしていた。

 

「ユニコーンは何の予兆だと思う?」

 

 わたしが聞くと、ルーナは少し考えた。

 

「誰かを守りたいものが、近くにいるのだと思うわ」

「誰かを?」

「ええ。でも、角が曇っているから、守り方を間違えるかもしれない」

 

 わたしは水晶玉をもう一度見た。

 中には、もう何も映っていない。

 白い霧だけだった。

 

 

 翌日、わたしはトムと一緒に、ホグズミードへ行くことになった。

 

 ホグズミードは、雪が残っていて、屋根も道も白かった。煙突から煙が上がり、店の看板が風で揺れている。生徒たちの笑い声があちこちから聞こえて、いつものホグワーツとは少し違う、外の世界の匂いがした。

 

 ただし、わたしには一つ気になることがあった。

 

 視線である。

 

 ものすごく見られている気がする。

 

 通りすがりのホグワーツの女子生徒が、こちらを見てひそひそ話している。

 男子生徒も見ている。

 

「まず本屋だね」

 

「君は本当にぶれない」

 

「本屋に誘ったのはトムだよ」

 

「そうだった」

 

 トムズ・アンド・スクロールズは、古い木造の本屋だった。看板には、巻物をくわえた黒猫の絵が描かれている。扉を開けると、乾いた羊皮紙とインクと古い革の匂いがした。

 ダイアゴン横丁の本屋とはまた違った良さがある。

 いい匂い。

 わたしは深く息を吸った。

 

 本棚は天井近くまであり、魔法史、呪文学、古代文字、薬草学、決闘術、恋愛指南書まで並んでいた。

 

 

 わたしは魔法史の本を三冊、古い呪文学の本を二冊、あと『複合象徴事典』という本を買った。水晶占いの課題に使えるかもしれないと思ったからだ。

 

 トムはわたしの買った本を見て、少しだけ目を細めた。

 

「占い学の本?」

 

「水晶占いで本の挿絵と文章が見えたから、どんな象徴なのか調べようと思って」

 

「君らしい見え方だね」

 

 絶対に半分くらい褒めていない。

 

「三本の箒で本を読んでいこう。まだあの店あるよね?」

 

 三本の箒はパブだった。店内は暖かく、人でいっぱいだった。テーブルの間を縫うようにして進むと、トムが隅の席を選んだ。

 

 初めてのバタービールは、甘くて温かくて、少し不思議な味がした。

 

「おいしい」

 

「気に入った?」

 

「うん。読書に合いそう」

 

「何でも読書に合わせるね」

 

「本を読む時間が人生の中心だからね」

 

 わたしはさっそく、さっき買った『複合象徴事典』を開こうとした。

 

 すると、トムがその上に手を置いた。

 

「読む前に、少し話がある」

 

 トムの声は静かだった。

 

 わたしは本を閉じた。

 

「タイムターナーのことだ」

 

 その言葉に、わたしは思わず周囲を見た。

 

 誰かが聞いていないか、少し不安になったからだ。

 

 トムは「マフリアート」と言った。

 

「君が戻る日を、あらかじめ知っておきたい」

 

「どうして?」

 

「僕も一緒に戻るから」

 

 バタービールの泡が、口の中で変なところに入った。

 

「えっ」

 

「この前言っただろう。君が日記を持っている限り、君が戻れば僕も戻る」

 

「そうだけど……毎回?」

 

「毎回」

 

「大変じゃない?」

 

「大変だったよ」

 

 トムはにっこり笑った。

 

 笑っているのに、少し怖い。

 

「君はだいたい、授業の都合で決まった時間に戻る。そこは分かりやすい。朝の授業を受けて、昼食を食べて、五時間以内に戻っているよね?」

 

「うん」

 

「だから、僕もだいたい予測できた。ところが、たまに何の前触れもなく戻る日がある」

 

「ああ……」

 

「急に前触れもなく過去に戻るのはなかなか刺激的だったよ」

 

「ごめん」

 

「怒ってはないよ」

 

 トムは小さなカレンダーを出した。綺麗に日付が書き込まれている。

 几帳面だ。

 

「この日」

 

 トムが一つの日付を指した。クリスマスの少し前だ。

 

「君は予定外に戻った」

 

「ええと……その日は……」

 

 わたしは記憶をたどった。

 

「あ」

 

「思い出した?」

 

「倒れた日だ」

 

 トムの目が細くなった。

 

「なるほどね」

 

 その一言には、いくつもの納得が詰まっていた。

 

 わたしはたまに突然倒れる。体調を崩して、その分の授業を補填するためにタイムターナーを使ったことが何度もあった。

 

 つまり、わたしにとっては必要な補填でも、トムにとっては突然の時間逆行だったわけだ。

 

「倒れる予定まで共有しろとは言わないよ」

 

「倒れる予定はわたしにも分からないよ」

 

「だろうね。だから、戻る前に日記へ一言書いて」

 

「今から戻るよ、って?」

 

「それでいい」

 

「分かった。今度から書く」

 

「できれば、理由も」

 

「倒れたから戻る、とか?」

 

「そう」

 

「分かった」

 

 わたしはうなずいた。

 

「でも、トムも大変だったんだね」

 

「君といると退屈はしないよ」

 

 そのあと、わたしはようやく本を開いた。

 

 トムは何も言わなかった。ただ、向かい側で静かにバタービールを飲んでいた。

 

 周囲の視線はまだあったけれど、本を読み始めると、あまり気にならなくなった。

 

 だって本の方が大事だから。

 

 そして翌朝。

 

 日刊予言者新聞が、すべてを台無しにした。

 

 

 *

 

 

 日刊予言者新聞 

 社会面

 

 代表選手たちを虜にする読書会

 

 若き英雄たちは本当に自分の意思で恋をしているのか

 

 ホグワーツで、いま奇妙な噂が広がっている。

 

 舞台は、図書室の一角。

 

 表向きは、本好きの生徒たちが集まる穏やかな研究会。

 その名も、魔法書研究会。

 

 しかし本紙は、この小さな読書会の周辺で、あまりにも不自然な“恋の連鎖”が起きていることを確認した。

 

 トライウィザード・トーナメントの代表選手たちが、次々とこの研究会の関係者に接近しているのである。

 

 まず、ダームストラング代表のビクトール・クラム氏。

 

 世界的クィディッチ選手であり、寡黙で知られる彼が、ホグワーツの一女生徒ハーマイオニー・グレンジャー嬢と図書室で頻繁に二人きりになっていることは、すでに多くの生徒が目撃している。

 

 次に、謎多き代表選手トム・ジェドゥソール氏。

 

 ボーバトンの華、フラー・デラクール嬢との親密な関係が噂されていた彼は、ユールボール後、なぜか魔法書研究会のメンバーであるローゼマイン・マルフォイ嬢とホグズミードで二人きりの時間を過ごしていた。

 

 本屋、菓子店、三本の箒。

 

 若い魔法使いと魔女の外出としては、あまりにも分かりやすい道順である。

 

 そして、ハリー・ポッター氏。

 

 こちらはチョウ・チャン嬢との交際が始まったばかりだが、興味深いことに、ポッター氏もまた魔法書研究会に出入りしていた一人である。

 

 偶然だろうか。

 

 代表選手たちの恋模様の背後に、必ずと言っていいほど魔法書研究会の影がちらつくのは。

 

 同会の中心人物の一人であるローゼマイン・マルフォイ嬢は、名門マルフォイ家の令嬢であり、幼い見た目に似合わず、禁書や古い魔法書への強い関心で知られている。

 

 ある生徒は匿名を条件に、こう語った。

 

「彼女たちはいつも図書室で何か調べています。普通の宿題には見えません。惚れ薬について話しているのを聞いた生徒もいます」

 

 惚れ薬。

 

 魔法界の若者の間では冗談めかして語られることも多いが、その本質は決して軽いものではない。

 相手の意思に干渉し、感情を歪める危険な薬である。

 

 そして本紙が注目するのは、魔法書研究会の周辺で繰り返される“本”と“恋”の奇妙な結びつきだ。

 

 ローゼマイン嬢がジェドゥソール氏に勧めたとされる本の題名は、『薔薇色の惚れ薬は二度効く』。

 

 題名からして、惚れ薬そのものを扱った本である。

 

 関係者によれば、同書は単なる恋愛小説ではなく、惚れ薬が人の心に与える影響について、かなり踏み込んだ内容を含んでいるという。

 

 では、なぜその本が、よりにもよってジェドゥソール氏に手渡されたのか。

 

 トム・ジェドゥソール氏の母親がマグルの男性に惚れ薬を盛り子どもを作ったという話がある。

 もしそれが事実ならば、この本の選択は偶然にしてはあまりにも残酷で、あまりにも的確である。

 

 別の生徒はこう証言する。

 

「ジェドゥソール氏は普段、誰かの言うことを簡単に聞く人ではありません。でもマルフォイ嬢の本の話だけは、なぜか最後まで聞くんです。あれは普通じゃありません」

 

 普通ではない。

 

 この言葉は、グレンジャー嬢とクラム氏の関係にも当てはまる。

 

 グレンジャー嬢は、成績優秀で知られる魔女である。

 だが、世界的なクィディッチ選手であるクラム氏が、なぜ突然、成績以外いたって普通な少女にここまで強く惹かれたのか。

 

 もちろん、知性に惹かれたのだという美しい説明も可能だ。

 

 しかし、ホグワーツの図書室には優秀な生徒がほかにもいる。

 その中で、なぜ魔法書研究会の関係者ばかりが代表選手の関心を集めるのか。

 

 興味深いことに、同会では新聞作成も行われているという。

 

 羽ペン通信。

 

 噂に注釈を入れることを掲げる、学生による小さな紙面だ。

 

 だが、噂に注釈を入れる者たちが、自分たちに都合の悪い噂にはどのような注釈をつけるのだろうか。

 

 ある保護者は本紙にこう語った。

 

「子どもたちが読書会をするのは結構です。しかし、そこに代表選手や外国校の生徒が集まり、恋愛沙汰が続くとなると話は別です。薬物が関わっていないと、誰が断言できるのでしょうか」

 

 なぜ代表選手たちは、次々とこの研究会の周辺に引き寄せられるのか。

 

 そして、もしこれがすべて偶然だというなら──

 

 魔法書研究会とは、ずいぶん恋に効く読書会である。

 

 トライウィザード・トーナメント第二の課題を前に、代表選手たちに求められるのは、勇気だけではない。

 

 自分の心が、本当に自分のものなのか。

 

 それを見極める冷静さこそが、いま最も必要なのかもしれない。

 

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