本好きの魔女、闇の帝王を読書仲間にする。   作:パラプリュイ

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作者が一番楽しみながら書いてるマルフォイ家の家族会議ですが、なぜか番外編なのにいつも本編よりアクセス数がいいんですよね。みんなそんなにルシウスの胃が痛むのが見たいんですかね。

先に言っておきますが、今回は珍しくルシウスの胃は痛まなそうです。




番外編 マルフォイ家の家族会議⑥

 

 

 朝食の席で、ルシウス・マルフォイは日刊予言者新聞に目を通していた。

 

 読む、というほど熱心ではない。

 

 日刊予言者新聞の記事にいちいち心を動かしていては、貴族の当主など務まらない。魔法省の顔色をうかがった政治記事。無駄に煽情的な事件記事。そして、リータ・スキーターの署名が入った、羽音ばかりうるさい文章。

 

 その日の紙面には、ブラック家に関する記事が載っていた。

 

 《炎のゴブレット、異例の四人目を選出》

 

 《ハリー・ポッター、ブラック家の次なる後継者か》

 

 ルシウスは眉一つ動かさなかった。

 

 実に馬鹿げている。

 

 フェルディナンド・ブラックが代表選手に選ばれたことと、ハリー・ポッターが四人目の代表選手として巻き込まれたことを、あたかもブラック家の当主争いであるかのように書いている。

 

 署名は、やはりリータ・スキーターだった。

 

 驚きはない。

 

 あの女なら書く。むしろ、ここで書かなければリータ・スキーターではない。

 

 問題は記事の内容そのものではなかった。

 

 問題は、フェルディナンド・ブラックから届いた手紙である。

 

 ルシウスは、新聞の横に置いた羊皮紙をもう一度開いた。

 

『シリウスが怒っています。日刊予言者新聞に乗り込む前に、誰かが止めた方がいいでしょう。ルシウスさんなら止められると信じています』

 

 なぜだ。

 

 ルシウスは心からそう思った。

 

 フェルディナンドは、ルシウスを何だと思っているのか。シリウス・ブラックを止める役目など、マルフォイ家の業務範囲に含まれていない。そもそも、ルシウスはシリウスとほとんど関わったことがなかった。学生時代に廊下ですれ違い、互いに不愉快な顔をした記憶ならある。その程度だ。

 

 だが、手紙には追伸があった。

 

『ハリーも巻き込まれていて大変な思いをしているらしいです。子を持つ親なら理解できるでしょう』

 

 ルシウスは新聞を畳んだ。

 

 これはずるい。

 

 親友の息子であるハリー・ポッターと、弟であるフェルディナンド・ブラックが侮辱されて、シリウス・ブラックはたいそうご立腹らしい。

 

 ご立腹なら自分で解決してほしい。

 

 そう思いながらも、ルシウスは夕食の席にシリウス・ブラックを招く手配をした。

 

 もちろん、招待状は丁寧に書いた。

 

 丁寧に書いたが、中身はほとんど呼び出し状だった。

 

 数日後の夕刻、シリウス・ブラックはマルフォイ邸に現れた。

 

 怒っていた。

 

 玄関に入った瞬間から、すでに怒っている。感情の制御が足りない。だが、呼んだ以上、席には着かせなければならない。

 

「日刊予言者新聞に訂正を出させるべきだ」

 

 席につくなり、シリウスは言った。

 

 前菜すらまだ運ばれていない。

 

「リータ・スキーターはクビにするべきだ。あの女、ハリーを何だと思ってる。フェルディナンドのこともだ。ブラック家を見世物にしやがって。吠えメールを百通送ってやる」

 

「まず落ち着け、ブラック」

 

「俺は落ち着いている」

 

「精神的にだ」

 

 シリウスはルシウスを睨んだ。

 

 ルシウスは気にしなかった。

 

 ナルシッサは静かに微笑んでいる。彼女はシリウスとは親戚ではある。だが、親しいかと聞かれれば、答えは明白だった。

 

 全然、仲良くない。

 

 それでもナルシッサは、優雅にカップを持ち上げた。

 

「シリウス。お互い、子どもを心配する立場ですもの。今日は冷静に話しましょう」

 

「俺は冷静だ」

 

 嘘だった。

 

 ルシウスは紅茶を飲みながら、どうにかシリウスの怒りを会議に使える程度まで下げることにした。

 

「訂正記事は求める。だが、君が新聞社へ怒鳴り込めば、次の記事の見出しは決まるぞ。『シリウス・ブラック、日刊予言者新聞社で暴れる』だ」

 

「暴れなければいいんだろ」

 

「君にそれができるなら、フェルディナンドは私に手紙を書かない」

 

 シリウスは言い返そうとして、黙った。

 

 自覚はあるらしい。

 

「新聞に一度書かれたら、誰も確かめない」

 

 シリウスは低く言った。

 

「後から訂正が出ても、真実なんて追いつかない。俺はそれを知ってる」

 

 その一言で、食卓の空気が少しだけ重くなった。

 

 シリウス・ブラックは、新聞と世論に人生を塗りつぶされた男だった。裏切り者。殺人犯。脱獄囚。そう書かれ、そう信じられ、そう扱われてきた。

 

 だからこそ、シリウスの怒りは軽くない。

 

 ルシウスは少しだけ沈黙した。

 

「ならばなおさら、相手に次の見出しを与えるな」

 

 シリウスは不本意そうに息を吐いた。

 

「……そこだけは正しい」

 

「君に認められるために言ったのではない」

 

「相変わらず腹立つな、マルフォイ」

 

「君ほどではない」

 

 ナルシッサが、話題を変えるようにほがらかに言った。

 

「そういえば、ローゼマインたちが『羽ペン通信』という校内新聞を作り始めたそうですわね。リータ・スキーターの記事に対抗して、検証記事も載せているとか」

 

「ハリーも関わっているんだったな」

 

 シリウスの表情が少し変わった。

 

 分かりやすい男だ。

 

「そういう反骨精神はジェームズに似ている」

 

 何がだ。

 

 ルシウスはそう思った。

 

 だが、ここで突っ込むと面倒になるので、適当にうなずいておいた。

 

「そうか」

 

「そうだ。ジェームズも黙ってやられっぱなしにはならなかった」

 

「それは大変だっただろうな」

 

「何がだ」

 

「周囲が」

 

 シリウスはむっとした顔をしたが、否定はしなかった。

 

 魔法書研究会が始めた校内新聞『羽ペン通信』。

 

 実のところ、ルシウスはその新聞のかなり熱心な読者だった。

 

 理事会として出資もしている。毎号、紙面も取っている。しかも一部ではない。マルフォイ家用、保管用、万一汚れた時の予備用である。

 

 ローゼマインの記事や、ドラコが関わった記事は、ドビーに頼んでスクラップブックにまとめていた。

 

 ドビーはすでに三冊目のスクラップブックを作っている。

 

 ルシウスはそれを資料と呼んでいた。

 

 ナルシッサは何も言わなかった。資料というには、息子や娘の記事の周囲に金の縁取りが多すぎたからだ。

 

 もちろん、本人たちには言っていない。

 

 言う必要がない。

 

 父親が息子と娘の記事を保存するのは当然のことであり、それをわざわざ子どもに報告するのは威厳を損なう。

 

 ローゼマインは妙な方向に全力で走る記事を書く。ドラコは意外にも、事実関係の整理が悪くない。二人とも、良い記事を書く。

 

 羽ペン通信は、またたく間に保護者の間でも少し人気が出始めていた。

 

 理由は単純だ。

 

 読むと、ホグワーツで何が起きているのか、だいたい分かる。

 

 日刊予言者新聞の記事では、校内の出来事は大げさな事件か、恐ろしい陰謀か、誰かの恋愛沙汰に加工される。だが羽ペン通信は、少なくとも子どもたちの日常に近かった。

 

 何の本が流行っているのか。

 

 代表選手たちの応援バッジがどうなっているのか。

 

 ロメルダ・ベインという記者が、なぜか全員に妙なあだ名をつけていることまで分かる。

 

 ナルシッサは、そのロメルダの記事を特に楽しげに読んでいた。

 

「この子の記事、面白いわ。青春時代を思い出すわね」

 

 ルシウスは紙面をのぞいた。

 

 見出しにはこうあった。

 

 《代表選手、顔面偏差値で世界救える説》

 

 意味が分からない。

 

 だが、ナルシッサは楽しそうだった。

 

「この“フェル先ガチ恋勢、我らが魔王バッジで勢力拡大中”という一文、勢いがあるわ」

 

「シシー。それは新聞なのか?」

 

「新聞よ。少なくとも、子どもたちが今なにで騒いでいるかはよく分かるもの」

 

 確かに、分かる。

 

 分かりたくないことまで分かる。

 

 『羽ペン通信』によると、トム・ジェドゥソールの応援バッジは、いじると「魅力は校則違反」と表示されるらしい。フェルディナンド・ブラックのバッジは「我らが魔王!」に変わるらしい。ハリー・ポッターのバッジは「生き残った勇者ハリーを応援しよう」と出るらしい。

 

 ルシウスはしばらく紙面を見つめた。

 

 日刊予言者新聞よりは、まだ害が少ない。

 そう判断した。

 

 

 しばらくして、ドラコから手紙が来た。

 

 ユールボールでパートナー選びが始まるらしい。

 

 羽ペン通信の記事では微笑ましく読めた話題も、我が家の問題となると別だった。

 

 ルシウスはすぐに返事を書いた。

 

 ローゼマインが変な相手を見つける前に、適切な相手を見繕うように。

 

 ドラコからの返事は短かった。

 ドラコはアストリア・グリーングラスと行く。マインはドラコの友人であるセオドール・ノットと行くらしい。

 

 ルシウスは手紙を見つめた。

 

 ドラコがアストリア・グリーングラス。

 

 悪くはない。グリーングラス家は名家だ。血筋も申し分ない。だが、アストリアには血の呪いがあると聞いたことがある。ドラコの相手としてどうなのか、心配がないわけではない。

 

 夕食後、その話をナルシッサにすると、彼女は少し考えてから微笑んだ。

 

「ローゼマインに似ているからこそ、惹かれたのかもしれませんわね」

 

「……体が弱いところがか」

 

「ええ。それだけではありません。弱さを抱えていても、静かに自分の世界を持っているところも」

 

 ルシウスは黙った。

 

 反論しにくかった。

 ドラコは、案外そういう相手に弱いのかもしれない。

 

 ローゼマインの方はセオドール・ノット。

 変な相手ではない。

 

 少なくとも、正体不明の黒衣の客人や、日記から出てくる青年よりは、はるかに普通である。

 

 そう思っていた。

 それにしても、ここ最近は娘関連の問題事が起きていない。『羽ペン通信』を作ったからだろうか。こんなに平穏な学校生活は娘が入学してから初めてだった。

 家に恐ろしい客人がいなければ、ルシウスも平和を噛み締めていたところだ。

 

 ユールボールから数日後。

 

 日刊予言者新聞が、すべてを台無しにした。

 朝食の席で、ルシウスは普段のように紙面を開いた。

 そして、硬直した。

 

 《代表選手たちを虜にする読書会》

 

 《若き英雄たちは本当に自分の意思で恋をしているのか》

 

 署名はリータ・スキーター。

 

 当然のように、リータ・スキーター。

 

 記事には、魔法書研究会で惚れ薬が蔓延しているのではないかと書かれていた。代表選手たちに近づいた女子生徒たちが、惚れ薬を使って相手を射止めた可能性がある、と。

 

 ルシウスは最後まで読んだ。

 

 読んだはずだった。

 

 だが、ある一文で視線が止まった。

 

 直接名指しではない。だが、ローゼマイン・マルフォイが男子生徒に惚れ薬を盛ったと思わせるには十分な書き方だった。

 

 そして、その相手として、トム・ジェドゥソールの名があった。

 

 銀のナイフが、皿の上で小さな音を立てた。

 

 ナルシッサが静かに紙面を見た。

 

 彼女の微笑みが消えた。

 

 問題は、娘の名誉が傷つけられたことだった。

 

 それだけなら怒ればいい。

 

 だが、もう一つ問題があった。

 

 紙面が、トム・ジェドゥソールの名に触れたことだ。

 

 トム・ジェドゥソールが誰なのか、ルシウスとナルシッサは知っている。

 

 娘の風評被害。

 

 マルフォイ家の名誉。

 

 そして、触れてはいけないものに新聞が触れたという危機感。

 

 その三つが、ルシウスの中で静かに重なった。

 

「ルシウス」

 

 ナルシッサが呼んだ。

 

「資金が必要だ」

 

 ルシウスは言った。

 声は驚くほど静かだった。

 

 その日の昼過ぎ、シリウス・ブラックがマルフォイ邸にやって来た。

 また怒っていた。

 

「またリータ・スキーターだ。日刊予言者新聞にクビにさせるべきだ!」

 

「クビ?」

 

 ルシウスはゆっくり顔を上げた。

 

「クビなどでは足りん」

 

 シリウスは一瞬止まった。

 

「……おい、マルフォイ?」

 

「クビにしたところで別の雑誌に移るだけだ」

 

 ルシウスは新聞を机に置いた。

 

 燃やしたくて仕方がなかったが、記事は燃やさなかった。

 証拠品を燃やすほど、怒りで手順を失ってはいない。

 

「私が求めているのは、二度と同じ間違いを利益にできない仕組みだ」

 

 シリウスは黙った。

 

 ナルシッサが静かに言った。

 

「子どもの名前を薬物疑惑と並べる新聞に、子を持つ家が広告を出すかしら」

「広告主への働きかけか。それも大事だ」

 

 ルシウスはうなずいた。

 

「だが、それだけではない」

 

「何をする気だ」

 

 シリウスが警戒したように聞いた。

 

「買い取る」

 

「何を」

 

「日刊予言者新聞を」

 

 シリウスが完全に黙った。

 

 珍しく、完全に黙った。

 

「そこまでするのか?」

 

「しない理由があるか?」

 

「いや、日刊予言者新聞に文句を言って訂正を出させて、リータ・スキーターをクビにすればいいんじゃないかと」

 

「訂正記事は読む者が少ないと、お前が言った。リータ・スキーターをそのままにしておけば、中傷記事は残る。ならば、中傷記事を書く紙面ごと変える必要がある」

 

 ルシウスは机の上に『羽ペン通信』を置いた。

 日刊予言者新聞とは比べ物にならないほど面白い、隅から隅まで紙面を読んでも飽きることがない新聞だ。

 

「……いや、買い取るよりもいい方法があるな」

 

 ルシウスがにやりと笑い、シリウスは少し身を引いた。

 

「買い取るより悪い言葉が出そうだな」

 

「羽ペン通信を母体に、新しい新聞を作る。全国版だ。まともな記者に今より良い給料を提示し、日刊予言者新聞から引き抜く。取材費もたっぷり出す。法務もつける。検証を売る新聞にする」

 

 ナルシッサは静かに紅茶を飲んでいた。

 

「日刊予言者新聞に残る記者が、どういう記者なのかも、読者には分かりやすくなるわね」

 

 シリウスがぽつりと言った。

 

「性格悪いな、夫婦そろって」

 

「褒め言葉として受け取ろう」

 

「褒めてない」

 

「広告主にもお話ししなければなりませんわね」

 

 ナルシッサは穏やかに続けた。

 

「未成年の少年少女に惚れ薬疑惑を向ける紙面に、娘の縁談広告や家名を載せたい家がどれだけあるかしら。お茶会で話したら、皆さんにも分かっていただけそうだわ」

 

 シリウスは、少し引いた顔をした。

 

「……お茶会って怖いんだな」 

 

「今さら気づいたのか」

 

 ルシウスは言った。

 

「配送網も見直す」

 

「配送網?」

 

「郵便に使うふくろうを管理する会社に知り合いがいる。新聞は届かなければ紙くずだ。果たして、届かない新聞に価値はあるのか」

 

「正気か?」

 

 シリウスが聞いた。

 

「娘の名誉を、マルフォイ家の誇りを、あの女の羽ペンに汚された」

 

 ルシウスは紙面を指で押さえた。

 

「正気でないように見えるか」

 

 シリウスは少しだけ身を引いた。

 

「見えない」

 

 そして、ぼそりと言った。

 

「……なあ、マルフォイ」

 

「何だ」

 

 シリウスはとても真面目な顔をしていた。

 

「俺、アズカバンに十年以上いたんだ」

 

「知っている」

 

「だから、外の世の中に少し疎い自覚はある」

 

「だろうな」

 

 シリウスは真顔で言った。

 

「大人の世界って、俺が思ってたより怖いんだな」

 

 ルシウスは眉をひそめた。

 

「何の話だ」

 

「俺は新聞社に乗り込んで暖炉にどうくそ爆弾を仕込むか、編集長の椅子を噛みつき椅子に変えてやろうか、と考えていた」

 

「愚かだな」

 

「なのに、お前は新聞社の中身を抜こうとしてる」

 

「人聞きの悪い。ただの報道機関の健全化だ」

 

「それだよ」

 

 シリウスは、少しだけ椅子の背にもたれた。

 

「その言い方が一番怖いんだよ」

 

 ナルシッサは穏やかに微笑んだ。

 

「大人の抗議ですわ」

 

「ブラック家では、それを抗議とは呼ばなかった」

 

「だから滅びかけたのではなくて?」

 

「シシー」

 

 ルシウスが低くたしなめた。

 

 だが、シリウスは怒らなかった。

 

 むしろ、少し遠い目をした。

 

「お前らに任せた方がいいかもしれない。リータ・スキーターをずっとひどい目にあわせられそうだ」

 

 シリウスはしばらくして帰っていった。

 最後に、「シャバ、思ってたより怖いな」と言い残して。

 

 応接室に、ようやく静けさが戻った。

 戻った、はずだった。

 

「騒がしい」

 

 低い声がした。隣室の扉が開く。

 黒衣の客人が、ゆっくりと姿を現した。

 ルシウスはすぐに立ち上がる。

 

「我が君」

 

「ブラック家の犬は、よく吠える」

 

「本日は、比較的抑えておりました」

 

「そうか」

 

 客人は、応接室のテーブルに置かれた日刊予言者新聞へ視線を落とした。

 

「何をそこまで騒いでいる」

 

「娘の風評被害です」

 

 ルシウスは即答した。

 

「黙っていられるわけがありません」

 

「一体あの娘は何をやらかしたんだ」

 

 客人は少し面白がりながら新聞を手に取った。

 

 そして、読み始めた。

 

 紙面の上で、リータ・スキーターの文章が毒々しく踊っている。

 

 魔法書研究会。

 

 惚れ薬疑惑。

 

 代表選手たち。

 

 ローゼマイン・マルフォイ。

 

 トム・ジェドゥソール。

 

 客人の指が、その名の上で止まった。

 

 しばらく、恐ろしいほど長い沈黙があった。

 

 ルシウスが気づいたときには、客人は低く笑っていた。

 

「くっ……くっくっく」

 

 ルシウスは背筋を伸ばした。

 

 ナルシッサは無言でカップを置いた。

 

 その笑いは、愉快そうでありながら、まったく愉快ではなかった。

 

「惚れ薬か」

 

 客人は新聞を畳んだ。

 

「ずいぶんと安い羽ペンを使っているらしい」

 

「日刊予言者新聞については、こちらで対処いたします」

 

「いや」

 

 客人は、ゆっくり顔を上げた。

 

 赤い目が、暖炉の火を映していた。

 

「私も一枚噛ませろ」

 

 ルシウスは一瞬、返事に詰まった。

 

「我が君」

 

「新聞は面白い」

 

 客人は言った。

 

「一度刷られた言葉は、読者の家に入り、食卓に置かれ、子どもの目に触れる。杖より静かで、呪文より広い」

 

 新聞紙が、彼の指の下でかすかに鳴った。

 

「あれは紙を売る商売ではない。情報の流れを握る機関だ」

 

 ルシウスは黙って聞いていた。

 

「魔法省を支配するには時間がかかる。役人、法、手続き、議会、古い家の利害。面倒な糸が多すぎる」

 

 客人は、リータ・スキーターの署名を見下ろした。

 

「だが、情報の流れを押さえれば、人々は勝手に同じ方向を向く。何を恐れ、誰を疑い、誰を信じるべきか。毎朝、食卓で教えられるのだからな」

 

 新聞紙が、彼の指の下でかすかに鳴った。

 

「新聞とは、毎朝配られる命令書だ。ならば、命令を書く者を替えればいい」

 

 ナルシッサが静かにカップを置いた。

 

「つまり、日刊予言者新聞そのものを取るより、情報の流れを変えるべきだと?」

 

「そうだ」

 

 客人は薄く笑った。

 

「日刊予言者新聞が読まれているのは、優れているからではない」

 

 客人は続けて言った。

 

「他に読むものがないからだ」

 

 ルシウスの目が、わずかに細まった。

 

「選択肢がない」

 

「そうだ。人は、選べないものを習慣と呼ぶ。毎朝届くから読む。皆が読んでいるから信じる。信じているから、また翌朝も読む。代わりを作れ。読者に比べさせろ。一度比べることを覚えれば、古い紙面を無条件には信じなくなる」

 

「その話をちょうどルシウスがしていましたわ。日刊予言者新聞の記者を引き抜き、羽ペン通信全国版を作らないかと」

 

 ナルシッサが『羽ペン通信』を客人に差し出した。

 客人は紙面を見て笑った。

 

「噂には注釈を、誤報には赤インクを。なるほど、あの少女らしい」

 

 ルシウスは表情を動かさなかった。

 だが、内心では少しだけ思った。

 なぜ、我が家の娘は、闇の帝王に新聞社設立の助言を受けるような事態を引き起こすのか。

 いや、今回に限っては娘は悪くない。

 悪いのは新聞だ。

 

「日記から連絡があった」

 

 客人は続けた。

 

「リータ・スキーターは非合法のアニメーガス。虫に化けている可能性があると彼は見ている」

 

 シリウス・ブラックがまだこの場にいたなら、間違いなく「潰せ」と言っただろう。

 だが、ルシウスは言わなかった。

 潰してしまえば、それで終わりだ。

 証拠も、取材手法も、日刊予言者新聞の責任も、すべて虫の死骸と一緒に曖昧になる。

 

「なるほど」

 

 ルシウスは低く言った。

 

「それなら、記事そのものだけではなく、取材手法を問えます」

「そうだ。だが、ルシウス」

 

 客人は愉快そうに笑い、リータ・スキーターの署名を指でなぞった。

 

「虫を簡単に潰すな」

 

 その声は、ひどく穏やかだった。

 

「標本にしろ。日刊予言者新聞が何を選び、何を失ったかを示すためにな」

 

 ルシウスは、静かに頭を下げた。

 

「承知しました、我が君」

 

 これは復讐ではない。

 娘を守るための、正当な対応である。

 たとえ結果として、新聞社が一つ空洞化したとしても。

 

 リータ・スキーターは、まだ知らない。

 

 自分の記事が、ひとりの父親を本気で怒らせたことを。

 ひとりの母親に、社交界での死刑宣告を考えさせたことを。

 シリウス・ブラックを、珍しく引かせたことを。

 そして、闇の帝王が新聞という仕組みに興味を持つきっかけを作ってしまったことを。

 

 日刊予言者新聞の紙面は、暖炉の火に照らされていた。

 

 その紙はまだ燃えていない。

 

 燃やすには、少し早かった。

 

 まずは、奪うものをすべて奪ってからでいい。

 

 

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