本好きの魔女、闇の帝王を読書仲間にする。   作:パラプリュイ

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62話 二周目の読書は危険

 

 第二の課題のあと、わたしは医務室にいた。

 

 正確には、医務室に収容されていた。

 

 マダム・ポンフリーは「冷え」「魔力消耗」「過度の緊張」「睡眠不足」「栄養不足」と、わたしの悪いところを次々に並べていった。そんなにたくさんあるなら、いっそ箇条書きにしてくれた方が分かりやすい。そう思ったけれど、言ったら怒られそうなので黙っていた。

 

「今日は絶対安静です」

 

「はい」

 

「本も禁止です」

 

「……はい」

 

 返事が少し遅れたせいで、マダム・ポンフリーの目が細くなった。

 

「ローゼマイン・マルフォイ」

 

「はい」

 

「枕の下。出しなさい」

 

 どうして分かるのだろう。

 

 わたしは、枕の下から小型本を一冊取り出した。没収された。

 

「毛布の中」

 

 もう一冊、没収された。

 

「袖」

 

 薄い冊子も没収された。

 

「あなたは病人です。本棚ではありません」

 

 それはそう。

 

 けれど、病人だからこそ本が必要なのではないだろうか。寝ているしかない時間に本を読まないなんて、時間の使い方としてかなりもったいない。そう主張したかったけれど、マダム・ポンフリーの顔を見てやめた。

 

 しばらくして、医務室が静かになった。

 

 白いカーテンの向こうで、薬瓶が棚に戻される音がする。誰かが咳をして、誰かが寝返りを打つ。第二の課題で冷えた生徒たちは、温められたり、薬を飲まされたり、濡れた髪を乾かされたりしていた。

 

 わたしは布団の中で、そっと手を動かした。

 

 没収されていない本が一冊ある。

 

『深い闇の秘術』。

 

 これは枕の下でも、毛布の中でも、袖でもない。マットレスの間に隠しておいたのだ。危険な本を隠す手つきだけ上達している気がする。あまりよくない成長だ。

 

 わたしは本を開いた。

 

 一周目は、ただ怖かった。

 

 人を殺すと魂が裂ける。

 

 その一文を読んだ時、わたしは本を閉じかけた。

 

 魂が裂ける。

 

 命を奪うことが、まるで紙を破るみたいに書かれているのが嫌だった。人が死ぬことを、魔法の作用の一つみたいに説明しているのが嫌だった。闇の魔術の本は、悪いことを悪いと叫ばない。淡々と手順を書く。その淡々としたところが、一番怖い。

 

 でも、二周目は違った。

 

 怖いと思って読み飛ばした先に、別の意味があった。

 

 人を殺すと、魂は裂ける。

 

 裂けた魂は、不安定になる。

 

 その欠片を器へ固定することで、肉体が破壊された後も、この世に留まることができる。

 

 わたしは、ページの上で指を止めた。

 

 肉体が破壊されても、この世に留まる。

 

 ただの魂の損傷ではない。これは、魂を保存する方法だ。

 

 保存。

 

 器。

 

 肉体の死を越える。

 

 息が少し苦しくなった。医務室の空気は暖かいのに、指先が冷えていく。

 

 わたしは、黒い表紙の日記を思い出した。

 

 トム。

 

 トムは日記だ。

 

 でも、彼はただの記録ではない。文字を返すだけの魔法でもない。実体化して、歩いて、話して、怒って、笑って、皮肉を言って、本を勧めてくる。

 

 記憶を保存する魔法なら見たことがある。肖像画は喋る。組分け帽子は考える。でも、それらは魔法で記憶を再現しているにすぎないとされている。

 

 でも、トムは違う。

 

 彼は、読んだ本で心を動かされる。

 

 記憶が、本で変わるだろうか。

 

 記憶が、人を救うために戦えるだろうか。

 

 わたしは、ページを閉じられなかった。

 

 トムは、例のあの人の記憶だ。若い頃の記憶。そう聞いていたし、それを知っても友達には変わりないと思っていた。記憶なら、例のあの人の所業には関わりがないはずだ、と。

 

 でも、もし。

 

 記憶ではなく、魂の欠片だとしたら。

 

 その瞬間、頭の中に水晶玉が浮かんだ。

 

 ──八つに裂かれし王の欠片。

 

 水晶占いの時に見た言葉だ。

 

 わたしは、ゆっくりと本を閉じた。表紙が重い音を立てる。

 

 八つ。

 

 裂ける。

 

 魂。

 

 王。

 

 欠片。

 

 その言葉の並びが、急にただの占いではなくなった。

 

 医務室のカーテンの内側で、わたしはしばらく動けなかった。

 

 

 *

 

 

 次の占い学の授業でも、その言葉はずっと頭から離れなかった。

 

 水晶玉は、相変わらず白く曇っていた。トレローニー先生は香の匂いに包まれながら、見えます、近づいています、星の影が濃くなっています、と言っていた。わたしには白いもやしか見えなくなっていた。

 

 でも、前に見た言葉だけは、はっきり覚えている。

 

 ──八つに裂かれし王の欠片。

 

 王、という言葉は魔法界ではあまり使わない。

 大臣でも、校長でも、当主でもない。

 けれど、人々が名前を避け、恐れ、口にすることさえためらう相手を、占いが王と呼ぶことはあるのかもしれない。

 王と言われて、魔法界で思い浮かぶ人物はそう多くない。

 

 授業が終わっても、わたしは席を立てなかった。

 

「ローゼマインさん?」

 

 トレローニー先生が、きらきらした布をまとったまま、ふわりとこちらを見た。

 

「あの、先生」

 

「ええ、ええ。見えたのですね。あなたには少し、不思議な星の影がありますもの」

 

「占いって、どれくらい当たるものなんですか?」

 

 先生は大きな眼鏡の奥で、ゆっくり瞬きをした。

 

「それは、占う者の資質にもよります。けれど、本当に見えたものは、見えた瞬間から道になるのですわ」

 

「道?」

 

「占いとは、ただ未来を読むものではありません。見た者が信じれば、その未来は外れることがありません」

 

 それは困る。

 

 とても困る。

 

「当たったら嫌な占いでも?」

 

 自分の声が、思ったより小さくなった。

 

 トレローニー先生は、少しだけ目を細めた。

 

「嫌な未来ほど、人は避けようとして、その道に足を踏み入れるものですわ」

 

 答えになっているようで、全然なっていなかった。

 

 でも、怖い答えだった。

 

 

 *

 

 放課後、わたしはフェルディナンド先輩に勉強を見てもらっていた。

 

 図書室の一番端の机の上には、マグル学、古代ルーン文字、数占い学の本が並んでいる。わたしの前には、マグル学の課題があった。

 

 魔法を使わない照明器具について論じよ。

 

 前世の記憶があるわたしにとっては、かなり答えやすい課題だった。電気、電球、スイッチ、発電、配線。魔法使いが不思議がるところも、たぶん想像できる。

 

 フェルディナンド先輩は、わたしの羊皮紙を読んで、少し眉を上げた。

 

「マグル学に関しては、こちらから教えることがほとんどないな」

 

「そうですか?」

 

「ああ。普通の魔法使いの答案は、マグルの道具を“魔法の代用品”として説明しがちだ。暗いから光らせる。寒いから温める。遠くへ声を届ける。そこで止まる」

 

 先輩は羊皮紙を軽く叩いた。

 

「だが、お前の説明は違う。道具そのものより、共通する仕組みにきちんと目が向いている」

 

「共通する仕組み?」

 

「電気やガスだ。魔力の代替品のようなものだが、魔力と違って個人の資質に依存しにくい」

 

「エネルギーの供給源としては、どちらの方がいいんでしょうか」

 

「用途による。魔法は自由度が高い。個人の力量次第で、即興的に対応できる。だが、魔法道具は使用者の魔力、適性、扱い方に左右されるものが多い」

 

 フェルディナンド先輩は、羊皮紙の端を指で押さえた。

 

「一方で、マグルの道具は規格化されている。誰が使っても、ある程度同じ結果を出すことを目指している。万人にとって扱いやすいのは、マグルの道具の方だろうな」

 

「はい。だから、魔法みたいにすごく自由ではないけど、たくさんの人が同じように使えます」

 

「自由度を捨てて、再現性を得ている」

 

「そう言うとかっこいいですね」

 

「お前の説明だ」

 

 先輩はまた羊皮紙へ目を落とした。

 

「この“発電所”というのは特に応用が効きそうで面白い。魔力を集めて貯め、各家庭に配る仕組みに応用できれば、低魔力者向けの魔法道具にも使える」

 

「魔力の発電所ですか?」

 

「言葉は悪いが、発想は使える。個人が呪文を唱えるのではなく、仕組みが魔法を維持する。防御結界、照明、暖房、呪いの検知。応用範囲は広い」

 

「フェルディナンド先輩、マグル学を研究に使う気ですか?」

 

「使える知識なら使う」

 

 とてもフェルディナンド先輩らしい答えだった。

 

「魔法使いは、マグルの道具を見下しすぎる。魔法を使えない者が作ったものだから劣っている、と考える。だが、個人の能力に依存しない仕組みを作るという点では、魔法界より進んでいる部分もある」

 

「それ、マグル学の先生が聞いたら喜びそうです」

 

「喜ばせるために言っているわけではない」

 

「知ってます」

 

 わたしは少し笑った。

 

 けれど、すぐに笑えなくなった。

 

 電気。

 

 外部供給。

 

 器に力を流して、別の場所で働かせる。

 

 考えたくないのに、どうしても思考がそちらへ滑っていく。

 

 魂を器に固定する。

 

 肉体が壊れても、この世に留まる。

 

 トム。

 

 フェルディナンド先輩が羊皮紙から顔を上げた。

 

「ローゼマイン」

 

「はい?」

 

「今の話に興味がない顔ではなかった。だが、途中から別のことを考えている顔になった」

 

 よく見ている。

 

「何かあったのか?」

 

 わたしは膝の上の手を握った。

 

「フェルディナンド先輩は、『深い闇の秘術』を読んだことがありますよね? この前のビブリオバトルで紹介したとき、危険な知識だとおっしゃっていたので」

 

 フェルディナンド先輩の目が、少しだけ鋭くなった。

 

「ある」

 

「どこにあったんですか?」

 

「ブラック家にあった。あの家には、読むべきではない本も、読まないまま放置すべきではない本も多い」

 

 先輩は淡々と言った。

 

「闇の魔術に対抗するには、闇の魔術についてもある程度は知らなければならない。知らないものには備えられない」

 

 わたしは、さっきのマグル学の話を思い出した。

 

 知らない危険は、対策できない。

 

 でも、知ってしまったら、知らなかった頃には戻れない。

 

「先輩は、卒業したら何をするんですか?」

 

 急に聞くことではなかったかもしれない。けれど、聞きたくなった。

 

 フェルディナンド先輩は少し考えるように視線を落とした。

 

「当面は、シリウスの当主補助をすることになるだろうな」

 

「シリウスさんの?」

 

「あれだけ長く外にいた人間が、急にブラック家を回せるわけがない。書類も人脈も財産も、放っておけば食い荒らされる」

 

 言い方が容赦ない。

 

「それと並行して、闇の魔術に対抗する魔術具や魔法の研究をしたい」

 

「研究、ですか」

 

「ああ。呪いを防ぐ道具、痕跡を検出する魔法、魂や契約に干渉する術への対抗手段。さっきのマグル学の話で言えば、個人の技量に頼らず一定の防御を再現できる仕組みだな」

 

「魔法の防犯設備みたいなものですか?」

 

「雑な言い方だが、方向は近い」

 

「フェルディナンド先輩なら、クィディッチ選手にも魔法省の官僚にもなれそうなのに」

 

「縛られたくない」

 

 即答だった。

 

「クィディッチチームも魔法省も組織だ。どちらも、動き方が決まる」

 

「研究は決まらないんですか?」

 

「決まらないようにする」

 

 それは少し、フェルディナンド先輩らしかった。

 

 わたしは机の上の本を見た。

 

 本は、知らないことを教えてくれる。

 

 でも、本で知ってしまうと、知らなかった頃には戻れない。

 

「相談してもいいですか」

 

「内容による」

 

「ホークラックスについてです」

 

 フェルディナンド先輩の顔から、わずかに表情が消えた。

 

「ここでその単語を出すな」

 

 低い声だった。

 先輩は、わたしの前にあった羊皮紙を静かに閉じた。

 

「場所を変える」

 

 図書室の奥には、古い閲覧室があった。普段はほとんど使われていない。フェルディナンド先輩は扉を閉めると、短く呪文を唱えた。外の音が、布を一枚かけられたみたいに遠くなる。

 

「分霊箱か」

 

「はい」

 

 わたしは視線を落とした。

 

「たとえ話として聞いてください」

 

「たとえ話で分霊箱を出すな」

 

「でも、たとえ話です」

 

 先輩はしばらく黙っていた。

 

 それから、深く息を吐く。

 

「いい。続けろ。ただし、危険だと判断したら止める」

 

「魂をいくつも裂いた人がいたとして、その人は必ず殺人をしているものなんですか?」

 

「そうだ」

 

 返答は速かった。

 

「分霊箱は、魂を裂くことで作る。魂を裂くには、殺人が必要だとされている」

 

「事故でも?」

 

「魔術的な結果としては、死が関係する。だが、意図の有無は重要だ。偶発的な死だけで安定した分霊箱を作れるとは考えにくい」

 

 マートル。

 

 事故だった、とトムは言った。

 

 本当に事故だったとしても、それだけで終わるのだろうか。

 

「この本を貸した人は、それを知っていると思いますか?」

 

 フェルディナンド先輩が、今度ははっきり眉を寄せた。

 

「本?」

 

「『深い闇の秘術』です」

 

「貸した人間がいるのか」

 

「……たとえ話です」

 

「そのたとえ話は、かなり出来が悪い」

 

 先輩の声が低くなった。

 

 でも、答えてくれた。

 

「真髄にたどり着いていないなら、この本は二流にしか見えないだろうな」

 

「二流?」

 

「ああ。悪趣味で危険だが、断片的な古い闇の魔術書。そこまでで終わる」

 

 フェルディナンド先輩は、机の上を指で軽く叩いた。

 

「だが、魂の保存、肉体の死の回避、器への固定という構造まで読めるなら、この本の危険性は理解しているはずだ。分霊箱にたどり着ける者なら、少なくとも無知ではない」

 

 無知ではない。

 

 つまり、知っていて貸した。

 

 わたしの指先が冷たくなった。

 

「魂をいくつも裂いた場合、何が起こりますか?」

 

「それは本当にたとえ話か?」

 

 フェルディナンド先輩が、わたしを見る。

 

 その目が鋭すぎて、思わず息を止めた。

 

「……はい」

 

「嘘が下手だな」

 

「たとえ話です」

 

 先輩は、もう一度息を吐いた。

 

「理論上の話として答える」

 

「はい」

 

「魂が不安定になる。分裂を繰り返せば、自己の連続性が損なわれる可能性がある。感情、記憶、判断、肉体への影響も考えられる。外見の乱れ、魔力の歪み、執着の増幅。人間性の欠落と表現してもいい」

 

 心臓が、強く鳴った。

 

 白い肌。

 

 人間離れした顔。

 

 蛇のような目。

 

 蛇語が話せるという共通点。

 

 マルフォイ家の客人。

 

 父と母が緊張し、ドラコが言葉を選び、ドビーが怯えていた人。

 

 違う。

 

 違うのかもしれない。

 

 でも。

 

「肉体が変わることもあるんですか」

 

「あるだろうな。魂と肉体は切り離して考えられない。魂を無理に裂き続ければ、肉体にも影響が出る」

 

 わたしは、血の気が引いていくのが分かった。

 

「ローゼマイン?」

 

 フェルディナンド先輩の声が遠く聞こえた。

 

 マルフォイ家の客人は。

 

 あの人は。

 

 もしかして。

 

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