本好きの魔女、闇の帝王を読書仲間にする。   作:パラプリュイ

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フェルディナンド視点。


70話 フェルディナンドの覚悟

 

 フェルディナンド・ブラックは、占い学を信用していなかった。

 

 少なくとも、自分がその科目を履修するまでは。

 

 水晶玉、茶葉、煙、星の配置、曖昧な言い回し。どれもこれも、解釈する者の都合でいくらでも形を変える。未来を読むというより、未来らしきものを後から貼り合わせるための道具に見えた。

 

 だから、北塔の教室に足を踏み入れた最初の日、フェルディナンドはすでに半分ほど後悔していた。

 

 丸い小卓。濃すぎる香。厚いカーテン。過剰なクッション。教室というより、悪趣味な占い師の応接間だった。

 

 シビル・トレローニー教授は、教室の奥で薄布をまとい、大きな眼鏡の奥から生徒たちを見回していた。

 

「まあ……まあまあまあ」

 

 彼女の視線が、フェルディナンドの上で止まった。

 

 その瞬間、教室の空気がわずかに変わった。

 

「あなた」

 

 トレローニーは、両手を胸の前で組んだ。

 

「あなたには、グリムが取り憑いています」

 

 教室がざわめいた。

 

 誰かが小さく息を呑み、誰かが面白がってこちらを見た。フェルディナンドは眉一つ動かさなかった。ブラック家の名を持つ者が、同級生のざわめき程度で顔色を変えるわけにはいかない。

 

「黒い犬の姿をした死の前兆……ああ、なんてことでしょう。あなたの背後に、はっきりと見えます。黒く、痩せて、鋭い目をした犬が」

 

 フェルディナンドは、静かに席についた。

 

「先生」

 

 声は平坦に保った。

 

「死の予兆はブラック家には珍しくありません」

 

 数人が笑いかけたが、トレローニーは笑わなかった。

 

 むしろ、顔から血の気が引いていった。

 

「いいえ。これは家名の冗談ではありません。死が、あなたの肩に鼻先を乗せているのです」

 

 馬鹿馬鹿しい。

 

 そう思うべきだった。

 

 事実、その日の授業の大半は馬鹿馬鹿しかった。紅茶の茶葉を覗き込み、生徒たちはそれぞれ好き勝手に「十字」「兎」「崩れた塔」などと言い合った。トレローニー教授は誰にでも死の影を見つけたが、フェルディナンドへの視線だけは、妙に粘ついていた。

 

 授業が終わった後、フェルディナンドはこんな授業はさっさと履修を止めてしまおうと思った。

 

「トレローニー先生」

 

「ミスター・ブラック、どうかなさって?」

 

 トレローニー教授は振り返り、そして、急に動かなくなった。

 大きな眼鏡の奥の瞳が、焦点を失う。

 先ほどまでの大げさな芝居が、すっと消えた。

 

 教室の温度が下がった気がした。

 

「……杯は選ぶ」

 

 トレローニー教授の声は、別人のものだった。

 

「炎は、名を呼ぶ。選ばれざる者が選ばれれば、第三の試練で一人の命が絶える。黒き家の若き枝でなければ、死は戻らぬ」

 

 フェルディナンドは、指先に力を入れた。

 

 カップの縁が、わずかに鳴った。

 

「五つ目の鐘を越えたとき」

 

 近くにあった蝋燭の火が消えた。

 

「死者は戻る。制限を越える少女が若き枝を死の口から引き戻す」

 

 トレローニーの喉が、ひゅう、と鳴った。

 最後の言葉は、ほとんど吐息だった。

 

 トレローニーはがくりと頭を垂れた。

 

 次の瞬間、彼女はいつもの調子で瞬きをした。

 

「……あら? どうしました、ミスター・ブラック」

 

「いえ、何でもありません」

 

 第三の試練。

 

 黒き家の若き枝。

 

 制限を越える少女。

 

 占いを信用していないはずの頭が、その言葉だけを異物のように記憶した。

 

 フェルディナンドは同じ日、タイムターナーで時間を遡り今度は数占い学の教室にいた。

 

 占い学と違い、数占いにはまだ秩序がある。数字は曖昧に見えて、扱い方を誤らなければ嘘をつかない。少なくとも、香の匂いと大げさな悲鳴よりは信頼できる。

 

 彼は授業中にふと自分の名を数に置き換えた。

 

 フェルディナンド・ブラック。

 

 生年月日。家名。母の名。ブラック家の継承にまつわる数字。試しに、トレローニーの言葉を変数として加える。

 

 結果は、嫌になるほど同じ方向へ傾いた。

 

 何をやっても五にたどり着く。

 

 ただし、それは破滅の数ではなかった。

 

 守護の数だった。

 

「五が、守る」

 

 フェルディナンドは羊皮紙の端に、小さく線を引いた。

 

 数占いの結果を信じるなら、自分は五によって死ぬのではない。五によって守られる。

 

 だが、守られるためには、まず死の近くまで行かなければならない。

 

 それからしばらくして、フェルディナンドはローゼマイン・マルフォイに会った。

 

 第一印象は、奇妙な子ども、だった。

 

 小さい。顔色が悪い。体力がない。にもかかわらず、目だけが異様に強い。

 

 本を見つけたときの彼女の目は、飢えた者のそれだった。食べ物でも宝石でも権力でもなく、紙とインクと知識にだけ反応する、非常に扱いづらい種類の飢え。

 

 マルフォイ家の娘としては、あまりにも不用心。

 

 子どもとしては、あまりにも危険。

 

 そして、魔力の量が多すぎた。出力にいつも失敗していた。

 

 普通なら、あの体で抱えられる量ではない。杯に湖を注いでいるようなものだ。割れていないのが不思議なほどだった。

 

 フェルディナンドは、最初から彼女を警戒した。

 

 同時に、興味を持った。

 

 彼女は本棚の前で、背伸びをしていた。届かない本を睨んでいる。どうしても自分で取りたいのだろうか。誰かに頼むという発想は、どうやら彼女の中で三番目か四番目くらいに置かれているらしかった。

 

「その本か」

 

 フェルディナンドが横から抜き取ると、彼女は振り向いた。

 

 青ざめた顔に、ぱっと灯りが点る。

 

「ありがとうございます、フェルディナンド先輩!」

 

 礼儀正しい声だった。

 

 しかし、視線は完全に本へ向いていた。

 

 フェルディナンドは少しだけ笑った。

 

「礼を言う相手は私ではなく、本か?」

 

「すみません」

 

 この少女かもしれない。

 

 唐突に、そう思った。

 

 制限を越える少女。

 

 時を踏み破る小さな手。

 

 見た目で判断するなら、彼女は階段を三階分上っただけで倒れそうだった。だが、制限を越える者とは、頑丈な者とは限らない。

 

 制限の存在に納得しない者。

 

 そこに線が引かれていると聞いた瞬間、その線の材質を調べ始める者。

 

 ローゼマイン・マルフォイは、そういう種類の人間に見えた。

 

 それでも、フェルディナンドは確信しなかった。

 

 予言など、信用するには危うすぎる。

 

 自分が代表に選ばれなければ、それで終わる話かもしれない。杯が別の名を呼ぶなら、トレローニーの言葉は単なる悪夢になる。数占いの五も、ただの偶然になる。

 第一、杯を使うような出来事は滅多にない。

 

 そうであってほしかった。

 

「今、なんとおっしゃいましたか」

 

 ルシウス・マルフォイとの食事の席で、フェルディナンドは思わず聞き返した。

 

「今年五十年ぶりに三大魔法学校対抗試合が開かれるとファッジから聞いた」

 

 フェルディナンドは急に忘れかけていた予言を思い出した。

 

「……代表選手を選ぶのは炎のゴブレットでしょうか」

 

「さあな。フェルディナンド、お前顔色が真っ青だぞ」

 

「少し外の風に当たってきます」

 

 フェルディナンドはバルコニーに出た。

 

 トレローニー教授はあれからフェルディナンドに対して一度も予言らしきものを言わなかった。その記憶すらもないようだった。

 しかし、フェルディナンドは彼女の言葉をよく覚えていた。

 

 炎のゴブレットが置かれた日、フェルディナンドは自分の名を入れた。

 

 無謀ではない。

 理由はあった。

 

 代表選手が誰になるか分からない以上、何もせずに見ている方が危険だった。トレローニーの言葉が真実なら、別の者が選ばれた場合、その者は第三の課題で確実に死ぬ。しかも、戻らない。

 

 ならば、自分が行く方がまだましだ。

 

 自分なら、準備できる。

 

 自分なら、死の直前まで思考を残せる。

 

 そして、自分なら、もし予言が外れても、その責任を引き受けられる。

 

 炎が燃え上がり、代表選手の名が次々に呼ばれた。

 

 紙片が宙を舞った。

 

 ホグワーツ代表。

 

 フェルディナンド・ブラック。

 

 大広間がどよめいた。

 

 フェルディナンドは立ち上がった。

 

 胸の奥で、何かが静かに沈んでいく。

 

 予言は外れなかった。

 つまり、彼は死に向かって歩いているのだ。

 

 しかし、選ばれた代表選手は自分だけではなかった。

 

 ハリー・ポッターも選ばれた。異例の四人目として。

 

 選ばれざる者が選ばれればとはハリーのことだったのか。

 

 トレローニー教授の予言の条件が揃ってしまった。

 

 そこでフェルディナンドは気づいた。

 代表の一人が死ぬ、ということはハリーも死ぬ可能性があるのではないか。

 誰かがハリーの名前を故意に入れたのなら、彼も死ぬ可能性がある一人ということではないか。

 

 死ぬのは自分でなくてはならない。

 

 そこから先、彼はより深くローゼマインを観察するようになった。

 

 最初は、あくまで確認のためだった。

 

 彼女が本当に「制限を越える少女」なのか。時間に触れるのか。それとも、自分が勝手に占いの言葉を彼女へ重ねているだけなのか。

 

 だが、彼女が選択授業を取り始めてから、観察はすぐに監視へ変わった。

 

 明らかにおかしかった。

 

 ローゼマインは、時間の制限上不可能な動きをしていた。

 

 午前中にある授業を受けている。だが、同じ時間帯の別科目にも出ている。昼食時には妙な空腹を訴え、午後には顔色を悪くする。

 

 タイムターナー。

 

 そう結論づけるのに、長い時間はかからなかった。

 

 問題は、彼女がそれを道具として正しく扱えているかだった。

 

 答えは、扱えていない、だった。

 

 いや、規則上は扱っているのだろう。授業に出る。時間を戻す。重複履修を成立させる。そこまではいい。

 

 だが、彼女の体はそれに耐えていなかった。

 

 時間を戻すたびに、彼女の一日は他人より長くなる。疲労は積み重なり、空腹はずれ、薬の時間もずれる。虚弱な体に、過剰な魔力と過剰な時間を押し込めている。

 

 自殺行為に近い。

 

 本人にその自覚が薄いのが、さらに悪い。

 

「ブラック」

 

 地下廊下で呼び止められ、フェルディナンドは足を止めた。

 スネイプ教授は、いつものように不機嫌だった。

 ただ、その不機嫌には、わずかに疲労の色が混じっている。

 

「先ほどは助かった」

 

 フェルディナンドは眉を動かした。

 

「何の話ですか」

 

 スネイプ教授の目が細くなる。

 

「惚けるには下手すぎるな、ブラック。ローゼマインのことだ。図書室で倒れかけたところを、お前が支えた。医務室まで運び込んだおかげで、薬の投与が遅れずに済んだ」

「……私が」

「他に誰がいる。あの子は半分意識が飛んでいるくせに、本の心配をしていたぞ」

 

 いかにもローゼマインがやりそうなことで、フェルディナンドは苦笑した。

 

「それは、本人でしょうね」

「感心している場合か。食事を抜き、薬を遅らせ、時間割を詰め込み、最後に図書室へ突撃する。救いがたい。読書欲という名の慢性疾患だ」

 

 スネイプ教授は吐き捨てるように言って、去っていった。

 廊下に、フェルディナンドだけが残された。

 彼には、その記憶がなかった。

 図書室でローゼマインを支えた記憶も。

 医務室まで運んだ記憶も。

 

 だが、スネイプ教授にとっては、すでに終わった出来事だった。

 ならば、これは未来予知ではない。

 予言でもない。

 閉じた因果だ。

 助けたから、助けに行く。

 フェルディナンドは、ローブの内側に手を入れた。

 細い金の鎖が、指に触れる。

 小さな砂時計。

 

「……まったく」

 

 彼は小さく息を吐いた。

 

「君は、倒れる前から手がかかる」

 

 そしてフェルディナンドは、時間を戻した。

 

 

 

 *

 

 

 ローゼマインが倒れかけたのは一度に留まらなかった。廊下で倒れかけているところをフェルディナンドは手を伸ばし、倒れる前に彼女の腕を支えた。

 

「またか」

 

 ローゼマインは目を瞬かせた。

 

「すみません」

 

「本当に休んでるのか?」

 

「わたしは本を読むために少しだけ頑張っているだけです」

 

「その『少し』で顔色が死人に近づいている」

 

「死人は本を読めません」

 

「なら、生きて読め」

 

 彼女は少し不満そうな顔をした。

 

 不満に思う余力があるなら、まだ大丈夫だ。

 

 フェルディナンドは用意していた包みを差し出した。軽食と、魔力の消耗を抑えるための簡単な補助薬。効き目は弱いが、彼女の体には強すぎる薬よりその方がいい。

 

「食べろ」

 

「え、でも次の授業が」

 

「食べながら歩け。落とすな。落としたら拾う前に私が没収する」

 

「横暴です」

 

「倒れる方が迷惑だ」

 

 ローゼマインは包みを受け取った。

 

 その目が、ちらりとフェルディナンドを見る。

 

「もしかして、待っていてくれたんですか?」

 

「通りかかっただけだ」

 

 納得していない顔だった。

 

 だが、追及より空腹が勝ったらしい。ローゼマインは包みを開き、小さくかじりついた。

 

 フェルディナンドはその横を歩きながら、内心で予定を組み替えた。

 

 魔法生物飼育学の後は疲労が出る。占い学の後は精神的に不安定になる可能性がある。数占い学の日は比較的ましだが、昼食直後に時間を戻した形跡がある。階段を使わせる回数を減らすべきだ。図書室へ向かうなら、途中で座らせる場所を確保する必要がある。

 

 やることが増えた。

 

 面倒だと思った。

 

 だが、放置する選択肢はなかった。

 

 トレローニー教授の言葉が正しいなら、彼女こそが鍵だ。彼女が倒れれば自分は死ぬ。

 

 だが、それだけではない。

 

 ローゼマイン・マルフォイは、危なっかしい。

 

 危なっかしく、愚かではなく、理屈は通るのに結論だけが本へ突進する。誰かが止めなければ、本人は「まだ読めます」と言いながら限界線の向こうへ落ちる。

 

 制限を越える少女。

 

 その言葉は、救いの予言であると同時に、警告だった。

 

 彼女は、制限を越える。

 

 体の制限も。

 

 時間の制限も。

 

 死の制限さえも、超えようとするかもしれない。

 

 死ぬのは自分一人でなくてはならない。

 

 ならば、自分がするべきことは一つだった。

 

 彼女を倒れさせない。

 

 フェルディナンドは、夜、自室で羊皮紙を広げた。

 

 第三の課題までに必要な契約処理。代表選手としての義務。ブラック家に関わる継承権の暫定措置。万一の場合に備えた魔法的署名の扱い。

 

 その一番上に、表題を書いた。

 

『不測の死亡時の契約処理』

 

 書いてから、我ながら趣味が悪いと思った。

 

 だが、必要なものは必要だ。

 

 死ぬ気はない。

 

 死にたいわけでもない。

 

 それでも、死が来る可能性を見ないふりはしない。

 

 グリムが取り憑いていると言われた日から、死はずっと背後にいる。黒い犬の姿で、肩に鼻先を乗せている。

 

 もしそれが本当に死の前兆なら。

 

 もしローゼマイン・マルフォイが、制限を越える少女なら。

 

 フェルディナンドは羽ペンを置いた。

 

 ホグワーツの夜は静かだった。

 

 静かすぎるほどに。

 

「生きて読め、か」

 

 自分で言った言葉が、今さら戻ってきた。

 

 あの少女に言ったつもりだった。

 

 だが、たぶん自分にも言うべき言葉だった。

 

 死を計算に入れることと、死を受け入れることは違う。

 

 羽ペンでノートに書き込む。

 

『ローゼマイン・マルフォイを倒れさせないように見張る』

 

 それは契約ではなかった。

 

 遺言でもなかった。

 

 ただの予定だった。

 

 フェルディナンド・ブラックは、予定を忠実に守る人間だった。

 

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