本好きの魔女、闇の帝王を読書仲間にする。 作:bookworm
ヴォルデモートが消えた。死喰い人たちも消えた。空気の悪い黒いローブの死喰い人たちも、全部消えた。
そして、ハリーも消えた。
ついでみたいに。
ついでに消していい人ではない。
わたしは、さっきまでハリーがいた場所を見ていた。秘密の部屋の石床には、何も残っていない。杖もない。ローブの切れ端もない。
ただ、空っぽだった。
空っぽ。
人が一人いなくなった場所というのは、こんなに広く見えるのかと思った。
「……ハリー?」
呼んでも、返事はない。
当然だ。ハリーはもうここにいない。
分かっている。分かっているのに、呼ばずにはいられなかった。
秘密の部屋は、さっきまでの騒ぎが嘘みたいに静まり返っていた。蛇の像も、黒い水面も、石の柱も、全部が何も言わない。いや、石像は普段から何も言わないけれど、今日は特に言わない気がした。
「ハリーが……」
わたしの声は、変にかすれた。
「ハリーが、連れて行かれた」
言葉にした瞬間、胸の奥がひゅっと冷えた。
連れて行かれた。
人に使う言葉じゃない。人は持っていくものではない。本だって勝手に持っていったら怒られる。貸出記録を書かない持ち出しは重罪である。ましてハリーは本ではない。
いや、本ではないからこそ、もっとだめだ。
「わたしのせいだ」
ぽろっと落ちた。
その言葉は、秘密の部屋の床に落ちて、やけに大きく響いた気がした。
フェルディナンド先輩がこちらを見た。
彼は立っていた。
顔色はよくない。よくないけれど、倒れそうというほどではない。むしろ、さっき自分が死ぬ未来を踏み越えてきた人間とは思えないくらい、目が冷静だった。
それが少し怖かった。
「何が、君のせいだ」
フェルディナンド先輩が言った。
「わたしが……過去を変えたから。フェルディナンド先輩を助けたから。だから、代わりにハリーが」
「違う」
即答だった。
「でも」
「君のせいではない。私のせいだ」
わたしは、思わずフェルディナンド先輩を見た。
「なんで?」
「私は、代表選手が死ぬ可能性を知っていた。自分なら助かる可能性があることも知っていた。だから第三の課題に出た」
その声は淡々としていた。
けれど、淡々としているからこそ、少しだけ痛かった。
「だが、時間を越えた場合に、どこへ影響が出るかまでは考慮できなかった。私が助かることで、別の何かが動く可能性を、軽く見ていた」
「フェルディナンド先輩のせいじゃないよ」
「君にそう言ったばかりだから、私にも同じ言葉を返すつもりか」
「うっ」
正論の返し技。
やめてほしい。フェルディナンド先輩は剣も使えるけど、言葉でも刺してくる。
「責任を分けるなら、君だけが背負うものではない」
フェルディナンド先輩は、空っぽの床を見た。
「私も背負う。判断したのは私でもある」
胸が、変なふうに痛んだ。
わたしはフェルディナンド先輩を助けた。
でも、フェルディナンド先輩は助けられた側では終わらない。
もう次の責任を見ている。
それが頼もしくて、少しだけ腹が立った。
トムが、空っぽの床を見ていた。
でも、その目は笑っていなかった。
「あの男は、ハリー・ポッターを殺しはしない」
トムが言った。
わたしは顔を上げた。
「ほんと?」
「少なくとも、今は」
「その“今は”って何? 安心させる気ある?」
「事実だ」
「事実、だいたい不親切!」
トムは否定しなかった。
否定してほしかった。
フェルディナンド先輩が、少し目を細める。
「根拠は」
「あの男はハリー・ポッターの中に自分の魂の欠片があると知っている。想定外の八つ目とはいえ、わざわざ自分を殺すような真似はしない」
空気が、一段冷えた。
フェルディナンド先輩は、トムを見た。
「トム・ジェドゥソール」
その名前で呼ばれて、トムの目が少しだけ動いた。
「魂をいくつも裂いた人というのは、君のことか」
トムは、一拍置いてから答えた。
「正確には、本体の方だよ」
「本体?」
「君たちがヴォルデモート卿と呼ぶものだ」
わたしは反射的に言った。
「例のあの人」
トムが、嫌そうにわたしを見る。
「君までその呼び方をするな」
「だって、名前言うの怖いし」
「名を避けても実体は消えない」
「でも怖いものは怖いよ!」
フェルディナンドは、静かに言った。
「つまり、ハリーは生きている可能性が高い。ただし、無事とは限らない」
「そうだ」
「記憶、精神、忠誠心。そういうものをいじられる可能性があるな」
「ある」
「磔の呪文で廃人にされる可能性も」
「否定はできない」
「最悪!」
わたしは叫んだ。
「死なないって全然朗報じゃない!」
「だから、そう言った」
「言い方が冷たい!」
「温めても事実は変わらない」
フェルディナンド先輩は、静かに息を吐いた。
「ダンブルドアに話すべきだ」
その声は、決定に近かった。
わたしはフェルディナンド先輩を見た。
「ダンブルドア先生に?」
「他にいるのか」
「怒られる」
「怒られるだけで済めばいい」
「みんな慰めが下手!」
トムが目を細めた。
「あの老人に話すつもりはない」
「話せ」
フェルディナンド先輩が即座に言った。
トムの顔に、薄い笑みが浮かぶ。
「あなたに命じられる筋合いはありません」
「命令ではない。必要事項の確認だ」
「ずいぶん偉そうだね」
「君がどれほどダンブルドアを嫌っていようと、今は話せ。ハリーを取り戻したいなら、情報を抱えたままでは遅れる」
トムは黙った。
秘密の部屋の水音だけが聞こえた。
フェルディナンド先輩は続けた。
「君が本体と違うと言うなら、ここで違う選択をしろ」
その言葉で、トムの顔から薄い笑みが消えた。
わたしは、息を止めた。
トムは、本体と違う。
違ってほしい。
でも、それは言葉だけでは足りない。選ばなければならない。
未来の自分と同じように隠すのか。
それとも、嫌いな相手にでも必要な情報を渡すのか。
トムは、ゆっくりとフェルディナンド先輩を見た。
「嫌なところを突くね」
「君ほどではない」
トムはわたしを見た。
それから、空っぽの床を見た。
「……必要なことは話す」
「全部じゃないんだ」
わたしが言うと、トムは当然のように返した。
「全部話す馬鹿がどこにいる」
「ここにいます」
「胸を張るな」
フェルディナンド先輩が歩き出した。
「行くぞ。迷路に戻る必要はない。第三の課題は終わった」
「でも競技は」
「代表選手が拉致され、ヴォルデモートが出てきた時点で、競技ではない」
「それはそう」
「規約以前の問題だ」
「わたしもそう思う。闇の帝王乱入はたぶん規約違反」
秘密の部屋から戻るころには、ホグワーツは大混乱だった。
第三の課題が続いているはずの外から、ざわめきが聞こえる。先生たちの足音が走っていく。誰かが生徒を寮へ戻せと叫んでいる。肖像画たちも騒いでいる。
そして、わたしたちが廊下へ出たところで、ダンブルドア校長と鉢合わせた。
校長先生の後ろには、マクゴナガル先生がいた。顔がとても厳しい。あれはもう、校則違反を見つけた顔ではない。魔法界の終わりを採点している顔である。
さらに少し離れたところで、偽クラウチらしき人物が魔法法執行部の職員に拘束されていた。
セオドールが壁際に立っている。表情は相変わらず薄い。
わたしは思った。
セオドール、あとで絶対話を聞く。
ダンブルドア校長は、わたしを見た。フェルディナンド先輩を見た。そして、トムを見た。
青い目が、ほんの少しだけ細くなる。
「久しぶりじゃな、トム」
わたしは固まった。
久しぶり。
ダンブルドア先生はトムが誰なのか気づいていたのか。
トムは、少しだけ笑った。
「相変わらずダンブルドア先生には、僕の魔法が効かないんですね」
「君の魔法は、昔から少々凝りすぎておったからのう」
これは会話ではない。杖を使わない決闘である。
フェルディナンド先輩が、一歩前に出た。
「ハリーは連れ去られました」
その一言で、空気が変わった。
ダンブルドア校長の視線が、フェルディナンドへ移る。
「私とハリーは秘密の部屋に転送されました。ハリーは、最後に連れ去られた」
フェルディナンドの声は落ち着いていた。
落ち着きすぎていて、逆に怖い。
今、たぶん一番動揺していないのはフェルディナンド先輩だ。いや、動揺していないわけではないのだろう。でも、動揺を箱に入れて蓋をして、上に「後で開ける」と書いている感じがする。
わたしなら、その箱をもう三回ひっくり返している。
ダンブルドア校長は静かに言った。
「すでに会場封鎖と捜索の指示は出しておる。だが、探すためにも、君たちの話が必要じゃ」
校長先生の視線が、トムへ戻った。
「校長室へ」
ダンブルドア校長は言った。
「話を聞こう」
わたしは思った。
終わった。
いや、終わっていない。ハリーを取り戻すための始まりだ。
でも、わたし個人としては、かなり終わった。
ダンブルドア校長は机の向こうに座った。
フェルディナンド先輩とトムは、それぞれわたしの隣に座った。
フェルディナンド先輩の手は膝の上で組まれている。指先に、少しだけ力が入っている。
やっぱり、平気ではないのだ。
当然だ。
死にかけた。
ハリーが連れ去られた。
それで平気な方がおかしい。
「ローゼマイン、何があったか教えてくれるかのう」
ダンブルドア校長が言った。
わたしは、日記を抱きしめた。
「フェルディナンド先輩も言ったんですけど、ハリーが、連れて行かれました」
「誰に」
「例のあの人に」
そう言った瞬間、ダンブルドア校長が静かに言った。
「マイン、ヴォルデモートじゃよ」
わたしは、喉の奥がきゅっとなるのを感じた。
「……ヴォルデモートに」
言い直した。
名前を呼んでも、部屋の空気は爆発しなかった。
でも、肖像画たちが息をひそめたように見えた。
ダンブルドア校長の表情は変わらない。変わらないからこそ、余計に怖い。
「わたしが……タイムターナーを使って、規則より遡りすぎたからかもしれません」
「規則より」
校長先生の声は静かだった。
「どの程度かね」
「二回、使いました」
「二回」
「はい。五時間制限を、合計で越えました」
言った。
言ってしまった。
ダンブルドア校長は、しばらく何も言わなかった。
それから、ゆっくりと息を吐いた。
「ローゼマイン。わしは以前から、君が何かを隠しているような気がしておった」
はい。
隠していました。
日記も、秘密の部屋も、巨大蛇も、時間のことも、読書仲間がトム・リドルだったことも、だいたい隠していました。隠し事の福袋である。開けたくない。
「今は、全て包み隠さず教えてほしい」
わたしはトムを見た。
トムは黙っていた。
わたしが視線で「言っていい?」と聞くと、トムはほんの少しだけ目を伏せた。それから、頷いた。
その頷きは、小さかったけれど、大きかった。
トムが、自分の秘密をわたしの言葉に預けたのだ。
本人はあとで「合理的判断だ」と言うだろう。絶対に言う。けれど、合理的判断という言葉は時々、感情の厚着みたいなものだと思う。
「分かりました」
わたしは息を吸った。
「まず、お父さまの書斎で、日記を見つけました」
そこから話した。
日記の中のトムと話したこと。
彼が本好きで、友達になったこと。
ホグワーツで秘密の部屋を見つけたこと。
魔力を注ぎ込んだら実体化できるようになったこと。
入口がトイレだったので、衛生面の問題から徹底的に清掃したこと。
「清掃?」
ダンブルドア校長が聞いた。
「はい。秘密の部屋の入口がトイレなのは、さすがに設計思想を疑います」
「そこかね」
「そこです。大事です」
トムが横で小さく息を吐いた。
「続けろ」
「はい」
秘密の部屋に本棚がなかったこと。
かわりに空腹のバジリスクがいたこと。
わたしが餌をあげたこと。
飼育ではなく、元から住んでいた生き物への食事支援であること。
ダンブルドア校長は、こめかみに指を当てた。
「その件は、後で詳しく聞かねばならんのう。ニュート・スキャマンダーにも相談する必要がありそうじゃ」
それから、占い学の話をした。
八つに裂かれし王の欠片。
五つ目の鐘。
死者が戻るとき。
王の下を去る欠片。
その占いと、『深い闇の秘術』から、ヴォルデモートが魂を裂いている可能性に思い至ったこと。
トムに聞いたこと。
トムが「八つ?」と本気で不思議そうにしたこと。
トムは、未来の自分がそこまで魂を壊しているとは知らなかった。トムがそれを共有したことで、闇の帝王の計画はハリーを殺すから、ハリーにフェルディナンド先輩を殺させるに変わった。
わたしはそこまで話して、少しだけ口ごもった。
「それで……フェルディナンド先輩を助けるために、タイムターナーを使いました」
ダンブルドア校長の目が、わたしを見ている。
「一度では、届かなかったので」
声が小さくなった。
「二回、使いました。トムも協力してくれました」
校長先生の視線が、トムへ移った。
「なぜそうしたのかね、トム」
トムは、少しだけ沈黙した。
そして言った。
「未来の自分に、がっかりしたからです」
その言い方は、あまりにも静かだった。
「がっかり」
「ええ」
「ヴォルデモート卿に?」
「僕は、未来の自分に興味がありました。完成形を見たかった。けれど、実際に見たものは、理想ではなかった」
トムの声が冷える。
「支配に寄りかかった、臆病な大人でした」
校長室が静まり返った。
「それに、ローゼマインが選んだやり方は、少なくとも退屈ではなかった」
「死をぶっ倒す、ですか?」
ダンブルドア校長が聞く。
トムは、ほんの少しだけ口の端を上げた。
「ええ。非論理的で、無謀で、規則違反で、まったく推奨できない」
「ひどい」
「だが、気に入った」
わたしは黙った。
その一言が、変に胸に残った。
ダンブルドア校長は、じっとトムを見ていた。
「それは、彼女のためかね」
「僕のためです」
トムは即答した。
「あの男に勝たせたくなかった。フェルディナンド・ブラックが死ぬ未来も、ポッターがその死を背負う未来も、あの男の予定通りに進む未来も、不愉快でした」
「不愉快」
「ええ。不愉快です」
「君は昔から、誤魔化すのが上手いのう」
「あなたは昔から、余計な意味を足すのが上手いですね」
また始まった。
校長室が腹の探り合い会場になっている。
お腹は誰も出していないのに、ものすごく探られている。
トムは、今度は校長先生を見た。
「ところで、ダンブルドア先生」
「何かね」
「あなたは、ハリー・ポッターがいつか死ななければならないと知っていたのではありませんか」
空気が凍った。
わたしは息を止めた。
ハリーが、死ななければならない?
何それ。
ダンブルドア校長は、すぐには答えなかった。
トムは逃がさない目をしている。
「彼の中に本体の魂の欠片があると、あなたはいつから疑っていたんです」
「君は、ずいぶん踏み込むのう」
「あなたほどではありません」
「わしは、ハリーを死なせたいと思ったことは一度もない」
「答えになっていません」
「そうじゃな」
「はぐらかすのですか」
「今は、ハリーを取り戻す話をすべき時じゃ」
トムの目が細くなった。
はぐらかした。
ダンブルドア校長、ものすごく自然にはぐらかした。これは大人の技術である。新聞記者なら絶対に追及するところだ。わたしは新聞記者ではないけれど、読書家として続きが気になる。だめだ、今はハリーだ。
「ハリーを見つけるのは、至難の業じゃ」
ダンブルドア校長は言った。
「トム、君はハリーが殺されることはないと見るのじゃな」
「少なくとも、すぐには」
「ならば、死ぬことはないかもしれん。だが、死なないことと無事でいることは違う」
その声は静かだった。
「磔の呪文で、心を壊される可能性もある」
わたしの喉が詰まった。
死なない。
殺されない。
それは、安心材料ではなかった。
ハリーが生きていても、ハリーじゃなくなるかもしれない。
そんなの、ひどい。
「取り戻します」
わたしは言った。
声は震えていたけれど、言った。
「ハリーを取り戻します」
ダンブルドア校長は、わたしを見た。
「その前に、君自身の話もしなければならん」
「わたし?」
「そうじゃ」
いやな予感がした。
とてもいやな予感がした。禁書棚の前で司書さんに見つかった時の三倍くらい、いやな予感がした。
「ローゼマイン。君をマルフォイ家に戻すことはできん」
「え?」
思わず声が出た。
「どうしてですか」
「君の家族を疑っているわけではない」
ダンブルドア校長の声は、静かだった。
「ルシウスもナルシッサも、君を守ろうとするじゃろう。ドラコも同じじゃ」
「なら」
「だからこそ危うい」
校長先生の青い目が、まっすぐわたしを見ていた。
「マルフォイ家では、もう君を守れない」
息が止まった。
マルフォイ家では、もう守れない。
その言葉は、ひどく冷たかった。
「それは、わたしの家族が弱いってことですか」
「違う」
ダンブルドア校長は、すぐに言った。
「弱いからではない。君を愛していないからでもない。むしろ逆じゃ」
「逆?」
「愛しているからこそ、利用される」
トムが、低く言った。
「あの男は家族愛を理解しない。だが、利用はするだろうね」
わたしはトムを見た。
トムは少しも笑っていなかった。
「君が戻れば、ルシウス・マルフォイは君を守ろうとする。ナルシッサ・マルフォイも、ドラコ・マルフォイも同じだ。だが彼は、それを弱点として扱う」
「弱点……」
「君を従わせるために家族を使う。家族を従わせるために君を使う。どちらもあり得る」
フェルディナンド先輩が、静かに続けた。
「ローゼマイン。君が家に戻れば、君は家族の弱点になる」
何も言えなかった。
わたしの大事な家。
そこに帰ることが、家族を危険にする。
そんなの、あんまりだ。
「ヴォルデモート卿が求めているものを、君は二つも持っているからじゃ」
「二つ?」
「一つは、過去を変えられる手段」
タイムターナー。
わたしは胸元に触れた。
「もう一つは、未来を知る手段」
「未来……」
「君の占いは当たった。ならば、これからも当たる可能性がある」
「でも、わたし、占いはそんなに……」
「才能があるのじゃろう」
占いの才能。
言われても全然うれしくない。才能って、もっと本を速く読めるとか、本の場所を一発で当てられるとか、そういう平和なものがいい。
「それだけではない。君は時間の禁じ手を破った」
ダンブルドア校長の声が低くなった。
「これは、神秘部に目をつけられる条件でもある」
「目をつけられるって……」
わたしは恐る恐る聞いた。
「どういう意味ですか」
「神秘部は、君を卒業後すぐに無言者として囲い込もうとするじゃろう」
「囲い込む」
「正式には任意じゃ。だが、君のような者にとって、その任意はほとんど強制に近い」
任意という名の強制。
最悪だ。
「え、待ってください。わたし、図書館司書とか、もっとこう、本に近い仕事が……」
「神秘部にも本はあるじゃろう」
「そういう問題じゃないです!」
ダンブルドア校長は、少しだけ申し訳なさそうな顔をした。
「現実的に後ろ盾は多くない。トレローニー先生のように占い学の教師となり、ホグワーツに残りわしの庇護下に入るか。あるいは、神秘部の無言者となり、国家機関の保護と監視を受けるか」
「司書でもいいですか?」
「司書でも良いが、ピンス先生と相談が必要じゃのう」
フェルディナンド先輩が、ここで静かに口を開いた。
「神秘部は、彼女を研究対象として扱う可能性があります」
ダンブルドア校長は、フェルディナンド先輩を見た。
「君はそう見るかね」
「時間の禁じ手を破り、未来予知の兆候もある。無言者としてではなく、研究対象のが向いていると考えるかもしれません」
フェルディナンド先輩の声は冷静だった。
「だが、彼女を神秘部に渡せば、ヴォルデモートに奪われる危険とは別の危険が生まれる」
わたしはフェルディナンド先輩を見た。
フェルディナンド先輩は淡々としている。
でも、それは無関心ではない。
むしろ、ちゃんと怒っている時の静けさだった。
トムが低く言った。
「彼女を神秘部に渡すつもりですか」
「そうならぬよう、話しておる」
ダンブルドア校長は言った。
「どちらの後ろ盾も得られなければ、君はヴォルデモート卿に取り込まれる可能性が高い」
取り込まれる。
その言葉が、冷たく落ちた。
わたしは何も言えなかった。
「いずれにせよ、神秘部を納得させる材料が必要じゃ」
トムの目が細まった。
「嫌な言い方をしますね」
「君なら、その意味が分かるじゃろう」
トムはため息をついた。
「代わりに僕の情報を差し出せばいい」
「トム?」
わたしは顔を上げた。
トムは、ダンブルドア校長を見ていた。
「僕があなたの下につきます。あなたの管理下でかまわない。僕を情報源として神秘部に提示すればいい」
校長室が、静まり返った。
「ホグワーツで働かせてください」
わたしは目を瞬いた。
トムが、ダンブルドア校長の下につくと言った。
あのトムが。
さっきまで「ダンブルドア先生には僕の魔法が効かないんですね」と嫌そうに言っていたトムが。
ダンブルドア校長は、じっとトムを見た。
「実は、君は前にも同じことを言った」
トムが、わずかに首を傾げた。
「僕が?」
「卒業後のことじゃよ」
トムは黙った。
その沈黙は、さっきまでの沈黙とは少し違った。
自分の知らない未来の自分。
自分がまだ持っていない記憶。
自分が行き着いたはずの場所。
それを、ダンブルドア校長だけが知っている。
「その時、あなたは断ったんですね」
「そうじゃ」
「賢明だったのかもしれませんね」
「今も、賢明でありたいと思っておる」
ダンブルドア校長は静かに言った。
「トム。わしに全て従うと誓えるか」
校長室が静かになった。
わたしは、トムを見た。
全て従う。
その言葉は重い。
トムにとっては、たぶん、とても重い。
誰かの下につく。
誰かの命令を受ける。
誰かに制限される。
トムが一番嫌いそうなことばかりだった。
それでも、トムは頷いた。
「誓います」
声は静かだった。
けれど、震えてはいなかった。
ダンブルドア校長の目が、ほんの少しだけ細くなる。
「それは、マインのためかね」
「僕のためです」
トムは即答した。
即答しすぎだった。
「マインの魔力が必要だ。彼女がヴォルデモートに取り込まれれば、あの男の力になる。彼女が神秘部に奪われれても、魔力を失う。僕がホグワーツにいれば、あの男の思考も、分霊箱の知識も、防衛術も提供できる」
「愛じゃな」
「違います」
否定が早かった。
「合理的判断です」
「彼女を守りたいのじゃろう」
「違います」
「失いたくない」
「違います」
「では、なぜ自分の自由を差し出すのかね」
トムは黙った。
ほんの一瞬だけ。
その一瞬を、ダンブルドア校長は見逃さなかった。
「君は、ヴォルデモート卿と同じように彼女を所有するのではなく、彼女が彼女でいるために、自分が制限の中へ入ることを選んだ」
トムの顔から表情が消えた。
「……不愉快な解釈です。僕は彼女のために犠牲になるつもりはありません」
「犠牲ではない。選択じゃ」
「なお悪い」
「そうかね」
ダンブルドア校長は、レモンキャンディの器を少し押した。
「一つ食べるかね」
「不要です」
「甘いものは嫌いかね」
「あなたから差し出されるものが嫌いです」
「正直じゃな」
わたしは、そっと手を挙げた。
「あの」
全員がこちらを見た。
「トムがホグワーツで働くなら、推薦図書リストは作ってくれますか?」
トムが目を閉じた。
「君は今、その話をするのか」
「大事だよ。先生には推薦図書が必要だよ」
「僕は先生になるとは言っていない」
「働くんでしょ?」
「今はそれを詰める段階ではないよ」
ダンブルドア校長が、楽しそうに目を細めた。
フェルディナンドが、静かに言った。
「いずれにせよ、彼をホグワーツ側に置くなら、制限と監視は必要になる」
トムが嫌そうにフェルディナンドを見た。
「本当に不愉快なほど現実的だね」
「君ほどではない」
わたしは、日記を抱きしめたまま、少しだけ笑った。
ハリーはまだ戻っていない。
マルフォイ家にも戻れない。
神秘部にも目をつけられるかもしれない。
未来は、びっくりするほど真っ暗だ。
でも、フェルディナンド先輩は隣にいる。
トムもここにいる。
嫌いなダンブルドア校長の前で、嫌いな言葉を浴びせられて、嫌いな制限を受け入れようとしている。
トム・リドルは、未来の自分とは違う選択をしたのだ。
その時だった。
校長室の扉が、鋭く叩かれた。
マクゴナガル先生が扉を開ける。
廊下の向こうを一度見てから、先生はいつもより硬い声で言った。
「校長。神秘部のソール・クローカーが、こちらに来ています」
わたしは、胸元のタイムターナーに触れた。
ソール・クローカー。時間旅行の専門家だ。
ちょっと更新遅れました。