本好きの魔女、闇の帝王を読書仲間にする。   作:パラプリュイ

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番外編 マルフォイ家の家族会議⑧

 

 ルシウス・マルフォイは、最近、娘からの手紙を楽しみにしていた。

 

 父親として、当然のことである。

 

 たとえそれが、ローゼマインからドラコ宛てに届く手紙であっても、父親が娘の近況を気にすることには何の問題もない。断じて、息子の私信を盗み見しているわけではない。家長として、子供たちの交友関係と安全を確認しているだけだ。

 

 もっとも、封筒が届いた瞬間に新聞を持つ手がわずかに止まったり、ドラコが手紙を開くまで紅茶に口をつける速度が落ちたりする程度のことはある。

 

 それも父親として当然のことである。

 

「またローゼマインからか」

 

 ルシウスは、できるだけ興味のなさそうな声で言った。

 ドラコは朝食の席で封を切りながら、父をちらりと見た。

 

「読みますか?」

 

「お前宛てだ」

 

「読みたいんですね」

 

「ドラコ」

 

「はい、父上」

 

 ドラコは、妙に素直な顔で手紙を開いた。

 

 最近、息子はこういうところで遠慮がない。昔なら父親の顔色を窺っていたが、今は違う。ホグワーツで余計な友人と余計な本と余計な新聞に囲まれた結果、マルフォイ家の跡取りは、妙な方向に度胸をつけて帰ってくるようになった。

 

 父親としては喜ばしい。

 

 マルフォイ家当主としては、非常に判定が難しい。

 

「今日は何だ」

 

「本についてです」

 

「それは分かっている」

 

「ブラック家の書庫の奥にある、鎖で閉じられた棚についてです」

 

 ルシウスは紅茶を吹きそうになった。

 

 ナルシッサが、何事もなかったようにナプキンを口元へ運んだ。

 

「……鎖で閉じられた棚?」

 

「はい。ローゼマインは、近づくなと言われたので、目録だけ確認したそうです」

 

「近づかなかったのか」

 

「目録だけです」

 

「ならば、まだ賢明だ」

 

「父上、マインは目録を三時間かけて読み薬を飲み忘れかけたようです」

 

 賢明とは何だったか。

 

 ルシウスは少し考えたが、娘が鎖を破壊して棚を開けなかっただけで十分だと思い直した。ローゼマインに関しては、判断基準を現実に合わせなければ、父親の精神が持たない。

 

 手紙の内容は、ほとんど本だった。

 

 ブラック家の書庫にはどの分類の本が多いのか。

 

 魔法史の古い証言集にどの程度の信頼性があるのか。

 

 魔法薬の注釈本が危険なほど不親切であること。

 

 シリウスが本の扱いについて無知であること。

 

 ルーピンは本の保存状態に理解があること。

 

 アーサー・ウィーズリーがマグル製の「ボールペン」に感動していたこと。

 

 そして、そうした内容の隙間に、ブラック家の現状がうっすらと滲んでいた。

 

 出入りする者が多い。

 

 シリウス・ブラックと仲の良いルーピンならまだしも、アーサー・ウィーズリーまで出入りしている。

 

 会議中は書庫に入ってはいけないと言われた。

 

 ローゼマインはそれを「不当な読書制限」として怒っていたが、ルシウスには別のものに見えた。

 

 まさか、と思いたかった。

 

 だが、娘がブラック家にいる。

 

 その時点で、ただの旧家の滞在では済まない。

 

 アルバス・ダンブルドアが何も知らないはずがない。シリウス・ブラックが黙って安全な場所に引きこもっているはずもない。あの屋敷に集まっている顔ぶれを考えれば、結論は一つだった。

 

 ブラック家は、ほぼ間違いなく不死鳥の騎士団の拠点である。

 

 ルシウスは薄々気づいていた。

 

 気づいていたが、気づいていないことにしていた。

 

 なぜなら、気づいた瞬間に、娘が敵対組織の拠点にいるという事実を正面から認めることになるからだ。

 

 父親として、そんなものは認めたくない。

 

 死喰い人としては、もっと認めたくない。

 

 認めたくないことは、貴族的には存在しないことにできる。少なくとも、口に出すまでは。

 

 朝食が終わる頃、ドビーが現れた。

 

「旦那様。本日のお客様の準備が整いました」

 

 ドラコが顔を上げた。

 

「客人ですか?」

 

「ああ」

 

 ルシウスはナプキンを置いた。

 

「大人の話になる。お前は自室にいなさい」

 

 ドラコは露骨に顔をしかめた。

 

「またですか?」

 

「また、とは何だ」

 

「最近、客人が来るたびに僕だけ追い出されます」

 

「大人の話だからだ」

 

「僕はもう十五です」

 

「だからこそ、大人の話に巻き込まれる前に出て行きなさい」

 

 ルシウスはきっぱり言った。

 

 これは父親としての配慮である。

 

 決して、ドラコに知られてはならないことが同じ屋敷の中にあるからではない。

 

 決して、ハリー・ポッターがマルフォイ邸にいることを、ドラコに知られるわけにはいかないからではない。

 

 断じて、そうではない。

 

 いや、実際には完全にそれだった。

 

 ハリー・ポッターは、マルフォイ邸の東の客間にいた。

 

 ハウスエルフ、特にドビーには厳命してある。

 

 ドラコをハリー・ポッターのいる場所へ近づけるな。

 

 ハリー・ポッターを外に出すな。

 

 もし偶然出くわしそうになったら、花瓶でも壁でも自分の頭でもいいから、とにかく何かを割れ。

 

 そのくらいしなければ、この屋敷では何が起こるか分からない。

 

 ハリー・ポッターは、自分が家出したのだと信じ込んでいた。

 ダーズリー家から逃げ出し、どこかへ行くつもりだったところを、白銀の王に保護された。

 そういうことになっている。

 闇の帝王が両親を殺したことは、都合よく抜け落ちていた。

 誰かがそのことを告げても、思い出せないようになっている。

 

 言葉は耳に入る。

 

 意味も理解する。

 

 しかし、記憶には届かない。

 

 ハリー・ポッターの過去は、書き直されつつあった。

 

 ルシウスは、その手際に戦慄した。

 

 同時に、ロックハートという男を改めて見直した。

 

 悪い意味で。

 

 あの男は記憶を消すだけではない。

 

 人間の過去に、もっとも都合のよい物語を貼りつける。

 

 しかも、それを「読者に親切な編集」とでも呼びそうな顔でやる。

 

 最悪だった。

 

「父上」

 

 ドラコが疑わしそうに見上げてきた。

 

「何か隠していますか?」

 

「隠している」

 

 ルシウスは即答した。

 

 ドラコが目を丸くした。

 

「言うんですか?」

 

「大人は隠し事をするものだ」

 

「開き直りでは?」

 

「処世術だ」

 

 ドラコは納得していない顔だった。

 

 だが、ナルシッサが静かに声をかけた。

 

「ドラコ。西の書斎に行きなさい。ローゼマインへの返事を書くのでしょう?」

 

 その一言で、ドラコは少しだけ態度を変えた。

 

「……分かりました」

 

 やはりナルシッサは強い。

 

 息子を動かすには、父親の威厳より母親の一言と妹への返事である。

 

 ドラコは手紙を持って西の書斎へ向かった。

 

 扉が閉まる。

 

 廊下の足音が遠ざかる。

 

 ハウスエルフが、念のためドラコの部屋の扉に見張りとして張りつく。

 

 それを確認してから、ルシウスは息を吐いた。

 

「過保護ね」

 

 ナルシッサが言った。

 

「必要な措置だ」

 

「ドラコに知られたら、面倒になるものね」

 

「面倒という言葉では足りない」

 

 ドラコがハリー・ポッターの存在を知った場合。

 

 まず驚く。

 

 次に問い詰める。

 

 おそらくローゼマインに手紙を書く。

 

 ローゼマインがそれを読む。

 

 ブラック家に伝わる。

 

 不死鳥の騎士団に伝わる。

 

 羽ペン通信に載る。

 

 注釈がつく。

 

 ロン・ウィーズリーが「つまりどういうこと?」を書く。

 

 最悪である。

 

 闇の帝王より先に、子供の新聞に殺されるかもしれない。

 

 ルシウスが胃のあたりを押さえかけた時、暖炉の炎が青白く揺れた。

 

 闇の帝王が現れた。

 

 普通ならば、空気が凍る。

 

 実際、ルシウスの胃は凍った。

 

 しかし、目の前に立った人物を見て、ルシウスは別の意味で硬直した。

 

 白銀の髪。

 

 冴えた瞳。

 

 危険なほど整った顔立ち。

 

 年齢を重ねた男だけが持つ余裕。

 

 上流婦人が三人ほど同時に扇を落とし、四人目が夫の存在を忘れそうな仕上がりである。

 

 白銀の美丈夫だった。

 

 いや、美丈夫などという言葉で片づけるには、いささか危険すぎた。近づけば破滅すると分かっているのに、目を逸らせない類の男である。

 

 ルシウスは、目の前の男を見た。

 

 見た。

 

 もう一度見た。

 

 闇の帝王だった。

 

 声も魔力も気配も、間違いなく闇の帝王である。

 

 だが、外見が魔法界中の社交界を半日ほど混乱させそうな方向へ変貌していた。

 

 ナルシッサが紅茶のカップを持ったまま、ほんのわずかに目を細めた。

 

 その反応だけで済ませた妻を、ルシウスは心から尊敬した。

 

「ルシウス」

 

「はっ」

 

 返事はできた。

 

 声が裏返らなかった自分を褒めたい。

 

「ロックハートが言うには、人はまず外見で物語を読むらしい」

 

 闇の帝王は満足そうだった。

 

「いくつか魔法を試した」

 

 いくつか。

 

 いくつかでここまで変わるのなら、ロックハートは美容魔法界に転職した方がよいのではないか。

 

 いや、だめだ。

 

 あの男が美容魔法界に進出したら、世界中の鏡がうるさくなる。

 

「大変、威厳に満ちておいでです」

 

 ルシウスは言った。

 

 これ以外に正解はない。

 

 ナルシッサは優雅に微笑んでいた。その微笑みは、夫がいま全力で正解だけを選び抜いたことを完全に理解している微笑みだった。

 

 闇の帝王は暖炉の前に立ち、青白い炎を背負った。

 

 絵になりすぎていた。

 

 ルシウスは腹立たしかった。

 

 闇の帝王が恐ろしいのは昔からだが、恐ろしくて絵になるのは部下の精神衛生によくない。

 

 そこへ、暖炉の炎がもう一度跳ねた。

 

 今度は荒々しかった。

 

 炎が黒く揺れ、火の粉が床に散り、現れた女は、屋敷に入るというより戦場へ踏み込むような足取りで絨毯を踏んだ。

 

 ベラトリックス・レストレンジだった。

 

 ナルシッサの姉で、ブラック家の娘だ。

 

 闇の帝王への忠誠を、愛情と狂気と暴力で煮詰めたような女。

 

 ルシウスにとっては親戚であり、同僚であり、できるだけ同じ部屋にいたくない相手でもある。

 

 ベラトリックスは闇の帝王を見た。

 

 そして、止まった。

 

「我が君……」

 

 声が震えていた。

 

「なんと、なんと麗しい……!」

 

 ルシウスは天井を見たくなった。

 

 やはりこうなる。

 分かっていたが、見たくはなかった。

 

 ベラトリックスはその場に膝をつきかねない勢いで、闇の帝王を見上げている。闇の帝王は満足そうだった。ナルシッサは無表情だった。ルシウスの胃は早くも降伏しかけていた。

 

「ロックハートの助言だ」

 

 闇の帝王が言った。

 

「外見は物語の入口だそうだ」

 

 ベラトリックスの表情が変わった。

 

 一瞬前まで陶酔していた顔が、みるみる殺意に染まる。

 

「ロックハートが?」

 

「そうだ」

 

「……あの男が、我が君に助言を?」

 

 低い声だった。

 

 ルシウスは、暖炉の火力が下がった気がした。

 

 ロックハートはまだ来ていない。

 

 実に幸運である。

 

 本人がこの場にいたら、間違いなく余計なことを言っていた。

 

「才能はある」

 

 闇の帝王は言った。

 

「あいつは使える」

 

「使える道具なら、使い終われば壊してもよろしいのでは?」

 

 ベラトリックスは即答した。

 

 ルシウスは、心の中で頷きかけた。

 

 いや、頷いてはいけない。

 

 今それに同意すると、後で非常に面倒なことになる。

 

 ロックハートは今の計画には必要である。

 

「今は必要だ」

 

 闇の帝王は短く言った。

 

 ベラトリックスは不満そうだったが、それ以上は言わなかった。

 

 闇の帝王の言葉だけは、彼女を止められる。

 

 それ以外は、ほとんど止められない。

 

 ルシウスは、それをよく知っていた。

 

「ブラック家が、不死鳥の騎士団の拠点になっている可能性がある」

 

 闇の帝王が言った。

 

 ベラトリックスの目が、今度は別の意味で輝いた。

 

「ブラック家が?」

 

 声に怒りと喜びが混ざっている。

 

「ならば今すぐ焼き払いましょう。あの裏切り者どもを、屋敷ごと」

 

 ルシウスは、胃を押さえた。

 

 娘がいるのだ。

 

 この女は、本当に会話に火炎呪文を混ぜるな。

 

「お前の娘は、あの家にいるのだったな」

 

 闇の帝王が言った。

 ルシウスは死を覚悟した。

 

「はい」

 

 答えは短く。

 余計なことを言えば死ぬ。

 

 ベラトリックスがこちらを見た。

 

「ルシウス。お前の娘は、裏切り者の巣で何をしているの?」

 

「読書だ」

 

 ルシウスは即答した。

 

 これは完全な事実だった。

 

 ベラトリックスは一瞬、言葉を失った。

 

 闇の帝王が低く笑った。

 

 ナルシッサは目を伏せた。

 

 ルシウスは、娘の行動がたまに最高の防御になることを知った。ローゼマインの説明において「読書」はあまりにも強い。なぜなら、本当にそれしかしていないことが多いからである。

 

「読書?」

 

 ベラトリックスは眉を吊り上げた。

 

「ブラック家で?」

 

「ブラック家の書庫で」

 

「どういう理由で?」

 

「本が読みたいだけだ」

 

 ベラトリックスは理解できないものを見る目をした。

 

 ルシウスは少しだけ勝った気がした。

 

 娘よ、ありがとう。

 

 お前の読書狂いは、父の命を数秒延ばした。

 

「心配か」

 

 闇の帝王が尋ねた。

 

 心配に決まっている。

 

 娘が不死鳥の騎士団の拠点らしき屋敷にいる。

 しかも本棚に近づいている。

 しかも鎖で閉じられた棚の目録を読んでいる。

 しかもシリウス・ブラックが保護者面をしている。

 

 さらに、目の前にはブラック家を焼き払いましょうと言い出す女がいる。 

 

 心配でない父親がいるなら連れてこい。マルフォイ家の地下室で三時間ほど話し合いたい。

 

「父としては」

 

 ルシウスは言葉を選んだ。

 

「当然、案じております」

 

「死喰い人としては?」

 

 闇の帝王の瞳が細くなった。

 ルシウスは背筋を伸ばした。

 

「情報源として、無視できない位置におります」

 

 嘘ではない。

 娘からの手紙は、実際、非常に情報量が多い。

 

 ただし、情報の八割が本である。

 闇の帝王は満足そうに頷いた。

 

「お前の娘らしい」

 

「本にしか興味がない小娘が、何の役に立つというの」

 

 ベラトリックスが鼻で笑った。

 

 ルシウスは、それに反論しかけた。

 

 だが、反論の前に、闇の帝王が口を開いた。

 

「厄介なのは、剣を持つ者だけではない」

 

 闇の帝王は言った。

 

「羽ペンを持つ者もだ」

 

 ベラトリックスは不満そうだった。

 

 彼女は剣や杖で決着がつく話を好む。羽ペンや注釈や読書会など、彼女にとってはまどろっこしいだけなのだろう。

 

 ルシウスも昔ならそう思ったかもしれない。

 

 だが、最近は違う。

 

 羽ペン通信。

 

 魔法書研究会。

 

 ローゼマインの手紙。

 

 子供たちは、こちらの嘘を笑い話にし、注釈をつけ、記事にし、回覧する。

 

 暴力より厄介なものがある。

 

 記録である。

 

 その時、ドビーが震えながら現れた。

 

「旦那様、お手紙でございます。ホグワーツからでございます」

 

 ハウスエルフは二通の封筒を差し出した。

 二通? ローゼマインの手紙もこっちに来たのか? 

 

 一通目はドラコ宛だった。

 

 二通目はハリー・ポッター宛だ。

 

 なぜだ。

 

 なぜ、ホグワーツからハリー・ポッター宛ての手紙がマルフォイ邸に届く。

 

 これは罠か。

 

 嫌がらせか。

 

 ダンブルドアの老獪な遠回しの脅迫か。

 

 それともホグワーツの宛名魔法が、よりにもよって今日この場で正直さを発揮したのか。

 

 もし、これをドラコが受け取っていたら。

 

 ルシウスは一瞬、想像した。

 

 ドラコが宛名を見る。

 

 ハリー・ポッターがこの家にいると気づく。

 

 ローゼマインに手紙を書く。

 

 ルシウスは、想像をやめた。

 

 人は、自分の精神を守るために、考えてはいけないことがある。

 

 ベラトリックスが封筒を覗き込もうとした。

 

 ルシウスは、さりげなく角度を変えた。

 

「我が君」

 

 ルシウスは、声を整えた。

 

「ダンブルドアに、ポッターの居場所が知られている可能性がございます」

 

 ナルシッサの指が、カップの取っ手にわずかに力を込めた。

 

 ベラトリックスの顔が輝いた。

 

「なら、罠ですか? ダンブルドアが来るなら、迎えて差し上げましょう。我が君の前で」

 

 迎える。

 

 この女の迎えるは、たいていの場合、殺すかクルーシオを意味する。

 

 闇の帝王は驚かなかった。

 

「それでも手を出さないということは、向こうにも考えがあるのだろう」

 

 非常に落ち着いていた。

 

 ルシウスは、自分だけが胃痛を起こしていることを悟った。上に立つ者は落ち着いている。狂信者は楽しそうにしている。下にいる者の胃だけが削られる。世界とは、だいたいそういう仕組みでできている。

 

「まあいい。バチルダ・バグショットの家に移す」

 

「バチルダ・バグショットでございますか」

 

 ルシウスは慎重に聞き返した。

 

 有名な魔法史家でダンブルドアと縁の深い人物だ。

 大胆すぎる隠れ場所は、時に安全である。

 ただし、その安全性を説明される側の胃には優しくない。

 

「ロックハートが取材に行った」

 

 闇の帝王は言った。

 

「あの女から、ダンブルドアの弱みを手に入れたらしい」

 

 ルシウスは心の中で額を押さえた。

 

 ロックハート。

 

 またロックハートである。

 

 あの男は、なぜ取材と称して重要人物の家に入り込み、なぜ本当に重要な情報を持ち帰ってくるのか。虚栄心の塊でありながら、妙なところで有能なのが腹立たしい。

 

「ロックハートが?」

 

 ベラトリックスが低い声を出した。

 

「我が君のために働いているのは認めます。けれど、あの男は声が大きすぎます」

 

 そこか。

 

 ルシウスは思った。

 

 もっと他に問題があるだろう。

 

「その弱みがどれだけ効くのか、試したい」

 

 闇の帝王は静かに笑った。

 

 ルシウスは理解した。

 

 これは作戦である。

 

 同時に趣味でもある。

 

 ダンブルドアを試す。過去を突く。反応を見る。効くかどうか確かめる。

 

 ぜひ、マルフォイ邸に関係ないところでやっていただきたい。

 

「それは、この本に関係があるのでしょうか」

 

 ルシウスは、手元の本に目を落とした。

 

 表紙には、金箔の文字でこう記されていた。

 

『ヘンリー・ポーターと賢者の石』

 

 不愉快なほど売れている本だった。

 そして、さらに不愉快なことに、読ませる本だった。

 

 ロックハートの本には、ページをめくらせる力がある。

 

 そこが問題だった。

 

 つまらなければ燃やせばよい。

 

 面白いと厄介になる。

 

「読んだか、ルシウス」

 

「はい」

 

「どう思った」

 

 ルシウスは考えた。

 

 褒めすぎてはならない。

 

 貶しすぎてもならない。

 

 作者はロックハートだが、背後にいるのは目の前の白銀の美丈夫である。文学批評で命を落とすなど、マルフォイ家当主としてあまりにも不名誉だ。

 

「ダンブルドアが悪役のように書かれている意図は分かります」

 

 ルシウスは言った。

 

「そして、それが狙いであるなら、極めてうまくいっております。読者は、ヘンリー少年が白銀の王に導かれることを自然なものとして受け入れるでしょう」

 

「悪役のように、か」

 

 闇の帝王は低く笑った。

 

「この本に書いてあるダンブルドアに関することは、ほとんど本当のことだ」

 

 ルシウスは眉を動かさなかった。

 

 動かさなかった自分を褒めたい。

 

「ダンブルドアについて現実から変えたのは、ハリーのダンブルドアに対する見方だけだ」

 

「それで十分です」

 

 ベラトリックスがうっとりと言った。

 

「あの少年が、我が君こそ救い主だと信じるなら」

 

 ルシウスは黙っていた。

 

 それはかなり致命的ではないか、と言いたかった。

 

 言えるはずもなかった。

 

 人は、事実だけで物事を見るわけではない。

 

 誰に救われたと思うか。

 

 誰に支配されたと思うか。

 

 誰を信じるべきだと思うか。

 

 そこを変えれば、同じ出来事でも、まったく別の物語になる。

 

「ポッターは、自分で家出をしたと信じている」

 

 闇の帝王は言った。

 

「自分の意思で逃げた。自分の意思で助けを求めた。自分の意思で、こちらに来た」

 

 ルシウスは黙っていた。

 

「両親の死については?」

 

 ナルシッサが静かに尋ねた。

 

 闇の帝王は穏やかに答えた。

 

「何も覚えていない」

 

 部屋の空気が、わずかに重くなった。

 

「いや、正確には、思い出せない。誰かが告げたところで、記憶には結びつかない。言葉として理解しても、自分の過去としては受け取れない」

 

 それは忘却ではない。

 

 切断だった。

 

 記憶と意味の間に、見えない壁が置かれている。

 

 ルシウスは、その技術に寒気を覚えた。

 

 ロックハートは軽薄だ。

 

 だが、軽薄な男が扱うには、あまりにも悪質な技術だった。

 

「すばらしい」

 

 ベラトリックスは息を吐いた。

 

「我が君の敵だった少年が、我が君に救われたと信じるなんて」

 

 ルシウスは、ベラトリックスを見た。

 

 この女は、本当にそう思っている。

 

 それが恐ろしい。

 

 そして、これを本として売ろうとしている男がいる。

 

 最悪だった。

 

「日刊予言者新聞の偏向報道は、なぜ成立したと思う」

 

 闇の帝王が尋ねた。

 

 ルシウスはすぐに答えた。

 

「ほとんどが本当のことだからでございますか」

 

「それもある」

 

 闇の帝王は満足げに頷いた。

 

「だが、それだけではない」

 

 青白い炎が、白銀の髪を照らした。

 ルシウスは、目の前の男は腹立たしいほど絵になると思った。

 

「それしかなかったからだ」

 

 闇の帝王は言った。

 

「人は、与えられた物語で世界を見る。新聞が一つしかなければ、その新聞が現実になる。本が一冊しかなければ、その本が過去になる」

 

 ルシウスは、手元の本を見下ろした。

 

『ヘンリー・ポーターと賢者の石』

 

「これしか読んだことがなければ」

 

 闇の帝王は微笑んだ。

 

「これが本当になる」

 

 部屋が静まり返った。

 

 ルシウスは、この本の恐ろしさを正しく理解した。

 

 現実に、ほんの少しだけ視線の向きを変える文章を混ぜる。善人は不気味になり、庇護者は支配者になり、誘拐は救出になり、孤独は選ばれた運命になる。

 

 ロックハートは軽薄だ。

 

 だが、軽薄な文章は滑りがよい。

 読者の喉を通りやすい毒ほど厄介なものはない。

 

 その時、暖炉の炎が派手に跳ねた。

 

 金色の火花が舞い、紫の煙が渦を巻き、香水の匂いが部屋に侵入してきた。

 

 ルシウスは目を閉じたくなった。

 

「皆さん、ごきげんよう!」

 

 ギルデロイ・ロックハートは、まるで目の前の観客が自分の登場を待っていたかのように、両腕を広げて現れた。

 

 金髪は輝き、歯は輝き、マントは必要以上に輝いている。

 

 部屋の照度が一段階うるさくなった。

 

 ナルシッサの笑顔が、社交用の最も冷たいものに変わった。

 ベラトリックスの目に、殺意が灯った。

 ルシウスは、自分の屋敷が舞台装置にされたことを悟った。

 

「我が偉大なる協力者の皆さま!」

 

 ロックハートは闇の帝王を見て、感極まったように胸に手を当てた。

 

「おお、すばらしい! やはり外見は物語の入口ですな! その白銀、その気品、その危険な魅力! 私の見立てに一点の曇りもありません!」

 

 ベラトリックスが一歩前に出た。

 

 ルシウスは一歩下がりたくなった。

 

「お前が」

 

 ベラトリックスの声は甘かった。

 

 甘い毒のようだった。

 

「我が君を、見立てたの?」

 

「ええ、もちろん!」

 

 ロックハートは満面の笑みで言った。

 

 気づいていない。

 

 まったく気づいていない。

 

 死が、金髪の隣まで来ている。

 

「外見、仕草、視線、登場時の炎の色。英雄にも悪役にも、印象管理は欠かせませんからね」

 

 ベラトリックスの指が杖へ伸びた。

 

 ナルシッサが静かに咳払いをした。

 

 ルシウスは、今だけは妻の咳払いが救いの鐘に聞こえた。

 

 闇の帝王は満足そうだった。

 

 それが一番困る。

 

「最近、本の売れ行きが実に好調でしてね」

 

 ロックハートは闇の帝王の隣の椅子に座った。

 ベラトリックスが殺意のこもったまなざしを向けている。ルシウスは迷いに迷ってベラトリックスをなだめた。

 マルフォイ邸に死体が転がるのはあまり見たくない。

 

「ハリー・ポッターの記憶を見てから、筆が乗って仕方がないのです。こんな書きがいがある題材があったとは! 9月には『ヘンリー・ポーターと秘密の部屋』を出す予定です」

 

 ルシウスは硬直した。

 

 秘密の部屋。

 

 その題名は、マルフォイ家にとって非常に心臓に悪い。

 

「……秘密の部屋、か」

 

 ルシウスは慎重に言った。

 

「ええ! 実に刺激的でしょう? 謎、陰謀、恐怖、そして白銀卿による華麗なる導き!」

 

 ロックハートは片目をつぶった。

 

 誰に向けたウィンクなのかは分からない。

 分かりたくもない。

 

「秘密の部屋について、どこまで書くつもりだ」

 

 闇の帝王が尋ねた。

 

「読者が読みたくなる程度に!」

 

 ロックハートは胸を張った。

 

 答えになっていない。

 

 だが、ロックハートの答えは大抵こうである。

 

「もちろん、必要な部分は美しく整えます。陰惨すぎる真実は売れません。読者は恐怖を望みますが、不快な現実までは望みませんからね」

 

 ベラトリックスが鼻で笑った。

 

「軟弱ね」

 

「読者層に合わせた配慮です」

 

「臆病と言うのよ」

 

「マーケティングです」

 

 ベラトリックスが杖を抜きかけた。

 

 ルシウスは、今度こそ止めるべきか迷った。

 

 止めなければロックハートが死ぬ。

 

 止めればロックハートが生きる。

 

 難問だった。

 

「冬には『ヘンリー・ポーターとブラック家の当主』を予定しています」

 

 ロックハートは、空気を読まずに続けた。

 

「家族、裏切り、古き名家、閉ざされた屋敷! これは売れます。間違いなく売れますよ」

 

 ベラトリックスの表情が変わった。

 

 ブラック家。

 

 その名は彼女の怒りに火をつける。

 

 ルシウスの胃にも火をつける。

 

「ブラック家を、あなたが書くの?」

 

 ベラトリックスが言った。

 

「もちろんです。古き血筋の悲劇、逃げ出した当主、閉ざされた屋敷、そしてそこへ忍び寄る真実──」

 

「シリウスは裏切り者よ」

 

「そのあたりは売れ筋に合わせて調整を」

 

 ルシウスは目を閉じた。

 

 今のはだめだ。

 

 さすがにだめだ。

 

 ベラトリックスが笑った。

 

 静かな笑いだった。

 

 人を殺す前の笑いだった。

 

「ベラ」

 

 ナルシッサが言った。

 

 その声だけで、ベラトリックスの手が止まった。

 

 姉妹というものは不思議だ。

 

 闇の帝王の命令とは別のところで、ナルシッサの声はベラトリックスに届く。

 

 届くが、長くはもたない。

 

「娘がいる家よ」

 

 ナルシッサは静かに言った。

 

「軽く扱わないで」

 

 ロックハートはようやく少しだけ空気を読んだ。

 ほんの少しだけである。

 

「もちろん、もちろんですとも。お嬢さんの描写には細心の注意を払います。読書好きの少女というのは実に魅力的ですからね。物語の中では、主人公の知性を際立たせる名脇役として──」

 

「書くな」

 

 ルシウスは言った。

 

 声が思ったより低くなった。

 

 ロックハートが瞬きをした。

 

「え?」

 

「娘を書くな」

 

 部屋が静かになった。

 

 ルシウスは、自分の言葉を取り消さなかった。

 

 死喰い人としては、余計な感情を出すべきではない。

 

 マルフォイ家当主としては、利用価値を考えるべきだ。

 

 だが父親としては、これだけは譲れなかった。

 

 ローゼマインを、ロックハートの筆に渡してはならない。

 

 あの男は、人の人生を勝手に物語にする。

 

 名誉も痛みも恐怖も、売れる形に整える。

 

 娘をそんな紙面に乗せるなど、冗談ではない。

 

 ロックハートは一瞬だけ困った顔をしたが、すぐに明るい笑顔へ戻った。

 

「もちろん、仮名で!」

 

「そういう意味ではない」

 

 ルシウスは杖に手をかけた。

 

 ベラトリックスが少し楽しそうな顔をした。

 

 今だけは、彼女と気が合ってしまった気がする。

 

 非常に不本意だった。

 

「続けろ」

 

 闇の帝王が言った。

 

 ロックハートは、救われたように笑った。

 

「そして、もちろん、来年には『ヘンリー・ポーターと炎のゴブレット』です!」

 

 ロックハートは立ち上がった。

 

「三大魔法学校対抗試合! 危険な迷路! 運命の再構築! いやあ、実に筆が踊る!」

 

 ルシウスは思った。

 

 心の底から踊らないでほしいと。

 

「それにしても、すべて順調です」

 

 ロックハートは満足げに言った。

 

「ハリー・ポッターの記憶の編集も終わりました。あとは読ませるだけです。彼自身が、自分の過去に疑いを持つことはないでしょう。たとえ、周囲に言われても、黙って周囲を疑うだけでしょう」

 

 ルシウスは、背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 

 記憶を変える。

 

 物語を与える。

 

 そして本人に、それを自分の過去だと思わせる。

 

 これは本ではない。

 

 紙でできた監獄だ。

 

「ポッターは、我が君に感謝しているの?」

 

 ベラトリックスが尋ねた。

 

 ロックハートは歯を輝かせた。

 

「もちろんです! 彼は自分が家を出たと思っていますし、白銀卿に救われたと理解しています。憎悪より感謝の方が、物語として美しいですからね」

 

 ベラトリックスは恍惚とした。

 

 ルシウスは気分が悪くなった。

 

「ただ、少しだけ懸念があるとすれば」

 

 ロックハートは顎に手を当て、いかにも深刻そうな顔をした。

 

 その顔すら、鏡の前で練習していそうだった。

 

「私はこれまで、自分を主人公とした物語ばかり書いてきましたからね。今回も自分が主人公だと思って書く必要があったわけです。イメージトレーニングの一種ですがね」

 

 部屋の空気が止まった。

 

 ルシウスは、嫌な予感がした。

 

「ハリー・ポッターの性格も、少しばかり変えてしまったかもしれません」

 

 ロックハートは、爽やかに笑った。

 

「具体的には、少々、私に似てしまった可能性が」

 

 ナルシッサがカップを置いた。

 

 ベラトリックスの顔から、陶酔が消えた。

 

「我が君のものにした少年が」

 

 ベラトリックスはゆっくり言った。

 

「お前に似た?」

 

「ほんの少しです。私よりハンサムにはなりようがありませんからね!」

 

 ロックハートは明るく言った。

 

「たとえば、鏡を見る時間が増えたり、登場の仕方にこだわったり、自分の苦難をやや劇的に語る傾向が──」

 

 ベラトリックスが杖を抜いた。

 

 ルシウスは止めなかった。

 ナルシッサも止めなかった。

 

「クルーシオ!」

 

 ロックハートの悲鳴が、マルフォイ邸の応接間に響いた。

 実に大きな悲鳴だった。

 本人の声量、肺活量、そして苦痛を受けてなお観客を意識しているかのような響き方。ルシウスは、こんなところでこの男の舞台適性を思い知らされたくなかった。

 

「ベラ」

 

 ナルシッサが静かに言った。

 ベラトリックスは名残惜しそうに杖を下ろした。

 床に転がったロックハートは、しばらく震えていた。死んではいない。残念ながら、死んではいない。

 やがて、彼はゆっくりと顔を上げた。

 

「……今のは」

 

 ルシウスは嫌な予感がした。

 

「実に、迫真の体験でした」

 

 やめろ。

 

「拷問描写に深みが出ます」

 

 ベラトリックスがもう一度杖を上げた。

 今度はルシウスも止めようと思った。

 ロックハートのためではない。マルフォイ邸の床のためである。これ以上、この男の悲鳴を染み込ませたくない。

 その時、廊下の向こうで何かが割れる音がした。

 花瓶だ。

 おそらくドビーである。

 ドラコがこちらへ来ようとしたか、悲鳴に気づきかけたか、あるいはその両方だろう。ハウスエルフは命令どおり、何かを割ったのだ。

 

 ルシウスは、深く息を吐いた。

 

 胃の痛みは深くなるばかりだった。

 

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