本好きの魔女、闇の帝王を読書仲間にする。   作:パラプリュイ

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84話 羽ペン通信の編集会議

 

 魔法書研究会は、魔法書を研究するための会である。

 

 決して、羽ペン通信を編集するためだけの部活ではない。

 

 少なくとも、わたしはそう主張している。

 

 けれど、図書室の隅に集まった今日の机を見れば、その主張が少し苦しいことは認めざるを得なかった。机の上には、魔法書より多い羊皮紙。羽ペン。読者投稿。匿名投書。次号の紙面案。パドマが赤インクで直した見出し案。

 そして、ロンが持ち込んだ怪しい菓子箱。

 箱には派手な文字で、こう書かれていた。

 

 ずる休みスナックボックス・試作品につき感想歓迎。購入希望者はロンまで。

 

「何これ」

 

 わたしが聞くと、ロンは得意そうに胸を張った。

 

「フレッドとジョージの新商品。僕が校内販売を手伝うと、売り上げの一部が入るんだ」

「小遣い稼ぎね」

 

 ハーマイオニーが冷たい声で言った。

 

 箱の中には、鼻血ヌルヌルヌガー、ゲーゲートローチ、発熱ファッジ、失神キャンディが並んでいた。

 魔法書研究会の机の上に置いていいものではない。

 どちらかというと、医務室と校則違反の中間に置くべきものだった。

 

「それでは、魔法書研究会の会議を始めます」

 

 わたしが厳粛に宣言すると、ロンは眉をひそめた。

 

「羽ペン通信編集会議の間違いだろ」

 

「違うよ。魔法書研究会だよ」

 

「机の上に魔法書が一冊もないぞ」

 

「これから出すの!」

 

「今は?」

 

「準備段階!」

 

「編集会議じゃん」

 

 本を出す前にも、本のことは考えられる。むしろ本好きにとっては、本が目の前になくても頭の中に本棚がある。つまり、今この場は精神的には図書館であり、会議ではない。

 ハーマイオニーがわたしの顔を見て、ため息をついた。

 

「マイン、今かなり無理な理屈を考えている顔よ」

 

「まだ何も言ってないよ?」

 

「言わなくても分かるわ」

 

 顔に書いてあるらしい。

 顔に書いてあるなら、それはもう書物ではないだろうか。

 わたしが自分の頬を触って確認していると、パドマが手を叩いた。

 

「はい、編集会議を始めるわよ。まずは新入部員の紹介から」

 

 その言葉に、ジニーが少しだけ背筋を伸ばした。

 

 ジニー・ウィーズリー。

 

 ロンの妹で、グリフィンドールで、赤毛で、兄より目が怖い時がある。クィディッチの話をすると、普段より三割くらい声が鋭くなる。たぶん箒に乗せたら、記事より先に相手チームを撃墜する。

 

「ジニーには、羽ペン通信のクィディッチコラムを担当してもらうことになったわ」

 

 パドマが紹介すると、ロメルダがぱっと顔を輝かせた。

 

「いいじゃん! 女子目線クィディッチ! 絶対読む!」

 

「女子目線っていうか、ちゃんと試合を見るだけよ」

 

 ジニーはきっぱり言った。

 

「兄たちみたいに、応援してる寮が負けたら審判のせいにする記事は書かないから」

 

「僕はいつも審判のせいにしてるわけじゃない。ただ、チャドリー・キャノンズのこの前の試合は審判の審査が酷すぎたんだ!」

 

 ロンが抗議した。

 ハーマイオニーが即座に言った。

 

「この前は風向きのせいにもしていたわ」

 

「風向きは重要だろ!」

 

 アーニーが真面目にうなずいた。

 

「つまり、クィディッチには審判、風向き、箒の性能、観客の声援、選手の心理状態という複数の変数が──」

 

「アーニー、それを記事にしないでね」

 

 ジニーがすぐに止めた。

 

 パドマは満足そうにうなずき、羊皮紙を一枚広げた。そこには見出し案がびっしり書き込まれている。編集長の羊皮紙は、魔法薬の教科書より文字が詰まっていて怖い。

 

「最近、羽ペン通信の部数が伸びているわ。廊下で立ち読みする生徒も増えたし、寮を越えた回し読みも増えている」

 

「回し読みは部数に入るの?」

 

 ロンが聞いた。

 

「入らないわ。でも未来の読者よ」

 

 パドマは淡々と言った。

 編集長の目が、完全に印刷費を数える目になっている。

 

「絶好調だからこそ、購読者につなげるためには次はもっと強い記事が必要よ。読者は一度面白いものを読むと、次も面白いものを求める」

 

「本もそうだよ」

 

 わたしは深くうなずいた。

 

「一巻が面白いと、二巻が出るまで眠れなくなる」

 

「あなたの場合、二巻が出ていなくても一巻を読み直して眠らないでしょう」

 

 そうかもしれない。

 ハーマイオニーに言われて反論できなかった。

 パドマはジニーの方を見た。

 

「まず、新人のジニーに一本書いてもらうようお願いしたの。寮対抗クィディッチの開幕前特集。グリフィンドールに肩入れせず、あくまで全寮について書くの。寮別に、今年の選手は誰か、補強ポイント、去年との違い。できれば各寮の弱点も」

 

「弱点まで書くの?」

 

 ジニーの目が光った。

 

「書くわ。その方が読まれるもの」

 

「任せて」

 

 クィディッチの話をする時のジニーは、好きな本を見つけたときのわたしに似ている。目が完全に獲物を見つけた狩人だ。

 

「グリフィンドールはハリーが注目されがちだけど、他の選手にも注目したいところだわ。スリザリンは箒の性能と実力の境目をちゃんと見たい。レイブンクローは地味に穴が少ない。ハッフルパフは油断されやすいけど、試合運びが堅い」

 

「いいわ」

 

 パドマが頷いた。

 

「見出しは『今年、空を制するのは誰か 四寮クィディッチ戦力予想』あたりね」

 

「いいじゃん、かっこいい!」

 

 ロメルダが手を叩いた。

 

「でも恋要素も入れよ? クィディッチ選手って人気あるし」

 

「入れないわ」

 

 ジニーが一刀両断した。

 

「恋は別枠。兄たちの恋愛なんて絶対に書きたくないもの」

 

「それはそう」

 

 ロン以外の全員がうなずいた。

 

「待てよ、僕もその兄たちの中に含まれてるのか?」

 

「ロンって彼女いた?」

 

 ジニーがにっこり笑った。

 

 ロンは傷ついた顔をして顔を背けた。

 パドマは次の羊皮紙を手に取った。

 

「それから、アンブリッジに関する記事だけど」

 

 空気が少し変わった。

 

 ピンク色の服。甘ったるい声。笑っているのに笑っていない目。実技をさせない防衛術。教科書を読ませるだけの授業。しかも、その教科書が面白くない。

 本を使っているのに本好きが腹を立てる授業というのは、だいぶ重症である。

 

「彼女に関する記事は全部私が書くわ」

 

 パドマは静かに言った。

 

「魔法省の教育介入、授業内容の問題、生徒の安全。きちんと事実を積み上げる。煽り記事にはしない。でも、逃げもしない」

 

 誰も茶化さなかった。パドマはかなり本気だと分かっていたからだ。

 

「万が一、編集責任を問われたら、私が編集長として全責任を被る」

 

「パドマ」

 

 ハーマイオニーが眉を寄せた。

 

「それは危険よ。編集部全体の問題でしょう」

 

「だからこそよ。責任者が責任を取らない新聞は、ただの落書きになる」

 

 パドマは言い切った。

 

 とてもかっこよかった。

 

 あまりにもかっこよすぎて、わたしは原稿の余白に「編集長、かっこいい」と書きそうになった。危ない。記事がファンレターになるところだった。

 

 ロメルダは両手を胸の前で組んだ。

 

「編集長、かっこよすぎる……!」

 

「パドマ、今のは紙面に載せよう」

 

 アーニーが真剣に言った。

 

「『責任者が責任を取らない新聞は、ただの落書き』。名言だよ!」

 

「載せないわよ」

 

 パドマが少し赤くなりながら即座に却下した。

 

「自分で自分を名言扱いする編集長なんて嫌でしょう」

 

 その時、ハリーが明るい声で言った。

 

「名言は、必要なら残しておくべきだと思うよ」

 

 全員の視線がハリーに向いた。

 ハリーは前と少し違う気がする。

 髪は相変わらず少し跳ねている。でも、跳ねているというよりワックスをつけて髪を遊ばせているようだった。

 笑い方も違う。

 

 前のハリーは、笑う時に少し照れたり、困ったり、むっとしたりしていた。今のハリーは、どこから見ても見られるためのかっこつけた笑顔だった。歯も前に比べて真っ白だ。

 

「名言は人を励ますからね」

 

 ハリーは続けた。

 

「パドマの言葉も、きっと多くの生徒に勇気を与えるよ」

 

 ハリーがパドマにウィンクした。

 パドマが羽ペンを止めた。

 ハーマイオニーの目が細くなった。

 

「ハリー」

 

 ロンが恐る恐る聞いた。

 

「お前、今、何の話してるんだ?」

 

「新聞の話だよ」

 

 ハリーは爽やかに答えた。

 

「言葉は人を導く。とくに今みたいな時代には、明るい言葉が必要だろう?」

 

「明るい言葉?」

 

「希望だよ、ロン」

 

 ロンは椅子の背に沈んだ。

 

「誰だよこれ。僕こんなハリー知らないんだけど!」

 

 ハリーは微笑んだ。

 

「みんなが不安になる気持ちは分かる。でも、僕はもう、自分の役割から逃げるつもりはないんだ」

 

 役割。

 

 その言葉が、図書室の空気に妙に浮いた。

 

「役割って?」

 

 ハーマイオニーが静かに聞いた。

 

「人を安心させること。希望を見せること。必要なら、僕自身が平和の象徴になること」

 

「うわ、ハリポがヘリポってる」

 

 ロメルダが言った。

 

「ヘリポ?」

 

「ヘンリー・ポーター」

 

「ああ……」

 

 全員が納得したように頷いた。

 パドマは咳払いした。

 

「話を戻すわ。次、マインの企画の進捗を教えて」

 

「はい!」

 

 わたしは勢いよく手を挙げた。

 

「一面ワキに、『読むだけでは終わらない本』という特集を書く予定です!」

 

「読むだけでは終わらない?」

 

 ロメルダが首をかしげた。

 

「ただ読んで終わりじゃなくて、読者の行動を変える本、議論を呼ぶ本、実際に騒動を起こしている本、読後に何かしたくなる本を取り上げるの。座談会形式にすれば読みやすいし、いろんな寮の意見も入れられるかなと思ってる。どう?」

 

「悪くないわね」

 

 パドマが考え込む。

 

「今のホグワーツには合っているわ。授業も新聞も噂も、全部つながっているもの」

 

「そこで、おすすめの本を選ぶために、またビブリオバトルを開きませんか?」

 

 わたしは力強くたずねた。

 

 完璧だった。

 記事になる。研究会らしい。読者も喜ぶ。わたしも本が読める。

 

 全員が沈黙した。

 

 おかしい。

 ここで拍手が来る予定だったのに。

 

「マイン」

 

 ロンが哀れむような目で見てきた。

 

「お前、本読みたいだけだろ」

 

「違うよ!」

 

「違わないわね」

 

 ハーマイオニーが冷静に刺した。

 

「座談会形式にしたいのは、あなたが全員のおすすめ本を合法的に聞き出したいからでしょう」

 

「合法的って何!? 非合法に聞き出したことないよ!」

 

「禁書棚の前で『偶然おすすめを聞いただけ』と言い張ったことがあるわ」

 

「あれは偶然だよ!」

 

 禁書棚の前にいたのも偶然。先生の許可証が必要な本の話になったのも偶然。わたしの手が本に伸びていたのも全部偶然である。

 

「でも企画としては使える」

 

 パドマが言った。

 

「問題は選書ね」

 

「それでいうなら」

 

 ハーマイオニーがきっぱり言った。

 

「今話題の『稲妻の少年』シリーズは、あえて入れるべきよ」

 

 部屋の空気が、ざらっと変わった。

 

『稲妻の少年』シリーズ。

 

 ヘンリー・ポーターという少年が出てくる。ハリーに似ている。似ているけれど、違う。白銀卿は妙に美しく、賢く、都合よく導く存在として描かれている。文章は面白くて読みやすい。読みやすいからこそ、危ない。

 

「最近、新刊が出たの」

 

 ハーマイオニーは声を落とした。

 

「内容が物議を醸しているわ。白銀卿側の描写が、前よりずっと強くなっている」

 

「どれくらい?」

 

 ジニーが聞いた。

 

「読んだ人によっては、白銀卿が正しいと思ってもおかしくないくらい」

 

 それは、かなりよくない。

 

 悪役が魅力的に書かれること自体は悪くない。物語には奥行きが必要だ。けれど、現実に危険な人がいて、その人に都合のいい物語が出回っているなら、話は別である。

 

 本は強い。

 

 だから怖い。

 

「マインはまだ読んでないのね?」

 

「うん。ちょうど読もうと思ってた。でも、絶対に入れるべきだよ」

 

 わたしは言った。

 

「無視すると、読んだ人だけで話が進んじゃう。ちゃんと読んで、何が面白いのか、何が危ないのか言葉にしないと」

 

 ハリーがそこで、穏やかに笑った。

 

「でも、物語が人に希望を与えることもあるよ」

 

 全員がまたハリーを見た。

 

「『稲妻の少年』は、少なくとも多くの読者に勇気を与えているんじゃないかな。僕に似た少年が苦難を越えて、人々のために立ち上がる。そういう物語は必要だと思う」

 

「読んだの?」

 

 ハーマイオニーが聞いた。

 

「少しね」

 

「どう思った?」

 

「素晴らしい小説だったよ!」

 

 ハリーは迷いなく答えた。

 

「ヘンリーは、自分の運命を受け入れている。怒りに振り回されず、人々が求める姿であろうとしている。僕も見習うべきところがあると思った」

 

 ロンが机に額をぶつけた。

 

「痛っ」

 

「何してるの、ロン」

 

「夢かと思って確認した」

 

「現実よ」

 

「最悪だ」

 

 ジニーはハリーをじっと見ていた。

 怒っているというより、何かを見極めようとしている顔だった。

 

「ハリー」

 

 ジニーが言った。

 

「本当にそう思ってるの?」

 

「もちろん」

 

 ハリーはやわらかく微笑んだ。

 

「人は成長するものだろう? 昔の僕は、怒りすぎていたのかもしれない」

 

 昔の僕。

 その言い方に、わたしの背中がぞわっとした。

 

 ロンも顔を上げた。

 

「昔の僕って何だよ」

 

「言葉の通りだよ」

 

「ハリーはそんな言い方しない」

 

「ロン」

 

 ハリーは困ったように笑った。

 

「心配してくれるのは嬉しい。でも、僕は大丈夫だ。むしろ、今までよりずっと自分の役割が分かっている気がする。僕は英雄になるために生まれてきたんだ」

 

 パドマは羽ペンを持ち直した。

 

「『稲妻の少年』は座談会に入れる。ただし、宣伝にならないよう注意すること。危険性を検証する形にするわ」

 

「アンブリっちにも聞いてみたら?」

 

 ロメルダが言った。

 

「おすすめの本」

 

 全員がロメルダを見た。

 

「いや、だってさ。アンブリっち、絶対にお気に入りの本とかあるじゃん。『教育とは秩序である』みたいな題名の、読んだ瞬間に眠くなるやつかもしれないけど。でも、アンブリっちが考える『読んだら終われない本』ぶっちゃけ気になるよね」

 

「それ、いいかもしれない」

 

 ハーマイオニーが考え込んだ。

 

「アンブリッジが何を読ませたいのか分かれば、教育方針の記事にもつながるわ」

 

「聞いてみよう」

 

 ロンが軽い調子で言った。

 

「きっと上機嫌で教えてくれるさ。自分のおすすめが新聞に載るって聞いたら、あの人、紅茶に砂糖を五杯入れたみたいな声になるよ」

 

「いつも入ってるみたいな声だけどね」

 

 ジニーが言った。

 ロメルダが吹き出した。

 

 わたしは想像してしまった。

 

 アンブリッジ教授がにこにこと笑いながら、「まあ、すばらしい企画ですこと」と言い、ものすごく退屈な本を十冊挙げる姿。

 退屈な本を十冊も挙げられたら、記事を書く前に精神が負ける。

 

 その時、図書室の入口で小さなざわめきが起きた。

 一年生の女子生徒が二人、こちらを見ていた。

 正確には、こちらではない。

 

 ハリーを見ていた。

 

「あの、ハリー・ポッターさん」

 

 一人が頬を赤くして言った。

 

「サイン、いただけますか?」

 

 マダム・ピンスの視線がこちらに突き刺さる。禁書棚より怖い。

 ハリーは嫌な顔ひとつせず、羽ペンを取った。

 

「もちろん」

 

「もちろん!?」

 

 ロンが小声で叫んだ。

 

「君たちは一年生?」

 

「は、はい……!」

 

 ハリーはさらさらと羊皮紙に名前を書き、女子生徒に渡した。

 

「ホグワーツの生活が素敵なものになりますように」

 

 女子生徒は真っ赤になった。

 もう一人にも同じようにサインをする。

 

「いつでも僕のことを頼っていいからね」

 

 女子生徒たちが去ると、ハリーは何事もなかったように椅子へ戻った。

 

「ごめん、待たせた?」

 

「待たせたというか」

 

 ロンが口を開けたまま言った。

 

「何してたんだよ」

 

「サインだよ」

 

 ハリーは髪を弄りながらさらっと答えた。

 

「求められたら応えるのが、僕の役目だろう?」

 

 ロンの口が閉じなくなった。

 ハーマイオニーも黙った。

 ジニーの目がすっと細くなった。

 

 ロメルダが小さく「ロックハートじゃん」と言った。

 

 たぶん全員が同じことを思っていた。

 

「ハリー」

 

 ハーマイオニーが低い声で聞いた。

 

「あなた、自分のことをどう思っているの?」

 

「難しい質問だね」

 

 ハリーは少し笑った。

 

「でも、今ならこう答えると思う。僕は、みんなが見たい希望でいなければならない」

 

「うわ」

 

 ロンが言った。

 

「今のは本当にうわ」

 

「ロン」

 

「だって、ハリーがそんなこと言うか?」

 

 ロンはハーマイオニーを見た。

 

「言わないだろ。絶対言わない。ハリーなら、そんなこと言う前に『僕だって好きでこうなったんじゃない』って怒る」

 

「それは分かるわ」

 

 ハーマイオニーは否定しなかった。

 

「大人に勝手に役割を押しつけられたら、ハリーは怒る。少なくとも、前のハリーなら」

 

「前の僕」

 

 ハリーは静かに繰り返した。

 

「みんな、昔の僕にこだわりすぎじゃないかな」

 

 その言葉に、ロンの顔色が変わった。

 

「こだわるに決まってるだろ。僕たちは昔のお前の友達なんだから」

 

 図書室の隅が、急に静かになった。

 

 ロンの言葉は、怒鳴っていないのに強かった。

 

 ハリーは少し困ったように笑った。

 その笑い方も、やっぱり上手だった。相手を責めず、自分を下げず、周囲に「なんて寛大なんだ」と思わせる笑い方。

 わたしは、背筋が冷たくなるのを感じた。

 

「では、仮説を述べてもいいか?」

 

 アーニーが手を挙げた。

 

「ハリーは、自己肯定感を過剰に高める魔法薬を飲まされているのではないか? あるいは、サインを書いた回数に応じて人格が有名作家化する魔法。もしくは、鏡に映った自分を見すぎることでロックハート因子が増幅し──」

 

「違うと思う」

 

 ジニーが一秒で否定した。

 

「早いな!」

 

「だって、フレッドとジョージが試合後にふざけてサインしてもロックハートにはならないもの」

 

「それは証明として適切なのか?」

 

「適切よ」

 

 ジニーの声に迷いはなかった。

 

 ハーマイオニーは慎重に言った。

 

「魔法薬か呪いかはまだ分からない。でも、少なくとも記憶と態度に異常があるのは確かよ」

 

 わたしはハリーにたずねた。

 

「ハリー、ヴォルデモートに何されたの?」

 

 その名前を出した瞬間、ロンが緊張した。

 

 ジニーの手が机の下で握られる。

 けれど、ハリーはきょとんとした。

 

「誰それ?」

 

 図書室の音が消えた気がした。

 

 本の頁をめくる音も、羽ペンが羊皮紙を引っかく音も、遠くなった。

 

 ハリーは本当に分かっていない顔をしていた。

 

 芝居ではない。

 怒りでもない。

 恐怖でもない。

 空白だった。

 

「名前を聞いたことはある気がするけど」

 

 ハリーは少し考えた。

 

「僕に関係ある人?」

 

「あるに決まってるでしょ」

 

 ジニーの声が冷えた。

 

「あなたの両親を殺した相手よ」

 

 ハリーは困ったように眉を下げた。

 

「そう言われても、あまり実感がないんだ」

 

「実感?」

 

「悲しい話だとは思う。でも、僕がいつまでも過去に縛られていたら、みんなも前に進めないだろう?」

 

 誰もすぐには答えなかった。

 

 立派な言葉だった。

 立派すぎた。

 両親を殺された少年の言葉ではなく、悲劇を乗り越えた英雄について書かれた宣伝文句みたいだった。

 

「ハリーはもっと怒る」

 

 ロンが低く言った。

 

「自分の両親を殺した相手だぞ。僕たちが止めても怒る。危ないから待てって言ったら、もっと怒る」

 

「褒めてるの?」

 

 ロメルダが小声で聞いた。

 

「褒めてない。でもハリーだ」

 

 ロンははっきり言った。

 

 悪口みたいで、悪口ではなかった。

 ハリー・ポッターという人間の輪郭だった。

 

 パドマは羽ペンを置いた。

 

「この件は、記事にはしないわ。少なくとも今は」

 

「でも」

 

 ロメルダが言いかける。

 

「駄目」

 

 パドマの声は鋭かった。

 

「これは記事にしていい話じゃない。本人の状態確認が先。ハリーを紙面の材料にする前に、友人として何が起きているか調べるべきよ」

 

 新聞の人なのに、新聞にしない判断ができる。

 かっこよすぎる。

 わたしはまた羊皮紙の余白に「編集長、かっこいい」と書きそうになった。

 

「でも、『ヘンリー・ポーター』の件は別よ」

 

 パドマは続けた。

 

「あの話を、本当の話みたいに受け取っている生徒が増えている。白銀卿を美化する流れもある。そこには対抗しないといけない」

 

「作り話なのに?」

 

 ジニーが言った。

 

「作り話だからだよ」

 

 わたしは思わず口を挟んだ。

 

 みんながこちらを見た。

 

「作り話は、読みやすいように形を整えられる。嫌なところを削って、都合のいいところを増やして、読者が気持ちよく信じられる順番に並べられる。だから強いの」

 

 本は強い。

 正しい本も、間違った本も。

 面白い本は、特に強い。

 

「対抗するには真実が必要ね」

 

 ハーマイオニーが言った。

 

「でも、ただ事実を並べるだけでは駄目。読まれなければ意味がないわ」

 

「一回だけでは足りないかもしれない」

 

 パドマがうなずいた。

 

「継続的に、本物のハリー・ポッターを知っている人間が書く必要がある」

 

「僕なら協力できるよ」

 

 ハリーが言った。

 

 全員がまた固まった。

 ハリーは爽やかに微笑んでいる。

 

「僕自身のことだ。読者が僕を必要としているなら、僕の言葉で伝えたい。『ハリー・ポッターから君へ』という連載はどうかな。近況、勇気の言葉、僕の写真も添えて──」

 

「却下」

 

 パドマが一秒で言った。

 

「まだ最後まで言ってないよ」

 

「最後まで聞く必要がないわ」

 

「笑顔の写真と、少し真剣な写真を使い分ければ、読者に安心感と勇気を届けられると思うんだ」

 

「もっと却下」

 

 ロンが頭を抱えた。

 

「やめろ。頼むからやめろ。ロックハートが増える」

 

「ロン、失礼だよ」

 

「失礼で済むうちに戻ってこい!」

 

 ハーマイオニーがロンの肩に手を置いた。

 ロンはやけくそになり、鼻血ヌルヌルヌガーをつまみ始めた。当然のように鼻血が溢れてきた。

 

 わたしはハリーを見た。

 たぶん、ハリー本人に自分の書かせてはいけない。

 今のハリーは、自分のことを一番よく知らない。

 

 ヘンリー・ポーターみたいに、ハリー・ポッターを語ってしまい、ヘンリー・ポーターの話を本当にしてしまう。

 

 それは、嘘の本に負けることと同じだ。

 

「物語には物語で対抗すべきだよ」

 

 わたしは言った。

 

 それは、わたしにとってかなり当たり前の結論だった。

 

 呪文には呪文。毒には解毒薬。嘘の本には、本。

 

 でも、ただ真実を書くだけでは足りない。

 真実は、時々ものすごく読みにくい。

 長い。複雑。面倒くさい。登場人物が多い。感情が絡む。誰かが泣く。誰かが怒る。誰かが言い間違える。

 それでも読ませなければならない。

 

 分かりやすく。

 面白く。

 嘘より弱くない形で。

 

「問題は、誰が書くかね」

 

 パドマは周囲を見渡した。

 

「真実を知っていて」

 

 わたしは一本指を折った。

 

「文章が分かりやすくて」

 

 二本目を折る。

 

「ツッコミが鋭い」

 

 三本目。

 

「ハリーのことを一番よく知っているのは誰?」

 

 パドマが羊皮紙の一番上に、新しい見出しを書いた。

 

 つまり、ハリー・ポッターは本当に英雄なのか? 

 

 ハリーはその見出しを見て、穏やかに微笑んだ。

 

「いい見出しだね。僕のことを正しく伝えるなら、協力するよ、ロン」

 

「それが怖いんだよ!」

 

 ロンが叫んだ。

 

 それからロンは鼻血を止める治療側のヌガーを口に押し込みながら、周囲を見渡し、自分を指さした。

 

「え、僕?」

 

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