レグルスは
雪の中から発見した物が、人体の一部だったからだ。しかも、ハンターのものである。
(な、なんで人間の腕が落ちてるんだ……!? ま、まさか……)
彼は、寒さとは違う、別の何かで震えていた。
それは、言うまでもなく〝恐怖〟である。
(も、モンスターが人間を……!?)
だとすれば、ミラやチェルシーの身が危ない。
(は、早くあいつらに伝えないと。でも、どこにいるか分からないし、しかも、吹雪の中だ。下手には動けない!!)
心拍が加速を始める。寒いのに汗が出てきた。
(村長が雪山に入るなと言っていたのは、このことだったのか!? オレがミラを止めなかったばかりに!! くそっ!! このままじゃ、全員の命が危ない!!)
呼吸も速くなる。酸素濃度は平地よりも低いので、自然と呼吸の回数も多くなっていた。
(いや、これは本当にモンスターの仕業なのか!?)
脳内を、様々な思考が駆け巡る。
(……まずは落ち着け、落ち着くんだ……)
彼は、ゆっくりと深呼吸をした。冷気が肺に入って来る。
さて、どうすればいい――レグルスは考えた。
(今は全員が単独で行動している。まずはミラとチェルシーを探すのが先か……。無闇に動くのは危険だが、動けば二人と出会う確率も高くなる……いや、この吹雪だ、お互いの姿を確認できずに、すれ違う可能性の方が高い。かといって、じっとしていても雪だるまになるだけ……)
レグルスは、白の世界で立ち尽くしていた。
(しかし、さっきから感じるこの妙な感じは一体何なんだ……)
そう、小型モンスターがまったくいないのだ。この吹雪だからいないのも当然か、と彼は考えもしたが、それもおかしい。
今まで通ってきたエリアでも、モンスターは確認できなかった。麓も吹雪いていたとはいえ、モンスターがまったくいないというのは、どう考えてもおかしい。
(このまま行けば……エリア8、か)レグルスは地図を確認する。(ミラも山頂を目指しているはずだ。このまま進めば、出会う可能性もある……)
レグルスは歩き出す。
(このまま何もなければいいんだけどな……)
言いようの無い恐怖だけが、彼の肉体と精神を
エリア6。
雪山の山頂部の雪原エリアの一つ。
「ひゃっ!!」
冷たい吹雪が、砕けた
(さ、寒い……。でも、ここならいるでしょ何かが……!!)
吹雪で視界は悪い。いや、目の前に広がるのは、どこまでも白の世界。穢れなき白。一瞬、ここは天国かと思ってしまうほどである。
ミラはフィールドを見回す。が、何も見えないのは明白である。
(ここまで来て引き返すのもなんだし……。どうしよ)
ミラはしわくちゃになった地図をポーチから取り出し、広げた。
(エリア8……、行ってみよ)
彼女は地図をポーチに押し込み、積もった雪を踏みしめ歩いた。
エリア3。
雪山の内部の洞窟のエリア。
(ニャ……。洞窟の中もかなり寒いニャ……)
内部の壁は凍土でできていて、触ると冷たい。
チェルシーはポーチに手を突っ込むと、〝特製ホットドリンク〟を取り出した。
(トウガラシを増量した、特製のホットドリンクニャ!!)
それを、一気に胃に流し込む。途端に、躰がとても熱くなる。
「~~~~~~~!!」
(さすがにトウガラシを入れすぎたニャ……)
口から炎が出せそうなほどの辛さ。舌がひりひりする。
(……にしても)
チェルシーは洞窟内部をぐるっと見回す。向かって右は壁、左はちょっとした崖になっている。
(地図を預けっぱなしだったの、忘れてたニャぁ……)
引き返しても、レグルスはもう先に行ってしまっているだろう。わざわざ登るのも疲れるだけだし、何より高所が怖い。
(折角だから、探検してみるかニャ……。もしかしたら、未知の食材なんかが眠っているかも知れニャい……。そう考えたら、楽しみになってきたニャ!!)
新しい場所に来るとワクワクしてしまうのは、人間もアイルーも同じだ。
(……いやいや!! 遭難したら終わりニャ!! ここはじっとしてる方が……)
チェルシーは冷たい地面に座り込む。
(こんなトコに居座ってたら、氷漬けになってしまうニャ。今は、二人に出会うのが先かも知れニャい)
チェルシーは腕を組んで頷く。
(とりあえず進むかニャ……)
不気味な音が反響するエリアを、彼は進んだ。
エリア8。
吹雪の壁は、狩人たちが侵入するのを拒んでいるようであった。
視界は白で覆われ、音は風に吹き消される。
(ホットドリンクを飲んでも、厳しいな、ここは……)
レグルスの躰は震えていた。指先の感覚は、麻痺寸前である。
(引き返すべきだったか……?……いや、今さら遅い)
進むしか、道はない。彼はそう思った。
(何にも見えない……)
ミラの表情は険しくなる。
(これじゃ、勝負どころじゃないじゃん……)
でも、絶対何かある!! 彼女はそう思った。
二人の距離は、次第に縮まっていく。
何が現れるか分からない空間を進むたび、心臓が大きく鳴る。
二人の距離、およそ5メートル。
突如、レグルスの目の前に黒い壁が現れた。
「……え?」
レグルスが顔を上げると、二つの紅い玉が宙に浮いていた。
「!?」
玉が、ギョロリとレグルスの方を向く。そして、その紅玉は、
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
「ん!?」
ミラは咄嗟に弓を構えた。
(さっきのは、悲鳴? その声は、レグルス!? ここにいるの!?)
「レグルス!! いるの!?」
ミラは叫ぶ。だが、返事は無い。
レグルスは、2、3歩下がった。
(なんだこれは!? こいつはモンスターか!? じゃあ、さっきの腕は、コイツが殺した人間のもの――)
そのとき、ミラの声が聞こえた気がした。レグルスはハッとする。
(ミラ!? ここに来ていたのか!? こんなときに!!)
心拍はより速まる。息も荒くなる。
「ミラ!! そこにいるのか!? いるのなら早く……」
逃げろ、と叫ぼうとした瞬間だった。
凄まじい轟音と衝撃。
二人の躰は、跳ね飛ばされた。
積もった雪がクッションになったおかげか、地面に叩きつけられても痛みは感じなかった。
「な、何……?」
ミラには、何が起こったのか分からなかった。
鼓膜が痛い。さっきまで聞こえていた吹雪の音が、今は聞こえない。
(一体何が……?)
ミラは、雪に寝転がったまま目を見開いていた。
レグルスは受身の姿勢を取ったので、転倒は免れることができた。
(耳がいてぇ……)
恐らくさっきのはモンスターの咆哮だろう、と察した。そして、聴力が失われている。
何も見えない、何も聞こえない――。これほどの恐怖が、他にあるだろうか。
全身が、震えていた。
刹那、吹雪が止む。
その瞬間は、時間が止まったかのようだった。
激しく鼓動していた心臓の拍動が止まるような錯覚に陥る。
猛吹雪の間に垣間見えたのは、漆黒に染まった巨体。
漆黒の体毛、太い前脚、紅い目、側頭部から伸びる一対の角――。
見えたのは一瞬だったが、その姿は、はっきりと確認できた。
(なんだ、あのモンスターは……)
見たことがないモンスターだった。だが、それが何者であるかを気にしている余裕は、無い。
(あ、あの腕がコイツの仕業だとすれば……今すぐ逃げないと!!)
レグルスの聴力は、既に回復していた。
「おい!! ミラ!! 逃げるぞ!!」
レグルスは精一杯の声で叫んだ。しかし、返事が無い。
「おい……」
まさか、という最悪の事態が、彼の脳を
「んー? どうしたのレグルス」
突として、ミラが横に現れた。
「うおっ!! どっから湧いてきた!?」
「なんとなくで移動してきたんだよ。あ~、耳が痛い」
「無事ならいいんだ……とりあえず、逃げるぞ!!」
「あの……アイツから?」
ミラは、
「それしかねぇよ」
「やだ」
「は!?」
「レグルスは腰抜けだね……。それじゃ、アイツをどっちが先に狩れるか勝負しよう!!」
また、これか――レグルスは舌打ちをする。
「……いや、逃げるのが先だ」
「じゃ、行くよ!!」
ミラは弓を構え、矢を
「あ、おい!!」
「そういえば、何も見えなかったね、どうしよ」
「だから逃げ――」
その瞬間、吹雪が弱くなった。
「アイツがよく見えるようになったじゃん」
ミラが怪物を指差す。
「あ、ホントだ――って早く逃げ」
「よっしゃああ!!」
ミラは矢を番えた腕に力を溜め、射た。
放たれた一矢は、怪物の背中を射抜く。
瞬時に、怪物の紅い目が二人の方を向いた。
「逃げるぞおい!!」
レグルスはミラの腕を引っ張る。だが、彼女は手を振り払った。
「なんで!? 逃げるの!? 勝負から?」
「…………っ」レグルスは唇を噛んだ。
「……なに?」ミラが顔を
「……わかったよ。逃げなきゃいいんだろ逃げなきゃ!!」
「よぉし、そうこなくっちゃ!! 勝ったら美味いものが食える!!」
「ったく、どうなっても知らねぇからな!!」レグルスは
(とにかく、コイツを気絶させるなんかして、一刻も早く逃げる必要がありそうだ……)
レグルスは、力を溜めながら怪物目掛けて走った。雪に足を取られそうだったが、なんとか耐える。
ミラは、弓に毒ビンをセットし、矢を
レグルスと怪物との距離が数メートルまで迫ったとき、
怪物が突然、両前脚を大きく上げて仰け反った。
(何か攻撃が来る!)
レグルスは足を止め、数歩大きく
その矢先、怪物は倒れこむようにして腕を地面に叩き付けた。
大地が震え、降り積もった雪が、岩に当たった大波のように跳ね上がる。
「うぁっ!?」
レグルスはバランスを崩して倒れそうになるが、すかさず横に転がり込んで、体勢を立て直した。
「近接武器は大変だねぇ!!」
そう言いながら、ミラは矢を放つ。矢は拡散され、起き上がろうとする怪物の体側面に突き刺さった。
「おとなしく毒にひれ伏せぇ!!」
怪物はギロリとミラを見る。そして、彼女の方へと駆け、飛びかかろうとする。
だが、ミラはそれを華麗に避けてみせた。そして、もう一発、拡散矢を見舞う。
「レグルスより攻撃してるよ、私」ミラはレグルスの方を向いてニヤリと笑った。
「なんならオレも……」レグルスは跳びながら怪物へ近づく。「負けねぇようにしねぇとな!!」
怪物の振り向きざま、彼は鉄槌を振り回し、頭部に強撃を与えた。
怪物は怯むそぶりも見せず、バックステップする。
「へぇぇ、やるじゃーん」次の矢を矢筒から取り出しながら、ミラが言った。
「いつもこんなんだろ」
「そうだったっけぇ?」
「そうだよ!!」
まったく、狩りのときも緊張感の無い奴だ、とレグルスは思った。
「さぁーて、次の一撃も、私がもらっちゃうよ!!」ミラは弓を引き絞る。
「いや、オレが!!」レグルスは槌を構え直し、怪物の方へ突っ走る。
レグルスが怪物の一歩手前まで近づいたとき、
「っ!?」
彼は、何か、雷のようなものを感じ取った。髪の毛を雷が伝うような感じ。
そして、怪物が仰け反る。
(何か来る!! だが、間合いはこっちのもんだ!!)
レグルスはそのまま一気に突っ走る。
このままハンマーを振り上げれば、確実に攻撃を頭部に当てられる。
「よっしゃぁ!!」
だが、次の瞬間、レグルスの躰は吹き飛んでいた。
「っ!?」
転げながらも、なんとか体勢を取り直す。ミラも、なぜか尻もちをついていた。
「……おい!! 一体何が!?」
「わ……私にもよくわかんないけど、アイツの口から金色のブレスが……」ミラは立ち上がりざま、答える。
「……え? じゃあオレは、その衝撃で飛ばされたってのか」
当たらなくて良かったぜ、とレグルスはほっと胸を撫で下ろした。
「しっかし……」レグルスの息は、荒くなっている。「あんな攻撃があるのは……かなり厄介だな」
遠く離れていても攻撃を喰らう可能性があるのは、危険である。
「うん、すごく手強い……。でも、先に倒すのは私だよ!!」
「力尽きねぇようにな」
「そんなことあるはずないでしょーが」
「ならいいんだけど!」
そんな会話をしながら、レグルスは考えていた。
(あのブレスは……雷を纏っていたのか?)
指先に、ビリビリという痺れた感覚がある。ならば、そう考えて間違いないだろう。
怪物は、ゆっくり二人の方に向かってきたかと思うと、二人の間を引き裂くように飛び掛かった。
だが、二人は攻撃を見切っていた。
飛び掛かりを回避した二人は、怪物を挟むような立ち位置になる。
「横っ腹がお留守だぜ」
「隙ありぃ!!」
ミラが素早く拡散矢を射て、レグルスが槌を振り上げたとき――
再び、凄まじい咆哮。
二人は咄嗟に耳を塞いだため、耳をやられることはなかった。だが、音圧で、足を擦りながら5メートルほど飛ばされた。
「くぅ……っ!!」
大量の積雪が吹き上がる。
「……ま、またぁ?」
片手で頭を押さえながら、ミラはレグルスの元へ駆けてきた。
「あぁ……頭がいてぇ」レグルスもミラ同様、頭を押さえる。「そうだ、アイツは……?」
怪物は、宙に舞う大量の雪に覆われていて、見えない。
「観念して逃げたんじゃない? 私の活躍で」ミラはガッツポーズをしてみせる。
「さぁ、な……」
二人は、次第に薄れゆく雪の中を凝視した。
何かが現れる。
「え、えぇ?」
その姿を一目見た瞬間、レグルスとミラの躰は硬直した。
雪煙の中から姿を現したのは、金色に染まりし怪物の姿。
黄金の
「んなっ!? な、何!?」
「さっきのモンスターか!?」
激昂状態か――レグルスは直感する。
(これは、まずい……)
「逃げるぞ」レグルスは呟く。
「え?……逃げんの?」
「元からそのつもりだ!!」
「でも、ここで闘ってこその狩人でしょ!?」ミラがレグルスを睨みつける。
「でも……」レグルスは訴えかける目をミラに向ける。
「ふぅん、自信ないんだ……?」
沈黙が流れる。
「……もういいよ。私一人でやるから」
「はぁ……」レグルスは溜め息をつき、首を振った。「お前を一人にはさせておけねぇからな……、仕方ねぇ!! オレもやってやるよ!!」
「そうこなくっちゃ!!」ミラは矢を番え、放った。矢は怪物の角に当たり、折れた。「角は効かないのかなぁ」
ミラがそう呟いたそのときだった。
怪物は尋常ではない速さで、二人に襲い掛かった。
「避けろ!!」
レグルスが叫ぶ。
二人は、怪物の速攻をなんとか避けきった。
「さっきより動きが速くなってるぞ!!」
レグルスは怪物から距離をとる。
「これくらい、何ともないや」ミラは次の矢に手を掛ける。
そのとき、またも吹雪が強くなり、視界は白で包まれた。
「くそっ!!」
レグルスの位置からは、何も見えない。おそらく、ミラもそうだろう。
あの怪物も同じだとは思うが、鼻が利くようなら二人の位置はバレてしまうだろう。
(だから早く逃げときゃよかったんだよ!!)
彼はそう思ったが、仕方ないことだ、と瞬時に割り切った。
(どこだ、どこにいる――)
どこから襲ってくるか分からないという恐怖に、ただ躰が震える。
「どこだぁ!!!!」その恐怖を打ち破り、レグルスが叫んだ。
その瞬間、吹雪が一時的に弱まった。と同時に、ミラと怪物の姿を、彼の目は捉えた。
怪物の視線の先にはミラがいる。だが、彼女はビンの装着をしており、そのことには気づいていないようだった。
ミラが襲われる――レグルスは直感的に感じ取る。
瞬刻、彼は無意識のうちに走りだしていた。
(くっそぉ……!! 狙うならオレを狙えってんだ!!)
暴風雪をものともせず、彼は疾走する。
横目で見ると、怪物は、前脚で引っ掻く動きをしながら、ミラの方へ向かっている。
(間に合え――!! これ以上ミラを傷つけたくない――!!)
彼は速力を上げる。
(誓ったんだオレは――)
「――えっ?」
ミラが気づいた時には、怪物は既に目と鼻の先まで迫っていた。
怪物は、右前脚を大きく振り
ミラには、その動きがスローモーションのように見えた。
尖鋭な爪が、ゆっくりと、襲い来る。
(これって、死――)
そのとき、不意に、横から感じる衝撃。
レグルスは、ミラの躰を突き飛ばしていた。
次の瞬間、熱い衝撃が彼を襲った。怪物の鋭い爪が、彼の腹を
「――!!」
宙を舞う吐血。
次第に遠退く意識。
だが、朦朧とする中でも、レグルスの意志には揺らぎがなかった。
彼は、雪面を強く蹴ると、覆いかぶさるように、ミラに抱きついた。
これ以上彼女に危害を加えさせまい、と。
だが、そのとき既に、二人の躰は岩壁から飛び出していた。
そして――無限の白銀の中に、レグルスとミラは消えた。