ようこそ魔法律のお時間です   作:ビサイ

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 最悪の状況が実現してしまった。

 盛大に打ちあがった水しぶきが収まり、水泡が水面に幾つか浮かぶ。

 あまりの光景に、堀北鈴音は目を見開いたまま硬直する。同時にそれは、致命的な隙を生んでしまった。

 

「あ……」

 

 水滴を滴らせながら、黒い毛の塊が目の前に居た。

 

「ああ……憎い………そ、その髪ィィィィィイイイイイイイ………」

 

 伸びてくる黒い髪の毛。尻餅をついている状態の堀北にはこれを躱す術はない。

 だが、その黒い先端が触れる刹那、薄い膜のような壁がこれを阻んだ。

 発生元は、堀北が持たされていた札。

 

 『霊子体防壁(れいしたいぼうへき)の術』霊の攻撃を防ぐ事が可能な術で、『霊化防壁(れいかぼうへき)の術』の一段階上の防御力がある。

 

 問題は、煉を用いる術というのは起点となる札が崩壊すると術そのものが消滅してしまう点か。

 独りでに浮かび上がり輝く札。バチバチと火花を上げて霊の攻撃を防御しているのだが、既に角の方が砕け始めていた。

 

「アァァァァアアアアアアアアアアアア!!!憎イ!何故、コンナ目ニ!!!!!」

 

 発狂しながら、黒い髪は鞭のように矢鱈目鱈に振り回され、水滴を散らしながら防壁を砕かんと風を切る。

 吐き気を催しそうなほどにどす黒い怨嗟を向けられて、堀北は目を見開いて動けずにいた。それどころか座り込んで動けない彼女のお尻の下にはプールの水とは違う水たまりが出来ていたり。

 防壁も無敵ではない。札の崩壊に合わせて徐々に亀裂が走り、そして――――

 

「黒髪ィィィィィイイイイイイイ!!ゲピャアッ!?」

 

 黒い毛の塊は、横合いから割り込んできた何かによって勢いよくプールへと吹き飛ばされていた。

 同時に防壁も砕け散り、札も崩壊。代わりに、毛の塊と堀北の間に立ち塞がったのは、一人の騎士。

 ボロ布のようなマントを羽織り、目元を縫い合わせた鉄仮面を被った円錐状の穂先を持つ槍を携えた存在。

 

アコニエ(構えよ)エコニコロ(魔の者よ)

 

 騎士は告げる。

 

アロコエコ(我が名は)コリ(イリ)アロコロロアロ(我が友の) ロココアロエココ(呼び声に応え参上した)

 

 騎士(地獄の使者)は槍を携え、敵を睨む。

 目的を邪魔された毛の塊は、発狂しながら猛然とした勢いで騎士へと襲い掛かっていった。

 

 一方で、プールの底。

 

(ちょっと拘束が緩んだか?イリが上手くやってくれたらしい)

 

 口の端から小さく泡を昇らせながら、体に巻き付く黒い髪を特殊な刀身を持つ魔具、“魔除け小太刀”で斬っていく。

 のんきな様子だが、実の所そこまで余裕はない。

 最初の一発で後頭部を打って、意識が半ば混濁している所に一切の手心の無いぶん回しからの水面に勢いよく叩きつけられたのだ。

 硬いプールサイドでなかっただけまだマシだが、水というのは着水の速度が速ければ速いほどに水が逃げる隙間が無くなり硬くなる。場合によってはアスファルトの地面に叩きつけられるよりも悲惨な事になってもおかしくない。

 現に、水鏡自身も一時的に意識が飛んでいた。そのせいで、堀北へのフォローが遅れ、今も水底に拘束されている状態。

 とはいえ、手はある。彼の左手に広がった魔法律書がその証拠。

 

(札は……多分崩れてるな。正直、今回の悪霊とイリは相性が悪い。まあ、元々水場だから彼に頼るつもりだったし………疲れるなんて、言ってられないか)

 

 彼の意思に反応するようにして、魔法律書が更に開かれる。

 水底に横たわる形の彼の周りを囲むように展開され、その内一か所に光が灯っている。

 変化は、その光から折れたページ二つ分隣。そこに新たな光が灯った。

 

――――ゲロゲロ

 

 プールの中に何故だかカエルが現れる。それも、一匹二匹の話ではない。

 カエル達は水の中を自由に泳いでいる。かと思えば、徐に整列するようにして水底に留まり並ぶ。

 泡。底から突如として湧き上がってくる大量の泡。

 

アロケリケロケル(良いところところに呼ぶな)ケケロロ(忌手よ)

「(ガルガリリガル(お久しぶりです)ガルララ(パケロ殿))」

 

 泡より現れたのは、傘を携えた小柄な存在だった。

 十歳前後の子供のような見た目手、肌は滑らかな緑色。腰布一丁で、その手には閉じた傘を携えている。

 カエルに、サンショウウオを合わせた様な両生類を人型にしたような使者だった。

 

ケロ(ふむ)ケロケリアロロケリ(同郷が居るな)アロケロケロロケ(何を喰らう?)

「(ガガルリガルガロ(この場に巣くう悪霊を))」

アロ(成程)ケリケロケロリ(馳走に成ろう)

 

 水面に向かった使者(パケロ)を見送って、水鏡は喉の奥からせり上がってくる鉄臭い液体を飲み込む。

 とある事情から常人よりも遥かに頑丈である水鏡。その耐久力もさることながら、回復力もまた群を抜いている。

 具体的には、腹をナイフで刺し貫かれても一時間程度で傷が塞がり始め、五時間も経てば掻いても問題ない程度にまで回復するレベル。

 そんな彼だが、地獄の使者を二体も同時に行使するなど、自殺行為も同然だった。オマケに、どちらの使者も煉を大量に食う。

 

(ひ、干乾びる……!)

 

 自分のやらかしの結果による自業自得の罰を受けながら、意識を飛ばさないように水鏡はもう一度鉄臭い液体を飲み込む。

 

 場面は変わり水上。パケロが上がる前の事。

 

「シネシネシネシネシネシネシネシネェエエエエエエエエエエエエエ!!!!」

「…………」

 

 四方八方から振るわれる黒い髪の鞭を、イリ(地獄の使者)は愛槍によってたちどころに捌いていた。

 事、守勢に置いてその防御を抜く事は難しい。そこに騎士の矜持である、守る対象が居るのならば猶の事その防御は砦の如し。

 穂先で払い、石突で打ち据え、床を這う髪を振り払う。

 元より、イリが目の前の相手を仕留める必要は無いのだ。彼の仕事は、堀北の護衛。攻め手はまた別の存在が行う。

 焦れているのは、毛の塊の方だ。

 角度、速度、本数。如何なる手段を用いても、イリの振るう槍の防御を抜けるに至らない。

 それは、執着となる。そして執着は盲目となって、岡目八目となり、冷静さを完全に奪っていた。

 もし仮に、この毛の塊に冷静な知能があったならば、分かった筈だ。目の前の騎士は正攻法では倒せない。そして、呼び出したのはプールの底に沈められた少年である、と。

 これさえ分かれば、率先して仕留めるべき相手も分かるというもの。同時にそこに知恵が回らないからこそ、悪霊(妄執の化身)であるとも言えた。

 

「――――ケロケロリ(いただきます)

 

 一本のピンク色の紐のようなモノが、悪霊の体へと巻き付く。

 出所は、悪霊の背後。水面に立って傘を差した小柄な影。

 パケロの舌は、一度霊を絡めとると離れない。そしてその口は、どれ程巨大な霊であろうとも排水溝に水を流す様に呑み込んでしまう。

 反撃しようとした悪霊だったが、攻勢が緩んだ瞬間にその頭部と思しき部分に槍が叩きつけられて水面へと叩き伏せられていた。

 この間にも、悪霊はパケロの口の中へと飲み込まれていく。

 

「ァァ……!嫌ダ!マダ!マダ終ワッテナイノニ!!」

 

 上下水道を利用して張り巡らされた黒い髪も、一本残らず飲み込まれながら悪霊は叫ぶ。

 

「黒髪、黒髪ィィィィィイイイイイイイイ!!!」

「ッ……」

 

 尋常ではない気迫。それは声だけであっても、仰け反らせるほどの圧がある。

 イリが間に入り堀北を庇うが、その怨嗟は余程のものがあるのか彼女の耳にこびりつく。

 とはいえ、どれだけ喚こうとも舌に絡まった時点で詰んでいる。程なくして、怨嗟の声はパケロの口の中へと消えて、後に残るのは静寂だけ。

 

「ケプッ…………プケリロ(旨かった)

アロココシエ(ソレは何より)ロコシアエコロ(不義理となりますが)ココアシエコロア(戻ると致しましょう)

ケロリ(うむ)

 

 二体のやり取りがあり、その姿は虚空へと消える。

 入れ替わる様にして、プールサイドへと一本の腕が伸びてきた。

 震える堀北だったが、腕がもう一本現れて、体を水上へと引き上げてくる。

 

「ぶはっ!!……エホッエホッ!!ッ、はーーーーっ!!空気うめぇ!!!」

 

 大の字でプールサイドに転がった水鏡は、長々と吸えなかった空気を肺一杯に吸い込む。

 疲労困憊だった。煉はほぼ空で酷い眠気が襲ってくる。ただ、プールサイドで眠る訳には行かないという最低限の理性が夢の世界へと彼を送り出す事を阻んでいた。

 どうにかこうにか身を起こして、這うようにして座り込んだままの堀北の元へ。

 

「よぉ…………悪かったな……油断した………」

「………生きてたのね」

「常人よりは………よっぽど頑丈でな…………立てるか?」

「ええ………でも、その……」

 

 胡坐をかいて座り込む水鏡は、歯切れの悪い堀北の様子に首を傾げた。

 酸欠は収まったが、煉は回復できていないため直ぐにでも眠りたい中で頭を回す。

 

「…………ああ、成程」

 

 行きついたのは、一つの結論。

 

「大丈夫だ………魔法律家にも、そういう奴は居る………」

 

 眠気で半ば混濁した意識で導き出した結論は、乙女にとっては中々どうして、酷な物。

 ボッと瞬間湯沸かし器の様に沸騰する堀北の顔色。それでも手が出なかったのは、今も現在進行形で舟を漕いでいる少年が真面な思考回路を持っている様には見えなかったから。

 かくして、今回の一件は一応の幕引きを迎える。

 尤も、まだまだ霊の数は計り知れない魔境は健在なのだが。

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