ようこそ魔法律のお時間です 作:ビサイ
柔らかな感触に包まれている。
深く沈んでいた意識が浮上してきた時、一之瀬帆波が最初に感じたのは言い様の無い清々しさだった。
瞼が上がり、最初に目に飛び込んできたのは薄暗い白い天井。
「ここは…………」
「目が覚めたか?」
「ッ!?」
ぼんやりと呟かれた声に、思わぬ低い声が返って来て一之瀬は布団の中で肩を跳ねさせた。
恐る恐る声の方を見ればそこに居たのは、いつか見た灰髪の少年。
少年は、端末で時間を確認すると一つ頷く。
「21時過ぎ……大体、九時間程度は寝てたことになるか。気分が悪かったり、違和感があったりしないか?」
「あ、えっと…………水鏡君?」
「おう。で、どうだ?」
「あ、うん……良好、かな?ここ最近の中じゃ、一番良いかも」
「そうか」
うん、と頷き水鏡は座っていた椅子の背もたれに背中を預けて腕を組んだ。
逆にベッドの上で上体を起こした一之瀬は混乱していた。
「ここ……保健室?どうして、私ここに居るのかな」
「その説明は、ちと待ってくれ。そろそろ、神崎が戻って来るだろうからな」
「え、神崎君?」
そんなやり取りを挟んだ所で、不意に保健室の扉の向こうに明かりが揺らめいた。
引き戸が引かれ、入ってきたのは懐中電灯を右手に、左手にはビニール袋を下げた神崎の姿だった。
保健室に入ってきた神崎は、一之瀬が起きているのを確認して目を見開くと懐中電灯を消してから部屋の電気をつけてベッドに近寄る。
「目が覚めたか、一之瀬。良かった。コンビニの方で、幾つか食べ物や飲み物を見繕ってきた。使ってくれ」
「え、あ、うん……ありがとう、神崎君」
神崎から袋を受け取った一之瀬は、そこである事に気付く。
今の彼女は、制服姿である事はそうなのだがブレザーは脱いでおり、加えてリボンも外されていた。
スカートはそのままだが、かなりラフな格好だ。思わず、ジロリと二人を見てしまう。
「……私の制服って、何処かな」
「あ?そこのハンガーに掛けてるぞ…………ああ、そういう。心配しなくても、俺も神崎もアンタの制服脱がしたりはしてない。そっちは、星之宮先生にしてもらったからな。保健室に運びはしたが、それだけさ。体の世話まではしてねぇよ」
ひらりと手を振る水鏡と、彼に同調するように壁に凭れかかる様にして腕を組んだ神崎が頷く。
年相応のそういった欲はあるだろうし、そもそも一之瀬帆波という少女は男子垂涎ものの見事なプロポーションの持ち主である。
しかし、水鏡も神崎も寝込みを襲うような真似をする馬鹿でも下種でもない。第一、
腕を組んだ神崎は、水鏡へと目を向ける。
「水鏡。一之瀬も起きた事だし、そろそろ詳しい話をしてもらっても良いだろうか」
「ん、まあ、そうだな」
神崎の言葉を受けて、水鏡は頷くと腕組を解いて少し前のめりになりながら両手の指を突き合わせて一之瀬を見やった。
「まあ、お茶でも飲みながら気楽に聞いてくれ」
「え……私、いったい何を聞かされるのかな?」
「ああ。後、アンタに関してデリケートな問題にも触る」
「え…………具体的には?」
顔色を悪くする一之瀬に、水鏡は一瞬神崎へと視線を送ってから徐に大きく体を乗り出した。
一之瀬の耳元にまで顔を寄せる。
「アンタ、処女だろ?」
「!?な、ちょ、はぁあああ!?急に何言ってるの!?」
「だから先に言ったろうが。デリケートな問題に触るって」
「きゅ、急にそんな事言われるとは思わないんだけど!?」
ギャンッと顔を真っ赤にして咆える一之瀬。しかし、水鏡とて彼女にセクハラしたい訳ではない。真面目な話だ。
「ふんっ!」
頬を膨らませてそっぽ向く一之瀬は、がさがさとビニール袋を漁ってペットボトルを取り出すと乱雑にのどを潤し始める。
彼女の様子に気にならない訳ではないが、神崎は空気の読める男。壁の花に徹する事にする。
程よく空気が緩み、本題へ。
「さて、と。先ずは一之瀬、アンタが陥っていた状況に関してだ」
「……私の?」
「ああ。先ず、アンタは病気じゃなかった。精神的な疲労による肉体的な不調でもない」
「……じゃあ、何なの?」
「原因は、アンタに憑りついていた悪霊だ」
「…………」
真面目腐った表情で、突飛な事を言う。
少なくとも、常の一之瀬であったならば曖昧な微笑を浮かべて冗談の方向へと持っていった事だろう。
だが、彼女は実際に悪夢を体験している。心が削られ、眠る事が恐ろしくなるそんな夢。
「驚かないんだな」
「……正直、信じられないけど…………じゃあ、他に何が原因かって聞かれたら分からないから」
「そうか。まあ、兎に角一之瀬の不調は悪霊のせいだった。んで、そう言う霊関連を解決するのが俺の仕事って訳だ」
「水鏡君は、霊能力者なの?」
「正しくは、魔法律家だな。霊の犯罪を取り締まる立場にある」
「幽霊が、犯罪……?」
「人間とは違ってな、霊ってのはそもそも現世に長く留まっちゃならないんだ。長く現世に留まった霊は、等しく悪霊になる」
「悪霊……因みに、その幽霊?と悪霊の分け方ってあるの?」
「そうだな………一般的に、通常の霊が一ヵ所に留まり続けて49日を過ぎると地縛霊になるな。こうなると、縄張りに入り込んだ生者を片っ端から襲う様になる上に、刑罰も重くなる」
「…………本当に、普通の法律みたい」
「まあな。つっても、大抵の場合は直ぐに信じる人間はいないさ。実際に目の当たりにするか、被害者になる位無けりゃあな」
「まあ、そうだよね」
当事者とはいえ、一之瀬には実際に除霊される際の記憶がない。
ただ、先の通り自分が尋常ではない状況に置かれていた事は理解していた。
故に、気になるのは自分の知識にない事への興味。
「私に憑りついてたその、悪霊?は何だったの?」
「ん?ああ、水子の霊だ」
「水子…………っていうと、水子供養の水子、だよね?」
「そうだな。死産、流産、後は最近なら人工中絶なんかも含めてる言葉だ。水子の霊の場合は、肉体が死んでも宿った魂が母体に残ってると、そうなる。大抵の場合は、自我も無い様な魂だ。自然と抜けるんだが……」
「だが?」
「母親の思いが強いと49日を過ぎても抜けきれない場合がある」
「母親……お母さんのって事だよね?」
「ああ。御母堂にしてみれば当然っちゃ当然だが、どうしたって生まれる筈だった我が子が亡くなるのは悲しいし喪失感を伴う。結果、留められた魂が変質して悪霊に成るって寸法だ。周りが支えて立ち上がれるのなら、問題は無い。コレに関しちゃ、当人の努力次第とは到底言えないな」
「そっか……」
一之瀬は、殊勝に頷く。
彼女自身、子供が居る訳ではないし子供を作る様な行為も未経験。
それでも、悲しみに暮れる母親というものは想像できた。その内心全てを推し量れる訳ではないが、それでもその光景の悲惨さは語るに及ばず。
「水鏡君は、その水子の霊には会った事があるの?」
「そりゃあ、な。件数が少ないだけでゼロじゃないんだ。もっとも、こういう案件は病院と提携した魔法律家の仕事になる場合が多い」
「病院と?」
「正確には、日本医師会だ。病院は、どうしてもその特性上霊が溜まりやすい。その対処法として魔法律家を雇い入れるってのがあるが、病院の経営は何処もカツカツだ。ただでさえ予算が無いのに、更にそこからいつ現れるかも分からない霊に対して魔法律家を常駐させれば、更に出費が重なる。という訳で、霊被害が出た場合に医師会が紹介と報酬を払う関係で挟まって魔法律家を寄こすって形だな。まあ、基本的に手遅れの場合が多いが」
「そうなの?体制も作ってるのに……」
「そりゃあそうだ。何せ、霊が見える奴なんて多くない。大抵は見えない上に、見える状況になればそれは霊側からロックオンされて襲われる直前って事だからな。病院からしても、霊の存在を知らない、信じてない奴の方が多い。どれだけ体制を整えても活用されなけりゃ、宝の持ち腐れだ」
肩を竦める水鏡だが、事実として魔法律家は事が起きた後に対処する。
これは、魔法律家の数が霊の犯罪に対して足りないという事。そして、霊が見える人間は限りなく少ないという事が重なった結果起きる問題だった。
裏話の暴露の中で、ふと神崎が声を上げた。
「水鏡」
「あん?」
「お前はさっき、水子の霊と言ったな?」
「おう」
「水子……つまり、赤ん坊がなんで喋れるんだ?意思疎通が出来ていたとは思えないが……喚いていただろう?」
「ああ、それか。そこが、ちと厄介でな」
うなじを撫で、水鏡は椅子の背凭れへと身体を預ける。
「水子の霊が悪霊になると、そのまま胎児が母体から栄養を貰って成長するように生気を吸い取って力をつけるんだ。その過程で、母体が持っている知識や経験なんかも学習していく。んで、一定以上の生気を吸い終わると赤ん坊が生まれる様にして外へと現れる」
「外に?」
「母体を殺して、な。外に出た水子の霊は、自分と似たような存在とまじりあってその力を増し他の母体に憑りついては生気を吸って、また出てくる。コレを繰り返す事で、力を増し流暢に喋るようにもなる。もっとも、あくまでも言葉は意味を必要とするんじゃなくて、奴らにとっては憑りつくためのツールの一つ。意味なんざ理解してもいねぇだろうさ」
「……それで、
「どれだけ憑りついて殺し回ろうが、生まれ直す事は無いってのにな。水子の霊の根源的欲求は、只管にこの現世に生まれ落ちたい、って事だからな。それ以外の欲求は無い…………んだが、もう一つ水子の霊には面倒な性質がある」
「性質?それって、どんなの?」
「
虚空を水鏡の視線が彷徨う。
「今回、一之瀬に憑りついた霊は、寄生型と感染型のハイブリッドだ」
「ハイブリッド?」
「本来、水子の霊は母体を憑り殺してから別の宿主を探して彷徨う事になる。でも、今回の場合は一之瀬を中心として樹木が枝葉を伸ばすようにして、複数の母体に憑りついていた。前者は寄生型、後者は感染型だな」
「…………私のせいって事かな…………?」
「いや、正直な所今回の一之瀬は運が悪かっただけだな。ここ最近で、外部からの人間の案内をしただろ?」
「え?…………うん。生徒会の仕事で」
「そこで、貰ったんだろ。実際、ここ一ヶ月半の入校者履歴を見せてもらって、そこから一之瀬に接触した相手を追ってもらったが体調を崩して入院してた。その他は調査中だな」
「入校者履歴って……生徒がそう簡単に見れるものじゃないと思うけど?」
「俺は、例外だ。と言っても、周りに話せる訳じゃない。守秘義務もある。アンタらも迂闊に話してくれるなよ。面倒くさいからな」
「え、あ、うん……」
「了解した」
サラッと語られる情報。脅しのようにも思えるが、水鏡の言葉には言葉以上の意味は無い。
彼の立ち位置は、雇われ職員擬き。クラス間抗争には一歩も二歩も引いた立ち位置だ。
会話が途切れた所で、水鏡はふと時計を見た。
「っと、話し過ぎたな。一之瀬も疲れてるだろ、今日は保健室に泊まれってさ」
「あ、うん……」
「心配しなくても、ここに霊は来ねぇし。来たところで入れやしないさ。安心して眠ってな。神崎は、寮まで送ってやる」
「ああ。水鏡は、どうするんだ?」
「アンタを送った後に、見回りだ。札を剥がされて、陣が壊されたからな」
椅子から立ち上がった水鏡。
「あ……」
その背に、思わず一之瀬の声が漏れた。
二人の視線が向けられ、少女の頬が赤く染まる。
「あ、えっと…………そう!水鏡君、連絡先を交換しようよ!」
「連絡先?」
「そう!ほら、またこんな事になった時にスムーズに連絡取れる方が良いしさ!ね!?」
「そうだな。水鏡の連絡先を知っていれば、俺達も霊関連に巻き込まれた時に相談しやすいだろう」
「…………それもそうか」
頷いて、水鏡の端末が取り出された。
登録される、二人分の連絡先。
かくして、一連の騒動は幕を下ろす。しかし、根治にはまだ遠い。