ようこそ魔法律のお時間です 作:ビサイ
下生を踏み分けて、水鏡九十九は森を行く。
獣道すらない森の中を突き進むのは、大抵の人間が抵抗を覚えるだろう。だが、彼には何の躊躇いも見られず、その足取りは決して緩む事はない。
彼にしてみれば、山の中など庭も同然。況してや、最低限の危険を事前に排された森など危険のきの字も無いという物。
森の中を突き進み、暫く。
「…………おい、マジか?」
頬を引きつらせた水鏡が見つけたもの。
所々欠けていたり、亀裂は見受けられるが確りと立った石材の鳥居。そしてその奥に静かに佇む、社。
木材が黒ずんでおり、屋根の上にはコケやら植物やらが長い年月を感じさせるが、それでも今日明日で倒壊するような脆さは受け取れない。
水鏡が見咎めたのは、鳥居。より具体的には、その両方の柱の間に渡されていたであろう注連縄の残骸。
そう、
元々経年劣化はしていた。所々材料とした麻や
それらが今、千切れている。
ゴミの様にその役目を破壊され、柱から残骸が垂れ下がっている。
「…………」
参道の脇に転がった縄の残骸を見つけた水鏡は、その傍に膝をついて残骸を摘まみ上げた。
瞬間、まるで砂の塊のように縄の残骸はボロボロになって崩れ、僅かな風に運ばれて消えていく。
顔を上げた水鏡は、そのままその視線を社の扉へと向けた。
(何もない、か。最悪だな)
左手で腰の魔法律書を掴み、慎重に社へと歩を進める。
常には無い、緊張感。
一歩一歩、砂利が踏みつけられる音が嫌に響き、その黒ずんだ木材の扉へと指が添えられた。
果たして――――その中には、
「チッ……くそっ、しくった……!」
勢いよく社の扉を開け放ち、水鏡は唇を噛んだ。
何も居ない社の中。だが、彼の目には確かな痕跡として社内のありとあらゆる場所、取り分け扉の内側に多く刻まれた霊痕が映っていた。
「どうする……この島の中で、鬼ごっこか?」
コツコツ、と右の拳で蟀谷を軽く殴りながら、水鏡九十九は考える。
らしくない事をした結果、完全にやらかした。後手に回らざるを得ない状況に陥ってしまった。
であるのなら、優先事項は明らか。
「…………まずは、安全の確保か」
現状、この社から逃げた何者かを追いかける手段が水鏡には無い。加えて、島自体も決して広くは無いが、狭くも無い。
感覚で追いかけるしかない水鏡が圧倒的に不利だ。オマケに、現在この島には逃げ出した何かからすればバイキング同然の状態。
そうと決まれば、動かなければならない。
社を足早に後にした水鏡は、しかし鳥居を潜ったところでその足をピタリと止めた。
「態々、接触してくるとは思わなかったな」
「ふっ……腕の良い魔法律家との繋がりを持とうと思うのは、VIPにとって当然の事ではないかな?」
「はぁ……」
現れたのは、よく手入れされた金髪を揺らした傲岸不遜な男子。
彼、高円寺六助は真っすぐに水鏡を見やる。
「それで?水鏡
「……本当に、訳知りらしいな。答えを言うなら、分からない、だな。初動が遅れた」
「ほう?では、この島は試験会場から地獄の底へとその様相を変える訳だ」
「そうさせないために、まずは安全確保に動くところだ。陣を敷いておけば、一週間程度なら防げるだろ」
「ふむ……では、船はどうかな?」
「あっちは距離があるから、問題ない。数百年前の相手な上、船その物の防備に何日かけたと思ってる」
高円寺に答えながら、水鏡が思い出すのはこの特別試験前の事。
豪華客船に前乗りする事、凡そ二週間。時折やって来る、ペイジや今井の補助を受けながら嫌いな海上で必死に作業してきたのだから。
結果としては、悪霊の群れに突っ込んでも問題ない程度の防備を敷く事が出来た。無論、油断はできないがそれでも生半可な霊が突破できる可能性は九分九厘無い。
「強いて挙げれば、船底近くに近づかない事だな。まあ、船旅を楽しむだけなら客室がある階より下に行く理由はない筈だけどな」
「自信ありげだったが、何かしらあるのかい?」
「魔法律家に100%の安全は存在しないからだ。文字通りの万全の体制を整えたとしても、相手はそれを薄紙の様に破ってくる場合もある。それに、俺は海とは相性が悪い」
「ふむ……兎に角、君の想定した範囲内で動き回る分には問題ない、と」
「九分九厘、な。それにしても、アンタが金持ちなら魔法律家との繋がりは十分にありそうだけどな。五嶺グループとか」
「確かに、家としての繋がりはある。だが、先の通り個人的に腕の良い魔法律家とのパイプを持つ事も必要だろう?」
「………まあ、一括りに執行人って言ってもピンキリだしな」
水鏡は頬を掻いた。
彼の言うように、執行人と一括りにしてもその実力には大きな隔たりがある。加えて、得意分野などにも違いがあるという物。
水鏡の言い分が分かったのか、高円寺は彼の背後にある社へと目を向けた。
「それはそうと、Teacherも随分と不用心だ。危険物に近寄らせない注意喚起はあって良かったと思うが」
「コレに関しては、難しいな」
「というと?」
「老朽化しているから近付くな、と先生たちが言えば真面目な奴らは近付かないだろうさ。でも、残念ながら全員が全員そうじゃない」
「好奇心は猫をも殺す、か」
「噛んで言い含めても、何処の世界でも禁を犯す人間は居る。なら、最初から情報を伏せた上で迅速に潰すべき………だったんだが見通しが甘かった。まだまだ未熟だな……」
首を振る水鏡。
前もって危険区域を伝えるかどうか。この判断というのは、存外難しい。
人間には、個性がある。集団が大きくなればなるほどに、完璧な統率など不可能になっていく。
高度育成高等学校の生徒は、その大半が癖の強い者たちだ。教師が待ったをかけたとしても、ソレが何かしらの自分達への利益となるならば平気で裏をかこうとする。
言って聞くのは、精々小学校の低学年まで。
だからこそ、今回はこの一種の諦めが裏目に出てしまっていた。
「とにかく、俺は行く。リタイアするのは勝手だが、気を付けろよ。いざとなったら、船員からこっちに連絡を取ってくれ」
「あい分かった。とはいえ、成程。海の上を行く益荒男たちも霊を知る、か」
「海は何かしら
「成程……いや、コレは邪推か。美しくないな。私は、この自然を浴びてから引き上げるとしよう」
「…………コレ持っていけ」
去ろうとする高円寺へと、水鏡が差し出すのは一枚の札。
差し出された札を指で挟むようにして受け取り、傲慢な背中は森へと消えていく。
その背を見送って、水鏡もまた森の中へと身を沈めるのだった。
*
ソレが生まれたのは、時代の節目という大きな混沌があった事が理由としては大きい。
混沌の時代だった。人が人を殺す。それが当たり前に通用する時代だった。
他者の命を奪うという事は、その奪った命を背負うという事。命を背負うという事は、そこから発する生きたいという意思と自身を殺した相手への恨みの感情を背負うという事。
多くの死が溢れた。恨みが募った。怒りが燃え上がった。悲しみが積もった。
背負う者も共倒れとなり、戦場に澱の様に降り積もったそれら負の感情はやがて一つの意思を統合して、ある場所を目指して動き出した。
自身と同じ存在を飲み込み、飲み干し、取り込んでただ只管に突き進む。
目指すは、日ノ本の中心地。政治の中心であり、権力の中心であり、権勢の中心であり、野望の中心点。
京の都。上洛という、戦国大名が己の野望がために目指す場所。
呪術的にも力の集まりやすい土地柄だ。そこに、日本各地からの
対応したのは、
その戦いは、七日七晩続いたとされる。
結果的に、ソレは多くの力を削がれ、同時に多くの陰陽師とその縁者の命を奪い、封印される事になる。
強力な悪霊の場合は、その限りではないかもしれないがそれでも基本的には上気の通り。
だが、数年前の事、転機があった。
発端は、とある
兎にも角にも、ソレは飢えている。しかし同時に慎重だ。
エサを前にして、同時に自身の天敵となりうる存在がこの島に居る事に気付いている。
故に、闇に紛れた。
虎視眈々と、その時を待つために。