ようこそ魔法律のお時間です 作:ビサイ
特別棟二階最奥の空き教室。
佐倉愛里は、埃を払われた椅子に座ってキョロキョロと落ち着かない様子で、室内を見回していた。
彼女をこの部屋へと連れてきた水鏡はというと、部屋の四方の壁と窓に何やら書き込んだ札を張り付けて回っている所。
札は、壁に張られると同時に目が開くような模様を浮かび上がらせて光始める。
ギョッとその光景を見た佐倉だが、目の前に少年が立った事で意識はそちらを向く。
「さて、と。先ずは自己紹介だな。俺は、水鏡九十九。一年Dクラスだ」
「あ、え……さ、佐倉愛里、です。あの……私も、1ーDで……」
「そうだったのか?重ね重ね悪いな。クラスメイトで覚えて無くて」
「い、いえ……私も、影が薄くて……」
俯いて手遊びをする佐倉だが、水鏡の場合は本当にクラスメイトの名前を知らない。
平田が提案した自己紹介の時間をブッチした上で、その上昨日も今日も他生徒と関わる事は愚か、言葉を交わす事も無かったのだから。
チラリと水鏡は部屋の四方に張った札を見やる。
ギョロギョロと描かれた目の紋様が動いて何かを探しているようにもみえた。
「あ、あの……水鏡、君」
「ん?」
「さっきのアレって……聞いても?」
「アレは、悪霊だ」
「あ、悪霊?……お、お化けって事?」
「ああ。俺は、その手の類を除霊するために入学してきた魔法律家なんだ」
「ま、魔法?」
「悪霊退治が仕事だと思ってくれて良い。この学校は、霊の温床で前任が定年退職したから繋ぎで俺が来たんだ」
「お、温床……あ、あんなのがいっぱい居るの?」
「まあな。それより、もう立てるか?」
「え……あ、うん」
話していたお陰か、佐倉の抜けた腰も戻って来たらしい。
何とか立ち上がる。
佐倉が立ち上がった事を確認して、水鏡は改めて左手を魔法律書に伸ばした。
「良いか、佐倉。絶対に俺の傍から離れるな」
「え……?」
彼女を庇うようにして、水鏡が睨むのは窓。
学校の窓というのは、日を取る以外にももしもの時の脱出口などとしても活用するために広く大きいものとなっている。
それは、特別棟も同じ事だ。
その大きな窓に、
より正確には、窓を挟んで巨大な眼球が空中に浮かんでいた。
「ああ……」
最早悲鳴も出ない。右斜め前に立つ水鏡の制服の背中を掴んで呆然と見つめてくる巨大な目を見返す事しか、佐倉には出来なかった。
ただ、
「特別棟の霊を集めれば、こんなもんか」
「……あ、集めた?」
「『
本来この術は、周辺の霊を一、二体集める程度でしかない。
だが、水鏡の場合は少し違う。
例えるなら、血をべったりと塗りつけた檻の中に入って、鮫の有名な海域に沈める様なもの。
更に水鏡はここに、霊それぞれを互いに引っ付ける霊磁気の効果を付与していた。これにより、集められた霊は一塊となる。
普通はやらない。普通の執行人では、そんな事をすれば単なる自殺行為にしかならないからだ。
「さて、と。それじゃあ――――食事の時間です『冥王の晩餐』」
長引かせる気はない。水鏡の周囲を佐倉ごと囲むようにして展開された魔法律書。
その一説に光が灯り、瞬間窓越しに部屋の中を覗き込んでいた巨大な目玉はその影も形も無く消え去っていた。
代わりに、教室の天井がまるで水面の様に揺れた。
現れるのは、巨大な顔。
顔の輪郭は円形で、鼻と口の間には豊かな黒い髭が生えており。その目は、焦点が合っているようで合っていない。
「
「
「
「
そんな会話が交わされて、顔は再び天井へと潜る様にして消えていった。
同時に、教室の四方に貼られていた札が燃え尽きる。元々、過剰な力を注ぎ込まれた状態だった。キャパを超えれば崩壊するのは仕方のない事だろう。
魔法律書を閉じて、水鏡は大きく息を吐き出した。
(これで、一ヶ月は大丈夫、か?楽観はできないが、安全圏が出来るのは悪くないだろ)
塩でも盛るか、と水鏡は思考を回す。
因みに、盛り塩の結界は内側を掃除してからでないとあまり意味がない。寧ろ、悪い存在を閉じ込める事になり、そこに足を踏み入れれば同居する事になる。
これからの事を考えていたが、先の計画を立てすぎると机上の空論としてポシャってしまうのを水鏡は知っている。
という訳で思考をいったん切った。同時に、自分の背後の人物も思い出す。
「あ、佐倉」
「……」
「?佐倉?」
「…………はっ……な、ななな何でしょうか!?」
完全に思考停止していた佐倉は、軽く肩を揺すられてようやく戻ってきた。意識が飛んでいたお陰で今度は腰を抜かす様な事にはならない。
「いや、終わったからもう帰って良いぞ。特別棟もしばらくは安全なはずだ」
「え?……あ、目が無い………」
「それから、今度から下手に人が居ない場所には行かないようにしろ。少なくとも、この学校では単独行動は危ない」
「さ、さっきみたいな幽霊が居るから……?」
「そうだな。驚かされる程度なら、大した事無い。でも、悪霊は基本的には憑りついて、対象の生気を吸い取っていく。中には人の血肉に味を占めた奴や、憑りついてそのまま乗っ取ろうとする奴もいる」
「っ、もしもの時はどうしたら…………」
「逃げてくれ。遮二無二逃げてくれ。正直な所、一般人がどうこうできるもんじゃない」
水鏡は頭をかいた。
これが、通常の魔法律家であるなら、街中に事務所を構えて依頼者を待ったり出来るのだが、如何せん今の水鏡の立場としてはその場に留まっても事態は好転しない。
その為、彼は学校の敷地を動き回る必要があるのだが、こうなると今回の佐倉の様にもしもの時頼ろうと思っても難しくなってしまう。
この問題。解決するなら文明の利器に頼るべきだろう。
「佐倉」
「は、はい!なに、かな?」
「俺の番号だけ、そっちの端末に登録しておいてくれ」
「えっ、とぉ……電話番号を?」
「そうだ。完全な素人よりも、少しでも経験がある奴の方が霊の動きには気付きやすい。勿論、佐倉が助けてほしい時には向かおう」
どうだ?と差し出された端末。佐倉は端末と水鏡の顔を何度も見比べる。
「あ、あの……交換じゃ、ないの?」
「そうだな。俺が一方的に情報提供を求めてるだけだし」
これは、水鏡なりの配慮だった。一方的な連絡は受け付けるが、それはそれとして自分から掛ける事は無い。ナンパ目的でもない、というアピール。
佐倉愛里は、人見知りのコミュ障だ。一方でそんな自分を変えられるかもしれないと、とある仕事をしていた。今回の特別棟での一件も、元々はその仕事関連の為。
自然と、人の視線に敏感になった。だからこそ、気付く。
(め、目を真っ直ぐに見てくる………)
気まずくて挙動不審となる自分に対して、一切怪訝な様子もなく真っ直ぐにフラットな感情を向けてくる。そこには下心などは一切ない。
少女の胸に宿る、小さな期待。その期待に押されて、震える手が伸ばされ差し出された端末を受け取った。
登録された連絡先。
それが彼女の、勇気を出した小さな一歩だ。