どうやら俺は春申君の弟らしい   作:乾燥海藻類

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第01話 兄と弟

「……ここか」

 

郊外にある小さな屋敷。そこを訪れた黄歇(こうあつ)はぼそりと呟いた。

太子完の従者として秦へと(おもむ)いた黄歇は、無事その大任を全うし、無事に帰国することに成功した。そして、その功を(たた)えられ、令尹(れいいん)(宰相)となった。

春申君と号したのもこの頃である。食客を抱え、政務にも邁進する毎日だった。そういった日々を送っていると、ある日父に呼び出された。

そこで言われたのだ。弟に会え、と。

 

(まさか今になって、弟の存在を知るとはな)

 

黄歇が秦に抑留されている期間が長すぎたのが原因だった。黄歇の父は万が一のことに備えて、妾を迎え、子を産ませたのだ。

とはいえ、黄歇が生きて戻った以上、その子に予備以上の価値はない。しかし、なかなか頭は回るようで、黄歇の父はふたりを引き合わせることを画策した。

 

「黄歇様、よくおいでなさいました」

 

門をくぐると、矍鑠(かくしゃく)とした老婆が駆け寄ってくる。歳を感じさせぬ機敏さであった。

 

(そう)はいるか?」

「もちろんでございます。兄上にお会いできると、喜んでございますよ」

「……そうか」

 

その反応に、黄歇は怪訝な表情を浮かべた。妾の子と、本妻の子。立場の違いは明らかである。極端な話、黄歇の機嫌ひとつで、その子は命を失うこともあり得るのだ。

 

(あれを作ったというのならば、非凡な才はあるのだろう。でなくては、父上も妾の子と会わせようなどとは思うまい)

 

凡才であれば、黄歇は弟の存在を知らされなかっただろう。それが妾の子というものだ。

その弟がどのような子か、父は語らなかった。その目で確かめよ、と言っただけである。それで、黄歇は多少興味を抱いたのだ。

ただひとつ教えられたのは、あの画期的な発明品が、自分ではなく奏の発案だったということだけだった。

屋敷で一番良い部屋に通され、黄歇は上座に座った。

しばらくして、まだ幼さの残る若者がひとり、部屋を訪れた。

 

「お初にお目にかかります、兄上。奏、と申します」

「うむ」

 

黄歇は名乗らなかった。その必要性を感じなかったからだ。若いながら、言葉も所作も堂に入っている。

さて、どんな話をしようか。思案を巡らせていると、奏が口火を切った。

 

「父上から、兄上のことは多少聞き及んでおります。斉国の臨淄(りんし)へと遊学し、稷下(しょくか)先生の薫陶を受けられたと」

「相違ない」

 

臨淄とは斉国の首都で、稷下先生とは人の名ではなく、臨淄にある十三の城門のうち西門のひとつである稷門の近くの官舎に住まう学者たちのことである。

彼らは稷下先生、または稷下の学士、などと呼ばれていた。黄歇は若かりし頃に、斉へと遊学していたのだ。

 

「高名な方ばかりが在籍しておられると聞きましたが、どなたを師と仰がれましたか?」

「いや、特定のだれかを師と仰ぐことはなかった」

「そうでございますか。幅広く知識を得るには、その方が賢明かもしれませんね。派閥というのも、面倒でございますれば」

 

その物言いに、黄歇は舌を巻いた。

 

(なるほど。父上が高く評価するのも、わかる気がする。だが……)

 

黄歇はそこに一抹の不安を感じた。

 

「奏よ。おまえは、たしかに頭が回るようだ。しかしそれは、時に人を不快にもする。気をつけろ」

「ご配慮、痛み入ります」

 

奏は柔和な笑みを浮かべた。

 

「あの"紙"は、おまえが作ったものだそうだな」

「いえ、父上の補佐をした程度です」

「謙遜せずともよい。その父上から、聞いてきたのだ」

「……さようでございますか。たしかに、私が主導して生産しております」

 

奏はあっさりと認めた。黄歇の父が朝廷に献上した新たな紙は、これまで使われてきた紙(絹織物)よりも安価で、竹簡や木簡に比べて、遥かに優れた書写のための画期的な材料であることが認められ、今では広く使われ始めている。

 

「あれの生産量は、もっと上げられんのか?」

「それは、父上からも言われておりますが、時がかかるのです。煮る時、乾燥させる時。人を回していただけるのであれば、多少は増やせましょうが、劇的に、というわけには参りません」

「ふむ。そういうものか」

「それに、考えなしに伐採していれば、いずれ樹が枯れてしまいます」

「樹なんぞ、そこら中に生えているではないか」

 

黄歇は呆れたように笑った。しかし奏の表情は真剣そのものだった。

 

「趙の首都、邯鄲周辺の景色をご存じでしょうか」

「なに?」

「私もじかに見たわけではありませんが、周辺の樹木が大量に伐採されて、燃料となったと聞いております。そのおかげで邯鄲は工業都市として発展しましたが、ろくに植樹も行われなかったため、殺伐とした荒野が広がっているようです」

「……むぅ」

 

黄歇はあごに手を当ててうなった。そして、それ以上はどうしようもないと思ったのか、話題を次に移す。

 

「おまえは、秦という国をどう思うか?」

「少なくとも、今の秦王は信用なりません。孟嘗君(もうしょうくん)和氏(かし)(へき)の一件からも、明らかです」

「で、あるか」

 

今の秦王は、昭襄王(しょうじょうおう)である。昭襄王は孟嘗君の賢を聞いて、斉に人質を出してまで、孟嘗君に会見を求めた。そして、やってきた孟嘗君の賢を絶賛し、宰相として礼遇した。

しかし、その後に臣下の一人がこう言ったのだ。

 

――孟嘗君が当代一流の人材であることは認めますが、斉の人でありますから、秦の宰相になっても斉の利を優先するに違いありません。さりとて帰せば斉の利の為に働き、ひいては秦の脅威となるでしょう

 

昭襄王はこれを信じ、孟嘗君を謀殺しようとした。

続けて和氏の璧について語ろう。和氏の璧とは趙が保有する宝玉のことで、昭襄王はこれを、自領にある十五の城と交換しないかと趙に持ちかけた。

しかし、秦が信用できるかどうか悩んだ趙の恵文王は、藺相如を秦に送った。命をかけた藺相如の働きにより、約束を守る気の無かった昭襄王から璧を無事に持ち帰ることができたのだ。

璧を全うすることができた、これが完璧の語源となった逸話である。

 

上記のようなことがあり、昭襄王は他国からは暴虐で悪辣な王だと思われていた。しかし、秦国内から見れば、一代で領土を広げ、国力を高めた賢君として評価されていたのだ。

また絶えず戦を繰り返していることから、武官からも慕われていた。

 

屈原(くつげん)様は、残念でございました」

 

これには黄歇も瞠目(どうもく)した。屈原が朝廷で辣腕を振るっていたのは、奏が産まれる前のことだったからだ。

 

「……うむ。今の朝廷は、蒙昧な者どもがのさばっておる」

 

屈原は楚の武王の公子瑕(屈瑕(くつか))を祖とする公族の一人であり、屈氏は景氏・昭氏と共に楚の公族系でも最高の名門のひとつであった。この三氏は三閭(さんりょ)とも呼ばれている。

聡明な人物であり、懐王(かいおう)(当時の楚王)の信任も厚く、賓客を応接する左徒(さと)を務めていた。

 

当時の楚は、強国秦といかに向き合っていくかが主要な外交問題であった。そして、その外交方針について、臣下は二分していた。

ひとつは、西にある秦と同盟することで安泰を得ようとする親秦派であり、もう一方は、東の斉と同盟することで秦に対抗しようとする親斉派である。

屈原は親斉派の筆頭であった。当時の楚では屈原の政治能力は群を抜いていたが、非常に剛直な性格のために同僚から嫉妬されて讒言を受け、王の傍から遠ざけられると同時に国内世論は親秦派に傾いた。

 

それでも屈原は、秦は信用ならないと必死で説いたが、一層(うと)んぜられて、公族子弟の教育役である三閭大夫へ左遷され、政権から遠ざけられた。

その後、秦により首都(えい)が陥落したことで楚の将来に絶望し、五月五日の端午(たんご)に石を抱いて汨羅江(べきらこう)に入水自殺した。

屈原は優秀であるがゆえに、剛直だった。裏工作を好まなかったのだ。だからこそ、敵も多かった。正しさだけで生き抜けるほど、(まつりごと)の世界は甘くなかった。

 

「兄上も秦での長い生活はご苦労をされたようで」

「うむ。一時は命を諦めたものだが、范雎(はんしょ)殿の温情で命を拾ったわ」

「ご謙遜を。全ては兄上の掌の上でしょう」

 

そう言われて、黄歇は口角を上げた。

 

「范雎のことは、どれほど知っている。それとも、張禄(ちょうろく)と言った方がよいか?」

 

張禄とは、初期の頃に秦で使っていた范雎の偽名である。

 

「よく言えば慎重、悪く言えば臆病。世論を気にし過ぎるきらいがあると思われます。だから兄上を誅殺するよりも、生かして帰すべきだと上奏したのでしょう」

「……ふん。見てきたように語るものだな」

「ご不快になられたのでしたら、謝罪いたします」

 

そう言って、奏は頭を下げた。

 

「ふっ、まあ許してやろう」

「ありがとうございます。ところで兄上、あの殺戮将軍には、お会いになられましたか?」

「おまえは、どの程度"白起"を知っているのだ」

「世にあふれている噂程度のことしか知りません。伊闕(いけつ)の戦いで、二十四万を斬首したこと。そして魏に侵攻した際に、六十一の城を落としたこと。そして我が国の首都、(えい)も落とされました。その後は、再度魏に攻め込み、華陽の地で十三万を斬首し、韓の地でもまた五万を斬首したとか。そしてまだ記憶にも新しい、長平の惨劇……」

「うむ。尋常の将ではないな」

 

改めて聞くと、なんとも人間離れした戦果だった。

 

「して、白起はどのような顔をしておりましたか? 悪鬼羅刹のような男でしたか?」

「さて、巨漢の将ではあったがな。物腰は落ち着いていた。まあ戦時では、違うのだろうが」

 

実際のところ、黄歇をもってしても、白起の器を測ることはできなかった。感情の読み取れない瞳、底知れない武、深い戦略。どれを取っても一流であることは疑いない。

また、得体のしれない空気のようなものも感じていた。それが、黄歇は恐ろしかった。だからこそいなくなった時は、歓喜よりも安堵したものだった。

 

「あのような英傑に、賜死(しし)(死刑)を与えるとはな。まあ我らとしてはありがたいが……よほど制御の効かぬ将であったのだろう」

 

お互いに引けなかったのだろう。特に昭襄王は自尊心が高く、臣下に頭を下げることができなかったのだ。その結果、秦は最強の将を失うことになった。

それからしばらく、ふたりは各国の情勢などを語り合った。奏は商人や講談師から情報を仕入れていて、おおよそのことは把握していた。

 

この時代、娯楽と言えるほどのものはあまりなく、庶民にとって合戦の話は娯楽のひとつでもあり、それらは瞬く間に国を越えて広がるのだ。

講談師とは、そのような話をわかりやすくまとめ、面白おかしく話すことで金銭を得る者たちのことである。

女中が食事を持ってきたことで、黄歇は思いのほか話し込んでいることに気づいた。

食事を終えた後、黄歇は立ち上がった。

 

「少し、長居をし過ぎたようだな」

「そんなことは。ああ、それと兄上、卒爾(そつじ)ながら、ひとつお願いがございます」

「ほう。俺に何を強請(ねだ)るつもりだ?」

 

黄歇は興味深そうに奏の瞳を覗き込んだ。

 

「かつての兄上のように、私も他国へと遊学したいと考えております」

「ふむ。だが今の斉は、かつてほどの隆盛はないぞ」

 

今から三十年ほど前、燕の名将楽毅が斉へと攻め込み、その大半を攻め取ってしまった。だが楽毅の統治は穏やかなもので、斉の地はほとんど荒らされなかった。その後、斉の将軍田単が領地を取り戻したが、一度散った学士たちの多数は、戻ることがなかった。

 

「いえ、私は趙で学びたいのです」

「趙……平原君か?」

 

そう黄歇が問うと、奏は首を横に振った。

 

「いえ、李牧将軍です」

「李牧……?」

 

黄歇は、その名に心当たりがなかった。というのも、今の李牧は趙の北方に駐屯する国境軍の長官で、国内ならともかく、国外まで名が轟くような将軍ではなかったのだ。

 

「どうか、お願いいたします」

 

奏は深々と頭を下げた。

 

 

 




はい、というわけで、春申君です。
キングダムでは合従軍編にて、最大の大物として登場し、汗明が討たれたと知るや否や椅子を蹴り上げて感情をあらわにするという小物っぷりを披露し、しれっと刺されて退場(まあここは史実通りなのでなんとも言えませんが)するという素晴らしい描かれ方をされていた春申君です。
次回からは主人公視点になります。
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