どうやら俺は春申君の弟らしい   作:乾燥海藻類

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第10話 星落とし

「報告が届きました。(さい)より火の手が上がった、と」

 

広が低い声で告げる。そして人目を憚るように、お耳を……とつぶやいた。

 

「蕞に、秦王がいたようです」

「……ほう」

 

王が自ら前線に出向くとは。そういえば、昭襄王も長平に出向いたらしいし、血筋かね。まあいい。咸陽さえ抑えれば、関係ない。

 

項燕(こうえん)将軍、兵の集まりはどうですか?」

「六割、といったところだ」

 

巨漢の将軍は、顎鬚を撫でながら眉をひそめた。

 

「なにしろ大回りした上に、偽装しながら別れての行軍だったからな。秦軍は函谷関に目がいっているようで、気取られることはなかったが、やはり隊長の気質によって行軍速度に差は出る」

 

大胆な隊長ほど行軍速度は速く、慎重な隊長ほど遅れる。どちらが良いというわけではないが、まあ単純に行軍距離が違うということもある。

旧楚領に住む楚人の協力もあって、行軍が秦に漏れることはなかったようだ。

関を通らずに侵攻するのだから、道なき道を進まなければならない。だが、行軍に適していないというだけで、人が進める道はあるのだ。

 

「おまえが下ごしらえ(・・・・・)をしていたおかげで、想定していたよりは、楽ではあったがな。まさか戦が始まる前から、内側に仕込みをしておくとは、秦軍も読めなかったようだ」

 

秦は国内大小の城邑(じょうゆう)の兵を函谷関の戦いには参加させず、その場の守りに専念させた。今では各国の軍が侵攻した穴はふさがり、函谷関の地まで援軍を送るには、また一から戦いながら進まなければならなくなった。

だから援軍が来るとすれば、外から来ると思い込んでいる。

 

この時のために、少しずつ人と物資を秦領に送り込んでいたのだ。楚人と秦の法は相性が悪いようで、秦は統治に苦労していた。反発する楚人も未だに多く、秦領ではあるが秦人ではない部族も残っていて、彼らを懐柔することにも成功した。

巴蜀(はしょく)の地は峻嶮なる自然が多く残っており、人や物を隠す場所には事欠かなかった。

秦は領土拡大を急いだため、国内情勢が安定せず、その統治には隙があったのだ。

 

だがそれでも人が移動すれば、その痕跡は残る。行軍は慎重に行う必要があった。

支配領域はただ拡げればいいってもんじゃないんだが、そのあたり誰も指摘しなかったのかな。したけど聞いてくれなかっただけなのかも。だって始皇帝だし。

 

「しかしまあ、大胆な策を立てたものだ。大回りして首都に攻め込むなど」

 

発想の逆転だな。みんな、函谷関を突破することが、秦国の攻略だと思っていた。秦も函谷関を死守することが、戦の勝利だと考えていた。だが函谷関を突破せずとも、咸陽を落とせば戦は終わる。それを狙っていたのが李牧だった。

しかし、ホントにあれを使うとはね。新しい道具は使いたくなるのが人間の(さが)とはいえ、不確定要素があったのは間違いないはずなのに。

 

まあ、それを全て予見しろというのは、さすがに無理な注文か。今回は上手くいったが、失敗する可能性もあった。使わずに蕞を落とせるのが最良ではあったが、あの炎は目印にもなったし、良しとしよう。

それに李牧があの策が使えるのは今回限りだ。油自体がそれなりに貴重だし、猛火油を用意することは趙には不可能だし。

李牧は守戦の名将であって、攻め戦は苦手、なのかもしれないな。

 

「実際にやってのけたのは、項燕将軍とその配下の方々ですよ。それに、私が思いついたわけではありません。前例があったのです。私がやったことは、その真似事にすぎません」

「知識を取り込み、己のものとして活かすことのできる者を智者というのだ。謙遜せずともよい」

 

と言いながら、項燕将軍は笑みをこぼした。

 

「で、どうする。兵が揃うまで待つか? あと二、三日待てば、それなりに増えると思うが」

「……いえ、行きましょう。重要なのは兵力ではなく、機です。今なら、咸陽は降伏するはずです」

「そうは言うがな。いまいち信じられん。首都だぞ。一戦もせずに降伏するなどあり得るか?」

 

どうやら項燕将軍は懐疑的なようだ。だが兵も将も、咸陽には残っていないだろう。虎の子の守備兵も、蕞へと送られた。残っているのは近衛兵くらいのはずだ。

それでも兵は、民を動員すればなんとかなる。しかし将は、そういうわけにもいかない。

 

人間、百キロ走れと言われたら、気力で走り切れるのかもしれないが、九十キロ走れと言われて走り切った直後に、あと十キロ走れと言われたら、走り切れないものである。

その人間が、百キロを走り切れるポテンシャルを持っていたとしてもだ。要するに気持ちの問題だ。蕞が落ちて、もうダメだと思っている時に、楚の大軍が現れる。

そこで考えることは、もうひとつしかない。

 

「蕞が落ちたという報は、咸陽にも届いているでしょう。その時点で、秦は詰んでいるのです。ならば首脳陣が考えることはひとつ。最良の負け方(・・・・・・)です」

 

秦の強さの一因は、軍事力を中央集権的に統制しているというところだ。秦は咸陽以外、目立った都市もなく、武器の製造権も中央にあった。この中央統制という軍事態勢があったから、函谷関にすばやく兵を移動させることができたのだ。

だからこそ、言えるのだ。秦にこれ以上はない、と。

 

「長平の惨劇は覚えているでしょう。趙人の、秦人への恨みは想像を絶するものがあります。だから我々が降伏勧告をすれば、官僚たちは従うでしょう。この機であるならば、趙でも合従軍でもなく、楚に降伏できる(・・・・・・・)からです」

「なるほどな。秦が恐れているのは、怨念返しか。そういえば、秦王も趙で()となっていたらしいからな」

 

質とは人質のことである。人質生活が惨めなものとは限らないが、窮屈であることは変わりないだろう。特に秦王は、幼少の多感な時期だったため、趙に対する恨みを持っていても不思議はない。

というか、趙併呑後に邯鄲に入った秦王は、母親の仇怨(きゅうえん)の者たちを生き埋めにしたという記録も残ってるし。

 

「しかしそれなら、(うち)も同じではないか? 懐王(かいおう)は秦に拉致され、そのまま客死した。今の王様も、九年だか十年だか質に取られていた。なにより、首都(えい)を落とされてから、まだ三十年ほどしか経っていない」

 

まだ、三十年か。時間の感じ方は人それぞれだが、たしかに首都を落とされた屈辱は、未だに忘れられないという人は多いのかもしれない。

 

「それに秦と趙は、二年ほど前に同盟を組んでいただろう。和解したのではないか?」

 

それなー。春平君の(くだり)は知っていたが、同盟話なんてあったかな。まあ史記もすべてを記述しているわけではないだろうし、俺が見落としたとか忘れてる可能性もある。

 

「あの同盟は、利で結ばれたものですからね。感情はやっぱり違うと思うんですよ」

 

長平の四十万人坑殺は、全員分の兵糧が用意できないという、白起の現場判断だった。将としては、実に合理的な判断だったのだが、それを後から知った文官たちにも衝撃を与えた。白起が更迭されたのは、当時宰相だった范雎(はんしょ)が、これ以上功績を上げられて、自分に並ばれることを恐れたと言われているが、天を恐れた、世論を恐れた、という説もある。

 

「それに、昌平君と昌文君は楚人です。そこにすがる可能性もあります」

「ああ、ふたりとも公子であったな。ふむ。だがなぁ、(うち)に降伏したらしたで、戦後に揉めそうではあるぞ。これは言ってみれば、(うち)の抜け駆けのようなモンだろ?」

「敵をだますにはまず味方から、と言いますからね。あとのことは、兄上がなんとかするでしょ」

 

項燕将軍は、首都防衛の大将であり、(ちん)にいることになっている。楚軍の将兵はみんなそう思っているし、秦軍もそう把握しているだろう。

今回の策の全貌(ぜんぼう)を知っているのは、兄上と俺のふたりだけだ。

 

「くはははっ、俺や春申君を顎で使う度胸、李牧を(おとり)に使う軍略、自国以外への配慮のなさ。おまえ、あの生意気な大女に少し似てるなぁ!」

 

痛い痛い! 背中をバシバシと叩くのはやめてほしい。それにしても、大女? 誰のことだろう。まあいいか。

戦争なんてどうあがいたところで地獄なんだ。善戦したという努力なんてチリほどの価値もない。求められるのは勝利という結果のみ。がんばったで褒められるのは子どもだけだ。

とはいえ、非道な手段はなるべくとりたくはないが。

 

「戦後の保証さえすれば、彼らは降伏しますよ」

「まあ、最近は凌辱も略奪もやっとらんしなぁ。開城する可能性はあるか」

 

落とした城や、亡ぼした国から略奪をするのは、戦費の補填のためだ。だが今の楚は富んでいる。略奪の必要がない……というのは言い過ぎだが、全うに民として迎え、税を徴収する方が、長期的に利益を得られるのだ。

意外とこの考えを持っている人間は少ない。なぜならこの時代は、土地を獲ったり獲られたりが当たり前だからだ。兄上を説得するのにも、結構苦労したし。

楚人はプライドが高いから、大国の威信とか王者の仁愛とか言ってなんとかしたけど。自分で言っといてなんだが、戦争やってて仁愛もクソもねぇよなとは思う。

 

別に、正義の心に目覚めたなんて理由で、こんな献策をしたわけではない。全ては自分のためだ。自分の知らないところで、知らない人間が死ぬのはいい。だが国内の事情というのは、なんだかんだで俺の耳に入ってくる。

死ぬ必要のない人間が死ぬのは嫌だ。手の届く範囲のことは、なんとかしたい。もちろん、自分と身の回りのことが最優先ではあるが。

 

偽善と言うよりは、心の平穏、精神の安定のためだ。要するに、結局は自分のためなんだよな。

そしてこの施策に真っ先に賛同してくれたのが、項燕将軍だった。長年戦場を駆けているから、戦場には夢などなく、地獄しかないと知っているのかもしれない。

地獄を多少マシなものにする。俺がやっているのはその程度だ。

秦は、(うち)と逆のことをやっているらしい。降伏した兵を拷問して切り刻んだり、火あぶりにしたり、商人が身を震わせながら語っていた。やっぱ始皇帝ってクソだな。

 

「まあ、降伏しないならしないで構いません。しばらくすれば兵も合流するでしょうし、李牧将軍もやってくるでしょう。では項燕将軍、降伏勧告をお願いします。私は後方で、偽兵の仕掛けをしておりますので」

「おう、精々大軍に見せかけてくれや」

 

偽兵の計、樹上開花とも呼ばれる孫子の兵法だ。簡単に言うと、小細工を(ろう)して小兵力を大兵力に見せかけて敵を欺くという策だな。

今回やるのは、大量の旗を立てて、山を震わせるという策だ。単純だけど、意外と効く。敵は確かめようがないからな。

 

「秦兵に告げる! 我は楚の大将軍、項燕である!!」

 

天まで轟くような大音声(だいおんじょう)が空気を震わせた。掲げた剣は陽光を浴びて眩いくらいに輝いている。

その輝く剣の名は、越王勾践剣(えつおうこうせんけん)。かつて楚が亡ぼした越という国の王、勾践が八本保有していたという名剣である。

 

「旗を立てろ。後ろのやつらは樹を振るわせろ」

 

地が揺れた。項燕将軍の降伏勧告は続く。それから少し経って、咸陽の城門が開いた。六人の高官らしき人間が出てきて、項燕将軍に拱手した。

どうやら、歴史の修正力とやらはなかったようだ。

 

「兄上に"鳥"を送れ。星は落ちた、と」

 

 

 




項燕の年齢が不明なんですよねぇ。
前224年に王翦と戦った(現役だった)ことと、項氏が名門ということを考えると三十代くらい?
あと以前にも書いた通り、主人公は史記厨です。
秦は悪の帝国、始皇帝のことは悪の大王だと思っています。
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