咸陽が落ちたことを知った兄上は、すぐに斉との国境を固めている
しかし燕も
まあこれはおそらく、兄上の戦略だろう。合従すれば、戦後の領土配分が面倒になる。だから一度、敢えて断った。その上で、援軍を認めたのだ。その結果、燕は河北の地を領土とすることになった。
これは、楚にとっても悪くないのだ。黄河を国境とするのは、防衛の観点から見ても悪くないし、なにより趙と国境を接することがなくなる。
兄上はここまで読んでいたのだ。そして、燕もそれはわかっている。わかってはいるが、それでも河北の地が欲しいのだろう。
斉に対する恨みというのも、多少はあるのだろうが。
斉侵攻と同時に、戦後処理も始まった。
一応分配の基準は戦の前から決まっていた。各国が出した軍勢の規模に応じて領土が決まるというものだ。それでいくと、楚は全軍のうち半数の兵を出しているので、秦の領土の半分を奪えるということになる。
楚はかつての首都
あまり西の地を貰っても、国土が西に伸びすぎてしまう。そうなると防衛するのも難しくなってしまうからだ。押し切ることもできたのだと思うが、それはそれで各国から恨みを買ってしまう。
そんな理由で兄上は折れたのだろう。
そんな問題の都市咸陽だが、秦との約定により、趙の領土とするわけにもいかず、希望する住民は楚への移住を認めさせることを条件に、咸陽とその周辺の土地は魏の領土とすることになった。
燕は秦の領土を獲っても飛び地となるため、趙の東部を割譲することになり、その分趙は秦の北方領土の大部分を領土とした。
韓も多少の領土を増やし、合従軍は解散となった。
事件は、その直後に起きた。魏が韓に侵攻したのである。各国が、しばらくはどこも内政に力を入れるだろうと思い込んでいたがゆえの奇襲だった。
この電撃作戦は成功し、魏軍はあっという間に韓の首都を落とした。韓は他国に援軍を要請したが、間に合わなかったのだ。大した将はいないと思っていたが、さすが、かつては中原の覇者と呼ばれていた国だな。
昨日の味方が、今日の敵となる。まさしく乱世。怖いですね、恐ろしいです。
そんなわけで、秦が亡び、連鎖するように斉が亡び、韓も亡んだ。戦国七雄は戦国四雄になった。
「郢への
と、兄上は言った。遷都というよりは、元に戻す、と言った方が的確だろう。
「それと李牧……趙から同盟の打診があった」
予想通り、李牧は楚と同盟することを決めたようだ。危険視されて敵対される可能性もあったが、やはり李牧の思考は基本的に守備固めなんだよな。守りを固めて、相手の隙を窺う。そしてその隙を見つけたら一転攻勢に出て仕留める。
気球を見せるかどうか、兄上は最後まで渋っていた。だが李牧は、勝手にその先まで読んで、警戒してくれると思ったのだ。頭の良いやつは、常に最悪の展開を考えるものだからな。
李牧を支えているのは、彼の中にある"理"だ。不合理や理不尽を嫌い、理外の理に直面すると、まずそれを知ろうとする。空からの視点ができたことで、戦場は大きく変わることになる。
本陣に浮かべておくだけでも、敵軍の動きが把握できるし、奇襲はほぼ完全に防げる。
李牧が考えるのは、それで何ができるか、ということよりも、それで何をされるか、という守りの視点だ。
それが李牧の長所でもあり、短所でもある。
「受けるのですか?」
「この情報を、魏と燕にそれとなく流した。その反応次第だな」
「……ということは、大王は中華の統一を目指されないのですか?」
「そんなものは、秦の若王が抱いた夢想にすぎん。我が君はそこまで
相変わらず口が悪いというか、辛辣だなぁ。まあ李牧も統一には否定的だったし、わかっていたのだろう。統一しても、長続きはしないと。
楚と趙の同盟が成ると、一番ピンチになるのは魏だ。下手をすれば南北、いや東西南北から攻めかかられることになる。ただでさえ韓の地を獲ったばかりで内政に苦労しているというのに、内外に敵を抱えてはあっという間に滅び去る可能性もある。
魏はなんとしてもこの同盟に食い込みたいだろう。
おそらく李牧の最終的な狙いは、四国で同盟を結び、平穏な中華を築くことだろう。そして兄上も、それに乗るつもりだ。
うちもうちで、結構な問題を抱えているからな。それは後継問題だ。大王には子がいない。このまま子ができなければ、王弟が継ぐことになるだろうが、この王弟というのが、どうもかなりの問題児らしいのだ。
兄上に訊いても話したがらないので、具体的にどういう人物かはわからないが。
それだけならまだいいんだが、ここで昌平君という対抗馬ができてしまった。しかも項燕将軍がかなり気に入っているようなのだ。
秦が降伏した後、接する機会が多かったので、馬が合ったのだろう。結局口説き落として楚に連れてきてしまった。だが王弟にしてみれば面白くないわけで、下手をすれば内乱になる。
これをどうまとめるかは、兄上の手腕に任せるしかないだろう。
あと昌平君と一緒に
つーか豪胆だよな。蒙武は函谷関の戦いで、
将兵の感情は複雑だろうが、兄上や大王が認めたのなら従うしかない。
「おまえはどう思う? 中華を統一すべきだと思うか? 秦王は、戦争をなくすために中華を統一するなどとほざいていたようだが」
戦争をなくすために戦争をする、ねぇ。だが晩年の始皇帝の行動は、どう見ても権力欲しさの統一にしか見えないんだよな。
本当にそんな崇高な目的を持って統治していたら、たった十五年で亡んだりはしない。ま、建前は必要ってことだろう。
「無理に統一を目指す必要はないと思われます」
「……理由を聞こう」
「世界とは、なんでしょうか?」
「おかしなことを言うものだ。中華こそが世界であろうが」
これは
北は
苛烈な者になれば、中華に住まう者のみが人間であり、異民族は人間ではない、と臆面もなく言う。こういう考えが根付いているから、異民族の人間とわかり合うのは難しいのだ。実際、彼らとの間に対等な外交や貿易は存在せず、
俺も南の越族と交易をしているが、あくまで個人としての取引であり、国は関係ないという
異民族で有名どころといえば、匈奴や鮮卑だが、
「中華の外にも、世界は広がっています。北には北方遊牧民、南には百越、西には
「……言いたいことはわかる。だが「だが王者は夷狄を治めず」という言葉もある」
これは要するに、線引きをはっきりとして、内側の異民族は同族として迎え入れ、外側の異民族は統治対象外として放っておけ、という考え方だ。
またこれとは逆の、「王者に外なし」という考え方もある。まあ、統治法に正解なんてない、ということだな。
「中華を統一して、戦争がなくなるでしょうか。侵略戦争は、反乱の危険を常に孕んでいます。中華全土となれば、その度合いは想像もできません。楚は大国です。統一は、不可能ではないでしょう。ですが、多量の血を流すだけの価値があるでしょうか。しばらくは富国強兵に努めるべきではないでしょうか」
始皇帝の成したことは、間違いなく偉業だろう。けど速攻で亡びたからな。統一したことに、たしかに意味はあったのだろうが、正しかったかどうかは、判断に悩むところだ。
「いずれ中華は統一されるでしょう。ですがそれは、目指すものではなく、時の流れの中で、自然と統一されるものだと私は考えます。数ある国が、七国に落ち着いたように。いずれは一国に落ち着くでしょう。無理に目指せば、秦と同じ轍を踏むことになりかねません」
「今度は
ちなみに言うと、合従は縦の同盟、連衡は横の同盟である。
「負ける気はせんがな」
趙、燕、魏と三国合わせて、ようやく楚と同じくらいの領土だからな。それに同盟軍というのは、どうしても連携が上手くいかない場合が多い。兄上の言う通り、勝算は十分に見込めるだろう。
まあこんな議論をしたところで、大王にやる気がないんじゃ意味ないけど。兄上が強硬に訴えれば話は別だが、兄上も乗り気じゃないみたいだし。
「まあ、趙や燕は北方の抑えとして必要だ。やつらの精強さは楚にまで伝わっているからな。李牧が一度大打撃を与えたようだが、そろそろ盛り返してきてもおかしくはない」
その言い方だと魏は必要ないように聞こえるけど、まあ魏は中華のど真ん中にあるから、色々使い道はあるのだが。
「おまえの考え方は、呂不韋に似ているな」
「呂不韋……ですか」
「相邦(相国)などやっておったが、やつの本性はやはり
たしかに、秦王がいたら徹底抗戦を選んでいたのかもしれない。別動隊が蕞を落とせなかった理由は、史記にも記述がなかった。秦王自らが出陣して士気を上げたのならば、それも納得できる。
「やつは中華統一など興味なかったのではないかな。それよりも国を富ませることで、中華を統括しようと考えていたのだと思う」
「ならばなぜ、降伏後に呂不韋は楚にこなかったのでしょうか。いま中華で最も栄えているのは、我が国だと思いますが」
「趙は、呂不韋が秦に行く前に活動拠点としていた国だ。朝廷にも息のかかった者がいるだろう。まるで伝手のない
「……なるほど」
「ところで、おまえはこれからどうするのだ。郢に来る気はあるのか?」
これは、官僚になる気があるのか、という意味だろう。だがそんな気は毛頭ない。政界には関わりたくないのだ。だって魔窟だもん、あそこ。やっていける気がしない。政治権力とは下水処理場のようなもので、なければ困るが、自分から近づきたいとは思わない。
下級官吏ならともかく、兄上は絶対重要な役職を押し付ける気だろうし。
まあ、こうやって訊いてくるだけ有情ではあるのだろうが。
「いえ、しばらくは、江南の地で富国に努めます」
「……そうか。まあ、それもよかろう」
意外にも兄上はあっさり引いた。
「それと、あの女たちはそのままでいいのか? 俺の身を案じてくれるのはありがたいが……」
あの女たち……ああ、蚩尤のことか。いや、むしろ必要になってくるのはこれからだから。最大のガンは取り除いたが、別のやつが現れないという保証もないし。
「お邪魔でなければ、そのまま置いてやってください」
「……わかった」
定期的に報告は受けているが、特に不満は届いていない。どうやら上手くやっているようだ。
そんなわけで、俺は江南に戻ることになった。
それからしばらく経って、四国同盟が結ばれたという噂が中華を駆け巡った。
ひとまずは三年、平和が保障された。
三年後に延長されるのか、あるいは突然盟約が破られるのか。
ここから先は、俺の知らない中華の歴史だ。
今は、この平和を享受しよう。
というわけで完結です。
結局、主人公は最後まで春申君の弟で、国をどうこうはできないのです。
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