どうやら俺は春申君の弟らしい   作:乾燥海藻類

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第15話 蚩尤の里編(三)

蚩尤には巫舞という秘技がある。各氏族で研磨されたそれは、細部によって違いがある。蛾族の巫舞は、瞬発力を最大限まで高めるものだった。

速度を維持・継続して戦うよりも、初手で仕留めることを目的とした剣技。瞬撃特化・初撃必殺の剣である。

 

――タン、トーン、トーン、トーン、タン、トーン

 

独特のリズムで蛾凱が舞う。幽連は静かにそれを眺めていた。

 

(真っ直ぐ行ってぶった斬る。真っ直ぐ行ってぶった斬る。真っ直ぐ行ってぶった斬る)

 

蛾凱の意識が、深く、深く、沈んでいく。瞬歩からの移動は、一瞬で彼我の距離を縮めた。

 

(真っ直ぐ行って――)

 

神速の斬撃が繰り出される。

 

(――ぶった斬る!!)

 

幽連は半歩だけ体軸をずらした。さらにカウンターで、掬い上げるように蛾凱の腹部を打つ。

蛾凱の身体が木の葉のように舞い、中空で二転三転して、地に落ちた。勢いはそこでとまらず、彼女の身体はさらに転がり、樹木に激突してようやく動きを止めた。その時、すでに彼女の意識は断ち切られていた。

 

「速さは十分だったが、直線的すぎるな」

 

場が静まる。一瞬の攻防を見て取れたのは、わずかに数人だった。ほとんどの者は、蛾凱が突っ込んで、すれ違いざまに吹っ飛ばされた、というふうにしか見えなかった。

 

「もういいだろう。ここにいる全員でかかってきても、私は倒せん」

「それはどうかの?」

「……む」

 

木陰から現れたのは二人の少女だった。

 

「識、礼!」

「瘣姉、こいつは象姉の仇じゃろう。なんで生かしとるんじゃ?」

「それは……」

「まあいい。こいつは私が殺す。そんで私が蚩尤じゃ!」

「まて、礼!」

 

羌瘣の制止も聞かず、礼は幽連を睨みつけた。

 

「強いのはわかる。だが象姉より強いとは思えんなぁ」

「…………」

「だんまりかい。じゃあ、始めようかの」

 

――トーン、タンタン、トーン、タンタン

 

礼が舞う。意識が先鋭化され、時の流れすら緩やかになる。その緩やかな空間の中で、自分だけが動ける。

そんな感覚の中に、礼はいた。一足飛びに距離を詰め、愛剣の"白鳳(はくほう)"を振り下ろす。

だがその剣は、幽連の剣によって跳ね上げられた。

 

(――ッ!? まさか、巫舞に合わせられた!?)

 

礼の身体が宙に浮き、大きくのけ反る。

 

羌族の巫舞(それ)はもう知っている」

 

幽連は剣を手放し、礼の水月に拳を叩き込んだ。

 

「ガハッ!」

 

礼の身体がくの字に曲がる。追撃の掌底を下あごに打ち込み、とどめとばかりに回し蹴りを繰り出す。その一撃で、礼の身体は錐もみ回転しながら吹き飛ばされた。

吹き飛ぶ礼を斜めに見ながら、幽連は体勢を整える。その手にはもう剣が握られていた。

 

「……礼の巫舞に、"()"の状態で対応したの?」

 

識が呆然と言葉を零した。

 

「いや、幽連は"入って"いた」

 

答えたのは羌瘣だった。巫舞というものは、体力の消耗が激しい。だからこそ、使いどころが重要になる。巫舞に入るためには、誰もが呼吸を整え、意識を高める前段階を必要とする。しかし幽連は、それを必要としない。

一瞬で巫舞の状態へと移行できるのだ。要所要所で意識を切り替えることで、体力の消耗を抑えている。その一瞬の切り替えは、羌瘣にもできない至極の技だった。

 

「蚩尤の名は伊達じゃない」

「ふぅん。まあ、そのくらいじゃないとね」

 

剣を抜きながら、識が前に出た。

 

「やめろ識! おまえたちが戦う理由なんてない!」

「なんで? 瘣姉言ってたじゃない。あいつが象姉を卑怯な手段で殺したって」

「それは……」

「なら、仇を取らなきゃ」

 

羌瘣は戸惑った。識は礼と違って、感情をあまり表に出さない。だが、今ははっきりと怒気を発している。

 

「やめておけ。おまえたちの巫舞は、私には通じん」

「それはどうかな。やってみないと、わからないよ?」

「……痛い目をみないとわからないようだな」

「舞うよ、"黒凰(こくおう)"」

 

――トーン、タンタン、トーン、タンタン

 

動き始めは、脱力による落下運動。抜重(ばつじゅう)の動きで不規則性を生み出し、かく乱する。

 

(巫舞に助走なしで入れるのなら、長期戦は不利。かといって、直線的な攻撃は通じない)

 

初撃は下段からの斬り上げ。幽連はしっかりと反応していた。

これに反応されるのは、識も予想していた。そこからさらに、相手の死角を通って上を取る。狙うのは延髄への刺突。

幽連は身体を捻って突き下ろしをかわした。

 

「"(おぼろ)"か。なかなかやる」

「朧? 羌族(うち)じゃあ"(かすみ)の術"っていうんだけど」

 

平然と答えながらも、識はかなり驚いていた。霞の術はとっておきのひとつだったからだ。なんなら、あの一撃で決めるつもりだった。

しかし幽連も、識の技量を侮っていたことを認めた。

 

(さっきのやつよりも、各段にやりにくい。絶妙に間合いを外してくる。まだ粗削りだが、技術もある)

 

識は攻守のバランスに優れていた。攻めながら守り、守りながら相手の隙を窺っている。

だからこそ、幽連も攻めきれないでいた。

 

「右腕をほとんど動かしてないね。怪我でもしてるの?」

「だとすれば、おまえは怪我人相手に手こずっていることになるな」

「……減らず口を」

 

義手は自在に動かせるわけではない。剣を握らせても、激しい動きの中ではすっぽ抜けてしまうし、打ち合いにも耐えられない。

要するに、見栄えを良くするためのものでしかなかった。

 

「大したものだ。だが内に向ける力(・・・・・・)をいくら高めたところで、私には通じん」

「なにを……」

「少しだけ、見せてやろう。巫舞の深奥を」

 

幽連は剣を強く握り直した。その気配の変化に気づいた識は、一旦距離を取って呼吸を整えた。

 

「いくぞ」

 

幽連が地を蹴った。だが全速ではない。識がギリギリ反応できる速さだった。だからこそ、識は気づかなかった。それが"誘い"であることに。

識の剣が幽連の身体を袈裟斬りに斬り裂く。

 

()った!」

「残像だ」

「……え?」

 

背後に回っていた幽連は、横薙ぎに剣を振るった。識のこめかみに剣が叩きつけられる。その一撃で、識の意識は刈り取られた。

 

「今日、この時をもって、蚩尤は亡びる」

 

誰も、言葉を発せられなかった。その中で、老婆たちは殺意を込めた視線を幽連に向けていた。

 

「貴様のような小娘にはわからんのだ。わしの歴史も、蚩尤の歴史も。千年の、重みも……」

「ふん。年を取るとなんでも大げさに言いやがる。たかが千年だろうが」

「――ッ!? とんでもない娘を育ててくれたな、幽長(ゆうおさ)よ」

 

なんと返してよいかわからず、幽族の長は黙したままだった。

 

「千年積み上げたものも、崩れる時は一瞬か……。じゃが、世俗に迎合してまで生きようとは思わぬ」

 

そう言って、老婆は懐から短剣を取り出した。それを見たほかの老婆たちも、同じく短剣を取り出した。

 

天涯(てんがい)へ、共にゆかん」

 

十二人の老婆が、一斉に喉を突いた。

残った七人の老婆たちも、最期の言葉を伝えるために氏族の娘たちのもとへと向かった。

 

「連よ、男の温もりを知ったようだな」

「……最期の言葉がそれか」

「じゃが忘れるな。人の歴史から暗殺が消えることはない。暗殺を望む者がいるからこそ、我らは千年もの間、必要とされてきたのじゃ」

「……わかっている」

「ならばよい。さらばじゃ。達者で暮らせ」

「ああ。いつかまた、天涯で会おう」

 

それには答えず、老婆は背を向けて歩き出した。

羌瘣もまた、一人の老婆と向き合っていた。

 

「瘣よ。象の仇を追って里を出たおまえが、なぜあやつを許したのかはわからぬ。だが、それもよかろう。識と礼を頼むぞ」

「バァ、なぜ死ななければならない。みんなで一緒に暮らせばいいじゃないか!」

「年寄りはそう簡単に生き方を変えられんものじゃ。蚩尤の歴史と業を背負って、我らは逝く」

「バァ!」

「さらばじゃ」

 

羌瘣は涙を流し、追いすがるように手を伸ばした。しかしその手は空を切り、決して届くことはなかった。

七人の老婆が円を作り、懐から短剣を取り出す。

さらに七つの骸が増え、十九の骸が地に倒れた。

あたりからすすり泣く声が聞こえていた。

 

「……これから、どうするつもりだ?」

 

みなが落ち着くのを待って、幽連は羌瘣に問いかけた。しかし、羌瘣はその問いには答えず、黙したままだった。

 

「……おい、おまえまさか、解放した後のことは考えてなかったのか?」

「いや、まあ、自由にさえすれば、なんとでもなるかなって……」

 

その言葉に、幽連はため息を零した。基本的に蚩尤族の娘たちは世間知らずである。外の世界に出たことがないので当たり前だが。

幽連も、蚩尤になって外に出ることが決まってから、外の常識を教えられた。

 

「まずは、幽族の里へ行く。私が送った金が残っているはずだ。散財したとも思えんしな。それを分配する。当座の資金にはなるだろう。あとは、望む者がいれば楚に連れて行ってもいい」

「春申君のところか」

 

幽連は一瞬眉根を寄せたが、すぐに正した。

 

(そういえば、表向き蚩尤(わたしたち)は春申君に雇われていることになっているのだったな)

 

何故かはわからないが、そういうことにしたいと言われたのだ。反対する理由もないので、幽連はそれを受け入れた。

 

「なら安心か」

 

羌瘣も以前、昌平君に誘われたことがあった。彼らのような"君"という称号を持つ者は、多くの食客を求めることが多く、雇い入れた者たちを無下には扱わない。

 

「……本当に、蚩尤はなくなったんだな」

 

一抹の寂しさを覚え、羌瘣は感慨深くつぶやいた。

 

「ああ、朱凶(しゅきょう)号馬(ごうま)のやつらが活気づくかもな」

 

どちらも蚩尤には及ばないが、名の通った暗殺一族だった。

 

「……嫌なことを言うな」

「世の中綺麗ごとばかりじゃない。闇に生きる者がいなくなることはないさ。権力者はいつだって暗闘を繰り返しているし、下層の民は奴隷のように扱われている。中間層の民はそれを我関せずと眺めているだけだ」

「……本当に、嫌なことを言うな」

「そんな"当たり前"を、変えようとしているやつもいるみたいだがな」

 

奴隷とは民ではない。戸籍がないからだ。人ではなく物であるから、殺しても殺人にはならない。(奴隷の主に損害賠償を求められる場合はある)

江南では、奴隷であっても一定期間まじめに仕事をすれば、戸籍が与えられる。仕事にも賃金が発生し、民として扱われるのだ。

こういった制度をとっている都市は、幽連の知る限り江南だけだった。そもそも戸籍というものも、江南で初めて知った。

 

また奴隷ではないが、民ではない民がどこの国にも存在する。

彼らは税を納めず、自由な立場であるが、誰からも守られないため、なにかあっても助けを求めることができない。

言ってみれば彼らの集落自体が、ひとつの国なのだ。蚩尤の里も、それに近い存在だった。

 

それ(・・)も、そいつに影響されたとでも言うつもりか?」

 

幽連の持つ不殺の剣を眺めながら、羌瘣は問いかけた。

 

「……さあな。だがこの強さを、殺すためではなく、救うために使うのも、悪くないと思っただけだ」

 

照れ隠しのように、幽連は口元を隠しながら言った。

この剣は自前で用意したものではない。出立の直前になって渡されたものだ。しかし剣の長さや、しっくりとくる柄の握り具合は、明らかに自分が遣うことを想定して造られた剣だというのはわかった。

正直なところ、幽連は一人二人斬ることも致し方なしと思っていた。だがこの剣を受け取ってから、考えを改めたのだ。

 

「そういえば、秦では下僕でも戦場で首級を挙げれば出世できる、とか言ってたな」

「戦争国家らしい制度だな。だが下僕が戦場に出られるのか?」

 

下僕も扱いとしては奴隷と同じで戸籍がない。だから徴兵の対象にはならない。よくあるパターンとしては、奴隷の主が兵力として供出し、戦場で将校などに気に入られてお抱えになるといったものだ。

 

「どうなんだろ。そのあたりの経緯は聞いてなかったな。そもそも、秦の法律も詳しく知らなかった」

 

(意外とボケてるよな、こいつ)

 

そんなことが幽連の頭をよぎった。

 

「まあ、亡んだ国のことはいいさ。それよりもあいつらのことだが……選ぶのは自分自身だ。私についてくるか、好きに生きるか」

 

幽連はつぶやき、同胞へと向き直った。

 

 

 





羌瘣があんまり活躍してないな……。
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