あれが黄歇――春申君か。イケメンだが、ちょっと目つきが悪いな。悪いというか鋭いというか。
黄歇が史記に初めて登場するのは、韓・魏と結託して楚を攻めようとしていた秦の
その後、黄歇は秦への人質として出された太子完の侍従として秦へ赴いたが、楚の
太子完は帰国後楚の王位を継いで考烈王となり、黄歇はその功績を認められて
まあ、それはいいとして。問題は俺のことだ。なんで過去転生なんだ?
転生は、百歩譲るとしても、なんで過去? 時間は不可逆なものではなかったのか。いや、よく似た異世界という可能性もあるが、今のところ史実通りに合戦とかが起きてるんだよなぁ。起きた合戦の全てを覚えているわけではないけども。
戦争を止めたり、過去改変をしないのかって? こちとらただのガキンチョだぞ。そんなことできるか。
春申君の腹違いの弟だと知ったのもつい最近のことだ。
それまでは、どこぞの金持ちの愛人の子どもだと思っていた。こんな時代だから娯楽もなく、書物(というか竹簡とか木簡)を読むくらいしかやることがなかった。そしたら知らんうちに神童とか呼ばれるようになった。
自由に使える金が欲しくて、興味を持って会いに来た親父を説得して紙を作った。原材料とか、鍋とか
生活に不自由しない程度の金はあるようだが、俺が自由に使えるわけではないからね。
これが成功して、親父は色々と便宜を図ってくれるようになった。
稼いだ金で付き人と武術の先生を雇った。付き人といっても、そんな大層なものではなく、紙作りのために集めた孤児の中から、適性のありそうなやつを先生に選んでもらっただけだ。
付き人というよりは、今後のための護衛だな。
この時代は、最低限の武を身につけておかないとあっさり死ぬ。こんな時代に長生きしたいとも思わないが、わざわざ死にたいとも思わんし。
それからしばらく経って、春申君――兄上から遊学の許可が下りた。
外国へ行くためには、通行証やら紹介状やらを朝廷に発行してもらわなければならないのだ。
「さて先生、そろそろ出立しますか」
「坊ちゃん、わしはこれよりただの従者です。わしのことはどうか、
「坊ちゃんと呼ぶのをやめてくれたらな」
「これは……してやられましたな。では奏様」
「うむ」
壮年の男がカラカラと笑った。俺の師である李玄だ。一応卒業とは言われたが、真剣勝負で勝てるとは思わない。実戦を経験していけば、すぐに追い越されるでしょう、とは言われているが、あんまり実戦はしたくねぇんだがな。
門の前には馬車が用意されていて、ふたりの若者が俺を迎えてくれた。
「
『はい、いつでも!』
と、元気の良い返事が返ってきた。このふたりは俺と一緒に訓練を受けた弟弟子で、広は俺より三つ上で、修は俺と同じ歳である。
趙へ行くには、魏か斉を経由しなければならないが、俺たちは斉経由で行くことにした。
斉は「済西の戦い」で亡国の危機に陥ったが、その後の「即墨の戦い」でなんとか盛り返した。
一応説明しておくと、済西の戦いってのは、燕の名将楽毅が大将となり、燕・秦・韓・趙・魏の五国合従軍を統率し、斉へと侵攻した戦のことだ。
この戦いで合従軍は解散したが、燕軍は独力で斉に侵攻し、
しかし斉軍をまとめ上げ、即墨で三年耐えた田単は、燕の新王と楽毅に反間の計を仕掛けて、この窮地を乗り切った。斉は滅亡を免れたのだ。
その後、奪われた城を全て奪還したってんだから、ホント英雄だよなぁ。
ちなみにその影響で、燕は繁栄から一転して衰退の一途を辿っている。
二頭立ての馬車に乗り、外門へと進む。御者は修で、両隣には護衛として李玄と広が馬で進んでいる。門の前では五台の馬車が停まっていた。
「お待ちしておりました。奏様」
「うむ。では行こうか」
趙へはこの商隊と一緒に向かうことになる。親父が懇意にしていた商人らしく、紙の件では世話になった。世話というか、こいつも結構儲けているはずだから、お互い様といったところかな。
つまり俺は、お得意様の息子というわけだ。紙の発案者だと知っているのは、おそらく親父と兄上のふたりだけだろう。
さて、趙へはどれくらいで着くだろうか。
◇
「一度亡びかかった割には、荒廃している感じはしないですね。まあ三十年も経てば、復興は進みますか」
斉の宿屋で羽根を伸ばしていると、修が窓の外を眺めながらつぶやいた。
「楽毅将軍の手腕もあるだろうな」
応えたのは李玄だった。斉の大半を攻め落とした楽毅は、民を虐げることなく善政を敷いていた。これにはもちろん理由があり、楽毅は斉を亡ぼして、斉の地をそのまま燕へと組み込む予定だったのだ。つまり領民はそのまま燕の国民となる。だから虐げるわけにはいかなかったのだ。
小国を大国が亡ぼすのは珍しくないが、燕のような小国が斉のような大国を亡ぼすのは、ほとんど例にないことだった。それだけでも、楽毅が優れた将であることがわかるだろう。
さらに楽毅の凄いところは、彼が斉を統治している間、一度も反乱が起きなかったことだ。軍事的才能だけではなく、政治家としても優れていた。
だが結局、斉を
あと斉と楚の関係も、結構微妙なんだよねぇ。
その理由は、莒に逃げ込んだ
湣王の傲慢な態度に腹を立てたらしいが、なにも殺すことはないだろうに。援軍を引き上げて帰ってくりゃよかったんだ。
「そういえば、楽毅将軍は趙へ亡命したようですが、彼に会いに行くのでしょうか?」
と、訊いてきたのは広だ。趙へ行くとは言ったが、誰のところに行くとは言っていないからな。
「いや、違う」
趙に亡命した楽毅は、趙と燕との両方で
「では、平原君でしょうか?」
続けて、李玄が訊いてきた。平原君は戦国四君の一人なのだが、ほかの三人に比べるとどうにも地味なイメージなんだよね。平原君の有名なエピソードといえば、
ある時、平原君の邸宅に住んでいた愛妾が、隣家に住む足の悪い男を見て大笑いしたことがあった。その翌日、男が平原君に面会を求めてきて、「私を笑ったあの妾の首をください」と言った。
平原君はこれを受け入れたが、それは表面だけのことで、平原君はその男のことを身の程知らずだと笑っていた。その後、平原君の下から次々と人が去り、ついには半分になった。
どうしてこうなったかを残っていた食客に聞くと、「あなたが約束を破ったからです。女色に迷い、士を守らない人だと失望されても当然でしょう」と言われた。それを聞いた平原君はすぐに妾を殺し、その首を持って隣家の男に謝罪した。その後は再び人が集まってくるようになったという。
これが当時の士、侠客たちの、名誉や誇りを第一に考える価値観だったのだ。平原君は彼らの価値観に従い、愛妾の首を切ったということだな。
だから背丈を笑われて村人を皆殺しにしたという
……やっぱ慣れんわ、この価値観。
「それも、違うな」
「では、どなたを訪ねるのでしょうか」
「李牧という将軍だ」
「……李牧、ですか」
李玄が首を傾げた。やっぱり知らねぇか。
趙と楚の関係は比較的良好です。国境を接してないし、邯鄲を秦軍に包囲された時に援軍も出しているので。