趙の首都、
なんで李牧? みたいな反応をされたが、まあ仕方ない。今の李牧ってほぼ無名だからな。それにまあ、普通に最前線だし。やんわりと止められたりもした。
李牧は趙の北方に駐屯する国境軍の長官で、国境防衛のために独自の地方軍政を許され、匈奴に対して備える任についていた。
その戦い方は守りに重きを置いたもので、匈奴だけでなく、趙兵にさえも臆病者であると思われてしまい、それが理由で一度長官の任を解かれている。
李牧の後任者は勇敢にも匈奴の侵攻に対して討って出たが、かえって被害が増大し、国境は侵された。李牧のやり方が証明されたことで、李牧は将軍に起用され、再び国境防衛の任に復帰することになった。
ちなみに、史記の著者である司馬遷は、李牧を「守戦の名将」と位置づけている。
そんな名将が、いま目の前にいる。なんかワクワクしてきたな。会いに来てよかった。
できるなら白起にも会ってみたかったが、あの時の俺の立場じゃあ、どうにもならなかった。というか、秦に入国とか普通に命がけだし。
李牧は郭開からの竹簡を読んでいる。その両隣には、ふたりの男女がいた。
一人は若い女性で、カイネといった。女性というか、女の子だ。気は張っているようだが、幼さが隠しきれていない。もう一人は、筋骨隆々の男で、
「……事情はわかりました。しかしあなたも、酔狂な人ですね」
竹簡を閉じながら、李牧は俺の目を見つめてきた。
「守戦の名将と名高い李牧殿の下で学びたいと思いまして、この地までやってまいりました」
「ふんっ、なかなかわかってるではないか」
馬南慈が鼻を鳴らして答えた。李牧は照れくさそうに笑みを浮かべている。基本的に中原の人間は、匈奴(というか異民族)を蛮族として扱い、低く見ている。武霊王が
だからまあ、中央の李牧の評価はさして高いとも言えない。後任者が匈奴にやられたことで李牧の策が認められたが、やはり防衛というのは評価されにくいのだ。
「馬南慈殿の勇名も聞きおよんでおります。なんでも、「雁門の鬼人」の異名を持つ猛将のようで」
「ふふっ、まあそう呼ばれるだけの働きはしているつもりだ」
「……おい、私にはなにかないのか」
突っかかってきたのはカイネだった。この場にいるからには、李牧の信任は厚いのだろう。まさか情婦というわけでもないだろうし。というか、女性の権利なんてほとんどないこの時代に、これはかなり珍しいことだ。
「もちろん、聞きおよんでおります。李牧殿の補佐を務めるのは、
「なっ、なな……」
「くくくっ、よかったではないか、カイネ」
カイネは顔を真っ赤にし、馬南慈は
李牧も笑みを浮かべていたが、すぐにコホンとひとつ咳払いをした。ふたりが姿勢を正す。
「食糧は、ありがたく受け取っておきましょう。いくらあっても良いものですからね」
「はい。戦場に黄金や宝玉というのも、どうかと思ったもので。まあそれだけでは味気ないので、こちらもお納め下さい」
俺が視線を送ると、李玄がテーブルの上に箱を置いた。
「これは、人魚の涙ですね。なんと見事な……」
人魚の涙、まあ真珠のことだ。意外と高級品なんだよな、真珠って。そのうち養殖に手を出してみようと思っている。
昔、自由研究で調べたことがあって、おおよその手順は把握している。とはいえ、最初から上手くいくとは思っていない。トライアンドエラーで試していくしかないだろうな。
紙作りも最初から上手くいったわけではなかった。まともな紙(現代人基準だととてもまともとは言えないが)になるまでは結構かかった。
「装飾も立派なものですな。これを貰って喜ばぬ
馬南慈がにやにやしながら李牧を見つめている。カイネは心なしかそわそわしているようだ。そんな空気を感じ取ったのか、李牧はその髪飾りをカイネに差し出した。
「よ、よろしいのですか!?」
「あなたには、いつも助けられていますからね。受け取ってもらえますか?」
「も、もちろんです!」
ぐぇー、砂糖吐きそうですよ。くそっ、美男美女どもめ。
「こんな場所ですので大したもてなしもできませんが、好きなだけ滞在していって下さい」
「お言葉に甘えて、しばらく学ばせていただきます」
俺は拱手して頭を下げた。
◇
李牧は戦国四大名将にも数えられる名将である。特に守戦においては司馬遷も高く評価している。
俺も史記の全てを暗記しているわけではないが、記憶のかぎりでは李牧は無敗だった。とはいえ、李牧は列伝を立てられているわけではなく、廉頗藺相如列伝に登場するだけで、記録自体がほとんど残っていない、結構謎な将軍なのだ。
最後の相手は、秦の
李牧とは色々と語り合った。軍略について、政治について、各国の情勢について、本当に色々だ。
李玄と馬南慈は、歳が近いこともあってか、馬が合ったようだ。武技を競い合ったり、酒を飲み交わしたりしている。
馬南慈は楚の酒が気に入ったようで、「こんな澄んだ酒は初めて飲んだ。どうやって作るのだ」と聞かれたので、灰をぶち込むんですよ、と答えたら大笑いしていた。
どうやら冗談だと思われたらしい。実際にやってみたら、目を丸くしていた。
李牧の戦い方は、徹底的な守備固めだった。匈奴の執拗な攻撃に対しては徹底的な防衛・籠城の戦法をとることで、大きな損害を受けずに安定的に国境を守備していた。
練兵にも手抜かりはなく、兵の動かし方も巧みだった。兵たちもまた、李牧に心酔しているように思えた。
気づけば一年の月日が流れていた。
「ずいぶんと長居してしまったようですね」
「いえ、あなたといると退屈しませんでしたよ。あの澄み酒のおかげで、士気も上がりましたし」
兵全員に酒が振舞えるわけではないが、匈奴を追い払った時や、活躍した部隊などに振舞っているようだ。その味に魅せられた兵たちは、一層戦うようになった。
「あなたの軍才はなかなかのものですよ。
「それでも李牧殿には、華麗に返されましたが」
「ふふっ、まだまだ負けるわけにはいきませんからね」
そう言って、李牧は晴れやかな
「最後にひとつ、予言をしましょう。あなたはいずれ匈奴の単于を討ち果たし、中央に召還されるでしょう」
「……それは、予言としては弱いですね。その程度なら、馬南慈でも予想できます。そして私は、必ずそれを成し遂げるつもりですよ」
と、自信満々に李牧は言った。守ってばかりではない。いずれは匈奴に大打撃を与えるつもりだったのだ。
「有能に過ぎる
「……何が言いたいのですか」
「いま、あなたを勧誘しても、楚には来て下されますまい。ですが、どうしても行き場がなくなったら、私を頼ってください」
俺がそう言うと、李牧は一瞬目を丸くした。そして、笑った。
「では、その時が来れば、頼らせていただきますよ」
「ええ、こんな時代ですからね。逃げ込める穴は多い方が良い」
「
李牧はくつくつと笑った。その夜は、遅くまで飲み交わした。
そして翌日、俺たちは楚に向けて出立した。行きは斉を経由して趙に入ったが、帰りは魏を縦断して帰ることになった。
遊学中、兄上とも書簡のやり取りをしており、先ごろ魏の通行証を送ってきたのだ。つまり、そろそろ帰ってこい、という意味だ。
学ぶべきことは多かった。有意義な一年だったな。
キングダムだとなんかデバフがかかっている感じのする李牧さん。
そろそろ気づいているかもしれませんが、主人公はキングダム知識のない史記厨です。