「修、兄上のところへ行って、認可状を貰ってきてくれ」
「ハッ!」
「李玄、行けるか?」
「無論、お供致します。気遣いは無用ですぞ」
李玄もそろそろ、無理の利く歳ではなくなってきた。今回が最後の旅かな。
「広、土産の準備を頼む。目録はこれだ」
「かしこまりました」
準備を整えた後、俺たちは魏に向かって出立した。
国内の旅程は順調に進み、魏の国境付近の街で、使いに出していた修と合流した。
そこで受け取った書簡はふたつ。修は認可状とは別にもう一通、兄上からの書簡を預かってきていた。それを読んでみると、どうも兄上の廉頗の評価は微妙らしい。
というのは、秦が邯鄲を包囲した時、廉頗は積極的に戦おうとしていなかったのだ。
もちろんこれには理由がある。廉頗は先の長平の戦いで、
趙括というのは、名将
その後しばらく経って、趙王が没した。趙の新たな王は、子ども時代に廉頗から色々と口うるさく言われたことを根に持っており、私怨でもって廉頗を将軍から外した。
それが廉頗は受け入れられず、趙を捨てて魏に亡命したというわけだ。
まあとにかく、兄上は廉頗の勧誘に気が乗らないようだった。
だがその実力は本物なわけで、兄上は渋りながらも認可状を発行してくれた。
そんなわけで俺たちは、魏の廉頗の屋敷にやってきたのだ。
「待遇は良さそうですな」
「そりゃあ、あの廉頗大将軍だからな。魏王も気を遣うだろう」
屋敷はかなり大きいものだった。廉頗は無駄を嫌う性格のようで、すぐに会談の場が用意された。
中央に廉頗。その脇を固めるように、四人の男たちがいた。
長髪の若者。細目の若者。筋骨隆々の巨漢に、目の大きな老人。あの老人は、どう見ても武官ではないな。軍師だろうか。
「お目通り、感謝いたします。楚より参りました、黄奏と申します」
「うむ。おぬしが、
廉頗がじっと俺を睨み据える。かなりの高齢のはずだが、凄まじい
「……ふむ。ただの文官というわけではなさそうじゃな。それに、黄ということは、おぬし春申君の身内か?」
「弟でございます」
「……ほぅ。なるほどの」
廉頗は髭をさすりながら、値踏みをするようにこちらを見下ろしている。
「では、飲むか!」
と、廉頗は破顔一笑して言った。
「楚の酒は、美味いと評判じゃからのう。実は、もう我慢できぬ!」
「廉頗殿の嗜好がわかりませなんだゆえ、様々な酒を用意させていただきました。お口に合うものがあればよろしいのですが……」
「一番強い酒はどれじゃ?」
「なれば、九の
「おう。ならばそれで、乾杯しようではないか!」
廉頗が従者に命じて、
軽く紹介すると、向こうも側近の四人を紹介してくれた。
長髪の若者は、
細目の若者は、
筋骨隆々の巨漢は、
目の大きな老人は、
準備が整い、全員で乾杯する。その直後、廉頗は盃を一気に飲み干した。そして空にした盃を手に、動かなくなった。顔が真っ赤になっている。まさか、逝ったか?
「……くはああっ!? こんな強い酒は初めてじゃあっ!!」
「新酒ですからね。水で割るか、原酒で飲むならば、ちびりちびりとやるのがよろしいでしょう。一気に飲むと、心の臓が止まるやもしれません」
「それを先に言わんかぁっ!!」
介子坊の大声が響き渡った。いやまあ、その通りなんだが。
この時代の酒は、基本的に度数が低い。蒸留技術が乏しいからだ。たぶんチューハイと同じくらいか、それよりも低いと思う。度数にして二%~三%くらいかな。あくまで体感だけど。
「ふぅむ。わしにはちときついのぉ。もっと飲みやすいものはないのか?」
「では、一の樽がよろしいかと」
「ふむ。では持ってこい」
「はっ」
玄峰の指示を受けて、従者が駆けて行った。クセの強い四人だな。それからしばらくは、世間話が続いた。しかし酔いが回ってきたのか、話題は趙王の愚痴へと変わっていった。
「何も知らぬ若造を将軍になどするから、趙は大怪我をすることになったのだ!」
「趙括の起用は、藺相如殿も止めたと聞いております。孝成王(前趙王の
「愚か! まさしくそうじゃな。前の王はそれでもまだマシじゃったが、次の王は擁護できんほどじゃ。愚かな判断で、わしと
廉頗は楽乗軍を蹴散らして、魏に亡命した。楽乗もまた、廉頗を失った趙に失望して国を去った。
廉頗の言った通り、王の愚かな判断で、趙は有能なふたりの将を失ったのだ。
廉頗は趙三大天の最後のひとり(ほかのふたりは趙奢と藺相如で故人)なのだが、ぶっちゃけ趙三大天という称号は初めて聞いた。ほかにも秦の六大将軍とか、魏の火龍七師とか。
この時代の史料って大規模な戦乱以外はほとんど残ってないからな。大体の武将も、生年が不明だったりするし、なんなら没年が不明の武将もいる。
まあ二千年以上も前のことなので仕方がないともいえるが。
そして、宴もたけなわになった頃、急に廉頗は真面目な顔つきになり、盃を置いた。
「わしを求めて、魏まで足を運んでくれたことに礼を言う」
廉頗が深く頭を下げた。その様子に、側近たちもびっくりしているようだ。
「じゃがっ!」
バッと顔を上げて、言葉を続ける。
「わしらを受け入れてくれた魏王にも感謝しておる。
俺は小さく頷いた。
「廉頗殿の名声は、中華に轟いております。なにかあった時の、選択肢のひとつとしてお考えいただければ」
「うむ。数ある候補のひとつとして考えておこう」
そう言って、廉頗はニカッと笑った。交渉が上手いな。暗に、ほかからも誘いがあると匂わせている。まあ本当に誘われている可能性もあるが。
結局その日は廉頗の屋敷に一泊して、翌日俺たちは彼らに見送られながら屋敷をあとにした。
「交渉は上手くいきませんでしたな」
「いや、手応えはあったさ。縁を作ったと思えば悪くない。ああ修、進路を北に取ってくれ。邯鄲へ向かう」
「……趙へ行くのですか? かしこまりました」
廉頗の後釜に収まるのは、たぶん李牧だろう。そろそろ中央に呼ばれるんじゃないかな。もしかしたらもう呼ばれているのかもしれん。ついでだから挨拶していこう。
今の世は比較的安定していて、俺のように身元がはっきりしていれば、割とすんなり関を通ることができるのだ。(秦は除く)
「広、すまんが一度楚に戻って、土産の準備を頼む」
「かしこまりました」
広が馬の腹を蹴って南に進路を変えた。
邯鄲までは特に問題なく進めた。しかし郭開に止められて、李牧に会うことはできなかった。軍務らしいことはわかったが、詳細はわからなかった。まあ他国の人間にペラペラ話したりはしないわな。
王が交代したばかりで慌ただしいというのもあるのだろう。
仕方ないので土産だけおいて帰ることにした。その帰路で立ち寄った街で、妙な噂を耳にした。
鬼の住まう山がある、というのだ。
◇
「あの山には、鬼が住んでおります。決して近づいてはなりませぬぞ」
と、旅籠の老女将は脅すように言った。
「鬼、か。李玄、どう思う?」
「さて、鬼に出会ったことはありませぬが……武を追求する者が、山に籠るというのはたまに聞きますな」
「では、会いに行くか」
「……本気でございますか?」
どうやら、李玄は反対のようだ。
「街を襲ったりはしていないようだ。野盗ではないだろう。武の求道者というのならば、雇い入れたい」
「そういった輩は、素直に従わない者が多いですが」
「ならば、諦めるさ。なに、やばそうなら、すぐに逃げる」
「その時は、おまかせあれ」
何かあった時には、李玄が
山に近づくと、道らしい道はなく、馬車は通れそうになかった。
「修は残れ。何かあれば笛を吹けよ」
「かしこまりました。ご武運を」
武運が必要な事態にはなりたくないがな。さて、鬼が出るか、蛇が出るか。
「
「少なくとも、五人以上」
答えたのは広だった。気配を読む能力は、李玄よりも広の方が高い。だが、すぐに仕掛けてこないということは、向こうも様子を窺っているということか。ならば……。
「我が名は黄奏! 楚の国より参った! そなたらの首魁に会いたい! 取り次いでくれぬか!」
返事を待つ。しばらくして、民族衣装のようなものに身を包んだ者がスッと現れた。横手からも数人が姿を現す。
「我ら蚩尤に、なに用か?」
顔の下半分を布で隠しているが、若い女の声だ。しかし、しゆう? 蚩尤とは、伝説に伝わる魔神のことか?
「まさかおぬしら、あの蚩尤か!?」
「知っているのか、李玄」
「は、はい。噂程度でございますが……」
そう前置きして、李玄は語った。蚩尤というのは、伝説の暗殺一族であり、外に出た蚩尤はいつの世もいずれかの国のお抱えになる、と。
その割には、なんでこんな山中にいるんだ? 存在を隠すにしても、鬼の山と噂になってるし、住むにしても不便だろう。本人たちが望んでいる可能性は捨てきれないが。
「誰かに雇われているのか? でないのであれば、俺はおまえたちを雇いたい」
「奏様っ!?」
李玄が声を荒げる。快楽殺人者ならノーセンキューだが、職業暗殺者なら別だ。護衛として置いておくのも悪くない。
「……面白いことを言うやつだな」
声は、女の背後から聞こえてきた。足音もなく現れた長身の女は、値踏みするようにこちらを見据えている。背筋がゾッとした。廉頗とは違う意味で、強烈な
その
李玄と広が、俺の前に出て剣を構える。それは武人としての本能なのか。
「くくくっ、やる気か?」
「ふたりとも下がれ。失礼した。あなたが鬼の……蚩尤の頭領か?」
「まあ、そうなるな。正確には、私だけが蚩尤だが、な」
長身の女も、布で口元を隠していた。だが端正な顔立ちをしているのはわかった。それだけに、怖さが際立っているともいえる。妖艶、魔性とも、いうべきか。
「私たちを、雇いたいそうだな。いくらで雇う?」
それが問題だった。まず相場がわからない。だが交渉の場でそれをいうわけにもいかない。雇う、と言ったことから、単発の仕事ではないことは向こうも理解しているはずだ。
安すぎず、高すぎず、まずはこのくらいからいくか。
「金五百でどうかな?」
蚩尤は無表情だったが、
「なめられたものだな。私たちを雇いたいなら、その三倍は持ってこい」
傍らの女がまたしてもギョッとした表情を浮かべた。暗殺者という割には、表情豊かだな。落ち着いて見渡してみれば、みんな若い。十代後半から二十代前半といった感じだ。全員が口元を隠しているため、正確にはわからないが。
本来なら、箸が転んでもおかしい年頃だろうに。
だが向こうから金額を提示してくれたのはありがたい。考えてみれば、向こうだって手練手管の商人じゃあないんだ。交渉については素人だろう。
吹っかけたつもりなんだろうが、若いな。李玄は、蚩尤を伝説の暗殺一族と言った。伝説が金一千五百で雇えるなら安いものだ。
「わかった。金一千五百だな。払おう。これで交渉成立だな」
そう言って、笑いかける。ごねられる前に、一気に押し切ろう。
「金は楚に戻ってから払う。早速移動したいが、準備にはどれほどかかるかね」
ようやく原作開始の年代ですね。