どうやら俺は春申君の弟らしい   作:乾燥海藻類

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第07話 因縁の相手

庭先で幽連と広が睨み合っていた。幽連は右手に剣を握り、脱力したようにだらんと両腕を下げている。対する広は、前傾姿勢で剣を構えていた。

小枝から小鳥が飛び立ったのが、合図だった。広が剣を突き出すようにして前に出た。そして幽連とすれ違ったと思った瞬間、地面に倒れた。

 

んんん、見えねぇ!

なんとなく、すれ違いざまに幽連の腕が動いたように見えたが、対峙していたら反応すらできなかっただろうな。

 

「動きが直線的すぎる」

「……ぐぅ、誘いはひとつ、入れたんだがな」

「私にそんなものが通用するか」

 

広のフェイントも見えなかったな。だいぶ腕を上げたようだ。それでも、幽連の前では子ども扱いか。

 

「ふたりとも、少し休憩しよう」

「ああ」

「そ、奏様! これは、情けないところを……」

 

俺が来たことも気づいてなかったのか。よほど集中していたみたいだな。果実と椀を幽連に渡す。

 

柑子(こうじ)(みかん)と牛の乳か。もらおう」

 

どちらも幽連の好物だ。以前は山羊(やぎ)の乳をよく飲んでいたようだが、俺が牛乳を飲んでいるので同じように飲むようになった。隠し味に砂糖を少し入れてある。

 

砂糖(正確にいうと少し違うが)は高く売れるが、大規模なさとうきび畑を作るわけにもいかない。優先すべきは穀物だからな。

けど、売れるんだよなぁ。水飴も人気だし、やっぱり甘味はよく売れる。だが虫歯が怖い。歯ブラシも作って予防はしているが、怖いものは怖い。食べ過ぎないよう、気をつけてはいるんだがな。

他国の将軍などに流して、糖尿病や虫歯にさせるという手も思いついたが、さすがに迂遠すぎたのでやめた。

 

まあそんなことをしなくても、商人たちは適当に他国へ売ってくれているようだが。

江南の統治は、特に問題もなく上手くいっている。兄上が下地を作ってくれていたようで、役人たちは驚くほど従順だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

江南に移住して二年が経った頃、兄上から呼び出しがかかった。

 

「再び、秦に対して合従軍を結成することになった」

「なるほど」

 

以前に、再び合従を組むことがあったら知らせてくれと頼んでおいたのだ。

ことの発端は、秦が魏を攻撃して、山陽という土地を奪い取ったことから始まる。この時代、領土を獲得しても、奪還されることが常であり、開発にはあまり力を入れなかった。

しかし秦は、この地を東群として平定することを宣言した。これは、山陽は絶対に手放さないという意思表示であると同時に、秦が領土拡大に力を入れるという決意表明でもあったのだ。

これに敏感に反応したのが、趙だった。

 

「李牧は、六国で合従を組むつもりのようだ」

 

音頭をとっているのは李牧か。

だが六国? たしか函谷関の戦いは、楚・趙・魏・韓・燕の五国合従軍だったはず。斉は含まれていない。ということは、最初から参加しなかったか、それとも途中で離脱したか。

 

実は、函谷関の戦いは史料がほとんど残っておらず、秦の指揮官すら判明していない。

こちら側の盟主も、春申君である説が濃厚だが、絵図を描いたのは趙であるとも考えられている。

別動隊が(さい)を攻めたが、落とせなかったという記述もあるが、わかっているのはそれくらいで、どんな戦だったのかはほとんど不明なのだ。

だが、合従軍が五国だったことは間違いない。

 

「斉は、裏切るかもしれません」

「……なぜ、そう思う?」

「遠交近攻策を覚えておいでですか?」

「それがまだ、残っているというのか」

 

范雎(はんしょ)昭襄王(しょうじょうおう)に売り込みをかけた時に説いたのが、この遠交近攻策だ。すなわち、遠い国と同盟を組んで隣接した国を攻めれば、その国を滅ぼして領地としても本国から近いので防衛維持が容易である、ということだ。この方策に感銘を受けた昭襄王は范雎を宰相にして国政を預けた。

そのパイプが、まだ残っているとしても不思議はない。

 

「さすがに刃を向けることはないでしょう。自国の王が病に倒れて戦争どころではなくなった、などと理由をつけて、軍を引き上げるくらいですかね。秦にとっては、一国が離脱するだけでも、勝ちの目は多少上がりますから」

「となれば、斉との国境は固めておく必要があるな」

「ならば、廉頗将軍に任せてはいかがですか?」

「……廉頗か」

 

反応は芳しくない。どうも兄上は乗り気ではないようだ。

 

「廉頗将軍では不足ですか?」

「廉頗は楚に来てから日が浅い。楚兵を使いこなせるかわからん。(うち)の兵は自尊心が高いからな。他国の将軍、しかも来たばかりの将軍に心服するかは怪しいところだ」

 

名声は中華に轟いているのだが、感情は別ということか。

 

「山陽で秦軍に不覚を取ったことも、廉頗の評価を下げている」

「あの戦では、廉頗将軍は指揮官ではなかったのでしょう」

「……よく知っているな」

 

兄上は渋面を作った。あれは、魏王の中途半端な判断が敗因だったと思う。他国の廉頗に全権を預けるのは不安だったのだろう。なにせ、廉頗は亡命する直前まで趙の将軍として魏に侵攻していたのだ。

だから総大将を魏の将軍にして、廉頗を副将としたんじゃないかな。

 

「大王様が廉頗将軍を信任する。兄上の抱えている食客の中から腕利きを預ける。そのくらいの演出が必要でしょう。そうすれば、楚兵も廉頗将軍に従うでしょうし、士気も上がるはずです」

「……ずいぶんと、廉頗を買っているのだな」

「此度の決戦、秦の興亡だけではなく、楚の興亡もかかっております。出し惜しみをしている時ではありますまい。使えるものは、使わねば。私も微力を尽くす所存です」

 

この時のために、危険な橋も渡った。実際に動いたのは、広や修たちだが、よくやってくれたよホントに。

 

「……江南の戸籍調査はどの程度進んでいるのだ?」

「ほどなく終了します。練兵を終えた者が十万。動員するだけなら、あと二十万は。あまり徴兵はしたくないのですがね」

「相変わらずだな、おまえは。しかし出し惜しみをするなと言ったのはおまえだ。兵はまだ伏せたままでいい。だが号令をかければすぐ動けるようにはしておけ。いざとなれば、斉との戦で使う」

「かしこまりました」

 

兄上は小さくため息を落とし、肩をコキリと鳴らした。

 

「しかし、今まで軍務に口を挟まなかったおまえが、今回はどういう風の吹き回しだ?」

「最近の秦の侵攻は、凄まじいものがあります。おそらく秦王は、中華の統一を目指しているのでしょう」

「……李牧も、そのようなことを言っていたな。まあ、だからこそやつは動いたのだろうが」

 

長平の恨み、首都邯鄲を包囲された危機感、その後も度々侵攻を許している。割と趙は窮地なのだ。そこで知った秦王の中華統一という目論見は、合従を組む格好の材料にできる、と李牧は考えたのだ。今ごろは各国を回って、他人事ではない、と説得しているのだろうな。

 

「おまえも色々と動いているようだが、表に出るなら、それなりの職は用意してやれるぞ」

「それはまあ、おいおい。今はまだ大丈夫です」

 

函谷関の戦いは、中華の趨勢を決める大きな転換点である。楚の興亡も、この一戦で決まるといっても過言ではない。さすがに静観はできないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

年が明けてしばらく経ち、合従軍の秦攻めが現実味を帯びてきた。

今は首都(ちん)で、兄上と最後の擦り合わせを終えて、江南へ戻る途中だ。

 

「世が、大きく動きそうか?」

 

馬車の中で、幽連が小さくつぶやいた。

 

「世の動きに、興味があるか?」

「多少はな」

 

この数年で、幽連も変わった。最初の頃に比べて、雰囲気はかなり(やわ)らいだ気がする。蚩尤は個人の武を高めることを第一の目的としているらしく、兵法などはまるで学んでいなかった。一応、連携らしきものはできるのだが、それも個人の武に頼るところが大きい。

それでも幽連は、やはり特別だった。観と見に優れ、洞察力がある。経験を積めば、将軍にだってなれるかもしれない。だが、本人にその気はないようだ。

 

「私の"仕事"は、見つかったか?」

「幸か不幸か、まだ見つからないな」

 

幽連に"仕事"を頼んだのは、一回だけだ。それも、かなり悩んだ。なにしろ今の"彼"は、なにも悪いことはしていないのだからな。とはいえ、力を付けてからだと、対処するのが難しくなってしまう。

史実では春申君を殺し、一族郎党を皆殺しにした男だ。

さすがにそれを看過することはできない。悩んだ末に、処理することにした。

だがやはり、気分は良くない。もう余程のことがない限りは、幽連に"仕事"を頼むことはないだろう。

 

「金が必要なのか?」

「いや、そういうわけではない。あれだけの金を送っておけば、里のババア共もおとなしいものさ」

 

里、まあ蚩尤の本部みたいなものだろう。仕送りというか、献上金みたいなものかな。里について、詳しくは語ってくれないので、俺の想像でしかないが。

とそこで、急に馬車が止まった。

 

「何者だ!」

 

御者の、誰何(すいか)する声が聞こえた。小窓から前を覗いてみると、馬車の前に小柄な少女がひとり、(たたず)んでいる。

剣を提げていることで、御者も警戒しているようだ。しかし、あの民族衣装は……。

 

「幽連、おまえの友人か?」

 

俺に促されて小窓を覗いた幽連は、小さく笑った。

 

「ああ。昔の、友人だよ」

 

幽連は馬車の扉を開け、ふわりと飛び降りた。悠然とした仕草で、少女へと近づいていく。

 

(ひさ)しいな、羌瘣(きょうかい)

「ようやく見つけたぞ。幽族の連!」

 

(くら)い瞳だった。まるで、初めて会った時の、幽連のような。

 

「おまえは先に帰っていろ。私はこいつと、話がある。場所を変えるぞ、羌瘣」

 

羌瘣と呼ばれた少女は小さく頷き、道のわきに逸れていった。なにか、嫌な予感がした。ここで別れたら、二度と会えないような、そんな予感が。

 

「幽連!」

 

気づけば、叫んでいた。

 

「……なんだ?」

「……晩飯までには、帰って来いよ」

 

幽連は、軽く手を挙げただけだった。ふたりは道を外れ、林の中へと消えていった。

 

 

 




いやぁ、ついに出会ってしまいましたね。
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