結局俺は、幽連を見送ることしかできなかった。おそらくあのふたりの間には、余人が立ち入ることのできない因縁があるのだろう。
それでも気になった俺は、館に帰ると四人の蚩尤たちに道中の出来事を話した。すると、
しばらくして、四人が幽連をつれて帰ってきた。しかし、その右腕は肘から先が失われていた。急いで医者を手配する。傷を甘く見ると、破傷風などで命を落とすこともあるからな。
この時代の医療レベルは当然低いが、経験として細菌などの存在は知っているようだ。庶民でも、傷口から小鬼が入る、と言って傷の治療は「なるはや」が良いとされている。
腕の良い医者はなかなかいないが、兄上に無理を言って回してもらった。それでも最初はかなり不安だったがな。なにせ家庭の医学レベルでしかない俺の方が詳しいくらいだったからだ。
器具は煮沸消毒する。傷口の洗浄と消毒。腐敗部の除去。処置後は軟膏などによる空気遮断。用意するのが難しいのは消毒薬と軟膏かな。そもそも衛生という概念が普及してないし。
ちなみに、戦場で深手を負ったら、小便で傷口を洗い流したあと焼きつぶすらしい。かなり乱暴な手順だが、実は理にかなっている。小便は出た直後なら無菌だしな。
話を戻そう。少し処置が遅れたが、幽連の治療は上手くいった。それでも傷が原因で、数日間高熱が続いた。だが治療の甲斐あってか、なんとか症状は落ち着いてきた。
「ようやく、楽になれると思ったんだ。
高熱が続いた時、幽連はまるですがるように、倫という名を呟いていた。どうやらそれは、幽連の妹の名だったようだ。四人からは、色々なことを聞いた。蚩尤のことを、"
それは蟲毒だった。そんな狂った宴を、"蚩尤"の質を高めるために、千年も続けてきたらしい。
「祭は、儀式なんだよ。人間が"
そっと、幽連の涙を拭う。妹を手にかけてからずっと、彼女は哀傷と後悔の中にいたのかもしれない。その苦しみは、きっと彼女自身にしかわからないのだろう。
「化け物は、涙など流さないだろう。だからあの
俺がそう言うと、幽連はその言葉を否定するように瞑目した。
「私の胸を突くはずだった羌瘣の剣は、軌道を変えて右腕だけを斬り落とした。もっと、苦しめと……」
蚩尤である幽連が死ねば、次の蚩尤を決めるための祭が行われるらしい。だから羌瘣は、幽連に蚩尤を続けろと言った。利き腕を失って、蚩尤を続けられるかどうかは疑問だが、羌瘣も混乱していたのかもしれない。
そういう取引を……いや、違うな。やはり羌瘣は、幽連を許したのだ。
だが幽連は、違う捉え方をしたらしい。おそらく自分は、許されないと思い込んでいるのだろう。もしかしたら幽連は、羌瘣に殺されるためについていったのかもしれない。
「蚩尤は……底なしの沼に落ちていくようなものなんだ。どれだけあがいても、這い上がることはできない。闇にまとわりつかれて、落ちて、堕ちて、そして朽ちていく。それが蚩尤となった者の宿命……」
「独りで這い上がれないなら、誰かに引き上げてもらえばいいだろう」
それを聞いて、幽連はハッとしたように目を見開いた。幽連の手をそっと握る。
「おまえがどれだけ深く落ちようとも、俺が引き上げてやる。だから、この手を離さないでくれ。生きることを、諦めないでくれ」
幽連の表情は変わらなかった。だがなんとなく、微笑んだようにも見えた。
なんにせよ、少し時間を置いた方がよさそうだな。
「まあ、しばらくは養生して、傷を癒せ。蚩尤を続けるなら、片腕での戦い方も、覚える必要があるだろうしな」
「……すまないな。これから、大変だという時に」
幽連は申し訳なさそうに言った。こういう声音も、珍しい。
それにしても、羌瘣か。秦の将軍で羌瘣という名前は残っているが、さすがにあんな女の子なはずはないので、同姓同名の別人だろう。意外と多いからな、同じ名前ってやつは。
「あいつらは連れていけ。蚩尤のなり損ないだが、そこそこは使える。私の代わりには、ならんだろうがな。給金分くらいは、働かせる」
蚩尤と蚩尤でないものは、やはり強さが違った。あの四人も手練れではあるのだが、一斉にかかっても幽連には勝てない。
幽連に言わせれば、こっちに来てから
中には、結婚したやつもいる。まあそれが、悪いこととは言わないが。
「心配するな。俺は正面切って戦うわけじゃない。危険はそこまで大きくはない」
「……そうか、ならば良いがな」
策戦の内容は、まだ幽連にも話していない。知っているのは、ごく一部の人間だけだ。
安静にするように告げて、部屋を出る。
中庭に行くと、四人の女性が並んで、俺を待っていた。
「命に別状はない」
そう言うと、四人は安堵のため息を落とした。
「だがしばらくは動けん。おまえたちには、幽連の代わりを務めてもらう。もうすぐ秦へ行くことは知っているな」
「あー、それなんですがね、奏様」
四人のまとめ役である蓉が手を挙げた。
「なんだ?」
「ええ、このバカが……」
と言って、挙げた手を握り込んで、紅の頭に振り下ろした。
「このアホが」
「このボケが」
続けて、祥と祐もポカッと紅の頭を叩いた。ポカッと軽く叩くあたり、本気ではないようだが……なにをやらかしたんだ?
「子を孕んじまったみたいで」
「それは、目出たいな。ふむ、ならば連れていくわけにはいかんか。宴でもしてやりたいところだが、時がない。それは帰ってからにしよう。祝いの品は手配しておく」
「えっ、あっはい。ありがとうございます」
幽連は知らなかったみたいだな。四人とも連れていけと言ってたし。まあ結婚の宴でも、ネチネチと絡んでいたみたいだからな。報告するタイミングを計っているのかもしれない。
だがあれは、責めていたのではなく、照れ隠しだと思うんだがなぁ。思えば、あいつも丸くなったもんだ。
子どもができるのは、目出たい。ただ時期がな。詳細は知らなくても、ピリピリとした空気は感じていただろうし。こんな時になにやってんだ、といった感じだろう。とはいえ、しかりつけるのは、なんか違うし。
「幽連のことを頼む。片腕では、なにかと不便だろうからな」
「はい、お任せください」
こうして、紅は残ることになった。
数日後、首都陳から大軍が出陣したと知らせが入った。
それを受けて俺も動き出す。商人の服に袖を通し、商隊を率いて江南を発した。
普通に勝敗がつくパターンも考えてみたんですが、どうもしっくりこなかったんですよね。なんか浅いというか、幽連の抱えている心の闇はそんな軽いものじゃないと思うんですよ。
まあ賛否あるとは思いますが、私なりの解釈でこうなりました。