どうやら俺は春申君の弟らしい   作:乾燥海藻類

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(主人公の出番は)ないです。



第09話 合従軍

函谷関の戦いは、すでに十五日目に突入していた。

初日に楚の臨武君、趙の万極という大駒を失ったことは想定外ではあったが、それ以降は順調に策戦は進んでいた。

斉が裏切ったという報告が入った時は李牧も目を剥いたが、盟主である春申君はただ一言、そうかとこぼしただけで、慌てる様子はなかった。それで、各国の将も落ち着いた。

 

(おそらくこの男は、斉の離脱を読んでいた。そして、読んでいたからには、備えている。斉が動く可能性は極めて低い)

 

後顧の憂いがなくなったのは僥倖だが、春申君という男の恐ろしさに、李牧は肝を冷やした。

図上の勢力図を一瞥し、李牧は瞑目する。そして、決意の火を灯した。

 

「そろそろ、出立します。あとはお任せしますよ、春申君」

「ああ。例の策、機を逃すなよ」

「あれを使う機会はありませんよ」

「そうか」

 

その日、李牧は函谷関から姿を消した。

李牧は開戦前から別動隊を少しずつ、函谷関の東側から秦国の南道へ送り出していたのだ。その別動隊は南道を突破して、秦の首都咸陽を貫く刃となる。

 

しかしこの秘策は、秦の将軍麃公(ひょうこう)によって看破された。李牧軍はそのまま遭遇戦に突入する。なんとか麃公将軍の撃破に成功したものの、兵の損失は見過ごせるものではなかった。

それでも李牧はすぐさま軍容を整え、動ける部隊だけを率いて咸陽へ向かった。そしてついに、咸陽の喉元ともいえる城郭(まち)(さい)へと辿り着いた。

 

「……妙ですね」

「はい。蕞にはほとんど兵は残っていないはずです」

 

カイネも感じ取っていたのだ。蕞から立ち昇る気勢を。城壁には兵の姿も見える。

 

(咸陽に残っていた兵を回したのか。いや、民に武装させたか)

 

素人のような動きは、明らかに訓練されていないものだった。李牧はすぐにそれを見抜いた。

武器を取ったとはいえ、所詮は民兵。今は勢いでいきり立っているだけだ。気勢を削げばすぐに折れるだろうと李牧は判断した。

単身で前に出て降伏勧告を行う。しかしそれは、飛信隊の信の一喝によって妨げられた。

 

(ここでも立ちふさがるか、飛信隊の信)

 

思えば因縁めいたものを感じるほどに、長い付き合いとなった。李牧は陣を展開する。しかし全力を出すつもりはなかった。この後には咸陽が控えている。兵の損耗は避けたい。ゆえに全力を出すことを避けたのだ。

計算高いと言えなくもないが、ここぞという時にも力を温存する。それは李牧の悪癖といってもよかった。

だが落ちない。蕞は李牧の予想以上のねばりを見せていた。

 

(……妙だ。なにが民兵たちを支えている? 飛信隊の信か。いや、あの若き将に、そこまでの求心力はあるまい)

 

見えない将の存在が、李牧の警戒を強めた。しかしそれも、数日後に明らかとなった。

 

(民兵がこれほど戦えたのは、秦王その人がいたからか)

 

蕞の指揮を執っていたのは、秦王だったのだ。

二年前、秦趙同盟を結んだ時、秦王は呂不韋の傀儡という印象しかなかった。それだけに意外だった。

 

(あれは、擬態だったのか。いや、いま考えるべきはそこではない)

 

李牧はすぐさま思考を切り替えた。

 

「秦王がいるとなれば、この戦はかえって単純となった。ここで秦王を(とら)え、咸陽の呂不韋に交渉を持ちかければ、咸陽は無血で落とせる!」

 

全兵に檄を飛ばす。

 

「寝ている夜部隊を全員起こせ! 一日でこの城を落とす!」

 

そこからは総力戦だった。しかし、あと一歩が届かない。敵も必死だったのだ。結局、李牧はこの日も城を落とせなかった。

 

(想像以上にねばる。だが戦力差は歴然。あと一日二日で蕞は落ちる。だが……)

 

李牧には気になることがあった。籠城戦に勝ち目はない。あるとすれば、それは味方の援軍である。だが、秦に余剰戦力があるとは思えなかった。

 

(だが攻勢に出るでもなく、奇策を用いる様子もない。無論、そうさせないように動いているというのもありますが……)

 

動きが全くないということが気になった。本当に籠城しているだけなのだ。つまり、秦王はなにかを待っている。この状況を覆す一手を持っているということだ。

 

(秦王自らが出陣したのは、なにかしらの勝算があるからだ。それがか細い可能性だとしても……)

 

李牧は考える。だが、これだというものが見つからない。

 

(函谷関から兵を回す、というのはあり得ない。それこそ致命傷になりかねない。国境の兵を戻す? それこそ(つつみ)に穴が開くようなものだ。援軍はない(・・・・・)。だとすれば、秦王の狙いはいったい……)

 

李牧には秦王の策が読めなかった。しかし、予感と言うべきものはあった。

 

(時をかけるのは、危うい。そんな予感がする。あの策を、実行するしかないのか)

 

春申君から預けられた策。それを用いれば勝てる。だが蕞の住人の大半は、苦しんで死ぬことになるだろう。李牧を悩ませているのは、それだった。

 

「李牧様、入りますよー」

「失礼します、李牧様」

 

天幕に入ってきたのはふたり。傅抵(ふてい)とカイネだった。

 

「なんか、悩んでるみたいっすね。でもあとひと押しで落ちますよ。明日には落ちるんじゃないっすかね」

「……李牧様、もしやあの策を使われるおつもりですか?」

 

李牧の思惑に気づいたカイネが声を荒げる。

 

「あれは操作が効きません。ほとんど風任せです。上手くいくとは……」

「上空は東風が吹いています。そして今夜は月がない。決行するには絶好の状況です」

 

春申君の言葉が脳裏をよぎる。

 

――機を逃すなよ

 

明日もこの風が続くとは限らないのだ。春申君から預けられた策は、火攻めだった。空から油を撒き、火をつける。

 

(人が空を飛ぶ。なぜそんな発想が出てくるのか)

 

空を飛ぶ。それはこの時代の人間には無い発想だった。特に、李牧のような極めて現実的、現実主義の男は、そんな夢想など抱かない。思考すらしない。もっと地に足の着いた戦略を練る。

以前(むかし)、狂った技術者が龐煖(ほうけん)を飛ばして城内に放り込む装置を造ろうとした。しかしなかなか上手くいかず、業を煮やした龐煖に斬られるという事件があった。

その影響もあってか、李牧は人が空を飛ぶなど夢想だとしか思わなくなった。

 

(恐ろしいのは、そんな策を他国の人間(わたし)に預けることだ。それはすなわち、この策に対抗する策を用意しているということ)

 

いよいよとなれば、咸陽戦で使う可能性を考えていたが、まさかこんな早期に札を切らされるとは思ってもいなかった。

 

(いや、あの男は、ここまで読んでいたのかもしれない)

 

疑惑が確信へと変わっていく。李牧が別動隊を用意することも、春申君は読んでいた。そして、斉が離脱することも、蕞が簡単に落ちないということも、あの男は読んでいたのだ。

李牧は身震いした。戦国四君、最後の一人、春申君。その智謀の深さ、慮外の発想。あの男が生きている限り、楚を敵に回してはならない。

この戦が終わった後、楚とは同盟を結ぶしかない。そう李牧は考えていた。

 

(幸いここにいるのは、趙の本軍のみ。あれが他国に漏れることはない。さらにこの闇夜となれば、蕞の人間もなにをされたのかはわかるまい)

 

李牧は各国から精兵を千人選び、同行させた。それは、趙単独の手柄ではない、という戦後の配慮だった。そして各国の精兵は、進軍が遅れているため、まだ本軍に追いついていない。

 

「えーっと、なんの話をしてるんすかね」

 

会話の内容が理解できない傅抵は首を傾げた。この秘中の策を知っているのは、李牧とカイネ、そして試験飛行を行った少数の兵だけだった。

なんとなく、李牧は傅抵に視線を向けた。

 

たしかに傅抵の言うように、明日にでも蕞は落ちるかもしれない。

明日にでも、後軍が追いついてくるかもしれない。

しかし、あと半日で秦王の策が結実するかもしれない。

 

――機を逃すなよ

 

またしても、春申君の言葉が脳裏をよぎった。

 

(……そう、機だ。私は一度、機を逃した)

 

最初から、全力で攻めかかっていれば、蕞は落ちていた。だが李牧は、兵の損耗を恐れて、その選択をしなかった。機は失われた。二度と回帰することはない。

 

「第一陣で油を撒き、火矢を射かけます。第二陣、第三陣と続き、さらに火勢を強めます」

 

蕞はそれほど大きな城郭(まち)ではない。瞬く間に火煙は広がり、人々を呑み込むだろう。

 

(秦王ほどの貴人であれば、真っ先に避難させられるはず。火災で死ぬ可能性はほとんどない)

 

可能性が高いのは、混乱に紛れて逃げられることだった。

 

「カイネは気球の準備と指示を。傅抵は引き続き、城の人間を一人として外に出さないように留意してください」

「了解っす」

「……ご下命、承りました」

 

傅抵に遅れて、カイネも命令を受け入れた。

 

(敵にも相当な軍師がいるようだが、まさか天から火が降ってくるとは思うまい)

 

準備は着々と進められ、策は実行された。

その日の深更、蕞は炎に包まれた。それは夜を昼に変えるほどの火勢だった。

 

 

 




ようやくできました気球爆撃(笑)
山の民は蕞が落ちているのを見て引き返しました。
楊端和ってその辺シビアというか、結構ドライだと思うんですよね。この時点では政の配下ってわけでもないですし。
あの小僧も所詮この程度かって感じで。
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