「……雅さん」
「なんだ」
「何してんすか、店の棚の前で」
とある日の午前。対ホロウ六課の雅がビデオを借りに店へとやってきた。
……のだが、彼女は会計を済ませた後、ビデオが並べてある棚の前に立ち、微動だにしなくなったのだ。
今日は雅以外に客はいないので、迷惑行為でもなければ彼女が何をしようと止めるつもりはない。
しかし、だからと言って彼女のこの不可解な行動に疑問を抱かない訳ではない。
「これは……修行だ」
「修行?」
「『この店にある全てのビデオのタイトルを暗記する修行』だ」
「……」
まあ、暗記力を上げる修行なのだろう。一人で納得したタクミはこれ以上は追及しない事にした。
「…………」
それにしても今日は本当に客が来ない。しかし、今はそれが却って都合が良いのかもしれない。
と言うのも、雅……そして雅が所属する対ホロウ六課は大勢のファンがいる。
前に柳と蒼角がビデオを借りに店にやってきた際、他の客がいた事によりちょっとした騒ぎになってしまった事がある。
(まあ今は平日の昼だし、客が少ないのは当たり前か──ん?)
ふと気になる事が頭に浮かんだタクミは雅に聞く。
「……雅さん」
「なんだ」
「今真っ昼間ですけど……六課の仕事とか大丈夫なんですか?」
「問題ない。今日は非番だ」
ホントかよ、とタクミは心の中で訝しむ。
雅はカウンターの椅子に座っているタクミに背を向けたまま動かない。
その光景はいささかシュールであった。
「……タクミ」
「なんすか?」
「実はここへ来た理由が、ビデオ以外にもう一つある」
「え?」
先程からずっと棚の方を見ているだけだった雅がようやく動き出し、タクミの方を向く。
「それは……お前にある事を聞くためだ」
「ある事?」
「お前はにゃんきち長官の事は知っているか?」
「勿論知ってますよ」
にゃんきち長官。
治安局のマスコットであるにゃんきちの着ぐるみを着た治安官。
あらゆる場所に立っており、いつ休んでいるのかと不安になるレベルでいつも見かける。
六分街でもニューススタンドの後ろに四六時中突っ立っている。
「そうか……ならば話は早い。お前に問いたい事はただ一つ──」
「にゃんきち長官は一体なんの動物なのか……だ」
「…………ん?」
タクミは雅が口にした言葉を反芻する。彼女が言いたい事をいまいち理解しかねている。
「……どうした?」
「いや、その……にゃんきち長官がどの動物をモチーフにしてるか、って事ですか?」
「そうだ」
「…………えっと」
にゃんきち長官のモチーフ。
あの動物以外無いのではないか。
「……普通に、猫なんじゃないですか?」
「そうとも限らない」
「いや限るだろ」
猫説を真っ向から即否定され、思わずツッこんでしまうタクミ。
猫でないのならなんの動物だと言うのか。
「私は……にゃんきち長官はラッコだと考えている」
「ラッコ???」
「ああ」
「本気で言ってるんすか」
「勿論だ」
冗談を言っているのかと思ったが、雅の表情を見るに本気で思っているらしい。
────ラッコ??? にゃんきち長官が???
「……どの辺がラッコだと?」
「顔、色、動作──その全てが、ラッコのソレと満遍なく合致している。にゃんきち長官は間違いなくラッコそのものだ」
自信満々に、心なしかドヤ顔で雅はそう言ってのける。
「いやいや……どう見ても猫じゃないですか。つーかそもそも『にゃん』きち長官って名前なんですから。『名は体を表す』って言うでしょ?」
「確かに、お前の言い分にも一理あるだろう。だがお前は忘れたか? にゃんきち長官の語尾を」
「語尾……」
タクミはにゃんきち長官の喋り方を思い出す。
そういえばにゃんきち長官は『ぷ〜』というよく分からん語尾をつけて喋っていた。
「にゃんきち長官が猫であるなら、語尾は『にゃ〜』でなければおかしい。これは、にゃんきち長官がラッコであるという裏付けにもなりうる」
「確かに猫は『ぷー』って鳴きませんけど……それを言うなら、ラッコだって──」
そこまで言いかけて、タクミは言葉を詰まらせる。
(……あれ? ラッコってどんな鳴き声だっけ)
「どうかしたか」
「あーいや、ラッコってどんな鳴き声してたかなって」
「案ずるな、タクミ。それならこのビデオを観れば良い」
そう言って雅が取り出したのは──先程彼女が借りたビデオ。
タイトルは『キュートアニマル百景』。
名前の通り、可愛い動物を紹介するドキュメンタリーものである。
「これを見ればラッコの鳴き声が分かるはずだ。すまないが、お前の部屋を借りても良いか?」
「あ、はい。どうぞ」
「よし。ならば早速観るぞ」
そう言うが早いか、雅は階段を駆け上がって行ってしまった。
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タクミの部屋にて。
雅は再生機器にビデオテープを入れ、映像が始まるや否や、リモコンでラッコが出てくるシーンまで早送りをする。
「ここだ」
ラッコのシーンが画面に写り、早送りから通常再生へと戻す。
映像には海に浮かんでいるラッコの姿があり、とても愛くるしい。
そしていよいよラッコが鳴くシーン。
映像の中のラッコは海に浮かびながら、その鳴き声を口から発した。
「ぷ〜、ぷ〜!!」
「!!」
なんという事だろう。ラッコはにゃんきち長官の語尾と同じく『ぷ〜』という鳴き声で鳴いていた。
タクミは目を見開き、雅はドヤ顔をかます。
『皆さん、聞こえましたか? ラッコの鳴き声です! とっても可愛いですね!』
「ぷ〜!!」
「……」
そしてラッコのシーンが終わり、タクミはリモコンで映像を一時停止させる。
雅はタクミの顔を見て────
「………………フッ」
「フッじゃねーよ、勝手に雑アテレコすんな!」
そう。別に映像の中のラッコが『ぷ〜』と鳴いていた訳では無い。
タクミの隣で、映像のラッコに合わせて雅が真顔でぷ〜ぷ〜と謎の鳴き真似をしていたに過ぎなかったのだ。
「む……映像を観ても尚、認めるつもりはないと言いたいのか?」
「鳴き真似バレてないって思ってます? バレバレですからね普通に」
「そこまで認めないのなら──致し方ない」
「聞けよ」
雅はソファから立ち上がり、座っているタクミに手を差し伸べる。
「タクミ、私と共に修行をしよう」
「……修行? なんの?」
「『にゃんきち長官をラッコだと思えるようになる修行』だ」
「それただのマインドコントロールじゃねーか」
結局にゃんきち長官が猫なのかラッコなのか、結論が出されることは無かった。
雅ってこんな人だっけ……?と思いながら書いていました