ピピピ、と体温計のアラームが鳴る。
「んー……まだ熱は下がらないね」
「…………」
体温計の液晶を見たグレースは熱を測ったクレタにそう言った。
「はぁ……昨夜からなんか体調が悪いと思ってたら……社長ともあろうモンが情けねぇ限りだ」
「そんな事ないさ、おチビちゃん。どんなに体調管理に気を配っても、風邪は引く時は引くものだからね。アンドーは例外かもしれないけど」
朝、風邪をひいているのが発覚したクレタ。グレースはすぐさま病院へ連れていき、処方薬を貰った。
「……姉貴、あたしの事は気にしねぇで会社に行けよ。ただでさえ今は繁忙期なんだ。こっちは一人でもなんとかなる」
「そういう訳にもいかないだろう。私が出勤したら、誰が君の看病をしてくれるんだい?」
軽めの風邪とは言え、クレタを一人にするのはやはり彼女としては心配だった。
しかし、今が繁忙期というのも事実。どうしたものかとグレースは悩む。
「……ダメ元で頼んでみよう」
「? 姉貴、どうした?」
「ううん、なんでも。ちょっと電話するから部屋出るね」
部屋を出て少しした後、ドアの向こう側からグレースの話し声が聞こえてくる。
さらに少しした後、通話が終わったグレースが再び部屋に入ってきた。
「お待たせ、おチビちゃん」
「姉貴、なんの電話してたんだ?」
「うん、実はね……代わりの人に君の看病をお願いしたんだ。ダメ元だったけど、快く承諾してくれたよ」
「代わりの人……? 誰の事だ?」
「ふふ、それはヒミツだよ。それじゃあ、私は会社に行ってくるから、安静にしてるんだよ? 今日は早めに帰ってくるからね」
「ああ」
グレースはそのまま家を出ていった。クレタは痛む頭を押さえながらベッドへと戻る。
(姉貴のヤツ、誰を呼んだんだ? てかよく快諾してくれたな……)
恐らく白祇重工の人間ではない。グレースの事だ、信頼できる人を呼んだのだろう。
思い当たる節と言えば──
(…………はは、まさかな)
流石にないだろうと考えていると、インターホンの音が鳴る。
クレタは玄関へと向かい、扉を開けた。
「ちわーす、看病代行サービス"ナオルヨ"──」
ガッシャーン!!
「うおおおおお!! クレタ!?」
扉を開けるとそこにはレジ袋を持ったタクミがいた。思わず腰を抜かすクレタ。
「たっ……タクミ! なんでお前、ここに……!!」
「え? いや、グレースさんに頼まれたから来たんだけど……聞いてなかったのか?」
「き、聞いてねぇよ……!!」
まさかとは思ったが本当に来るとは思っていなかった。知っていれば、姿を見るなり盛大にコケることも無かっただろう。
「あーえっと……わざわざ無理して来なくても良かったんだぞ?」
「そうは言っても、グレースさんに頼まれたからな。それに、だいぶ前に看病して貰っただろ? あん時の借りを返したいってのもあるしな」
「そ、そうか……なら、まあ……上がってけよ」
「ありがとう。お邪魔しまーす」
タクミは靴を脱いだあと、クレタに連れられ部屋へと向かった。
「えーと、一応飲料水とかゼリーとか色々持ってきたけど……大丈夫だよな?」
「ああ、ありがとう……悪いな」
「気にすんなって、俺がやりたくてやってるだけだからさ」
タクミはビニール袋からペットボトルなどを取り出しながらそう言う。
(やりたくてやってる、か……)
彼の様子を見るに、確かに嫌々やっているという感じではなかった。
グレースが看病を押しつけるような真似をする訳はないと分かってはいたが、それでも少し心配だったのでクレタは安心した。
「クレタ、今食欲はどんくらいあるんだ?」
「え? ああ、まあまあ……だな。もしかして、なんか作るのか?」
「ああ。市販のうどん買ってきたからさ、それ茹でようかなって。じゃあちょっと台所借りるぞ」
「お、おう」
───────────────────────
「お待たせ、クレタ」
「!」
十分も経たないうちに、タクミはどんぶりに入れたうどんを盆に乗せて部屋に戻ってきた。
器をテーブルに乗せ、箸を置く。
「熱いから気をつけろよ」
「……悪いな、わざわざ料理まで作って貰って」
「こんなん料理のうちに入んねーよ。ただ茹でただけだしな」
(……その割には具材はしっかり入ってるな)
うどんにはかまぼこなどが入っており、さらに風邪であるクレタの事を考えてか、生姜も入っている。
「……いただきます」
「──美味しかったか?」
「ああ、美味かったよ。ご馳走様」
生姜入りうどんで、体も暖まったクレタ。食後の薬も(苦い顔をしながら)服用し、体を休ませる。
熱はどれほど下がっただろうか。
「タクミ。悪いけど、体温計取ってくれねぇか? そこの引き出しにある」
「分かった」
タクミはクレタが指差した引き出しを開けるが──
「……ん? ないぞ?」
「あ? んなはずは──ああ……多分朝に姉貴が取り出した後、どっかにやったんだな」
「そういう事か。ま、無いなら無いでいいけど」
「? どういう事──」
クレタが言いかけたその時、タクミは彼女の額に手を当てた。
「………………え?」
呆気にとられるクレタ。それをよそにタクミは自身の額にも手を当て、体温を比べる。
「……んー、まだ高いか? まあうどん食ったばっかだし体温高いのはしょうがな──」
部屋にバシン! と音が鳴り響く。
「…………な、なんで引っぱたくんだよ……」
「わ、悪い……つい────つーかお前、いきなりデコに触るなよ! 心臓止まるかと思ったぞ!!」
「そ、そんな嫌だったか……? ごめん……」
「べ……別に嫌って訳じゃねぇけど! 心の準備ぐらいさせろって事だよ!」
タクミのせいで体温が高くなったクレタは、顔を手で仰ぎながら時計を見る。
まだ昼過ぎ。実を言うと体調はかなり良くなって来ている。食欲もほぼ戻っている。
「……なあ、タクミ。ちょっと買って来て欲しいのがあるんだけどよ」
「ん? なんだ?」
「えと……スイーツを、買って来て欲しいんだ。あ、勿論金は出す」
「スイーツ? 食欲は戻ったのか?」
「あ……ああ、お前のおかげでな。体温は高いけど、風邪はもうほぼ治ってるし」
「まあ、お前が良いならいいけど……なんのスイーツを買ってきて欲しいんだ?」
クレタはタクミの質問に対し、口をゴニョゴニョとさせながら答える。
「…………ミルク」
「え?」
「…………メェメェミルク」
「ごめん聞こえなかった」
「スイート&ガーリー・マシュマロ・メェメェミルクだよっ!!」
「!?」
クレタの口から飛び出したのは、やたら長い名前のスイーツだった。聞いただけで胸焼けしそうな名前だ。
「き……季節限定のスイーツでよ、近くの『141』で買えるはずだ。頼めるか?」
「分かった……けど、なんかやたら長いなその名前。メモしてから行くか……」
そうして『スイート&ガーリー・マシュマロ・メェメェミルク』なるものを買いに行ったタクミ。
見送るクレタの頭の中には、一つ懸念点があった。
『スイート&ガーリー・マシュマロ・メェメェミルク』という言うのもはばかられるようなこっ恥ずかしい商品名。
購入する際、その名前を店員に伝えないといけないのだ。
そのルールのせいで、クレタは今までそのスイーツを買えずにいた。
(タクミには一応この事は伝えたが……ちょっと心配だな……)
数分後。
「買ってきたぜ」
「買ってきた!?」
「え、う……うん」
しっかり『スイート&ガーリー・マシュマロ・メェメェミルク』を買ってきたタクミ。
「……あの商品名を店員に言ったのか?」
「ああ。メモしてたおかげで間違えずに済んだ」
「……!!」
特に恥ずかしがる様子もなくタクミはそう言った。
『スイート&ガーリー・マシュマロ・メェメェミルク』という商品名を口にするタクミの姿。
二日程はそれが頭から離れなかったクレタだった。