新エリー都の土曜日、その早朝。
平日なら、社会人はこの時間はいそいそと会社に行く準備を進めている事だろう。
だが今日は、社会人の多くは休日。
早朝はまだ皆ベッドの中で安らかに夢を見ている時間。
そんな中。
自宅のとある一室で、いそいそと準備を進めている女性がいた。
彼女の名はグレース。
白祇重工が誇る凄腕エンジニアである。
「…………」
そんな彼女は今、
ちょくちょく『同居人』が寝ている寝室の方を見ては、起きていないことを確認し安堵のため息を吐く。
そうして支度を終え、玄関に行き、靴を履く。
「…………行ってきま〜す」
蚊の鳴くような声でそう言ったあと、グレースはゆっくり、本当にゆっくりとドアノブに手をかけ──
「おい」
「ハッ!!」
──扉を開けようとしたその手が、後ろからの声によってピタリと止まった。
恐る恐る振り返ると、そこには赤髪の少女が仁王立ちしている姿があった。
彼女の名はクレタ。
白祇重工の社長である。
「……お、おはよう……クレタ……」
「おはようさん、姉貴。こんな、休日の、朝っぱらから……どこに行くつもりだ?」
「…………散歩」
「嘘だな」
「ひ、ひどいよおチビちゃん! 私だって、たまには散歩に行きたいことだってあるさ!」
「お前朝散歩に行くタイプじゃねぇだろ。寝ぼけてコーヒーでうがいするタイプだろうが」
ちなみに昨日の話である。
「とにかく靴脱げ。そのカバンも置け!」
「さ、散歩だよ? 本当にただの散歩なんだ!」
「仕事用カバン持って散歩に行くやつがどこにいんだよ! いいから靴脱いで戻れ!」
そしてリビング。
部屋着に着替えさせられたグレースは正座させられる。
「……姉貴、今日は何曜日だ?」
「……土曜日だね」
「そうだな。少なくともうちじゃあ休みになってる日だよな」
「…………」
「……姉貴、お前今日も休日出勤しようとしただろ」
「うっ……」
最早言い逃れはできない。
グレースは今までも何度かクレタに『休め』と言われていたが、それでも彼女は懲りずにこっそり休日出勤をしていた。
理由は色々ある。
研究の事だったり、進行中のプロジェクトの件だったり……
ワーカーホリック気味の彼女に、『休め』という言葉はあまりにも酷だった。
「ったく……お前と言いアンドーと言い、なんで休める時にちゃんと休まねえんだ。そこら辺きっちりメリハリつけてるベンを見習え」
「そりゃあ、休みが大事なのは分かってるさ……」
「自分は働くくせして、あたしには『休め』って言うくらいだもんな」
「うう……」
「とにかくだ、今日は何がなんでも会社には行かせねえぞ。家で休むとか、どっかに出かけるとか……休日ってのはそういう過ごし方をするもんだ」
「そうは言っても……家でぼーっとしてても仕事の事を考えちゃうし、外に出ようって言っても行く場
所なんて思い当たらないし……」
「……はあ」
クレタはため息を吐く。
彼女と仕事を切り離すには、自分一人ではかなり苦労する……そんな予感がした。
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「──なるほど、グレースさんをなんとかして休ませたいと」
「そういう事だな」
ルミナスクエアの喫茶店の屋上。
タクミはクレタの話を聞き、コーヒーを冷ましながら考える。
身長が低いクレタと、さらに身長が低いタクミ(しょうねんのすがた)。
どちらも椅子に座った状態で足が床に届いておらず、その光景を周りの人達が好奇の目で見ている。
二人はその視線に気づいているが、あえて無視していた。
「前に姉貴を連れてルミナモールに行ってみたんだけどよ……事ある毎に仕事の事ばっかり口にして、ちっともリラックスしようとしなかったんだよ」
「……俺の知り合いにもそんな人がいるな」
「疲れた心と体をリセットするために休日があんのに、これじゃあ意味がねぇ」
「……」
休みたくなくて休んでないのか、休みたいけど休めていないのか。
どちらにせよ、今のままではどこに連れて行っても仕事を忘れる事など出来ないかもしれない。
……では、休む『やる気』を引き出す方法があればいいのではないか。
タクミはその方法が一つ、浮かんだが……
(……いや、これは最終手段だな……)
「どうした、タクミ。なんか良い方法が出たのか?」
「いや、特に……ひとまず、ポート・エルピスに連れてってみようか。あそこは静かだし、釣りもできるから仕事を忘れられるかもしれない。……多分」
「なら、そこに行くか。確証はなくても、やって見なきゃ分かんねえしな」
とりあえずの予定が決まったクレタは席を立つ。
「ありがとな、タクミ。相談に乗ってくれてよ」
「これくらいなんて事……っておい、頭ポンポンするなって」
「し、仕方ねえだろ!? あたしがお前を見下ろせる機会なんて後にも先にもこれっきりかもしれねぇんだぞ」
「そんな機会別になくていいだろ……」
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次の日。
「……ポート・エルピスで釣り?」
「そこでなら、グレースさんも仕事を忘れてのんびりできるんじゃないかって」
「私、釣りのやり方なんて知らないよ?」
「あたしが教えてやる。前にベンと一緒にやった事あるしな」
グレースは悩む。
彼女自身としては、確かに疲れは綺麗さっぱり無くしてしまいたい。
だが頭の中には常に仕事のことが片隅にあり、満足に休める日は今まで数える程しかなかった。
「……そうだね。それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかな」
「ホントか!?」
「うん。それに、おチビちゃんズが一生懸命私のために考えてくれたんだ。それを無碍になんてできないよ」
「グレースさん、あんまおチビちゃんズって言うのやめて欲しいんだけど」
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そしてやって来たポート・エルピス。
クレタから教えて貰った通りに、釣り竿を持ち……ぼんやりと海を眺める。
「…………」
「最近冷えてきたなぁ」
「そうだな……なあタクミ、最近衛非地区じゃどうだ?」
「最近? 色々あったよ色々」
「色々あったのはお前の姿を見りゃ分かる」
「…………」
「……姉貴?」
「……ごめんね、二人とも。せっかく連れて来て貰ったというのに、少しも気が楽にならない……やはり私と仕事は、切っても切り離せないものなのかもしれない」
ふと見ると、グレースは苦い表情を浮かべていた。
恐らく忘れようとしても、どこかでふと頭に浮かんでしまうのだろう。
ならば、最終手段を取るしかない。
「……グレースさん」
「うん? なんだい?」
「グレースさんに、オートバジンを預けるから……しばらくの間、好きにしてもいいぞ」
「……え?」
「なっ……!」
グレースは大きく目を見開き、信じられないと言った表情でタクミを見る。
「……聞き間違いかい? 今、バジンたんを好きにしていいって……そう言ったのかい?」
「まだその呼び方してたのか──休日にデカい楽しみが増えれば、仕事も忘れられるだろ? あ、でも返す時はちゃんと元の状態に戻してくれよ」
「…………た」
「た?」
「タクミくうううううん!!」
「ぐああああああああ」
「お、おい姉貴!! 何してんだよ!!」
感極まったグレースがタクミに思い切り抱きつく。
あまりに力の強い抱擁に、タクミは息をすることすら出来ない。
「ホンット最高だよ君! ありがとう、存分にお言葉に甘えさせてもらうよ!」
「ぐっ……うえ……死ぬ……」
「さっきとはえらいテンションが違うじゃねぇか……でもまあ、良かったな姉貴」
「ああ! おチビちゃんも色々ありがとうね!」
「あ、あたしは何も……つーか姉貴! そろそろタクミを離せ!」
「おっと」
我に返ったグレースはタクミを解放する。
「はぁ……はぁ……死ぬかと思った……」
「お前、ほんとに良かったのか? お前がいつも乗ってるバイクだろ? 移動とか困るんじゃねーのか」
「大丈夫だ。移動する時はビデオ屋の社用車に乗っけてもらうし」
それにどの道今の体の状態ではバイクには乗れない。
運転免許の年齢とかそういう以前に、ステップに足が届かないのだ。
「まあ、お前がいいなら良いんだ……アイツが良からぬ事をしないように、あたしが目を光らせとく」
「ああ、頼ん──」
「待っててねバジンたーーーん!!」
「タクミ、今から他人のフリするぞ」
「そうだな」