白い花
零号ホロウの深部。
H.A.N.Dの目すら届かないその場所にて、二つの人影──「タクミ」とサラが歩いていた。
「……もうすぐだ」
「タクミ」は独り言のようにつぶやく。
「もうすぐ、最初の計画を実行に移す事が出来る。楽しみだね、サラさん」
「…………」
サラは何も喋らない。
ペースを一ミリも狂わせる事なく、黙って「タクミ」の後ろを歩いていた。
「貴方にはこれから、
エーテリアス一匹すらいない静かな空間に響く、二つの足音。
そして。
「さあ、着いたよ。彼らが待っている」
「…………」
二人が訪れた場所。
音はない。しかし確かな、そして恐ろしい気配がそこにはある。
「どう? 彼らは、
「タクミ」とサラの前には、静かにその場に佇む同胞───オルフェノク。
その数は、なんと五十体以上にも及んでいた。
一体一体が要警戒エーテリアスを容易くねじ伏せる程の強さを持つ、数こそ劣るもののオブシディアン大隊にも匹敵する程の戦力。
「…………」
サラは前に出る。
兵士のように整列しているオルフェノク達を一瞥し──
──その顔に、模様が浮かび上がる。
人間だったサラの肉体は瞬く間に変化し……とある動物を模したオルフェノクへと変化した。
「……その姿、懐かしいなあ。でも、ちょっと苦い思い出でもあるかな」
「タクミ」は醜悪な笑みを浮かべる。
「『転送』の準備が完了したら……もう僕たちの計画は成功したようなものだ」
「──侵攻の時は……近い……!」
───────────────────────
「ん~美味しい!」
一方その頃、適当観にて。
リン達は、瞬光が作った金木犀のケーキを味わっていた。
「瞬光のケーキ、美味しいな」
「良かった……なんか、変な味とかしない?」
「しないよ? まあ強いて言えば……普通のよりちょっと甘いかな?」
「そ、そう? 味見した時はちょうどいいと思ってたんだけど……」
「瞬光は甘党なんだね。それで言ったらタクミも──」
「三人とも、何してんだ?」
「あ、タクミ!」
瞬光は、部屋に入って来たタクミにケーキを乗せた皿を持って駆け寄る。
「さっき、金木犀のケーキ作ってみたの! 良ければタクミも食べる?」
「お、マジ? ありがとう」
タクミは皿を受け取り、『いただきます』と一言言った後に、ケーキを一切れ口に運んだ。
「美味いな~」
「タクミはどう? ケーキ、甘すぎたりしない?」
「ちょうどいい甘さだぞ」
タクミはケーキを頬張りながら答える。
それを見て、瞬光は胸をなでおろした。
「そう言えば聞きたかったんだけど……瞬光はどうして金木犀のケーキが好きなんだい?」
「えっとね……ケーキと言うよりは、金木犀の香りが好きなの。ワタシが、まだ鉱区にいた頃だったかな……怪我で入院したお父さんのお見舞いに、都内の病院に行ったことがあって」
どうやらそこで食べた金木犀のケーキが、とても美味しかったらしい。
その後、すっかり金木犀のケーキを気に入った瞬光。
雲嶽山に入門したばかりの頃、その金木犀のケーキが衛非地区で食べられる事を知り、しょっちゅう買っては食べていたのだが……
「なぜか食べるたびに、お腹が痛くなっちゃって。お兄ちゃんにも禁止されちゃったんだけど……」
「買えないなら、自分で作っちゃえばいい……ってなったんだね」
「うん。お菓子作りって、分量さえ間違えなければ簡単だし、自分好みにアレンジもできるから!」
「…………」
タクミは瞬光の話を、ケーキを食べながら黙って聞いていた。
すると。
「タクミくん達、ここにいたんですねっ!」
「あ、福姐さん! 戻って来たのね!」
「ただいま帰ってきました! 皆さん、緊急事態──」
そう言いかけた時、なぜか動きが止まる。
福福は小さくなっているタクミを見て、大きく目を見開いた。
「た、タクミくん……お話は聞いてましたが、本当に小さくなっちゃってたんですね……」
「ん? ああ、原因はまだ不明だけどな……」
少なくとも儀玄が帰って来るまでは、元に戻す方法を探すこともできない。
福福はタクミを見てやたらソワソワしている。
「それで……緊急事態って?」
「……あ、そうそう! 泅瓏囲で、何やら『ヘンなもの』が現れたって情報があったんですっ!」
「ヘンな……もの?」
「実際に見た方が早いです! 皆さん、泅瓏囲に行きますよっ!」
そう言うと福福は部屋の外へ出る。
タクミ達も後を追い、泅瓏囲へと向かう事にした。
───────────────────────
そして泅瓏囲にやって来た一行。
そこにあったのは……
「ねえ、これ……見間違いじゃなければ、鉱区跡地で見たあの白い花だよね……」
「うん……覚えてるわ。どうしてホロウの外にこんなのが……」
「師匠は何か知ってるかもしれないけど、まだ戻って来てないんだよな?」
「はい。お師匠さまは例の件で、まだ色々と忙しくて……」
泅瓏囲には、住人達や取材に来たテレビ局、潘を始めとした雲嶽山の人間の姿も見られる。
……だが、儀玄の姿はない。
「……凄く、嫌な予感がするわ。それになんか……青溟剣が反応してるような」
「葉瞬光。おぬしも来たか」
「?」
聞き慣れない声がしたので振り返ると、そこには雲嶽山の道着を着た老人が一人。
「……! 陸老師!」
「既に耳に入れてはおるだろうが……今回澄輝坪で起こった件は、もはや一事件で片付けられるようなものではない。その中でも、おぬしの兄がしでかした事はいっとう重いぞ」
陸老師、と呼ばれる老人は厳かな目で瞬光を見る。
「もはやあやつとおぬしの道は分かたれた。青溟剣の使い手として、おぬしは己が使命を果たす義務がある……分かっておるな?」
「…………」
「……瞬姐さん。この人は?」
「えっと、この人は雲嶽山の──」
「陸衡舟だ。おぬしの事は知っておる。儀玄が取った新弟子だな……しかし」
陸はタクミを見る。
何故か若干憐れむような眼で。
「災難であったな。まさか
「え?」
「儀玄から聞いたぞ。調査の途中、突如異常発生したミアズマにやられたとな」
「?? ……あっ」
どうやら儀玄は、体が小さくなったタクミの事をそう説明したらしい。
確かにオルフェノクの事など、彼に色々と知られるのはまずい気がする。
彼女に感謝だ。
「とは言え、それはおぬしの未熟さが招いた事故だ。次回からは、より一層気を引き締めるべきと心得よ」
「き、気を付けます」
「分かっておるなら良い。して、この花だが……葉瞬光、おぬしは今しがた『嫌な予感がする』と申しておったな。あの花から、何かを感じ取ったのか?」
「あの花は、ラマニアンホロウの深部に咲いてるのを見たの。近づくと侵蝕が和らぐような感覚もあって……とにかく、放ってはおけないわ!」
「そうなのか? ……であれば、念の為一掃しておくべきか。葉瞬光、おぬしに任せてもよいな」
「え、ええ……やってみるわ」
瞬光は周りの人達を下がらせた後、剣を掲げ一振り。
「!」
すると白い花は文字通り瞬く間に消え失せ、灰となる。
「むう……確かに、間違いなく植物の類ではないな」
「うん。このまま放っておけば、間違いなく悪い事が起こる……そんな気がするの」
「……よかろう。それでは明日の夕方、関係する者を適当観に集めさせる。花の件はもちろん……葉釈淵の処遇についても、最終的な判断を下さねばならん」
「……! お、お兄ちゃんは……」
「雲嶽山の弟子たち全員に、責任を持って説明するのだ。自分が何者なのか、なぜ雲嶽山に身を置いているのか……それを、片時も忘れるでないぞ」
「……分かったわ」
陸は瞬光の返事に頷いた後、この場を立ち去る。
そしてタクミとすれ違う際に──
「……おぬしの存在が、あの子にとって良いものとなるならば、それで良い。重荷ではなく……な」
タクミにしか聞こえないような小さな声で、そう言い残した。