澄輝坪のロープウェイ内にて。
「…………」
ラマニアンホロウを出た瞬光たちは、澄輝坪へと戻る最中だった。
瞬光は俯きながら、何かを両手で握り締めている。
「……瞬姐さん。釈淵さんは、望んで瞬姐さんを遠ざけてる訳じゃないはずだ。じゃなきゃ、わざわざ手紙なんて残さないはずだからな」
「うん……分かってる。お兄ちゃんは、何もワタシを信用してないわけじゃないもの」
彼女はそう言いながら、持っていた『手紙』に視線を落とす。
その手紙の主は……他でもない、釈淵。
事は十数分ほど前。
ラマニアンホロウの調査中に、瞬光達は釈淵が書き残した手紙を発見した。
筆跡や近くに感じた本人の気配から、この手紙は本人によって書かれたものであると分かった。
そしてその手紙は……リン達に宛てたもの。
手紙の内容は、簡潔に言えばこう書かれていた。
『──僕にはやらなければいけないことがあります。お弟子さん達、どうか僕の妹をお願いします。……そして瞬光。必ず君を縛る枷を壊してみせる……だから、安心して待っていてくれ』
やはり釈淵は、徹底的に瞬光を危険から遠ざけようとしているようだった。
彼しか知り得ない『謎』と『危険』。
彼が何と戦っているのか、未だ定かではない。
えも言えぬもどかしさを感じながらも、瞬光は釈淵を信じ……待つことに決めた。
そして引き続き調査を進めようとした時……同行していたロックスプリングに異変が起きる。
『再起動を……リクエスト。データに深刻なエラー……』
侵蝕か、故障か、どちらにせよここにこれ以上長居をさせるわけにはいかないと判断した瞬光たちは、急いでラマニアンホロウから脱出。
幸いにも澄輝坪に出張中だった『カスタムショップ』の店主エンゾウにロックスプリングの修理を頼む事にしたのだった。
照と別れ、適当観に帰って来たリン達は、福福達にラマニアンホロウで見た事を伝えようとした。
しかし、適当観にいた福福、潘、そして陸老師の三人は、何やらただ事ではない様子だった。
「あっ! 三人とも、お帰りなさいっ! いきなりで悪いんですけど、今お師匠さまと連絡は取れますかっ!?」
「え?」
切羽詰まった様子の福福にそう聞かれる。
タクミは言われるがままにスマホを取り出し、儀玄に電話をかけてみる。
しかし……
「……? 全然出ないぞ」
「ノックノックも反応がないね……」
「おぬしらもか。誰一人連絡がつかんとは……」
「陸老師、師匠がどうかしたの?」
「実は……お師さんに報告したいことがあって連絡しようとしたんだが、何故か連絡がつかなくてなあ……」
福福達の方も連絡を何度か試みたが、何の返事もリアクションもなかったと言う。
「忙しくて連絡を返せないとか?」
「かもしれぬが……ここまで音沙汰もないのは初めてだ。とは言え、我らが宗主は例え虚狩りに襲われようともびくともせん。恐らく、じきにまた返事が来るだろう」
「……そっか、良かった……」
「……それよりも、おぬしらの慌てようは何だ? どたばたしおって……雲嶽山の弟子として体裁というものがないぞ」
「ご、ごめん陸老師……皆に、伝えなきゃいけない事があるの……!」
瞬光は、ラマニアンホロウで見た、未知の無人区域、異常なミアズマ、そして突然変異した黒い花についてを事細かに話した。
「……やっぱり、ラマニアンホロウに異常が……!」
「うん、だからこれからは、皆でどうするか話し合わないと……!」
「……葉瞬光。おぬし、ことわりもなくホロウへ入ったという事か……?」
「!」
陸は瞬光からタクミへと視線を移し、責めるような視線を向ける。
「言ったはずだ。おぬしの存在が、瞬光にとってよきものであれと……いたずらに危険に晒すことを望んでいたわけではないぞ」
「待って、陸老師! ホロウに行きたいって言いだしたのはワタシなの! ワタシがタクミとリンに無茶を言っただけで……だから──」
「そうであるならなおの事! おぬしは雲嶽山の中でも、特に身勝手の許されぬ人間なのだ! 万が一のことがあってはどうする!」
「う……」
「よいか、おぬしは青溟剣の剣主なのだ。使命を果たせず、宗門の名誉に傷が付いたら、どう責任を取ると言うのだ!!」
タクミは陸の言葉を聞き……昨夜のもう一人の瞬光の言葉を思い出す。
『アナタは知ってる? 『英雄』だと持て囃す人達の、醜い本音を』
『英雄も、心臓一つの人間一人だって事を理解してないの。この子の"傷"を気にかける人が、"弱音"を吐く事を許す人が、この世界にどれくらいいるかしら?』
(……そうか。この人は……)
タクミは気付かないうちに、その口が開いてしまっていた。
「……陸老師」
「…………なんだ」
「雲嶽山の名誉ってのは、人ひとりに縋らないと保てないほど脆いものなんですか?」
「な……」
「ちょ、た……タクミ!」
リンが慌てて止めようとするが……タクミは構わず喋り続ける。
「青溟剣の代償、知らない訳じゃないでしょ? その代償背負って、瞬姐さんはそれでも自分なりに頑張ってる」
「…………」
「それを責任やら肩書きで縛り付けて……本人の事なんて、意にも介さないんですか?」
「……! であるから、こうして余計な行動は慎めと釘を刺しておるのだろうが! この者は我らが雲嶽山の要であり、財産なのだ!」
「……財産?」
怒りか、悲しみか、または恐怖か。
タクミの手が、体が震える。
のどが渇く。体温が上がる。心臓の鼓動が早くなる。
「……財産ってなんだ? 要ってなんだ? あんたは結局、瞬姐さんの事をそういう道具としか見てねえのかよ」
「!!」
「た、タクミくん……!」
「瞬姐さんはな、一人の人間なんだよ! クソみたいな剣に選ばれました、だからクソみたいな重荷を一人で背負ってくださいって、そう言うのかよ!!」
口を開くたびに、言葉を重ねるたびに、徐々に怒りの熱を帯びていく。
これが愚かな行為であると、タクミ自身も分かっている。
しかし、一度決壊した感情の波は、もう止めることはできなかった。
「……おぬし……!」
「瞬姐さんが青溟剣に選ばれたその日、あんたは何を考えてた? 何を思ってた! 都合がいいとか、そんな風にしか思ってなかったんだろ!! その程度の存在としか思ってなかったんだろ!!」
「……!! 愚か者が、口を慎め……!!」
「うるせえ! 本人がどう思うかも気にせずに、使命を自覚しろだの責任を果たせだの、そうやって人を縛って築きあげたものが──!」
「そんなものが、名誉なわけねえだろっ!!」
適当観の外にも聞こえるような声で、タクミは怒りのままそう叫んだ。
その瞬間、バキリと何かが砕けるような音が響く。
「…………」
水を打ったような静寂が訪れる。
息を切らしながら、タクミは陸を睨みつける。
「……あ、あのタクミくん」
「……なんだ」
「そ、その……スマホが」
「……? ……あ」
先ほど儀玄に電話をかけようとして取り出したスマホ。
それが右手の中で、粉々に砕けていた。
力加減を忘れ、自分でも気づかないうちに握りつぶしていたらしい。
「あー……その、一旦落ち着こうじゃないか、タクミ。そろそろ夕飯時だ、飯を食えば少しはイライラも収まるだろう。な?」
「…………」
なだめる潘の言葉を聞き、タクミも次第に冷静になっていく。
そして自身の行為がどれだけ軽率だったかを、自覚した。
鬼火の時から何も学ばなかったのかと、今度は自己嫌悪に陥る。
アキラならどうしただろう。
リンならどうしただろう。
そんな事を考えても、もう遅い。
「……っ」
「あ……た、タクミ!」
いたたまれなくなったのか、タクミは逃げるようにその場から立ち去る。
「……ふん。全く、手に負えぬ弟子どもだ」
「…………」
瞬光はその背中を、見つめる事しかできなかった。