21.年の差婚
○月〇日。
幸田は、帰宅すると、澄子を探しまくった。どこにもいない。探しながら、幸田は高校受験の時のことを思い出した。
高校受験を一緒に臨んだのは、幼稚園と小学校、計7年間同級生だった男だった。
特別仲が良かった訳ではなかった。だが、併願で受けた市立の高校を幸田だけが合格した。俺がどう慰めたらいいのか、途方に暮れていると、彼は言った。「今日は、別々に帰ろうか。」俺が黙って頷くと、彼は何も言わずに去って行った。
絶交した訳ではない。でも、もうそれきり会うことは無かった。
運命は残酷だ。近所のお兄ちゃんに後で言われた。「合格発表はナア、家族に見に行って貰うか、先生に見に行って貰えば良かったんや。発表の日、風邪引いたことにして。何で2人とも合格してるって思った?」
運命は残酷だ。今回、妊娠の検査をしに行く時、澄子は総子に会わせて行った。
俺は、付き添わなかったことを悔やんだ。子供が欲しい、と切望していたのは総子も澄子も同じだ。EITOで総子の「お祝い」をしてから帰宅したのも、俺が悪い。
ふと、思いついて、仲のいい、澄子の同業者のことを思い出した。店の電話メモ帳を探すより早い方法がある。倉持のアパートに近い店や。幸い、電話はすぐに繋がった。倉持も、その店を覚えていた。
15分後。倉持から電話があった。「今、信号待ちです。奥さん、連れて行きますから。」
それから、更に15分後。倉持は泥酔している澄子を会社の車に乗せてきた。
2人して、澄子を布団に寝かせた。頼もしい後輩は黙礼して帰って行った。
出逢った頃は、一回り以上年上だと思っていたが、澄子は7つ年上の42歳だった。
『恒例出産』。思えば初めからハンディがあった。澄子は若い頃産んで、事故で亭主と子供を失っている。『ういざん』じゃないから、可能性があるとは言われたが、確率を忘れていた。
明日、所長に叱って貰おう。おっちょこちょいの俺を。総子は、同じ年の差婚でも、女が若いパターン、こちらは逆だった。
「あんた。」「何や。」「迷惑かけてゴメン。明後日から、ランチサービス出してもええかな?」「お前の店やないか。」「2人の店やで、旦那。」
俺は澄子にせがまれて、手を握ったまま、眠った。2人の心が繋がっている、と思った。
22.捜索願
○月〇日。
「なあんや。急患やーて言うから白衣に着替えて損した。お焼きは旨いけど、ボヤキはうまないな。」
「そやけど、先生。」「そやけど、先生・・・何、甘えてるんや。三が日は休みや。貼り紙出してあるやろ?歳が歳やからな。諦めるんやない、待つんや。一択や。そもそも、何でもっと、はようにワコに手エ付けへんかったんや。待ってたのに。」
「待ってたのに。」と横から当人のワコが言った。「お陰で、ウチ、『行かず後家』や。」
『行かず後家』とは、関西弁で、嫁に行き遅れた未婚の女性を指す。
俺は、ワコと幼なじみで、ワコは今も『兄ちゃん』と呼ぶ。
大前さんと総子の関係に近い・・・いや、違うか。
「で、いつからいてへんねん。行方不明やったら、お前のしごとやろ。」
「夕べから。」所長が、三が日は休もうって言ったから、倉持は実家の群馬へ、花ヤンは実家の天橋立へ、横ヤンは実家の奈良の熊野にそれぞれ帰っている。澄子の店も三が日は休み、元旦に初詣に行った。東京では事件続きだが、大阪では今のところ、大きな事件が無いから、EITOからの協力要請もない。一日中、顔を合せるのも久しぶりやったから、飽きたかも知れん。明日は違う所に初詣に行こうか?と考えていたら、またいなくなった。
一晩考えて、失踪届、いや、捜索願を出す前に藤島病院院長に相談に来た。
病院とはいえ、ベッドが少なくなったし、実質はクリニックなのだが、行く行くは大病院に勤務している長男に譲って、昔のように大きな医療機関にする積もりらしい。
看護師は、経費節減という名目で、娘のワコしか看護師がいないのだが、看護師の募集をして採用しても、ワコと折り合いが付かないから辞めてしまうのが現状だ。
俺は思い出した。子供の頃、院長の目の前でワコを将来お嫁さんにします、とプロポーズにみたいな宣言をしたのだ。澄子と結婚して祝福してくれていたのだが、本心は嫉妬で明け暮れていたのだろうか?
院長は便秘の薬を処方してくれた。
帰り際、通用口を出たところで、ワコに呼び止められた。
「兄ちゃん、おめかけさんでもええよ。欲求不満の時は、相手していいよ。」
踵を返して帰って行くワコを手鏡でそっと見た。舌を出していた。
もうウブやないわな。冗談キツーーイ親子や。
後で聞いた話やが、診察室の裏で澄子が佇んでしたらしい。
女心は、複雑や。
23.臨時休業
〇月〇日。
「兄ちゃん、どうしたん?あ。こっちの人も。」と、藤島ワコは、言った。
ワコと俺は、幼なじみで、ワコは今でも俺の事を「兄ちゃん」と呼ぶ。
先日、ワコも一時期、その気があったと知ってショックやった。妹みたいに可愛がっていたから、恋心を打ち明けられず今日に至った。俺には今、澄子がいる。
目移りしている場合やない。
あ。この男は依頼人や。浮気調査は、大抵亭主が浮気して、感づいた女房が相談に来る。この場合は、逆。この男の女房が浮気して、調査を依頼してきた。
で、浮気現場に踏み込んで、大乱闘。というか、依頼人の牧場冬吉も俺も投げ飛ばされて、怪我をした。
やがて、先生がやって来て、「取り敢えず、血止めして、レントゲンやな。CTも取るか?幸田。今日は技師の先生がおるさかい、両方出来るで。」
「そんなら、俺の分と牧場さんの分とお願いします。」俺は事情を話した上で、「ただの怪力女」の、牧場の女房のことを話した。
「で、浮気相手は?」「俺らが伸びてる間に怪力女房と逃げました。」
先生と俺の会話を聞きながら、包帯巻きながら、ワコがクスクスと笑った。
器用なやっちゃ。
病院を出てから、牧場さんに契約書類を渡して、タクシーに乗る前に、興信所に電話した。
「そうか。浮気相手は東京在住やったな。よっしゃ。中津興信所には俺から連絡しとく。傷薬の抗生物質と痛み止めの飲み薬、湿布やな。経費で落せ。それと、今日は直帰してええぞ。後の案件は倉持、花ヤン、横ヤンで振り分けるから。」
帰宅すると、店を開けずに、澄子が待っていた。
「店は?」「今日は臨時休業。あんた、えらい目に遭ったなあ。プロレスでもやってたんかなあ、その女。」「さあな。」「ちょっとマ、横になっときや。災難は忘れた頃にやってくる、や。」「ああ、能登地震か。」「いや、そっちも大変やけどな。中田さんとこ火事で丸焼けらしいで。」「どこの中田さん?」「大泉元総理の時、官房長官やってた、中田格雪の娘の中田あきこ。火の不始末らしいけどな。全焼や。」
恋女房の澄子の声が、段々聞こえなくなってきた。薬が効いてきた。俺は幸せもんや。
24.『食い逃げラリー』
○月〇日。
俺は、佐々ヤンに言われて、ある、うどん屋を見張っていた。『食い逃げ日本一』と呼ばれる、男の現行犯逮捕の為に。何故、この店に絞るか?リストアップされた大阪市内のうどん屋で、やられていないのは、この店だけや。
店から、男が出てきた。俺と倉持は、足早に去った男を追った。逃亡ルートは検証済みや。男は、住宅の密集をいいことに、屋根伝いに逃げた。そっちは倉持に任せて、俺は路地を駆け抜けた。俺は年齢的なこともあって持久力は低い。だが、ダッシュは出来る。
やがて、挟み撃ちで奴を追い詰めた。男はナイフを抜いた。罪が増えたな、と俺は思った。サイレンの音が聞こえてくる。さっき、長波ホイッスルを吹いたからだ。長波ホイッスルとは、犬笛に似た笛で人間の通常の耳では聞こえない。これはEITOの道具だが、お嬢がコマンダーこと大前さんを通じて『お裾分け』して貰ったものだ。そして、脚に仕込んだ追跡ガラケーのスイッチも入れておいた。追跡ガラケーは、振動でスイッチが入り、GPSを通じてEITOに現在位置を送る。
男は、この1ヶ月で、リストの店9軒の『うどん屋食い逃げ』を達成している。大阪府警の小柳警視正は『テロ』と判断、南部興信所にも協力を求めてきた。
「観念せんかい!」と横ヤンと花ヤンが現れて恫喝すると、予想通り、誰を目標にして分からないから、ナイフを振り回す。
俺は、奴の小手、詰まり、手首に手刀を入れた。所長に鍛えられた、最低限の護身術が生きた。
ナイフを落した男は、こう言った。「お前ら、警察ちゃうやろ。逮捕できへんやろ。」
横ヤンは言った。「元警察ですぅ。」
花ヤンは言った。「元警察ですぅ。」
駆けつけた、佐々ヤンが調子を合わせて言った。「現警察ですぅ。」
佐々ヤンは、簡単に手錠をかけて、「ご苦労様です。」
早仕舞いした澄子の店に行き、俺達は、おでん定食を食べた。正月も節分も済んだ時期は閑古鳥状態だ。皆、車の運転があるから、焼酎の中に入った、ミネラルウォーターをコップについで、祝杯を挙げた。
俺のスマホが鳴動した。府警の佐々ヤンか。
「幸田さん、南部興信所に感謝状出るらしいで。」「ホンマですか?」「あの男は、偽のChot GPTを使ったサイトで雇われたらしい。リストのうどん店で、バレンタインデーの一週間前までに『食い逃げラリー』を制覇したら、ご褒美くれる、って。簡単に欺される脳みそしかないが、『走り』が早い。コロニー流行る前は、西宮の韋駄天ランナーやったらしい。福男を2回勝ち取っている。まあ、ギリギリでタイムオーバーや。今日、何日か知ってる?」
「2月5日ですね。」「件数も多いしな。取り調べに拘置所に2日は缶詰や。ご褒美はパア、やな。」
皆が帰った後、澄子を手伝って片づけていると、おもむろに澄子は言った。
「晩飯、何にする?」「今食べたとこ・・・。」俺は言葉を呑んだ。
俺は悟った。澄子は、2回目の晩飯と一緒に、『俺』を食う気や。
25.チョコのレシピ
○月〇日。
今日は、浮気調査が午前中で終ったので、久しぶりに4人でスーパーに行った。
何やら、高校生らしき4人組が店内を、買物カゴ持つ訳でもなく、うろついている。
俺は、花ヤン、横ヤン、倉持に目配せをして、四方に散った。
後で主犯と分かった餓鬼、いや、少年は、俺の目の前で、菓子をセーターの下に隠そうとした。
「君は、どこの学校や?」「あんたは、何や?プータロウか?」
「万引きはアカンで。」「警察か?」「警察ちゃう。」「警備員か?」「警備員でもないな。」「店員とちゃうやろ。」「さあ、どうやろな。」
少年は、その商品を棚に戻した。「これで、ええやろ?プータロウのオッサン。」と言い、俺の横を通り過ぎようとした。
「無かったことにはならんわな。」「返したやんけ。見てたやろ?」
「ちょっと、移動しようか?」少年は、「やかましなあ!」と大声で言った。
どうやら、それが合図やったらしい。少年と、後の3人はダッシュして逃げようとした。
俺は足払いをした。簡単に、前につんのめって、転んだ。
ウチの所員は、俺を初めとして、全員優秀や。すぐに、他の通路で騒いでいた声も収まった。
だが、流石リーダーや。最後まで徹底抗戦する気らしい。
「お前に、逮捕権あるんか?」「あるよ。」「警察ちゃうやんか!」「警察とチャウなあ。」
馬乗りになった、俺の所に、警備員がやって来た。
「ご苦労様です。主任の要請で、警察に連絡しました。」と警備員は言った。
多分、ここのレジ主任は、警察にも警備員にも同時に連絡した筈や。こういう場合のマニュアルは、どこの店でもある。
「未成年への虐待や。訴えたる!」俺は少年に尋ねた。
「成人式はスーツで行ったんか?和服か?」「スーツや。それがどうした?」
警備員は笑っている。『語るに落ちる』とは、このことやからな。
間もなく、駐在と応援の警察官と店長がやって来た。
俺達は、4人組を引き渡した。
警察官と4人組が店の玄関ドアを一歩出たとき、待ち構えていた横ヤンが、少年達のポケットを探り、買物カゴに入れ、店長に渡した。
「万引き確定やな。」と俺が言うと、「俺らは初犯や。みんなやってるから、真似した岳や。」と喚いた。
花ヤンが嫌味を言った。「初犯にしては、手際良かったで。どっかで特訓したか常習かは、すぐに分かるで、。『ほやほや』の『成人』はん。」
澄子の店に寄る途中、バイブが何度か鳴っていたから、所長に連絡したら、「幸田、取り込み中やったか?」と尋ねられた。
俺が事情を説明すると、「高校で『立てこもり』らしい。応援要請があったら、頼むで。」と所長は言った。
現地には、EITOの『お嬢』のチームが向かったらしい。「了解。」と応えたが、多分大丈夫だろうと、自信もないが、思っていた。
お嬢は、成長した。所長夫人でもあり、EITO大阪支部でもある総子は、成長した。
店に着くと、澄子が、チョコレートケーキを出してきた。
クリスマスケーキで懲りていた俺は、倉持に目配せした。
倉持は、恐る恐る食べたが、「上手い!」と言ったので、俺達も食べ始めた。
「藤井さんにレシピ、送って貰ったんよ。犯罪レシピチャウで。今回は、ええ出来やろ?」
「藤井さんって、伝子さんのお隣さんの料理の先生か?成程ナア。」
俺はともかく、倉持も花ヤンも横ヤンも、くれる相手がいない。涙流して、頬張った。
「じゃーん。」澄子が冷蔵庫を開けると、もう『一皿』チョコレートケーキがあった。
俺は嫌な予感がしたが、それはすぐに杞憂だと分かった。
「明日来たお客さんに、配ろうと思ってんねん。」と澄子が大きな胸を揺すって言うのに、「そら、ええ宣伝になるなあ。お前、やっぱり頭ええなあ。ええ嫁はんや。」と、俺は本心を隠して、ベタ褒めした。
26.【熱中症】
○月〇日
「ホンマ、腹立つわあ。澄子。一本付けてくれ。」
店仕舞いをして、澄子は言った。「どないしたん、あんた。頭から湯気出して。」「俺はやかんか。」と、俺は返した。
「去年の5月な。あっつい日、あったやろ。」「そう言われれば、あったなあ。コート脱いで汗拭いて。」
「その日、ある小学校では遠足やった。母親が言うのには、体調崩してるから、遠足休ませてくれ、って電話で欠席を届けたそうなんや。ところが、担任と副校長が、熱ないんやったら、学校行事やから出て下さい、って言うたんや。お友達も寂しがるよ、って。母親は、次の日、水筒が小さいから、お金をその子供に持たせたんやけど、引率の先生はお茶買いたいって言うその子に『遠足でお金使ってはいけません』って言って受付けへんかった。帰宅まで、その子の命はモタヘンかった。救急隊員は、すぐに『熱中症』と判断した。救急病院に着いた途端、息を引き取った。数日前から、気象予報士達は、気象庁の指導通り、熱中症対策を呼びかけていた。『まだ5月』。そんな予断があったんや。」
「それで?ああ。本庄先生の調査?」「うん。お仲間の弁護士さんが担当するんや。市役所相手取っての損害賠償保障や。学校や教育委員会は自分らの非を認めへんに決まってるやろ?どうせ、はげ頭下げることになるのに。子供は正直や。暑かった、ってみんな言った。熱中症になりかけの子もいた。俺ら5人がかりで父兄と子供に聞き取りした。裁判になるから、学校側も指くわえて見てた。問題はや。何で、前日に欠席届けているのに、拒否したかや。本庄先生は『未必の故意』による殺人に等しい、ってカンカンや。」
「そか、人口が1人減った訳やな。」
晩酌しながら食べていた俺は、嫌な予感がした。
「人口1人でも増やさな。」澄子は、強引に2階に俺を引きずっていた。
俺は後悔した。澄子の前では『子供関係』の話はタブー。そう決めた。
27.『捕り物』
〇月〇日。
今シーズン最後のおでん、ということで、俺は倉持を呼んで、3人でおでんをつついた。倉持は俺の「優秀な」後輩だが、最早身内のようなものだ。澄子は、いつの間にか、倉持には料金を請求しなくなっていた。
「すいません。御馳走になってばかりで。」「ええやんか、気にすんな。それより、今日の『捕り物』面白かったな。」
「腰抜かしてましたね。怖かったのかなあ。」「怖かったのは、俺らや無くて二美やろ。空飛ぶバイクで追いかけてきたから。俺らは、トオセンボをしただけやろ。」
俺は、澄子に事情を説明した。午前中に、浮気調査案件が終わったから、のんびりしていたら、所長から連絡が来た。小学校の廃校近くの市営住宅付近で、『闇討ち』が流行ってて、日本刀振り回して怪我させる奴らを捕える為にEITOに協力しろ、ということで、夜に出動した。
「銃刀法違反なのに、何で日本刀を使って襲ったか。捕まった奴は、皆、若者の、スマホ脇見運転で怪我をして重傷になった人間の身内やった。それを半グレが見付けて、話を持ちかけた。半グレは、売るだけで直接怪我させたりしてへん。殺す目的で日本刀振り回したら、障害致傷か傷害致死や。金が幾らかかったかは知らんが、脇見運転で怪我させた奴らは不起訴やったから、怒りが堪ってたんやな。そやから、ターゲットは不特定多数。でも、脇見運転してないバイクや自転車に乗ってた者は襲われてない。やつらなりのルールがあった訳や。」
「江戸の敵を長崎で、ちゅうことかいな。」「まあ、あの会社は、なかなか尻尾を出してなかったらしいから、捜査員はラッキーやった。東京で辻斬り流行ったことあったけど、今度は夜だけ。闇討ちは夜の不意打ちやからな。こっちが先に不意打ちする、ちゅう作戦やったんや。やるもんやで、あのオッサン。」「あのオッサンて?ああ、大前さんか?」
「他におらんヤロオ、大阪支部に。」と、俺は笑った。
「それで?」「それで、半グレに乗り込んだ、EITOエンジェルズが一網打尽ですね、先輩。」「ところが、どっこい。お嬢1人で社長を倒したら、全員白旗や。」
「どこから、それ?」と言いかけた倉持と澄子に俺は言った。
「本人から自慢のメールが来た。あほくさ。日本刀を三枚におろした、って言ってた。」
「そんなアホな。魚か。」と突っ込み入れた澄子に、「那珂国製の刀はナア、『焼き』が甘いらしい。それで、棒2本で跳ね飛ばしたら、3本になって、地面に刺さった、ちゅうことや。松本さんの受け売りやけどな。」
今夜は、話が尽きるまで時間がかかるな。
28.ワコ
○月〇日。
俺は、浮気調査を午前中に終えて、病院に行って帰ってきた。
澄子の店ではなく、俺の家だ。アパートではなく、一軒家だ。借家だが。
「どうやった?」「ああ、タダの風邪や。薬貰って来た。」
今日、店は定休日だ。朝から片づけをしていたのだろう。子供が出来たら、と淡い期待を込めて、澄子は俺に内緒で所長に空き物件を探して貰っていたのだ。
昨日、越して来たばかりだが、しっかり『所帯』だ。
澄子が差し出した、水の入ったコップを受け取り、俺は藤島病院で貰って来た薬を飲んだ。今夜は風邪を理由に『夜のお勤め』は休もう。
「ああ。東京の事件な。コスプレ店支店長誘拐事件、やっぱりダークレインボーは関係して無かった。本店店長への逆恨みで誘拐したらしい。犯人は元店員や。よう『人に恨まれるような人間やなかった』とか、事件の後で言うやろ。まあ、90%の場合は嘘やったり、関係者への気兼ねやったりする。あ、今は忖度って言うんやな。ホンマに恨まれている悪人の場合もあるけど、『逆恨み』の場合もある。そいつの場合は、一緒に『連れション辞め』した奴が、吹かしたんや。で、支店長誘拐して、本店店長に仕返ししようと思ってたらしい。」
「仕返しって?」「まだ、考えてない間に捕まった。ダイナマイト拾って、思いついた、衝動的な犯行や。そのダイナマイトな、しけってたらしいわ。」
「間抜けやナア。仕返しにならへんやん。」「でも、本店店長は支店長の姉でナア、精神的な苦痛を与えることは出来た、って本庄先生は言ってた。弁護引き受けたらしいわ。」
「流石、人情派の先生やな。ところで、なんで辞めさせたん?」
「そいつは、別にクビになった訳やない。ツレに巻き込まれたんや。お人好しやな。代わりに犯行に及んで、あっさり捕まりよった。そやから、本庄先生は、弁護引き受けたんや。」
「ふうん。あ。これ見て。」新しいネグリジェを澄子は見せた。
「ワコちゃんがナア、くれたんや。何かあんたに言うてた?」
「もう届いたかな?って言ってたけど・・・今、くれたって言ってなかったか?」
「買って、くれたんや。一緒に買物に行って。兄ちゃん、喜ぶで、きっと、って言ってた。」
また、嵌められた、と幸田は思った。そして、今夜だけは『風邪休業』にしてくれ、と神様に祈った。
29.【また貸し殺人事件】
〇月〇日。
「お帰り.」以前は、脂ぎった中年女と思っていたが、所帯を持ってみると、そうでもない。慣れって、恐ろしいな、と思いながら、「なあ。墓って何の為にあると思う?いや、違うな。墓参りって何の為にあると思う?」と澄子に尋ねてみた。
「墓が何の為に、っていうのは哲学的でよう分からんけど、墓参りは何の為って言われれば、身内とか知人とかにお参りして供養することやろ?信心深い人は、六地蔵さんとか、無縁仏とか、自分とこでなくても毎日拝みにいくで。」
「そうやろ?それがや。」俺は、本庄弁護士と傍聴に行った裁判の元々の事件を澄子に聞かせてやった。
ある男が、若くして亡くなった親友の墓参りに毎月訪れていた。
その日は、雨が続いた後のピーカンだった。
男が、バケツに水を汲んで来て、さあ、墓参りの儀式をと、さっさと掃除していたら、どこかの男が、バケツと柄杓を借りに来た。
男は、以前、水を汲む井戸の所にバケツや柄杓が無くて困ったことがあった。見渡すと、墓参りしている人はそんなにいない。
持って帰る人がいるのだろう。公共のものを、しかもバケツや柄杓という、墓参りの必需品を持って帰るなんて。
男は、それから、家から持参するようになった。手ぶら男は、男の事情を聞いたが、尚も食い下がった。
「ちょっと、だけやん。先に貸してくれてもええんやで。」男は言った。
「ウチの所有物ですから。貸せません。それに、あなたが又貸しするかも知れないし。」
手ぶら男は、カッと頭に血が上った。図星だったからである。ヒトには借りたモノ返せと言う癖に、自分は借りたモノを返せない、又貸ししても、又貸しした相手にいい顔をして、借りた人間には、野放図。そんな人間だと見抜いてしまったのだ。
男の女房らしき女が来た。「何、してんの、ハヨお参りして帰ろう。」
「こいつが、墓地のバケツを譲らへんねや。」と、手ぶら男は嘘をついた。
女は、墓地の水くみ場のものが金物だと知っていて、目の前の男のバケツや柄杓がプラスチックであることを確認した。
「ちょっと貸してください。すぐ終わりますから。」「ウチから持って来て、まだお参りもしてへんのに貸せる訳ないでしょ。」
手ぶら男は、女房の手前もあったのだろう。男がお参りしようとしていた墓石に向かって、手ぶら男はドンと突いた。男は転げ、骨折した音が鳴り響いた。
たまたま墓参りに来ていた、本庄弁護士が110番をした。男は脊柱管狭窄症で、しかも、腎臓の病気も持っていた。外からも内からも、一気に男を死に追いやることになった。病院に搬送する途中で亡くなった。男のお名前カードから、墓に眠る霊と男の名前が違うことが判明した。里で分かったことだが、バケツや柄杓には男の名字が書いてあった。
手ぶら男は、本庄弁護士に弁護を依頼してきた。
接見に行って、手ぶら男が罪を逃れる為に『心神耗弱』ということにして、本庄弁護士に言った。
「30点!赤点の人は弁護しない!!墓参りに来て殺人なんて言語道断。目撃者もいるわ。他を当たることね。」
本庄弁護士は、正義漢溢れる弁護士で、南部興信所も中津興信所もEITOもお世話になっている。
「で、今日、公判に行って、先生と一緒に座ってたんや。あんまり男が勝手なこと言うから、『30点!』って先生が叫んだんや。そしたら、裁判長が注意する前に、検察官が『30点!』って叫んだんや。傍聴席から笑いが溢れて、裁判長も苦笑してたわ。」
「何で?検察官まで。」「検察官は、本庄先生の同期の検事や。釣られて言うた。」
「いやいや、女房の墓参りにつきおうてきたから、こんなことになった。アホな男や。自分の家の墓でも同じことしたんか?ってその検事に言われて、黙ってた。」
「勝手なことの中身は聞かんとくわ。あんたは、いつでも正義の味方やサカイな。」といいながら澄子は衣類を脱ぎ始めた。
夜中、3ラウンドで『我慢してくれた』澄子はいびきをかいてねていたが、俺は悪夢から目を覚ました。
夢の中では、藤島ワコが、俺に向かって、『兄ちゃんが不倫してくれへんから、倉持君、頂いたわ。』と言い、ニッと笑っていた。
俺は、トイレに行った後、眠れなくなった。夢の続きは見たくなかったから。
30.【お薬手帳は何の為】
○月〇日。
「お帰り。どうやった?」
「やっと終った。ふう。」
澄子は、昆布茶を出した。「お疲れさま」の意味や。
南部興信所に依頼者が訪ねて来たのは1年前や。
依頼内容は、素行調査。嫁は、いつもガミガミ言って、次の日に仕事に出て行くのが分かってて『1日1万歩』をしろ、と命令をする。一緒に歩いたことはない。宗教に填まっていて、毎日、重労働だから、それくらいは歩いている、と言う。見れば、依頼者は、少し小太りには違い無い。1日1万歩歩いたところで、必ずダイエット出来るとは限らない。
嫁は、殆ど料理をしない。家事は、たまにやる掃除くらい。ビデオのセットやPCの動かし方を知っていると威張るが、自分と大差ないようにも思える。思いあまった原因は、薬。薬の飲み過ぎだから痩せない、などと言い出した。
とうとう、嫁は非現実的な行動を起こした。宗教のせいか、偏執的な傾向があるのは分かっていたが、依頼者が通院しているクリニックに、知らぬ間に乗り込んで医師に説教を始めた。
医師は根気よく説明し、ダブっている薬なぞない、無駄にはなってないと説明した。その為に『お薬手帳』があり、医師がダブった薬を処方したり、日数回数指定が間違えたりすると。提携している処方箋薬局が問い合わせてくる、ダブルチェックをしている、と説明した。
依頼者が、膝の故障があるため、無理に歩かないように医師に説諭されていることを知ると、嫁は激高した。「藪医者!」と罵って帰って来て、自分に通院を止めるよう、命令した。
そして、知らぬ間に薬を捨ててしまった。
南部所長は、涙を流しながら、幾ら年の差婚で、人生観が違ってても、やることが極端だ。所長と総子は、30歳以上離れていて一緒になった。お互いに引く所は引いている。
その嫁と依頼者は14歳違いだ。一回り以上違うカップルとは言え、所長夫妻程離れてはいない。問題は、誰が見ても『性格の不一致』だ。
依頼者は、苦労して、再度薬を処方して貰った。依頼者は糖尿病で高血圧だ。心筋梗塞になったこともある。だから、薬は多めなのだ。血糖値の薬、血圧の薬、心臓の薬、皆一緒になった薬なぞ無い。
無理矢理歩かされた結果、痛み止めや湿布薬も増えた。リハビリもして貰っているのに、頑固な嫁の為に体全体が悪化した。
俺は、本庄先生に言われて、多額の保険金をかけていないか調べた。
保険会社は、『保険金詐欺の疑いがある』と一言だけ言えば、チャッチャと調べてくれる。保険会社は『なるべく払う額が少ない方がいい』というポリシーがあるから、協力的だ。
幸か不幸か、保険金は、一般的なものだった。友人も、宗教団体も簡単に話してくれた。『嫌われている』。俺のカンは正しかった。救いようがある性格なら、人は口が重くなる。『冷えた、ふかしいも』、それが、嫁のあだ名だった。
この『ふかし』は『吹かし』だ。詰まり、はったりだけで『実』がない。宗教団体が、彼女を追い出さないのは、宗教団体の関連政党の選挙の際に、その『ふかし』が役に立つからだ、と言う。友人も部下(と呼んでいるが、後輩)も、食事を奢ってくれるから仕方無く付き合っていた。
本庄先生は、再三夫婦に面会をし、離婚を勧めた。調停は終った。
そして、依頼者は、天に召された。俺は、葬儀には行かなかった。代わりに所長が行ってくれた。俺は、所長に業務連絡を受けただけだった。
物思いにふけっていた俺は、「チン」という音に我にかえった。
「出耒たで。」と、澄子はトースターから『ふかし芋』を取り出し、アルミホイルを解いて、割って2つの皿に載せ、俺に軍手を指し出した。
「お前、優しいな。やっぱり、ふかし芋は、冷めたら旨ないわな。」と、俺は思わず呟いた。
―完―