機動戦艦ナデシコ The Blank of 3years Another story 作:ルーチェ
長い間激しい戦闘を繰り広げていた地球と木連だが、ナデシコの介入によって「戦う理由」がなくなってしまった。
ボソンジャンプの演算ユニットを宇宙のどこかに飛ばされてしまったのだから、地球・木連双方ともこれ以上の戦闘は無意味だと判断して休戦条約が結ばれた。
その結果として双方の協調と公共の利益を求めて新しい政治体制を整えることこそが民衆へのプロパガンダともなると軍上層部の人間は考えた。
まあ簡単に言えば「同じ人間なんだから戦うのではなくお互い仲良やりましょう」ということである。
それが恒久的なものではないとしても平和が訪れたことには変わりはなく、庶民にとっては理由や経緯や軍の面子などどうでもいいことだ。
木連側も熱血クーデターで草壁を失脚させて和平路線を推し進めている優人部隊の若手将校が地球連合との融和に積極的であったため、木連が加わった「新地球連合」が正式に樹立したのだった。
それからしばらくして地球と木連の調停会議が火星で行われることに決まった。
実際のところは火星極冠にある遺跡に関する問題を話し合いで解決しようということであり、旧ナデシコクルーは遺跡の解明に一番近道な人材として招集されることとなる。
過去への未練を断ち切ったつもりでいたのだが、私の首にはあのペンダントがある。
私がナデシコに現れた時から身につけていて、私の過去の断片ともいえるものだからずっと外せずにいた。
もしこれがタダのペンダントであったなら外すことにためらいはなかっただろう。
しかし裏面に書かれた「イサミへ、愛を込めて」というメッセージを見るたびにこれをプレゼントしてくれた人のことを考えてしまうのだ。
木連の誰かであることは間違いないのだが、その人が私のことを女性だと認識していたということ。
私にとって最大の秘密を共有していたくらいだから、特別な人であったことは間違いない。
そして彼は私のことを愛し、そして私も彼のことを愛していたから身につけていたわけで、そんな大切な人を忘れたままにしてはおけない。
一度はこのペンダントを手放そうとしたのだが、そんなことをしたら顔もわからない誰かとの大切な絆を失ってしまうことになると踏みとどまった。
たとえ二度と会えない人であっても一度結んだ大切な縁を相手の許しもなく一方的に断ち切ってしまうことに罪悪感を抱いたためだ。
そして私も旧ナデシコクルーたちと一緒に火星へと赴くことになった。
火星に行けば優人部隊の人間に会えるだけでなく詳しい話を聞くことができるだろうとのことで、アカツキさんとミスマル提督が手配してくれたのだ。
もっとも理由はそれだけではない。
私の記憶が戻っても戻らなくても関係なく、多くの人たちの思惑が複雑に絡み合っている現状で私はそのキーパーソンであるため地球側、特にネルガルは私を手放したくはない考えており、本人の意思とは無関係で強制的に招集したというのが真相であると私は考えている。
火星に向かうシャトルの中で、私たちは今回の招集についていろいろと話をしていた。
私は隣の席のルリちゃんに話しかける。
「私も一緒に連れてこられちゃいまいしたね…」
「仕方ないですよ。あなたもナデシコに乗っていましたから。それに例のA級ジャンパーの誘拐事件が解決していないんですから、イサミさんだけ地球に残してきたら護衛が手薄になってしまいます」
「みんなと一緒にいた方が安全ってことですね」
「そうです。草食動物が群れから離れたとたんに肉食動物に捕食されてしまうのと同じです」
「わかりやすい例えですね、艦長」
「はい。それに木連からは優人部隊の方が来るそうですから、イサミさんのことを知っている人がいるかもしれないとアカツキさんが配慮してくれたんですよ」
「ええ、エリナさんから教えてもらいました。正直な気持ち、嬉しいですけどもうどうでもいいって感じですね。記憶が戻るのではなく他人から情報を得るだけですから。それも私にとっては辛いものばかりです」
「イサミさん…」
私の顔を見てルリちゃんが不安げな声になる。
余計な心配をさせてしまったと察し、私は微笑みながら言った。
「ですが過去の自分がどんな人間であったとしても、過去を含めて私を受け入れてくれた艦長や旧ナデシコのクルーのみなさんがいるところが私の居場所。それで十分です。そしてそんなみなさんと一緒に慰安旅行ができるのだと思えば楽しいものです」
記憶がないことで常に不安を感じていたがゲキガンシティでの一件で過去の自分の断片を手に入れた。
それは他人から与えらえた情報だけで記憶が戻ったわけではないのだが、過去にこだわったせいで知らない方がいいことを知ってしまったと後悔している。
するとあれほど求めていた過去よりも未来だけを見つめて歩いて行くことこそが大事だと思うようになり、それ以来不安はなくなった。
考え方ひとつで人とは大きく変わるものなのだ。
しかしアカツキさんが優人部隊の人たちに会えるようセッティングしてくれたのだからその点については感謝はせねばなるまい。
もしかしたらペンダントの送り主のことがわかるかもしれないのだから。
(ただ…それも知らない方が幸せだったということにならないといいんだけど…)
私の胸中は複雑だ。
これまでは私にとって辛かったり哀しい情報だけが集まっていくだけで、記憶を取り戻す気配はまったくない。
だから自分の身の上に起きた知りたくもないことばかりが私の過去を
そんなものはこれ以上欲しくはないが、幸せな過去がほんのひと欠片でもあったらそれを得られる機会をみすみす捨てるなんてこともできないのだ。
私がそんなことで悩んでいることなど知らず、他のメンバーも招集の理由について疑問を口にしていた。
「でも何でオレたちも呼ばれたんだ?」
通路を挟んだ隣の席のアキトさんが会話に加わった。
「地球・木連ともに我々の持つ『遺跡』の知識が欲しくてたまらないのさ」
斜め前の席に座っていたアカツキさんが脚を組んだまま姿勢を変えずに言う。
「本体はナデシコのYユニットに載せて太陽系の外に飛ばしちまったからなぁ。あとはあん時オレたちが手に入れたデータだけってことか」
私の前の席のウリバタケさんが身体を捻ってこちらを向きながら言った。
「そう。特にこのプレートね」
アカツキさんの隣の席のイネスさんは遺跡内部で過去の自分から受け取ったプレートを取り出し眺めている。
するとエリナさんがイネスさんのプレートを覗き込みながら言う。
「そのプレートの謎が解ければ、ボソンジャンプの解明に役に立つのよね」
「だけどオレたちがいたところで大して役に立たないだろ? イネスさんみたいに遺跡の知識があるわけじゃないんだし」
アキトさんやユリカさんはA級ジャンパーなのでイネスさんや私とまとめて一緒に護衛しようということで連れて来られたのではないかと私は想像したのだが、しかしそうではなかったらしい。
アカツキさんがさも当然という顔で言った。
「テンカワくんたちはエステに乗って調査隊の護衛をするんだよ。いつまた戦争が再開するかわからない状況だ、
「そういうことか…」
アキトさんは渋い顔をしながら呟いた。
たしかに地球と木連は共通の目的 ── 火星極冠遺跡の謎の解明のために一時的に手を結んでいるにすぎない。
また和平交渉の途中であるため双方が異常なほど神経質になっていて、何か小さな火種でもあればそれが大火事にもなりかねない状況である。
新地球連合も表向きは同じ人類同士仲良くしようということになっているが、長い間戦争を繰り広げてきた因縁や恨み辛みをそう簡単に帳消しにすることはできないし、あわよくばボソンジャンプの技術を独占したいという欲にまみれた連中が上層部にいる以上は相手を警戒するのは当然だ。
それに私が遭遇した木連無人メカによる襲撃や、ゲキガンシティに謎の敵が攻撃をしかけてくるなど一触即発のキナ臭い状態が続いているのが現実であるからお互いにある程度の武装は必要だ。
ただし双方の話し合いで機動兵器の運用はあくまでも第三者による襲撃に備えたものであり、過剰な武装は相手を刺激するからと戦艦は不可として機動兵器のみとなっている。
つまりアキトさんたちエステバリスのパイロットは護衛兼雑用係ということなのだ。
私は事態がまだ緊迫していることを感じていた。
しかし旧ナデシコのクルーたちはそういう状況であっても暢気なもので、それが逆に心強く感じられる。
それぞれが楽しそうに会話をしていたり、特にすることもないからとシャトルの機内誌のクロスワードパズルを解いたり、目玉の絵が描かれているふざけた柄のアイマスクをして爆睡している人など勝手気ままに火星までの時間を潰していた。
調停会議が行われるのは新しくできたホテルに隣接したコンベンションホールである。
地球側の代表はミスマル提督を始めとした数人の軍幹部の人間で、木連側からは熱血クーデターで草壁を追放した優人部隊の若手将校たちが出席している。
双方はホールの左右に分かれて座っていて、旧ナデシコクルーたちも地球側の席に着いた。
会議はお互いの自己紹介から始まった。
木連側から始まり、続いて地球側である。
軍幹部から順に回っていき、旧ナデシコクルーたちの番が回ってきた。
最後に私が立ち上がって挨拶をしようとすると木連側代表団の月臣元一朗、秋山源八郎、高杉三郎太の3人から驚いたような声が上がった。
「い、イサミ…生きていたのか…」
「おい、元一朗。本当に
「顔はそっくりだけど、あの人は女性じゃないですか」
3人は私をじっと見つめている。
あきらかに彼らは木連時代の私、
しかし私には彼らの記憶はなく、とりあえず微笑みながら自己紹介をした。
「ナデシコB艦副官の早乙女イサミです。どうぞよろしくお願いいたします」
そう挨拶をしてから自分の席に座り直した。
その日の会議で旧ナデシコクルーに極冠遺跡の調査と解明が命じられた。
新地球連合の名のもとに旧地球連合と木連の中からの人選で特別調査団が結成され、木連側から高杉大尉が代表して旧ナデシコクルーたちと共に行動することに決まった。
会議が終了すると参加者はぞろぞろと会場を出て行く。
ロビーを歩いていると優人部隊の3人が旧ナデシコクルーの一団を追いかけて来た。
目的はきっと私だろう。
月臣少佐が私たちを呼び止めた。
「待ってくれ!」
旧ナデシコクルーたちがその声に反応して一斉に振り返る。
「あの…イサミ…さん、いらっしゃいますか?」
やはり月臣少佐は私に用があるらしい。
私は彼の前まで歩み出ると事情を知っている旧ナデシコクルーたち気を遣って私だけを残して先に行ってしまった。
「はい、私に何か御用ですか?」
一人残った私は月臣少佐に尋ねた。
月臣少佐たちは信じられないものを見たといった感じで唖然としている。
さっきの挨拶の時も反応もそうだったが、間違いなく彼らは私のことを知っているのだ。
それも優人部隊の男性士官であった早乙女イサミとして。
だから女性のイサミが目の前にいるとなれば信じられず、その真相を知りたいと思うのは無理もない。
「みなさんは優人部隊時代の私のことをご存じのようですね。でも…すみません。私はみなさんのことをまったく覚えていないんです」
「どういうことなんだ?」
秋山大佐が怪訝そうな顔で訊いた。
「私は先の火星極冠遺跡での戦闘の際、ボソンジャンプでナデシコに現れました。そのショックでそれ以前の記憶がすべて失われてしまったのです。…過去の一部については
「すべて忘れてしまった !? オレのことも、か…?」
月臣少佐が驚いた顔で訊く。
「はい、申し訳ございません」
哀しそうな顔をする月臣少佐。
それを私は見逃さなかった。
彼の表情は秋山大佐や高杉大尉とは明らかに違うのだ。
この二人は残念だという顔なのだが、月臣少佐だけはなぜか哀しそうな顔で私をじっと見つめている。
何かを言いたげな様子なのだが、彼は唇を震わせているだけだった。
「月臣少佐、どうかしましたか?」
「い、いや…何でもありません。…それより、今晩のレセプションにはみなさんも参加するんですよね?」
「ええ」
「オレ…いやオレたちも楽しみにしているんですよ」
「私もです。…そろそろ行かないといけませんので、また後でお会いしましょう」
私は月臣少佐たちと別れ、旧ナデシコクルーたちの後を追った。
その夜、私たちはレセプションパーティーのために着飾って会場となるホテルへと向かっていた。
木連側代表団と地球側の軍幹部たちは大会議場のに付随したホテルに宿泊しているのだが、私たち旧ナデシコクルーたちはホテルのある中心部から車で10分ほど離れた郊外の宿泊施設を割り当てられていた。
マイクロバスに乗ってホテルに到着したメンバーはパーティー会場へとぞろぞろ入って行く。
扉を開けて中へ入ると、パーティー会場はすでに大勢の客が集まっていて非常に賑やかである。
そこへ着飾った旧ナデシコクルーの若い女性たちが加わったことによりさらに華やかになった。
地球側のお偉いさんはその殆どが中年男性であり、木連側は男性だけなので、パーティーに花を添えるのは旧ナデシコクルーの女性たちしかいないのだ。
だから私にもその”花”となるようにという意味でロイヤルブルーのイブニングドレスとそれに合わせたティアラがネルガルから
このドレスはエリナさんがチョイスしたもので、ティアラの青い石がCCだというのは万が一の時のことを考えてだということだ。
会場内を歩いていると、私の姿を見つけた月臣少佐が駆け寄って来た。
相変わらず優人部隊の白い制服を着ている。
優人部隊の白い制服 ── 彼らにとってこれが彼らの正装であるとともに矜持の証なのだ。
「やあ、イサミさん。お待ちしていました。…そのドレス、とても似合っていますよ」
「どうもありがとうござます。私、こういうドレスって今まで着たことないんです。だから褒めていただいてすごく嬉しいです。それより月臣少佐こそ、その優人部隊の制服がよくお似合いですよ」
「はは、そうですか。ありがとうごさいます。あの…それで、そのペンダントは…」
彼は私の胸にかかっているペンダントに気づいたようだ。
ネックラインが深く大きくカットされた大胆なドレスなものだから例のペンダントは意識しなくても見えてしまう。
そして私の胸元にそれを見つけた彼が少し驚いているように見えるのは私の見間違いではないと思う。
「これですか? これは恋人から貰ったものらしいんです。でも私はその人のことも覚えていなくて…。私ってダメですね。そんな大切な人のことも忘れてしまうなんて…」
「本当に何も覚えていないのか…いえ、何でもありません。ところで ──」
月臣少佐は何か言いたかったようだが、そのタイミングでユリカさんの呼び声が届く。
「イサミさーん、そろそろ始まりますよー」
「もうそんな時間なんですね。あっ、高杉大尉も少佐のことを呼びに来たようですよ。…では、失礼します」
私が一礼をして向きを変えると、それと入れ違いに高杉大尉が月臣少佐に声をかける。
「少佐、みなさん集まっています。少佐もお願いします」
「ああ…」
「少佐、どうかしましたか? 顔が赤いですよ。会場の暖房が効き過ぎてますか?」
「な、何でもない。行くぞっ!」
月臣少佐はそう言って木連の人たちのいる方へと去って行く。
私は振り返って彼の背中を見て思った。
(月臣元一朗…彼は私にとって特別な人だと感じる。国分寺博士の話だと私は彼の部隊に配属されたというけど、それだけが理由じゃない。そんな気がする。彼ならきっと私の知らない私を知っているに違いない。もう一度ゆっくりとお話しできるといいんだけど…)
後ろ髪引かれる思いで私はパーティーの輪の中に加わった。
パーティーも無事に終わり、参加者はそれぞれホテルの自室や宿舎へと帰って行く。
私は月臣少佐と話をしたかったのだがパーティー中にその機会は訪れず、結局挨拶をしただけで終わってしまった。
なにしろ彼は木連側の中心人物だから常にそばに人がいて話しかける隙がなかったのだ。
でもチャンスはまだある。
翌日から私たちは極冠遺跡に向かうことになるが、地球・木連の間にトラブルがなく無事に帰って来ることができれば会って話をする時間くらい取れるはずなのだから。
旧ナデシコクルーたちは二次会に行くとことなり、街へと繰り出した。
夜道をいくつかのグループに分かれて賑やかに会話をしながら歩き、私はイネスさんと話をしながら一番後ろをついて行く。
「イネスさん、ちょうどいい機会ですので遺跡のことについてもう少し教えていただけませんか? 私は他の方と違ってあまり詳しいことを知りませんので」
「いいわよ。…今までの観測やわたしの研究の結果からすると、火星極冠にある遺跡こそがすべてのボソンジャンプを制御する中枢であることは間違いないわ。だから遺跡の機能を解明すれば誰もが自由に生体ボソンジャンプをできるようになる可能性がある。いいえ、それどころか時空制御の全貌を解明できれば現在の宇宙論そのものを書き換える真の統一場理論すら構築できるかもしれない。でもわたしたちはその大事な遺跡のコアを宇宙の彼方へ飛ばしてしまった。まあ、そのおかげで地球・木連両者がこうやって理性的に話し合ことができたわけだけどね。あのままでは互いが全滅するまで戦っていたかもしれないのだから、結果的にはよかったと言えるわ。科学の進歩も使う人がいなければどうにもならないんだから」
イネスさんがコートのポケットから例のプレートを取り出す。
「とにかく遺跡のコアを回収するには時間がかかる。なんたって慣性飛行している上にそのステルス性能がフルに発揮されていて今どこを飛んでいるのかさえ不明で、探そうったって手掛かりはまったくない状態なんだから。つまり現時点においては遺跡の謎を解き明かす手掛かりはこのプレートだけなのよ」
「それってイネスさんが子供の頃にボソンジャンプをしてしまった過去の自分から渡されたものなんだそうですね」
「そうよ。これが何らかの記憶媒体であることはまず間違いないのだから、その再生方法さえわかれば…」
私とイネスさんはゆっくりと歩いていたので他のメンバーとはずいぶん離れてしまっていて、他のメンバーはすでに30メートルくらい先の大通りの角を曲がってしまった。
「あっ、みなさんもうあんな所に…少し急ぎましょうか?」
「イネスさ~ん、こっちこっちー。早く来ないと先に行っちゃいますよー」
すぐ手前に路地があり、そこからユリカさんの声が聞こえた。
イネスさんは素直にその路地へと入って行く。
(あれ? おかしい…みんなこんな所に入って行ったっけ?)
私は足を止めたが妙な胸騒ぎ覚えてイネスさんを追った。
すると突然、目の前に二人の黒い人影が現われた。
フルフェイスのヘルメットと黒い戦闘服で身を包んだ人物は自動式拳銃をこちらに向けている。
とっさに私は逃げ場を探して後ろを振り返ったがそこにも同じ黒服の男が一人いて、すでに前後をはさまれてしまっていた。
「イネス・フレサンジュ博士ですな?」
イネスさんの正面にいる男が威圧的な低い声でしゃべった。
「だとしたら?」
拳銃を向けられているというのにイネスさんは怯えることなく平然としている。
「おとなしく同行していただこう」
「地球連合の方かしら? それとも木連? どちらにしてもわたし一人を確保したからといって遺跡の秘密はわからないわよ」
「うるさい! 俺たちに逆らうな!」
男は銃の安全装置を解除して脅しをかける。
これは本気だと察した私はとっさにイネスさんを庇おうと前に出た。
「イネスさん、逃げて!」
しかしイネスさんは動じずに言った。
「大丈夫よ。わたしに死なれたら困るのは向こうなんだから」
「黙れ! おとなしく俺たちに従えばいいんだ!」
その言葉をきっかけに戦闘服の男たちは襲いかかってきた。
しかし次の瞬間、私たちと男たちの間に銃撃の火線が走り、男たちの足が止まる。
続いて何もない空間に人間の形をした
さらにそれは実体化し、その容姿がはっきりと見えてきた。
光学迷彩を解除して現れたのはアキトさん、高杉大尉、イズミさんだった。
それぞれ軽機関銃や自動小銃をかまえており、銃口はすでに男たちをとらえている。
「やっぱり出たな!」
「どこかの強硬派がはねっかえるのは予測済みだぜ」
「説明おばさんは渡さないよっ」
「だーれが説明おばさんかっ!」
怒ってイズミさんの方へ行こうとするイネスさんを私が止める。
「イネスさん、前へ出ちゃダメですっ!」
その隙を突こうとして男の一人が体勢を変える。
するとアキトさんたちは銃弾を男たちの足元に浴びせかけた。
それだけではない。
私とイネスさんを囲んでいた男たちはいつの間にか路地の抜け道の方に追いやられている。
アキトさんたちの出現が絶妙なタイミングだったのだ。
「くそっ! 撤退だ!」
あわてて逃げて行く黒服の男たち。
「待ちなさい!」
「やめときな」
後を追おうとする私を高杉大尉が制する。
「でも敵の正体を…」
「今は和平交渉の真っ最中なんだぜ。どっちかの陣営が抜け駆けしようとしてるなんてことが明るみに出てみろ、また戦争になっちまう。だから明らかにしない方がいいのさ」
「それに…どちらかの陣営かはもう見えたしね。しかもこんなものまで用意して…」
イズミさんは何かを拾いながら言った。
それは変声機だった。
これを使ってユリカさんの声で私たちを誘導したのだろう。
「あの身のこなし…火星の低重力に慣れてない。地球側だな」
「さすがですね」
私はアキトさんたちの冷静な判断に感心してしまった。
特に普段の寒いダジャレやギャグでその場を凍らせるイズミさんからは想像できない有能さには脱帽だ。
「ま、今日のところはもう襲っちゃこねえだろう。ヘヘン…さっさと飲み行こうぜ」
高杉大尉は遺跡調査団に加わることが決まってからまだ数時間しか経っていないというのに、旧ナデシコクルーのメンバーの雰囲気にだいぶ馴染んでしまっているようだった。
翌日、私たちの宿舎の前には巨大なトレーラーが何台も集まって来ていた。
車両誘導の掛け声やバックブザーの音がトレーラーのエンジン音に混ざって非常に騒がしい。
遺跡のある極冠まで車で10日間をかけて向かうということで大量の食料や日常雑貨などが必要となり、その準備だけで丸一日かかってしまうほどだ。
そんな中で私たちも出発の準備に追われそれぞれ荷造りをしているが、同時にイネスさんの護衛も行わなければならない。
昨夜あんなことがあったのだから当然だ。
以前から木連の極右勢力や地球の過激派と思われる連中によって様々な事件が発生していたが、それはすべて火星の「遺跡」を手に入れてボソンジャンプの独占を企んでいるためである。
だとすれば今回の遺跡調査を黙って見ているはずもなく、イネスさんとプレートを守り抜かなければならないと極秘に護衛計画が練られていた。
そしてアキトさんたちが密かに護衛していたわけだが、昨夜のようなことが実際に起きたとなれば”次“があるのはまず間違いない。
なお私が護衛の件について知らなかったのは私の情報不足ではなく、ゴートさんをリーダーとした護衛メンバー以外にはイネスさんを含めて誰にも知らされていなかったからである。
シャトル内での会話でアキトさんたちパイロットは護衛兼雑用係という話だったが、その護衛の内容が身内にすら内緒にされていたというのだから念の入りようは半端じゃない。
必要な物資は地球から運んで来たが、個人の嗜好品や細々としたものは現地調達となっていて、荷造りをしている私たちのところに買い物かごを持ったミナトさんが現れた。
「これから買出しに行くんだけど…ユキナちゃんも来る?」
ミナトさんは笑顔で、ユキナちゃんに声をかけた。
「行く行く!」
「ねえ、みんな。みんなの欲しいものリストは昨日のうちに提出してもらったけど、他に追加はないわね? …じゃ、行って来るわ」
そう言いながら颯爽と出て行くミナトさん。
その後をユキナちゃんがちょこまかとついて行く。
そこへゴートさんとジュンさんが現れた。
「念のためだ。アオイ君、ミナト君たちの護衛を」
ゴートさんがジュンさんに指示をする。
「はい」
ジュンさんはミナトさんたちの護衛のため後を追って出て行った。
さらにゴートさんの合図でイズミさんが無言のまま外に出て行く。
念には念を入れてということらしい。
今のところイネスさんは大勢の人間に囲まれているから手の出しようがないので安心だが、他の旧ナデシコクルーが狙われる可能性はある。
そういった意味だろう。
それから1時間ほど過ぎた。
荷造りの方もほぼ終わった頃、町へ買い物に行ったミナトさんたちを護衛しているジュンさんからゴートさんのコミュニケに連絡が入る。
「大変です! ミナトさんが攫われました」
「ちょっと、それどういうこと?」
イネスさんがゴートさんに駆け寄る。
彼女だけでなく私とウリバタケさんも作業の手を止めてジュンさんの声に耳を傾けた。
「すみません、僕がほんの少し目を離した隙に正体不明の連中に連れ去られてしまいました」
「昨日イネスさんを狙った連中の仕業でしょうか? それとも別の人間が…? どう思いますか、ゴートさん?」
私がゴートさんに訊くと、彼は難しい顔をして腕を組みながら言った。
「わからん。しかし今動けばフレサンジュ博士の護衛が手薄になる。その陽動かもしれぬ。アオイ君、ここはひとまず帰ってきてくれ」
「わかりました」
戻って来たジュンさんとイズミさんの話によるとミナトさんたちが買い物をしている最中にジュンさんがほんの少し目を離してしまったことで正体不明 ── 黒ずくめの忍び装束の男ということだけはわかっている ── の敵にミナトさんが攫われてしまった。
店の外にいたイズミさんが追いかけたのだが敵の動きが素早く、さらにどういう仕組みかわからないが一瞬で姿が消えてしまったというのだ。
ジュンさんとイズミさんは申し訳なさそうな顔でうなだれているが、これは誰が護衛についていても防ぐことはできなかったと私は思う。
ひとまず敵の出方次第ということになり、荷造りや荷物の運び込みの作業を続けることになった。
昨夜はイネスさんが、そして今度はミナトさんが狙われた。
目的は例のプレートであることは間違いないが、敵は地球側の人間なのだろうか? もしくは木連の人間?
それとも別に敵がいるのだろうか…?