その後輩は、今思えば変な奴だった。
西日が差し込む放課後の図書室。1人、黙々と本を読んでいた私に用も面識もないというのに話しかけてきて。
曰く『気になったから声をかけてみた。今は何を読んでいるのか』、と。
そう問いかけてきた割には、さしてそれらに興味が無い様子であった、というのは今の私が持った偏見からだろうか。
それから度々、放課後の図書室に顔を出すようになった彼女。その度に雑談を振ってきて、いつしかそれが当たり前になって。
今日の体育はしんどかった。今日の学食は当たりだった。そういえば理科の田中先生は結婚するらしい。
そんな感じの、取るに足らないありふれた雑談の応酬の数々。その日に見聞きした話を挙げては、各々の見解を述べるだけ。それがなんだか心地よく、思わず話が弾んだ日も少なくなかった。
しばらくして、学校以外でも話したいと言ってきた後輩に押される形で連絡先を交換し、度々連絡も取るようになった。
夜、1人、部屋で本を読んでいる時に『明日、雨らしいですよ』と言ってきた彼女に『それなら、明日は傘を忘れないようにしないとね』返信、しばらくしてから返ってきた熊がサムズアップしているスタンプは記憶に新しい。
そうやって、学校内で親睦を深めて。学校外でも親睦を深めて。
休日、一緒に映画を見ようと誘われても二つ返事で頷くくらいには仲良くなっていた私と彼女。
最近巷で流行りの恋愛映画で気になる、と誘われたときには『なんで私を?』と思いはしたが、『まぁ、いいか』と。そう思ったくらいには進展していた。
上映中、彼女の右隣に座りながらボーっと映画を眺める。
別につまらなかったわけでは無かったが、自身の価値観と大きく離れた恋愛劇であったので、あまり共感を持てなかった。映像も、音響も、ストーリーもすべてが洗練されていて、確かに噂になるだけはあると思えるものだった。ただ、刺さらなかっただけ。
そんな最中、急に彼女に手を握られた。
椅子の脇の腕置きに置いた左手の上に、覆いかぶさるように乗せられた彼女の右手。人肌に暖かくて、ほんのりと湿っていて、ふんわりと柔らかくて。
最初は重ねるだけだった掌は、次第に指を絡めるようになり。自身の五指の隙間に彼女の指が入りいる。
私はその、彼女の慣れたような手つきに、『あぁ、もしかして』、と。
なんとなく、その日の結末を予感した気がする。
その日、私は処女を散らし、彼女からの連絡も以降途絶えた。
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ぺらり、と指先でゆっくりとページをめくる。
ゆっくりと、確かめるように。
本の中身は所謂ミステリ。ちょうど三人目の被害者が出てきたほどの、40ページ目。10ページ間隔ほどで人が死んでいる物語は果たしてミステリと言っていいのか、むしろサイコスプラッタと呼んだ方が適切な気もするが、まぁ、ミステリと呼んでも問題はないだろう。きっと、おそらく。
ぺらり。
再度、ページをめくった。
思い返せば、このように静かな読書の時間は久しぶりかもしれない。
ここ、図書室はもちろんのこと、家でも度々送られてきた彼女のメッセージに返信をしていたから。
放課後、誰もいない図書室の隅で若干の寒さを覚えながら、一人黙々と本を読む、なんて。去年までは当たり前だったというのに。
あれから、彼女と話をしないまま一か月が経過した。
放課後に姿を現すことも無ければ、携帯電話にメッセージを送ってくることもない。一回試しに適当なスタンプを送ってみたが、既読になるだけで反応は無し。
当然同じ学校で生活しているのだから見かけること自体は何度かあった。学年が違う私たちだから、少なくはあったが、何度かは確かに視界の隅には捉えたことを覚えている。
だが、まあ。
(別に話すこともないし……)
居なくなったのなら、別にそれでいい。
元より私は一人だったのだ。特段気にすることもない。
一回性行為を私と彼女の間で挟んだことで気まずくなったのか、それとも私には興味が無くなったのか、はたまたそれ以外なのか。理由は分からないが、彼女は私といないことを選んだ。
私も別に彼女を愛していたから自身の純潔を奉げたわけでもない。単純に、興味本位とその場の流れ。
前世に男だったころの記憶を持つ私は、女性としての性行為に若干の興味があった。ちょうどよく、私を抱こうとしている相手がいたから、私もその誘いに乗ったというだけの話。ーーまぁ、彼女のことを女の子だと思っていたので、若干驚きはしたけど。
ぺらり。
本をじっくり読み進める。
物語はなかなかに面白い方向に進んでいる。50ページ目の殺人の被害者は双子の姉妹だ。これで名実ともに被害者の登場平均は10ページおきだ。残り200ページほど、現在生きている登場人物の人数は主人公を含めて後8人。
このままのペースだと、ページ中央ほどで登場人物全員が死亡しそうなほどの勢いだ。
まぁ、そんな話なんて書くわけはないだろうけれど。でも、ちょっと見てみたい気もしてしまう。本の真ん中ほどでキャラクター全員が死亡したために、残りのページは真っ白、みたいな異常な話を。
そうなっていたら、柄にもなく声を出して笑ってしまうだろう。もしかしたら、腹を抱えて地面に這いつくばるかもしれない。
読者とか、エコロジーだとか、それとミステリという文化とか。そう言ったものすべてに向かって中指を立てるようなロックな作品、かも。
思い切って、ページをだーっ、と勢いよくめくってしまいたい衝動に駆られた。左手の親指に力を込めて、高速で、残りのページを順番に、高速に。それで本の途中から真っ白なページが大量に表れてほしい。
きっと、そっちの方がずっと面白いから。だって、今の本の展開じゃあ、結末は酷くつまらないモノになるだろうから。
そんな風に、自分の中から湧き出る衝動と戦っていると
ガラリ
と、図書室の扉の開く音が聞こえてきた。
その音を聞いて、なんだか懐かしい気分に陥る。
そう言えば、彼女が放課後に来ていた頃はこんな感じだったな。そしてそのまま、一直線に私の元まで寄ってきて
は、『今日は何読んでいるんですか、先輩?』なんて、甘えるように聞いてきて。それからーー
「……先輩」
ーー少し、驚いた。
もう二度と聞くことは無いのではないかと考えたその声が、背景から聞こえたからだ。
コレまで聞いてきた声よりも、若干低く聞こえる。それに、テンションもあまり高くはない。コレが、素なのだろうか。それとも、単に気分が悪いだけなのか。
私にその答えは分からない。
「ーーなんで」
「ん?」
彼女は続けた。自身の中の鬱憤を曝け出すように。
「なんで、あれから連絡してこなかったんですか?」
その質問を聞いて思い浮かんだ最初の言葉は、『何を言っているのだろう』。
連絡をしていないのは私だけでは無く、彼女もそうだろう。むしろ、自分から連絡を送ることも、会いに行くこともなかった私と、その正反対だった彼女。どちらが能動的に交流を避けていたかなんて火を見るよりも明らかだろうに。
そして、彼女の質問に対する回答は無限に持ち合わせている。
別に、会わなくてもよかったから。
別に、話さなくてもよかったから。
別に、思い入れなんてなかったから。
別に、別に、別に……。
別にという言葉がある通り、どっちでもよかったのだ。会ってもよかった、話してもよかった、気にかけてもよかった。
けど、それらの為に自身が労力を割こうと思えるほどに意欲的ではなかった。それだけの話。
彼女はあれから変わったようには見受けられない。
薄茶色の髪も、薄くあしらった化粧も、少し大きめのサイズの制服に、逆に着られているような恰好も。
何一つとして変わってはいない。
つまり、彼女は出会った段階でこんな感じの人間であったという訳だ。
自分から連絡はしないが、連絡はしてほしい。自分からは離れるが、近寄ってきてほしい。
そういった矛盾が、生まれつきのものなのか、コレまでの経験から生じたものなのか。はたまた、その両方なのか。
それを知る術は私には無かったが、わかったことが一つだけある。
「存外、めんどくさい人間なんだね。君は」