まあ。枯れても良いのだけどね
酷暑続きだった夏が終わり、過ごしやすい秋が来たと思えば、段々と肌寒くなって冬の気配をじわじわと感じ始めた今日この頃。
薄着で快適なアウトドアを楽しめるのも、もしかしたら今日で最後かもしれない。
思い立った日が吉日。放課後でちょっと疲れているけれど、私達は街はずれの小さな公園に来ていた。
小さな、と言っても学校二、三個分の広さはある、一般的に見たらかなり大きな公園だろう。
ただ、近くにもっと大きな、学校何個分とか考えるのも億劫になるような巨大公園があるのだ。
そうなると、どうしてもこっちに"小さい"という接頭語を付けたくなってしまうのは人の性だろう。
そう、人は隣立つと、どうしても比べてしまう生き物なのだ。
例えば――そう、この花畑のような。思い思いに咲き誇る花々だけど、取り分け注目を集める花と、そうでない花があるように。
例えば――そう、子供達があつまる学級のような。個性豊かな子供達だけど、そこに成績序列やスクールカーストが存在するように。
例えば――そう、私の隣に立つ親友と私。
小学生の時から、高校生になった今も、ずっと途切れる事なく、いつも一緒にいる私と彼女。
ずっと同じ渦中にいる二人は、いつもいつも比べられて成長してきた。
私よりも綺麗な瞳。私よりも綺麗な髪。私よりも綺麗なまつ毛。私よりも綺麗な手。私よりも、私よりも、私よりも。
――人は、比べてしまう生き物だ。
「ひゃっ!?」
首筋に冷えた感覚が走り、思わず変な声が出てしまった。
骨格が軋むぐらいの勢いで反射的に振り向くと、冷えたペットボトルを片手に、いたずら気に笑う親友の姿があった。
いつの間にか自販機で飲み物を買っていたらしい。
ネバついた何かを綺麗な水で洗い流してから口を開く、出た声は自分でも驚くほど透き通っていた。
「ありがとう……あ、お金払うよ、いくらだった?」
「いいよいいよ、お礼はその笑顔で十分さ!」
「あはは、何キャラよそれ」
彼女の裏表を感じさせない表情に、自然と頬が緩む。
立て板に水を流すようにおしゃべりを続ける私達は、少し迷惑かもしれないけれど、そう見られても構わないと思ってしまうぐらい、この時間が楽しかった。
私は視界の端で狂い咲いている一輪のアネモネに気が付く事もなく、秋風で散らばった彼女の綺麗な黒髪に手を触れた。
「貸して、編んであげる」
散らばった髪を一つに束ね、三つ編みに纏めていく。
こうしていると、小さかったあの頃を思い出す。教室で髪留めが壊れて泣いちゃった私に、彼女は自分の髪留めを解いて、三つ編みを編んでくれたのだ。
肩に垂れた三つ編みを見て喜び、駆け込んだ手洗い場の鏡に映った自分を見て大喜びして、思わず飛び上がってしまったのは今でも記憶に新しい。
――そして、お風呂あがりに、もう一度自分で三つ編みを作ろうとして、どうしても上手くできずに、泣いてしまったのも、記憶に新しい。
結局、見かねたお母さんがやってくれたけど、鏡に映った不格好な三つ編みは今でも私のトラウマだった。
思えばその頃から……なのかもしれない。少女だった私に蒔かれた小さな種は、少しずつ、少女の成長と共に芽を出し、共に成長し、ついには花を咲かせた。
移ろいゆく秋の花畑に、たった一輪だけの血のような花を。例えば――そう、傷ひとつなく狂い咲くアネモネのような花を。
「……どうしたの?」
「ううん、なーんにも。……ほら、出来たよ」
「えー三つ編みなのー? もう高校生だよ」
肩に垂れた三つ編みを見た彼女は口を尖らせて不満を漏らした。そりゃあそうだ、三つ編みは可愛いけれど、高校生がするにはちょっと幼すぎるファッションだった。
実際はまだまだイケると思うけれど、大人ぶりたい私達には、ちょっと厳しいチョイスだ。
――今の私なら、もう苦も無く三つ編みを編めるし、三つ編みを編みたいとも思わない。
でも、確かにあの時の少女は泣いていた、それは覚えている、忘れる事なんて出来ない。
快晴だった空は、いつしか少しだけ、灰色の雲が増えてきた。まだ空は明るいけれど、それも時間の問題かもしれない。
日差しが減り、少しずつ冬の寒さを見せ始めた公園の中には、ちらほらと冬服の恰好をした人も増えてきた。
少しぐらい暑くても長袖を着ている私と違い、まだ半袖の彼女は苦笑いしながら鳥肌が立った腕を摩っていた。
私はお返しも兼ねてホット珈琲を自販機で二つ購入し、一つを彼女に手渡した。もう一つは彼女のポケットに突っ込んだ。
「えぇっ、な、なんで!?」
てっきりもう一つは私が飲むと思ったのだろう、間髪入れず大げさに驚いた彼女に、私は手を振って答えた。
「だって、ポケットに入れてたらあったかいでしょ」
「あ……うん。ありがとう」
赤い顔ではにかむ彼女に、私もにっこりと微笑んだ。
彼女の透き通るような唇に、真っ黒な珈琲が吸い込まれていくのを、私は薄っすらと微笑みながら眺めていた。
缶だからすぐに全部飲み干し、傍にあったゴミ箱に捨てた彼女は、少し血色を取り戻した体で歩き出した。
髪の先端に結ばれた真っ赤なリボンがゆらゆらと揺れている。
逆光に照らされた彼女の背後に、黒と赤の影が伸びる。太陽に照らされた色とりどりの花々は、彼女が通り過ぎるほんの一瞬だけ影に包まれ、その色をなくした。
*****
足元の小さな小石を靴底で転がしながら、ゆっくりゆっくりと公園を歩いていた私達の前に、また一つ、小さな分岐路が現れた。
少しだけ眉を顰めた彼女は、どっちに行こうか思案している。そんな彼女の手を取り、迷わず左の道を選択する。
迷いのない私に不信感を覚えたのか、それともただの降って湧いた疑問なのか、彼女が首を傾げながら私に訳を尋ねてくる。
「んー、直感?」
「えー、何それー」
お互いにどこか上の空な空空しい会話が続く、もうかなり追い詰められているのだろう、彼女の目線はどこにもなかった。
花畑に目を奪われていた太陽のような彼女はもう、どこにもいない。
砂利が混じった硬い砂地に、硬い黒靴の底が擦り付けられる音がする、彼女がくねくねと足を捻っているのだろう。
いつの間にか、私は彼女の前を歩いていた、まるで先導するように、まるで誘惑するように。
「あ、自販機あるよ、ホット珈琲飲むよね」
彼女の返事を待たず、また二つ缶珈琲を購入する。
自販機はすぐにボタンを押すとすぐに答えてくれて、熱い熱い缶珈琲をガタリガタリと、二つ落とした。両方とも彼女のものだ。
「え、えっと……うん、ありがとう」
「……どういたしましてっ!」
受け取った缶コーヒーを眉を顰めながら眺めた彼女は、小さなため息を吐いた後、目を瞑って中身を少しずつ飲み下している。
小さな嚥下音を背景に、私は口元を少し歪ませながら、彼女の細かく震える膝を眺めた。また一本、彼女のお腹に真っ黒な珈琲が落ちた。利尿作用がとても強い、どす黒い悪意に満ちた液体が。
そう、何を狂ったのか、私は彼女を失禁させようと、少ないお小遣いをはたいて缶珈琲を次々と購入している。
彼女は知っている。私が毎日節約を重ねている事を。
彼女は知っている。私はあなたの為なら何でも出来るという事を。
私と違って穢れていない純粋無垢な彼女は、私の"善意"で渡された缶珈琲を拒めない、疑問にすら思わない。
当たり前だ、彼女が失禁し、大恥をかいたところで、いったい私に何のメリットがあるというのだ。
ない、そんなものは何もない。
だだ――そう、花に水を与えてみたい。真っ赤なアネモネに、彼女の恥じらいを注いでみよう。
熱水で枯れるか、あるいは……そう、もっと美しく花を咲かせるか。
どっちでも構わない、だってこんなに苦しくて愉しいのだから。
彼女は知らない。私があなたをずっと見ている事を。
彼女は知らない。私は自分の為なら何でも出来るという事を。
彼女は知らない、気付いてもいない。
無垢だった少女の心に、花が咲いた、その事を。
許してほしい、仲良くして、嫌わないで。
だからせめて、誰もいない、人気のいない場所で。二人っきりの小さなお花畑で。
あなたの事を、何よりも大切に想っている無二の親友の前で。
どうか、水をください。
*****
次第に細くなっていく道の最後、何度も何度も分岐点を繰り返した末にたどり着いたそこは、様々な色味の花々が咲き乱れる無秩序な空間だった。
ただ一つ言うならば、どの花も良く咲いていた。赤いバラも、ピンクのガーベラも、白いコスモスも……あぁ、青いリンドウまであるじゃないか。
誰かが植えたという訳ではないだろう、誰がこんな小さな終着点に花を植えるというのだ。こんな場所、誰も見向きなんてしない。きっと他所から種が飛んできたに違いない、全部……そう、天然ものだ。
彼女はヨタヨタと私の後を付いて来て、その綺麗な瞳に花畑を映した。あるいは映していないのかもしれない。私が立っているここは道の終着点、ここから先に道はない、ただの狭い原野が続いているだけだった。
けれども、床は意外としっかりしていた、誰も使っていないからか、綺麗に加工された木の床が広がっていた。穴場、というやつかもしれない。
だけれども、ここは人工と自然の境界であることに変わりはない。ここより先に道はない。
「……」
彼女は青白い顔を更に青くさせて、途切れた木目の板を眺めていた。茫然と立ち震える彼女は自分の手が足の付け根に伸びている事にさえ気が付いていない。
何かを期待していたのだろう、道はどんどんと細くなっているというのに、そんな事から目を背け、ただ私の後ろを歩いて来たのだろう。
私の先に道はない、つまり可能性は、ない。
「ねぇ、写真を撮ろうよ」
ここには色んな花が咲いている、本当に色んな花が。
ここを背景に二人っきりの写真を撮る事が出来たなら、それは一生の宝物になるだろう。消える事のない、ずっとずっと心に残る大切な宝物に。
一緒に宝物を作ろう、二人っきりの、この場所で。さあ!
「あ、あのね……! て、手を握って欲しいの」
手を伸ばした私を前に、不意に彼女がそう言った。
風のない静かな時間が訪れる、まるで私達の周りだけ時が止まっているようだった。
止まった世界の中で、私の手を取った彼女が言葉を重ねた。上擦った、悲鳴のような声だった。
「ひ、引くかもしれないけど、その……ずっとトイレ! 我慢してて……もう限界というか、戻ってたら確実にやっちゃう感じで……」
祈るように私の手を握った彼女は、小さく震えていた。
動けない私の足元に、小さな種が飛んできた。風が出てきたらしい。
私の手は、私の手が勝手に彼女の手を握り返した。熱い、熱い手だ。
何時からだっただろうか、彼女と手を繋がなくなったのは。
心から出たのだろう、押さえられない安堵の嬌声を聞きながら、私はぼんやりと過去を振り返った。
なんの種かも分からない、小さな小さな種は、水に弄ばれて沈んでいった。