WWWを草と笑えない恐ろしい世界   作:じぱんぐ

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34.君の名は。

 その日の火野ケンイチはいつにも増して気が緩んでいた。

 オフィシャルに課せられた仕事はどれも彼にとっては物足りず、欠伸交じりでも十分こなせてしまっていた。

 

(燃えねーなー……)

 

 椅子の背もたれに上半身を預け、両手を頭の後ろで組んだヒノケンの目が遠いものになっていく。

 

――あの頃は本当に良かった、と爺臭い感傷に浸った彼の脳裏に浮かんだのは学生時代のことだった。

 何も難しいことも考えず、喧嘩に明け暮れる日々。心底真面目に最強を目指し、不良の中での天辺だけが目標だったあの頃は本当に良かったものだ。

 しかし、時は残酷で、卒業に近付くにつれて同士たちは喧嘩から離れていった。

 生きる為に職を手にし、家庭を持ったことで磨き上げてきた牙を自ら捨てる者ばかり。中には暴力団に入った者もいたが、それも純粋な殴り合いには程遠い。ヒノケンの望む、血を滾らせるものではなかった。

 周りに流されるようにして大学に進学し、燻る気持ちを抱えたまま卒業した彼に待っていたのは刺激の無い日々。

 そんな彼に転機が訪れたのは、いつだったか。

 公然と暴れられない気持ちを発散させる為、電脳世界で相棒のナビと共にヤンチャしていた際に、あのDr.ワイリーから声がかかったのは。

 本気で世界を壊す老人の狂気に触れ、その熱に感化された時も実に良かった。

 ファイアマンの凶行を止めるべく、誰もが必死になって挑んでくる。喧嘩していた頃を彷彿とさせる熱がたまらなかった。

 特に光熱斗とロックマン、あのコンビとのバトルは最高だった。

 絶対に負けられない気持ちがひしひしと伝わってくる、あの熱。ヒノケンとファイアマンへ真っ向から挑む気概。どれもこれも素晴らしい。

 好敵手と呼べる存在に遭えたのも、WWWに入団した甲斐があったというものだ。

 しかし、そのWWWもDr.ワイリーが消息不明となったことで解散となり、その機会も失われたものだと思われた。

 が、ネット警察に捕まり、更生措置を受けたところでそれに恵まれるとは思わなかったが。

 

――仕事なんぞ放りだして奴らと思う存分戦いたい

 

 熱い血潮が、生きている実感を味わうことのできる瞬間を望んでいるからこそ、今はその欲求に蓋するしかなかった。

 今ならば、かつての仲間たちの気持ちがわかる。

 庇護下にあった子供のように思うが儘、動く訳にはいかない。衣食住を得る為には働く他に選択肢など無いのだから。

 その職が望ましいものでなくとも、だ。

 それに監視用プログラムが組み込まれたPETでは脱走してもすぐに足が着いてしまう。

 

『ヒノケン様!』

「どーしたぁ? ファイアマン?」

 

 管轄であるコトブキエリア付近の警邏に向かわせたファイアマンから緊迫した声がかかる。目線をPETに落とせば、ファイアマンの前にその背丈くらいの氷塊が生えていた。

 

『どうやら通信を阻害する効果のあるプログラムのようです』

「科学省の連中に連絡入れとくか」

 

 報告用のメールを送信して1分足らずで返信が返ってくる。

 

「破壊せよと仰せだ。ファイアマン」

『了解!』

 

 ファイアアームを展開した両腕から放射された炎はあっという間に氷塊を溶かすが、

 

『中からウイルスが!?』

「そのまま殲滅しろ!」

 

 中から飛び出てくるウイルスに対してもファイアアームをお見舞いしてやり、撃ち漏らした相手も、

 

「バトルチップ【バーニングボディ】! スロットイン!」

 

 ファイアマンの周囲から噴き出る炎によって難なく駆除される。

 拍子抜けの結果にヒノケンは肩を落とし、再び上半身を後ろに倒す。

 

『他にも似たプログラムがあるようですが』

「破壊しろ」

 

 通行の邪魔となる氷塊を次々溶かしていくのだが、

 

『……オレの炎が効かない!?』

「……なんだと?」

 

 予想外の報告に前のめりとなったヒノケンが見たのは、先程の氷とは色違いのもの。全体を炎で包まれているのだが、溶ける気配は全くない。

 炎を扱うナビとしてファイアマン以上は存在しないだろうという自負が、この事実を許せなかった。

 

「ファイアマン! オーバードライブだ!」

『了解……!』

 

 それは実践投入するには無謀な技だった。完全に足を止めた上、数十秒のチャージ時間を要するそれはあまりに隙を晒し過ぎる。

 しかし、その威力は絶大。何せオーバーロード寸前までエネルギーを溜め込んだ諸刃の剣だ。

 

「いけぇッ!!」

 

 その叫び声と共に放たれた灼熱はPETの画面を白く染め――ファイアマンの前方を塞ぐ氷塊を消し去った。

 

『ほう。なかなかやるではないか』

『誰だ!?』

 

 もうもうと白煙が上がる中、長身の影が見え隠れする。ファイアマンに攻撃を命じるのだが、まるで当たる気配が無い。

 

『褒美だ。私の姿を見せてやろう』

 

 彼らが攻撃の手を止めた後、悠然と現れたのは身体から水晶を生やしたナビだった。無機質でのっぺりとした顔付きは相手に不気味な印象を与え、如何にも悪役らしい。

 

『お前は何者だ?』

『私はフリーズマン。今からお前を消し去る者だ』

「上等だ! ファイアマン!」

『はっ! オレたちの炎! 消せるものなら消してみやがれッ!』

 

 降って湧いた敵に職務を忘れて彼らは戦いに挑む。

 願わくば退屈を忘れさせてくれるような強敵であってくれ。そんなヒノケンの祈りは見事に叶われるが――彼の表情には苦悶が浮かんでいた。

 

「ファイアマン!」

 

 相手が水属性ということもあり、属性不利だということはすぐに判明した。それでも並大抵の水なら全て蒸発してみせるのがヒノケンのファイアマンだ。炎の男が懸けた意地とプライドは生半可なものではない。

 しかし、現実は悲惨なもので、相手の生み出す氷柱を一本たりとも溶かすことが叶わず、ファイアマンは地を転がるばかり。

 

「くそっ! 【リカバリー120】スロットイン!」

 

 しかも腹立たしいことに、相手はまだまだ余力を残している様子。明らかに、舐められている。

 

『蓋を開けてみれば……実にガッカリだよ』

『まだ……負けてねーっ!』

「そうだ! まだ終わっちゃいねーよなファイアマン!」

 

 フラつきながらも何とか立ち上がる雄姿に、ヒノケンの心も燃え上がる。彼らの全力を前に、未だ手を抜く相手を決して許せはしない。

 諦めなければいずれ突破口は開く。それまで自分にあるものを燃やし尽くして――

 

『みっともない最期を見られるのは辛かろう』

「は……?」

 

 気炎を上げるヒノケンを前に、突如としてPETの通信が途絶する。思わず己のPETを叩くが、画面を覆う砂嵐は決して消えてくれない。

 

「まさか……」

 

 あの氷塊はフリーズマンが生み出したもので――今この瞬間において、彼らを繋ぐ通信機能を遮断してみせたのだとヒノケンは理解した。

 

「おい! PETを貸せ!」

「うわっ! なんだいきなり!?」

「いいから早く! ファイアマンがっ!!」

 

 すぐさま隣で働く職員に掴みかかって自分の要求を訴えるも、相手は目を白黒させるばかり。

 ヒノケンの錯乱振りに慌てて周囲の職員が駆け寄ると、彼の身体を床に抑えつけてしまう。

 

「離せっ! ファイアマンがっ! ファイアマンが俺を待っているんだッ!!」

 

 そしてヒノケンの事情が正確に伝わったのは15分を過ぎた頃で――彼らが戦っていた場所に残されたのはファイアマンだと思われるデータの残骸のみであった。

 

 

 

 

 

 ニホンに帰国して早々、オフィシャル本部へお呼び出しがかかった俺はキャリーケースを転がしてマリンハーバーにやってきていた。

 というのも、国際オフィシャルが開催した会議の報告をする為だ。

 本来であれば日を置いて行われるのだが、どうも俺がニホンを離れている間にゴタついた騒ぎが起きているらしく、早急に情報を欲しているらしかった。

 マサさんはハイジャックの件で、炎山はアメロッパに滞在していることもあり、俺に白羽の矢が立ったという訳だ。

 

『……で、ワタちゃん。そろそろ弁明の方してくんない?』

「何がだよ?」

『もうひとりのぼくって何さ!?』

 

 頬を膨らませてプリプリ怒るシアンに、どうしたものかと首の後ろに手を当てる。

 彼女が詰める理由、それは『渡』の覚醒だろう。

 一応、みゆきさんの店に行った際、『2つの魂』云々でネタバレしたようなものだと思っていたが、どうもその時は気にしていなかったらしい。

 が、今回の一件で明らかに豹変したのだから、気になって当然だろう。

 俺としても未だ混乱していて、まだまだ頭を整理する時間が欲しい。

 

「その辺は……まぁ未来の知識を有してんのに由来しててな」

『へぇ……で?』

「ここで話すのもアレだし、爺ちゃんと一緒の時に話すよ」

(……)

 

 『渡』が目覚めた以上、祖父に話を通すのが筋というものだ。二度手間、という訳でも無いが、往来の場所で話すような内容でもない。

 目的のオフィシャルセンターにも到着したし、先に用件を果たすとしよう。

 受付でPETを提示するついでに荷物を預かってもらった後、エレベーターに乗り込む。未だ慣れない厳かな雰囲気に思わず背筋を伸ばして件の会議室へ。

 

「失礼します」

「お疲れ様。帰国したばっかりなのに呼びつけてごめんなさいね?」

 

 入室した俺を出迎えたのは薄桃色のスーツに身を包んだ真辺鈴警視。それ以外の姿は無いようだった。

 

「紅茶とコーヒー、どちらがいいかしら?」

「いえいえお構いなく。というか貴船総監はいらっしゃらないので?」

「他の件で追われているから、その代理で私が聞くことになったの」

「そうですか。後、他に参加されたオフィシャルの方は?」

「そちらは警視正が聞き取りを行っているわ。それらを精査した後、互いに報告し合う形になるそうね」

「なるほど」

 

 差し出されるカップに礼を述べてから前置きも無く報告を開始する。

 といっても、あの会議で得られた情報は少ない。色々と共有する前にボッシュートされて命がけのアスレチックに挑む羽目になったからだ。

 だから伝えられる内容としては、せいぜいアメロッパに『ゴスペル』の内通者がいたくらいか。

 クリームランドと個人的に懇意にしている件? 当然、伏せるに決まっている。でなければ、まず伝手を得た理由から話さねばならないし。

 一国の姫君に脅迫紛いのことして仲良くなりました、なんて言える訳ねぇだろうが!

 第一、事が露見すれば政治の駒にされてしまう。それでは肝心な時に実働できなくなってしまうし、何よりクソ面倒だ。

 俺が去った後、『渡』に待ち受けるのは平穏に遠い生活など絶対避けなければならない。現状も既に怪しい?

 これから炎山と熱斗を中心にネットセイバーへ活躍をシフトし、俺はフェードアウトすれば良いだけの話だ。まだ間に合うだろ。きっと。

 

「――といった具合です」

「恐ろしいくらい客観的な事実しか言わなかったわね……」

「何か問題でもありましたでしょうか?」

「無いから言っているのよ! 全く炎山くんといい可愛げが無いわね」

 

 むっすりとした様子でクッキーを頬張る真辺警視。俺が報告している間にも結構な量を食していたが、まだまだ足りないらしい。

 メイクでも隠し切れない疲労感が顔に出ているし、ストレス発散も兼ねているのだろう。

 アニメだと太らない体質らしいけれど、血糖値とか引っかからないんやろか?

 

「できれば個人的な見解も聞かせてくれないかしら?」

「余計なノイズになりません?」

「それを判断するのが私や貴船総監のお仕事」

「では懸念点がひとつありまして。各国に配備される筈だったアルティメットブラスター、こちらの扱いについてです」

 

 アルティメットブラスター。それは本来、シャドーマン戦に急遽用意された出オチ武器である。

 原作では『パワードキャノン』に並ぶ見た目だけのガッカリ兵器であったそれは、俺のいる時空だとしっかりとした調整が行われ、フォルテに通じる武器に仕上がったらしい。

 もう一度、言おう。あの()()()()に通じる武器を、だ。

 正直言ってこんなもの量産できるハッキングパパが恐ろしくて堪らない。

 原作同様に一発限りかつ身動きできなくなるデメリットがあるらしいが、それでもファイアウォールなどの破壊には大いに役立つだろう。

 こんなもん世に出回ってみろ。電脳世界の治安が終わるわ。そんな旨を遠回しに伝えてみると、

 

「そうね。ニホン国内に配備する前に()()()退治が必要になるわね」

「いっそのこと廃棄も考慮してみては?」

「対抗手段の所持は必須よ。それをみすみす手放す訳にはいかないわね」

「そうですか……」

 

 どことなく不安を覚えるが上の判断が覆ることはあるまい。ひとまずできることはしたので、すっかり冷めきった紅茶を一気に飲み干す。

 

「それでは失礼します」

「あっ、そうだ! せっかく来たんだし、(すぐる)さんに会ってはどう?」

「祖父に、ですか? 今日はアポ取ってませんけれど?」

「家族と会うのに理由はいらないわ。私が話を通しておくから」

 

 真辺警視がぽんと手を合わせてそう提案してくる。無碍にするのも申し訳ないと頷きを返すと、彼女は俺にウインクしてから内線に手を伸ばす。

 仕草は可愛いけれど、やっていることは確実に権力でぶん殴っているんだよな、これ。

 

「これで良し! 聞けば全然会いに行ってないみたいじゃない! さぁ、行った行った!」

 

 こうして彼女に背を押されるようにして、俺は会議室を追い出されるのだった。

 

 

 

 

 

 荷物を自宅に置くついでに祖父の着替えやら差し入れを持って今度は科学省へ向かう。

 今更ながら小学生の立場でオフィシャルセンターや科学省の関係者ポジションになるとは思わなんだ。就職の際、コネでどうにかできそうだけど、『渡』的にはどうなん?

 

(ぼくの夢? 今はパイロットかな?)

 

 あぁ、うん。飛行機のコクピット入って完全に影響されてんのね? 小学生だし、将来の夢がコロコロ変わるのは珍しいことではない。でも、訓練とか厳しいし、国家試験に通らなきゃいけないから今から準備しないとな。

 

(じゃあやめとく)

 

 挫けるの早過ぎぃ!

 といった具合に覚醒以降、『渡』と脳内会話みたいなのが可能になっていた。

 といっても、常時交信することはできず、『渡』が目覚めている数時間だけらしいが。後は先程みたいな難しい話だと引き籠ってしまって出てこない事もある。

 なかなか難儀だが、転生直後に比べたら大分進歩した方だろう。

 将来的には俺が『渡』のポジションに着いて、徐々にフェードアウトしていきたいところではあるが、具体的な手段は未だ見えてこない。

 

「あーっと……先程真辺警視から連絡がありました、隠岐渡です」

(すぐる)主任のお孫さんね。いらっしゃい」

 

 受付に話を通して祖父に与えられた研究スペースに向かう。つーか、しれっと主任にスピード昇進している件。全然聞いてないんですけど!

 移動すること十数分。待合室と違い、機械音があちこちから響く広大なスペースの中、2m近くある巨大な人影があった。パワードスーツを着込んだ祖父その人である。

 拡声器を用いて指示を飛ばしながら祖父は伸縮するアームを生かして機械の天面部分を弄っていた。

 色々と知識が不足している俺には何をやっているか、さっぱりわからん。

 

「爺ちゃん!」

「おぉ渡か! また大きくなったな!」

「爺ちゃん程じゃないよ!」

「すまん皆、休憩を先にいただく!」

「いえいえ! どうぞごゆっくり! 僕たちも19時間ぶりの飯だ!」

 

 祖父が断りを入れた途端、あちこちで休憩ムードに入る。てか、19時間も食事してないとか頭おかしいだろ、この職員たち。エグゼ世界に労基はいないのか。

 

「まったく……この老いぼれに気を遣わんでもいいのに。騒がしいところですまんな、渡」

「いいよ別に。爺ちゃんはちゃんとご飯食べてる?」

「若い頃と違って身体が保たんからのう。2食はしとる」

 

 パワードスーツを装着したまま作業スペースを出た祖父と並んで彼の研究室へ向かう。

 ハッキングパパに与えられたそれよりこじんまりとしていたが、個室を与えられるだけ十分な貢献をしてきたことが窺える。

 

「茶のひとつも出せんですまんの。どうれ、食堂にひとっ走りして好きなもの用意させるぞ?」

「いいよ別に。オフィシャルセンターの方でいただいて来たから」

「そうか……辛かったら別にやめても良いのじゃぞ?」

 

 明るい表情そのままに祖父がそんなことを切り出してくる。深刻にしていては俺が気遣うと判断してのことだろう。

 

「まぁ、今のところは問題ないよ」

「本当にそうかの?」

「うん」

 

 ぶっちゃけ夏休みの間にもマリンハーバーでの爆弾処理に始まり、『ゴスペル』構成員疑惑からのアジーナスクエア救出、アメロッパ城内での一幕と、なかなかにハードな思い出ばかりだ。

 でも、納得はしているのだ。勿論、『渡』からの了承も得られている。

 確かに遊びたい欲求はひしひしと伝わってくるが、それでも祖父の為にどうにかしたい気持ちは俺たちの中で一致している。オフィシャルを辞める気は無い。

 

「話があると聞いたが、これじゃないと?」

「もっと大事な要件があるんだ」

 

 俺は目を閉じた後、ゆっくりと深呼吸を繰り返す。

 余計な情報をシャットアウトするように、両手で耳を塞いで精神を集中させる。

 

――これから行うのは、飛行機で起きた再現だ。

 

 といっても全部が全部、同じ状況にする必要はない。あの時感じた、俺と『渡』の感情を一致――シンクロさせる。

 互いの境界線を曖昧にして、俺の意識を深く沈みこませるイメージ。

 あの時は『渡』の強烈な感情に引き摺り込まれたが、今回はどうも違う。手を取り合い、バトンタッチするようにして、俺の代わりに『渡』が浮上していく。

 徐々に五感がぼんやりと遠のき、全身を薄い膜で覆われるイメージ。夢を見ている感覚に近いだろうか?

 

 そして、俺たちは入れ替わる。

 

「お爺ちゃん」

「……わた、る?」

「ずっと心配かけてごめんね」

 

 近いけれど決して触れられることのない精神世界で、ふたりの再会を眺める。

 『俺』とは違う少したどたどしい口調に、祖父の顔が固まる。だが、それも長くは続かず、皺の多い顔が更にしわくちゃとなった。

 

「わたるぅ……」

「うん」

「本当に、お前なのか?」

「うん」

 

 生身よりもずっと器用に動かせる機械を腕をどけて、枯れ木のような手を孫に向けて伸ばす。それをくすぐったい感情で受け止める孫に、祖父の顔は涙と鼻水で更に酷いことになっていた。

 

「……では、あの人格は?」

「まだここにいるよ」

 

 渡はそっと自身の胸に手を当てる。『俺』にもじんわりと掌の熱が伝わってくる気がした。

 

「完全に戻ってきた、という訳じゃないんじゃな?」

「ずっとは無理。お爺ちゃんと話してられるのも何分できるかわかんない」

「そうか……」

 

 その一言にどれだけの思いが込められているのだろうか。『俺』にも渡にもきっと全部はわからない。でも、悲しい気持ちにさせたくて、再会させた訳じゃない。

 

「でも、もうひとりのぼくが取り戻すって」

「精神科医には頼らんのか?」

「これはきっと、こころの病気じゃないから」

「そう、かの」

 

 科学者である祖父が信じてくれているかはわからない。けれど、渡は自分の思うがままを伝えている筈だ。

 

「そろそろ、限界」

「渡!」

 

 渡の視界がぐらりと揺れる。それと同時に『俺』の周囲から膜が消え、仮初の身体が徐々に浮上していく。

 

「大丈夫。消える訳じゃないから」

「また、会えるかの?」

「ぜんぜん、よゆー」

 

 海面から浮き上がるように、身体が引っ張り上げられていく。渡との心がぺりぺりと引き剥がされ、境界が元へと戻っていく。五感の結びつきを取り戻していく。

 そして、俺たちは再び入れ替わる。

 

「あーっと……もう少し時間置きます?」

「良い。まだ()からも話があるようだしの」

 

 袖で乱暴に拭った祖父――(すぐる)さんとの距離感は他人のそれになっていた。これが当然で、むしろ今までがおかしかったのだ。

 俺は、赤の他人どころか、孫の大事な時間を奪う加害者でもあるのだから。

 

「では改めまして……この度は大変申し訳ありませんでした」

 

 英さんに向けて深々と頭を下げる。本当ならば土下座でも足りないのだが、お孫さんの身体でそこまでさせられない。妥協ではあった。

 

「顔を上げてくれて構わんよ。それより、話が聞きたい」

「では失礼して」

 

 姿勢を正し、英さんと向き合う。

 

「渡は……孫は君を別の人格だとは思っていないが、君もかの?」

「証明する手段はありませんが、そうですね。この身体の、『隠岐渡』には無い記憶を俺は持ち合わせてます」

「そうか。では、非科学的ではあるが……渡の身体に乗り移ったと考えても?」

「恐らくは。ですが、その理由が俺にも良くわかっていません。気が付いたら3年前のあの病院で目が覚めたんです」

「ふむ。病院か……あるいはあの事件で君を植え付けられたと考えても良さそうじゃの」

「思考が飛躍し過ぎてません?」

「孫を……孫が信じる者を儂が信じんでどうする? 内的要因で無ければ、外的要因に目を向けるべきじゃろ」

「御尤も、と言って良いのやら……」

 

 先程のボロボロ具合が嘘のように英さんは淡々と状況を整理していく。未だ混乱している当事者より冷静で頼りになるわ、この人。

 

「深堀りする程、情報は持ち合わせておらんようじゃな。君にも聞くが、渡は本当に消えておらんのじゃな?」

「はい。とはいえ、あの状態って結構精神的に消耗するみたいで。今は何も返事してくれないですね」

 

 これは帯広シュンと会話した後と同じく、『渡』は休眠状態にあると思われる。まぁ、前回と同じであれば、数時間で回復する見込みだ。

 まぁ、『渡』の精神が()()と感じられなかったら、不安に駆られてたかもしれんけども。

 

「君と入れ替わっている状態でも渡の意識はあるのか」

「えぇ。といっても、頭の中で話せるようになったのは最近のことなんですけどね」

「そうか。だから今までその事実を伏せていた、と?」

「少なくともこうして精神の入れ替わりでもできなれば、信用されるとは思わなかったので」

 

 これで俺の罪の告白は終わりだ。こうして孫の身体に居座っている以上、裁かれることもなく、祖父である英さんは泣き寝入りする他にない。残酷な仕打ちだとは思う。

 けれど、このまま伏せている訳にもいかなかった。

 

「俺の軽率な判断で、大事なお孫さんの身体を傷付けてしまったことは申し訳ありません。けれど、これからも辞めるつもりもありません」

「ほう。無茶をする大層な理由があるのかね?」

「大層って程ではありませんけど。渡と、貴方の命を守りたい」

「渡と、儂の……?」

「今のニホンって結構危ない事が起こる感じでして。大変身勝手ではありますが……渡は弟。貴方を祖父のように思ってまして。助けたいと思ってはおかしいでしょうか?」

 

 自分で言っていて、ふざけた本心だと思っている。一方的に家族だと思っているなど、彼にとってはゾっとする思いだろう。でも、それでも俺の醜いけれど、本心だ。

 彼にもう嘘はつきたくない。

 

「オフィシャルに入って……危険に身を晒す行いがそうだとでも?」

「家にじっと引き籠ってても電化製品に囲まれている環境じゃあ決して安全とは言えないんで。それだけ世界がヤバいんです、ここって」

「君は……一体?」

「俺はこれから起こる未来を、大まかに知っています。そいつを防がなきゃ、俺たちに、貴方がたに平和はない」

「俄かに信じがたい……」

「普通はそうです。だから信じてくれなくてもいい。ですけど、邪魔だけはしないでください。お願いします」

 

 大変身勝手な願いだ。英さんから制止されようとも振り切ってやろうとしている、自己中野郎だ。

 でも、約束してしまったんだ。『渡』の、一方的なものだけど。

 帯広シュンの計画をぶっ潰して、改心させるのだと。ひいては世界を救う事に繋がるのだから無茶振りにも程がある。

 けれど、身体を借りている家賃くらい支払わねばなるまい。

 

「渡は、納得しているのじゃな?」

「えぇ。というか今回、お孫さん自身が喧嘩吹っ掛けてるんで」

「止めは、してくれないんじゃな」

「国際的な問題に発展したり、貴方に顔向けできない行為でなければ。俺に止める権利なんて無いですよ」

 

 そう言ってから数十秒程。英は難しい顔をしたまま、黙りこくる。

 怒って、いるのだろうか。悲しんで、いるのだろうか。

 結局、どうのこうの言って、彼の心を蔑ろにしてしまう俺は大したクズ野郎だ。

 

「わかった。儂も協力する」

「本当ですか?」

 

 そして、今回もその厚意に甘えてしまう。本当に情けない奴だ。こんなんで、『渡』のヒーローである筈が無いっていうのにな。

 

「あぁ。漢に二言は無い」

「環境維持システムについて詳しく聞かせてほしいです」




ここの主人公、いっつも祖父の顔曇らせてんな




導入部分のくせして長くなり過ぎたのは本当に申し訳ございません
次回でフリーズマン編は終わらせてぇなぁ……
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