夜が訪れ、私は
だが、その夜は違った。
深い闇。音のない空間。どこまでも沈むような静寂。
「……ここは……?」
目を開けても、見えるのは漆黒だけ。感覚も希薄で、重力すら曖昧だ。けれど、唯一確かに“いる”と分かるのは、自分の存在だけ。夢にしては妙にリアルで、魔素の感覚すらある。違和感と不安がじわりと胸を締めつけた。
心の奥底で、何か異様な気配を感じ始めていた。だが、それが何であるか、はっきりとした形は掴めない。漠然とした恐怖が包み込み、動けなくなる。
そんな中、足元からざらり、とした感触が走った。
「えっ……?」
見下ろせば、暗闇の中から“根”が伸びていた。太く、ぬめりを帯び、まるで生き物のように蠢いている。それが足首に絡まり、冷たい圧を与えてくる。
「何……これ……?」
反射的に根を引き剥がそうとした。しかし、その根はしなやかな力を持ち、こちらの抵抗をものともせず、どんどんと体に絡みついていく。腕にも、脚にも、次々に根が巻き付き、動きをどんどん封じ込めていった。
「ちょっ……や、やめて……!」
必死に抵抗しようとする体は、どんどんと縛られ、ついには腰まで根が絡みついた。根はさらに伸び続け、体全体を包み込むように締め付ける。徐々に強まる圧迫感に、恐怖を感じた。
「誰か……誰か、助けて……!」
叫びたいのに、声が出ない。思わず心で叫んだその瞬間、浮かんだのは、あの金色の髪を持つ彼女。
(ラミリスさん……!)
だが、その名を呼ぶ前に、夢は唐突に終わった。
目を開けると、そこは見慣れた
「夢……だったんだよね……?」
心臓がドキドキしている……と感じそうになり、ふと気がつく。自分には心臓など存在しない。汗もかいていない。精神生命体の自分にとって、動揺を感じるのは、まるで遠い昔の感覚のようだった。
それでも、夢の中での恐怖は現実のように鮮明に残っていた。魔素が微妙に乱れているのを感じる――精神的な不安定さが魔素の流れに反映されているのだろう。
私は眠気を追い払うように立ち上がり、夜の
「前に……絡まったから、あんな夢を見たのかな……」
ふと思い出した。以前、
「……私、あの夢に何か意味を感じてる……?」
だが、特にその根に何か異常があるわけではない。
無意識にたどり着いたのは、
少し不安な気持ちを抱えたまま、目の前に広がる輝きを見つめ、太い根に腰を下ろした。輝く魂たちは静かに漂い、その無垢な存在感が心を少しずつ落ち着けていく。
「……みんな、何か知ってる?」
もちろん返事はない。それでも語りかけたくなるくらい、不安だった。
だが、そんな穏やかな時間は長くは続かなかった。
――ざわり。
空気が揺れた。気配の正体を探ろうとした瞬間、
《告。以前確認された
「……また……っ!?」
振り返れば、そこに“いた”。
漆黒の衣。無機質な眼差し。意思を感じさせない沈黙の佇まい。以前現れた“黒い悪魔”が、魂たちの漂うこの神聖な場所に立っていた。
思わず喉が鳴った。ラミリスさんを、反射的に呼んだ。
(ラミリスさん!助けて……!)
――応答なし。
(お願い……応えてよ……!)
何度呼んでも、彼女から返事はない。不安が怒涛のように押し寄せてくる。
そんな時、頭の中に、ギィさんの声が蘇った。
――自分でどうにかしろ。
「……そう、だよね。逃げちゃダメだ」
だが、この場所は神聖な魂たちの眠りの場。ここで戦うわけにはいかない。
私は静かに目を閉じ、
(お願い……この存在を隔離して……)
根が蠢き、空間がねじれる。異空間が静かに開かれ、黒い悪魔はまるで吸い込まれるように、そこへと消えていった。
「……やった……」
安堵の息をつく間もなく、私は通信用の水晶を手にギィさんへと連絡を取った。
「ギィさん!黒い悪魔がまた現れたの……今は異空間に閉じ込めてるけど……」
水晶の向こうで、しばしの沈黙。そして――
『異空間に閉じ込めたなら、今はそれでいい。お前が勝てる相手じゃねぇ』
「……よかった、戦わなくて……」
だが安心はできない。
次にどうすればいいのかを考え、結局ギィさんに頼むしか方法を思いつかなかった。
「ギィさん……お願い、黒い悪魔をどうにかしてくれない?」
ギィさんは少しの間黙った後――。
『いいだろう、貸しにしといてやる』
なんか怖いな…。
「貸し」と言われると、何か大きな代償が必要になる気がしてならない。そういえばギィさんも
「お、お願いします……」
――数分後、ギィさんが姿を現した。
険しい顔つきのまま、私に異空間を開くように言って、私はすぐに
ギィさんは一言も言わず、その中へと入り、私はそれを固唾を飲んで見守ることしかできなかった。
やがて、戻ってきた彼の顔には、わずかに険しさが残っていた。
「――アイツ、お前に危害を加える気はないらしい。ただの興味本位だろうな」
「興味って……どうして私に?」
「さあな。ま、奴は
ひとまず大丈夫そうであることに、私は深く息を吐き出した。
だが気になることがある。
ギィさんが黒い悪魔をまるで知り合いのように話していることだ。
「ギィさん、あの悪魔……知っているの?」
「あれはオレと同じ、世界に七柱しかいない原初の悪魔、
「七柱……原初……」
それが何を意味するのか、詳しくはわからない。でも、ギィさんと“同格”の存在だというだけで、背筋が凍る。
「ノワール……やっぱり黒いから?」
色が割り当てられているのだろうか。
では目の前の彼はなんだろうか。
「じゃあ、ギィさんは……?」
「見てわかんねぇか? オレは
「……赤と黒、か……」
「それより、なんでまたラミリスじゃなくてオレを頼ったんだ?まさか……アイツ、また寝てるのか?」
「さっきからずっとラミリスさんに呼びかけてるんだけど、全然応答がなくて……」
「ふん、ラミリスは一度寝るとなかなか起きないんだよ。まったく、困ったやつだ」
とかなんとか言いながら、ギィさんからなんか諦めてるような、ちょっと優しい感じがするので、ラミリスさんのこれはわりとあることらしい。
ギィさんはくるりと身を翻して、去る前にこちらをチラリと見た。
「さっさと強くなれ。次は自分で追い払えよ」
その背が
――負けない。絶対に、次は自分で。
***
後日、ギィはラミリスに、水晶越しに文句を言っていた。
『……ラミリス、お前また寝てただろ』
「へ? 何が?」
『リンの救援要請、完全無視だったぞ。二回も』
「ええー!?」
ラミリスは驚愕し、慌ててリンに謝罪の念話を送った。
(リン!! 本当に本当にごめんね! 完全に寝てたの!)
その謝罪に、リンは少し驚いたが、彼女の必死な様子に苦笑しつつ答えた。
『ううん、大丈夫。でも、次は頼りにしてるよ』
(……うぅ……今度こそは絶対に守るからね! アタシ、目覚まし魔法作る!!)
彼女の全力の謝罪に、私はくすっと笑ってしまった。
頼れる“主”であり、大切な“友”――ラミリスさんの存在が、少しだけ心の支えになった。
そして、私は心の奥で、静かに誓う。
――この場所を、魂たちを、私自身を。
次こそは、この手で守る。
物語は、静かに、しかし確実に動き出していた。