ギィさんに連れられて、再びこの場所へ――彼の領域。
初めて来たときと同じ、いや、それ以上に今は怖かった。
空間の広さも、沈黙も、空気の硬さも――全部が、私を拒んでるみたいだった。
(さっきの……“吸収されそう”って……)
その言葉が、ずっと頭から離れない。
冗談みたいな言い方だったのに。
心のどこかに、ズシリと残っている。
ギィさんが立ち止まり、巨大な扉が音もなく開く。
広間に入って椅子を勧められるけれど、正直、どこに座っても心は休まらなかった。
向かいに座ったギィさんの瞳が、私を静かに見つめてくる。
「……何か聞きたいことがあるんじゃないか?」
その言葉に、震えそうになる声を絞り出す。
「“吸収されそう”って……どういう意味……?」
「……お前がその言葉に引っかかるとは思っていたよ」
ふとした瞬間に蘇る、あの夢――
木に縛られ、根に包まれ、意識がすうっと薄れていく感覚。
あれは……ただの夢じゃなかったのか。
「――お前が魔素を使い果たせば、
「……っ」
言葉にできないものが、胸の奥で詰まった。
ギィさんの声は冷静だったけど、私には――ひどく遠くて、冷たく聞こえた。
「お前は、自然の調和のために選ばれた存在だ。だがそれは……同時に、“そうなる”ことを前提に、存在しているということだ」
つまり、それが……運命?
「選ぶことはできる。受け入れるか、抗うかはお前次第だ」
でも、その言葉はもう、耳の奥にすら届かなかった。
目の前が、じわじわと、暗く染まり始めていた。
そのとき――扉が静かに開く音がして、冷たい風が吹き込んできた。
白髪。深海のような目。
《告。竜種の一体、白氷竜ヴェルザードです》
「ギィ。あなたが
その声が届いた瞬間、私はびくりと肩を震わせた。
でも、怖いとか、反論したいとか、そういう感情すらもう湧いてこなかった。
さっきまでに、全部使い果たしてた。
「まあな。コイツには、それだけの価値がある」
ギィさんの声は変わらない。冷静で、なんでもないことみたいに、私のことを語っていく。
「価値、ね。あなたの言う“価値”は、大抵の場合、力か利用価値のことよね」
「まあ、そうだな。今のコイツは……“素材”ってとこか。だが、面白いだろ?」
……え?
ギィさんの声は、楽しそうだった。
でもその笑みには、温かさも、優しさもなかった。
ただ、駒を並べてる人の顔だった。
この世界のどこかを動かすために、駒を置いて、進めて、見下ろしてる――そんな。
「今後、どう転がっていくか。オレの手駒にしてもいいし、飽きたら放るかもしれねぇ。けど――」
ちら、と視線がこちらに向いた。
「コイツが自分で動けるようになるなら、それはそれで興味深い」
動けるようになったら、って……。
「あなたらしいわ、ギィ。けれど……この子が“自分で動けるようになる”なんて、本気で思ってるの?」
「オレが?思ってねぇよ」
思ってない。期待なんて、してない。
なのに、どうしてここにいるの?
どうして、私を“見守ってる”なんて――
「期待なんざしてねぇ。けどな――ラミリスとミリムが、揃って“面白い”って言ったんだ。それだけで、この駒はひとまず盤面に置いておく価値がある」
“面白い”。
それだけで、生き残る理由になる。
それだけで、置かれる理由になる。
「そんな戯言を、あなたが真に受けるなんて」
「オレが真に受けるわけねぇだろ?ただ、好奇心ってやつだ」
くだらない。
ヴェルザードさんのその言葉が、まるで凍った刃みたいに響いた。
「くだらなくても、そういう遊びをしてる方が飽きずに済む。お前も知ってるだろ?永遠の時ってのは、退屈なんだよ」
「退屈しのぎにこの子を使うつもり?それなら、今のうちに壊しておくべきね」
壊す。
その言葉に、何かが内側でバキッと折れる音がした。
ギィさんの瞳が細められる。
「壊す?……それがお前の“答え”か?」
「この子は弱い。運命に逆らうような意志も覚悟も持っていない。どうせ役目を果たして、消えるだけ。だったら情をかける方が残酷よ」
……役目を果たして、消えるだけ。
壊す前提。
守られる理由も、未来も、ない。
「情じゃねぇ。賭けてるだけだ」
ギィさんの声が、遠くで聞こえる。もう、ちゃんと届いてこない。
「……もしこいつが、自分の意志で抗い出したら――そいつは、退屈しきったこの世界にとっちゃ、小さな異物になり得る」
異物。
世界にとって、異常なもの。
そして――
「そして、そんな異物はすぐに排除される。それがこの世界の“理”でしょう?」
排除される。
それが、この世界。
なら、私は――
「そうなるかもしれねぇ。けど――なら、どこまで抗えるか見てみるのも、面白ぇだろ?」
ギィさんの言葉。
でももう、意味が入ってこなかった。
私は今――なんなんだろう。
「……本当にあなたって、変わらないわね」
そう言ってヴェルザードさんがため息をついたけど、その目は私に向けられたまま、冷たくて、凍りそうだった。
壊す。
役目を果たして、消える。
情をかける方が残酷。
(……私は、ただの駒……?)
置かれただけ。面白そうだから。
どこまで転がるか、ただ見られてるだけ。
期待なんて、最初からされてない。
――じゃあ、私は……
何のために、生きてるの?
何のために、この世界に来たの?
目の前がにじんでいく。
ヴェルザードさんの声も、ギィさんの声も、どこか遠くに沈んでいく。
海の底みたいに、音がくぐもって、全部、遠ざかって。
……でも、その沈んでいく中で、ただひとつだけ、確かだった。
それは――
冷たい水に、静かに沈んでいくような感覚。
それだけは、痛いほど、はっきりと――あった。