転生したら木の中でした   作:猫田やなぎ

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第三十三話

霧が低く垂れ込める森の奥に、リンの姿が静かに佇んでいた。

今、彼女が足を踏み入れているのは傀儡国ジスターヴ。

異様なまでの沈黙と、冷え切った空気が支配する国。その土地の底に渦巻く、黒い魔素の気配は、訪れる者に本能的な警戒を抱かせる。

 

「……ここも、やらなきゃ」

 

リンは一人ごちると、霧の中を進んでいく。

やがて、苔に覆われた太い幹が見えた。脈動のように弱々しく魔素を放つその木は、ジスターヴに根を下ろす大霊樹(ドリュアス)の一つだった。

 

「……こんにちは」

 

囁くような声とともに、彼女はそっと手を樹皮に置いた。

 

風が凪いだ。空気が震えた。リンの身体から流れ出した魔素が、木の奥深くへと染み込んでいく。ぴしぴしと音もなく、土地の網目が目覚めていくような、静かな反応が広がっていった。

そのとき――。

 

リンの肩がぴくりと揺れた。背後に、視線を感じたのだ。

殺意も敵意もない。だが、無関心でもない。どこか、人の意志というより、“意図”のようなものを感じさせる、異質なまなざしだった。

 

(……誰かが、見てる)

 

だが、振り返ってもそこに人影はなかった。

静まり返った森。霧の帳が全てを覆い隠し、ただ根の奥からの視線だけが、じっと彼女の存在を観察しているようだった。

 

だがリンは、怯まずに魔素の流れを止めない。

彼女は“見られている”ことよりも、“誰かに守ることを期待されている”重みにこそ応える覚悟を持っていた。

 

やがて、大霊樹(ドリュアス)が微かに揺れ、森全体に柔らかな波動が広がった。

土地の強化は完了した。リンの足取りが、静かに森の外へと向かい始めたそのとき。

 

懐の水晶が、淡く光を放った。

彼女は迷いなくそれを手に取り、魔素を通して繋げる。

水晶の向こうに現れたのは、炎のような赤髪と不敵な笑みを湛えた男の姿だった。

 

「……ギィさん」

 

声に微かに力がこもる。だがギィは、気付いた素振りも見せず、飄々とした口調で言った。

 

『よぉ、リン。順調か?』

「ジスターヴは終わったところ。今から……東の帝国に行こうと思ってる」

 

その言葉を聞いた途端、ギィの表情がわずかに変わった。

そして、冷ややかに、しかし明確に告げる。

 

『東は行かなくていい』

「……え?」

 

リンの目が大きく見開かれる。だがギィは動じない。

 

『あそこはルドラの領分だ。お前が手を出せば面倒なことになる』

「ルドラ……?」

 

リンの声に、不意にギィは口元を歪めて言った。

 

『ルドラ・ナム・ウル・ナスカ。東の帝国――ナスカ・ナムリウム・ウルメリア東方連合統一帝国の皇帝で、その国を作った張本人でもある』

「な、ナスカ・ナム……えっ、長っ!? ちょっと待って、何かの呪文!?」

 

言葉の勢いに乗って、リンの口から素直なツッコミがこぼれた。

ギィは、それを聞いて喉の奥で笑った。

 

『覚える必要はねぇよ。“東の帝国”で通じるしな』

「うん、それでいい。それがいい」

 

そう呟いて水晶の向こうを見返した彼女の目には、先ほどの緊張が少しだけ薄れていた。

だが、次にギィが放った言葉が――その笑みを、氷のように凍らせる。

 

『で、だ。帝国は放っておけ』

「さっき面倒なことになるって言ってたね。ホントにいいの?天魔大戦のときに危ないんじゃ……」

『その心配はない。天魔大戦を起こしてるのは、ルドラだからな』

「……え?」

 

その瞬間、空気が変わった。霧よりも冷たく、重いものがリンの上に降りかかってきた。

 

「……ルドラさんが、天魔大戦を……?」

 

リンの声がかすれた。

霧の中に立ち尽くす彼女の頬に、冷たい風がそっと触れる。

 

信じられなかった。

天魔大戦――話を聞いた限り、世界に破壊と混乱をもたらす未曾有の戦いであることは間違いない。その裏で動かしているのが、“帝国の皇帝”という、どこか遠い存在のはずの人物だなんて。

 

『ああ。あの戦争は、アイツが仕掛けた“ゲーム”みたいなもんだ』

「……ゲーム?」

 

ギィの声音は変わらなかった。

まるで、それが当然であるかのように。

まるで、それがもう“詰まらないこと”のように。

 

『ルドラは、何度も転生を繰り返してる。世界を理想の形にするために、何千年も……』

 

それは、一種の狂気だった。

誰もが命をかけて今を生きているこの世界で、その“今”すら、ただの過程として踏みしめているような存在。

 

『……今この世界で最大の脅威は、間違いなくアイツだ』

 

ギィの目が、淡く光る。

彼にとってルドラは、長年に渡る因縁の相手。直接拳を交えることなく、ただ“駒”を盤に並べ、勝敗だけを競う――それが彼らの「ルール」だと。

 

『だから、お前も東の帝国には関わるな。無闇に力を与えると、ゲームのバランスが崩れる』

 

それが、ギィの理屈。

だが――それを聞いたリンは、強く拳を握りしめた。

 

「そんなの……ふざけてる」

 

そう呟いた彼女の声には、怒りと戸惑いが混じっていた。

命が、土地が、仲間が。全部が巻き込まれているこの戦争を、ただの“遊び”だと?

 

「私は……誰かのゲームのためにここにいるんじゃない……!」

 

強い言葉だった。

震えていた。だが、それは恐怖ではなく、魂の熱だった。

ギィはその様子を静かに見つめていた。

一瞬の間の後、彼は笑う――皮肉げに、そしてどこか嬉しそうに。

 

『いつか盤面ごとひっくり返してやるとか言ってたな。なら、そうしてみせろよ、じゃじゃ馬な“駒”さん?』

 

挑発とも、試練とも取れるその言葉に、リンはふっと息を吸い込んだ。

そして、まっすぐにギィを見返す。

 

「……やってやるよ」

 

その声は静かで、だが確かに響いた。

霧に閉ざされた森の奥に、まるで新しい風が吹き抜けたような、そんな一瞬だった。

 

『フッ、いい顔になったな。じゃあ、次の土地に行け』

 

そう言って、ギィの姿は水晶の奥から消えていった。

通信が途絶えた後も、リンはしばらくその場から動かなかった。

澱んだ空気の中に、己の意志だけがぽつりと浮かび上がっていた。

 

(……私は、“抗う”って決めたんだ)

 

“駒”と呼ばれようと、“遊び”に巻き込まれようと。

この命は、自分のものだ。誰かに操られるだけの存在ではない。

 

霧がゆっくりと晴れていく。

リンは静かに風を纏い、空へと舞い上がった。

 

風が生まれる。

抗う者の風が――この世界の盤面を、いずれ吹き飛ばすために。




ジスターヴについてはあまり情報が出てこなくて(たぶん調べ方の問題)、今のカザリームについても以下略。原作と違ってても破綻しない限りはスルーしてくださると助かります…。
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