だけど、心は落ち着いていなかった。ジスターヴ、ドワルゴンと各地を巡り、土地を強化して――ようやく戻ってきた、私の居場所。なのに、安心よりも、張りつめていたものがふっと抜けて、心の奥から疲労がじわじわと湧き出してくる。
「……少しだけ、休もう」
私は
……でも。
(ギィさん……)
思い出すのは、あの言葉。
――「駒は駒だ」
私のことを“面白そうな駒”って言った。あの時は、悔しかった。許せなかった。だけど。
(結局、私はまた……ギィさんに頼ってる)
悔しいけど、彼の言葉はいつも私の行動を後押ししてくれる。ジスターヴでの“霧のような何か”の気配を振り払えたのも、ドワルゴンで“強さ”を証明できたのも――どこかで、あの人に「見られている」って意識があったから。
「私、変わろうとしてるのに……まだギィさんに引っ張られてばっかりだな……」
小さく呟いたその時だった。
《告。個体名ギィ・クリムゾンが
「……はっ!?!?」
耳に届いたのは、
ギィさん、来たの!?ここに!?
「うそ、何で今!?しかも直接!?水晶での通信じゃなくて!?」
一気に顔が熱くなる。寝顔とか、油断してるところとか、そういうの見られるなんて最悪!とにかく姿を整えなきゃ!と慌てて身を翻したその瞬間、背後から気配が――
「何逃げてんだ?」
「ひゃっ……!」
肩をがっしり掴まれ、そのまま振り向かされる。そこにいたのは、涼しい目元に皮肉っぽい笑みを浮かべた、あの人だった。
「い、いや、つい反射的に……!」
「逃げる理由なんかあるのか?」
静かに、でも逃がさない声で言われて、私は観念するしかなかった。というか、なんでこの人、そんな無音で背後に現れるの!? 心臓に悪い!心臓ないけど!ていうか距離近ッ!!
「ない……です……」
そう、別に後ろめたいことなんてない。……ないんだけどさ。
ギィさんに振り回されて、最近ずっと、なんか悔しい思いしてて。
でも結局、こうしてまた頼ってる自分が、ちょっと悔しいっていうか、情けないっていうか……。
視線を逸らしながら答えると、ギィさんはくくっと喉を鳴らして笑い、私を一歩後ろに引き戻した。向き合わせたまま、じっと私の顔を見る。
「まあ、いいさ。気まぐれで来ただけだ」
「気まぐれで、私の寝込みを襲撃しに……?」
「ははっ、面白い反応するな、お前。悪くない」
くそ、また“面白がられた”。
その言葉が地味に心に刺さる。だけど――前ほどの怒りじゃない。ただ、ちょっとムッとしてるだけ。
「お前、分身体に魔素を与えて、本体で土地の強化に回ってるんだろ?」
「う、うん。だって、本体のほうが強いし、安心できるから……」
「逆だって言ってんだよ。最初の一回はオレが同行してたからそれでよかったが、本来なら本体はここに置いて、分身体を使って土地を巡るべきだ。魔素の管理的にも、効率的にもな」
「……そうだったんだ……」
バカみたいに魔素を消費して、土地を巡って、本体で直接動いて……私、ずっと逆をやってたのか。もう、顔から火が出そう。穴があったら
「でも……分身体じゃ、ちょっと心配で……」
ぼそっと言い訳めいた言葉をこぼすと、ギィはやれやれって顔で軽く頭を抱えた。
「ったく……真面目すぎんだよ、お前は」
そのまま、私の髪に手を伸ばしてきた。
「ん、今日の髪もいい手触りだな」
「また……!ギィさんって、私の髪で遊びすぎ……!」
文句のつもりだったけど、抑揚が抜けて、どこか間抜けな声になった。
ギィさんはそのまま私の髪に指を絡めながら、勝手に三つ編みを作り始めてる。
「編みやすい髪してんだよ、お前」
「人の髪で遊ばないでよっ」
「じゃあ交換条件で、好きなこと一つだけ聞いてやる。何か頼みたいことでもあるか?」
言われて、すぐには答えられなかった。
お願いしたいこと……本当はあった。ギィさんに鍛えてほしい、とか。でも。
(……あの人の顔が浮かんじゃった……)
――ヴェルザードさん。
冷たい深海色の目が、氷みたいに私を射抜いたあの日の記憶。忘れられるわけがない。
「うーん……じゃあ、私もギィさんの髪、触ってみたいな」
「……は?」
一瞬、時が止まった。ギィの顔に珍しく「え?」って感情が出てる。
でもそれもすぐに崩れて、彼は肩を揺らして笑い始めた。
「はははっ!オレの髪で遊びたい?そんなこと言われたの初めてだな!」
まさかの大爆笑。
でも、こっちは真剣なんですけど!?
「だって……さっきから、ずっと私の髪いじってたじゃん……」
視線を合わせると、ギィはくいっと口角を上げた。
「いいぜ、遊びたきゃ好きにしろ」
一瞬、本当にいいのか戸惑ったけど、勇気を出して手を伸ばした。
(ギィさんの髪……思ったより柔らかい)
見た目は硬そうな深紅の髪。炎を思わせるあの鮮烈な色。なのに、指を通せばしなやかに揺れて、ほのかに温かい。
「ギィさん、意外と髪、ちゃんと手入れしてるんだね……」
つい口にしたら、ギィさんは薄く笑って私を見下ろした。
「当然だろ。誰に見せるつもりはなくても、身嗜みは大事だ。お前だって、似合う髪型のひとつやふたつ覚えとけよ」
「そ、そんなこと言って……髪いじるの好きなだけでしょ」
ぼそっと呟いたら、ギィの指が私の前髪をくしゃっと撫でた。
「バレたか」
軽い声で笑われて、ちょっとだけむっとした。だけど、その軽さが――ずるい。
なんだかんだで、こうして私を気にかけてくれてる。
……そう思いたいけど。
(……いや、違うよね。私が“面白い駒”だからだ)
前に言われた。面白そうな駒。飽きたら放る。
そう言ったギィさんの声、今でも耳にこびりついてる。
「くすぐってぇよ」
「もうちょっとだけ、我慢して」
これはただの遊びじゃない。
私にとっては、“存在を認めさせる”儀式みたいなものだった。
ギィさんにいじられるばっかりじゃ、私が私である意味がない。
私は、誰かの駒じゃない。ちゃんと、ここに“在る”。
「ギィさん、髪で遊びたいって言われたの初めてなの?」
「そうだな、お前が初めてだ」
そう言われて、胸の奥がちょっとだけ、あったかくなった。
でもその分、頭の中に、あの冷たい視線が蘇った。
(……ヴェルザードさん、怒らないかな……)
そう思った瞬間、私はギィの腕を掴んで、必死にお願いしていた。
「……このこと、ヴェルザードさんには内緒にしてもらえない?」
ギィは一瞬きょとんとした顔で、私を見た。
でも、すぐにいつものように口元を引き締めて、言った。
「何でだ?」
「……えっと、その……」
「聞くのは一つだけだぞ」
「じゃ、じゃあ!私もギィさんのお願い一個聞くので、ギィさんも聞いて!」
ほぼ反射で言ってた。条件反射ってやつだ。
ギィはふっと笑って、目を細めた。
「必死だな……まあ、いいぜ。秘密にしてやるよ」
その一言で、胸が軽くなった。
でも、代わりにギィさんから出てきた言葉は――
「またオレの城に来い」
「……え?」
こ、交換条件がそれ……!?
よりによって、ヴェルザードさんのいるあの城!?
「な、なんで……?」
「ただの息抜きみたいなもんだ。お前もたまには、そういう時間が必要だろ?」
「ででででも、ヴェルザードさんが……」
「何怯えてんだ。あいつ、そんなに怖いか?」
「……すっごく、怖い」
正直、ヴェルザードさんの視線は刺さる。凍る。あの氷のような瞳を思い出すだけで、心が凍りつきそうになる。
「前にギィさんの城で会ったとき、明らかに私のこと……“邪魔者”みたいに見てた気がして……」
「そうか。ま、否定はしねぇけどな」
ギィさんが小さく笑った。でも、そこに軽薄さはなくて――どこか真面目な響きがあった。
「ヴェルザードは、オレにとって長い付き合いの相棒みたいなもんだ。信頼はしてるが、それ以上でも以下でもねぇ」
「それでも……私、やっぱり気にしちゃって……」
「気にすんな。アイツが何か言ってきたら、オレがどうにかする」
その言葉は、ひどく簡潔で、でも妙に頼もしかった。
ギィさんは続けて、ちょっと意地悪な笑みを浮かべた。
「……それに、ヴェルザードが何か言う前に、お前が泣きついてくる方が早そうだしな?」
「泣かないし!!」
反射で叫んだ。顔が真っ赤になるのが分かる。でも、ギィさんはそれを見て楽しそうに笑っただけ。
そうしてるうちに、また彼の指が、私の髪にふれてきた。
「じゃあ今度はオレの番な」
「えっ、また!? さっき遊んだじゃん!」
「今度は“飾る”んだよ」
不意打ち。こっちが遊ばせてもらったと思ったら、即カウンター。
さっき編んでもらった三つ編みをほどかれ、今度はサイドを編み込まれ始めていた。
「ちょ、ギィさん!?なんでそんなに手慣れてるの!?どこで覚えたの!?誰にやってあげてたの!?」
「誰にも。お前が初めてだ」
(……いや、絶対そうやって“面白いリアクション”狙ってるだけでしょ……)
ギィさんは私の驚いた顔を見て、愉快そうに目を細めた。
……やっぱり、そうだよ。私は、ギィさんにとって“面白い駒”で、“玩具”なんだ。
飽きるまでは、構ってくれる。
でも、飽きたら――きっと、あっさり手放される。
(そう思うと、ちょっと……怖いな)
ギィさんの指が、器用に髪をまとめていく。編み込みはやっぱり見事だった。前にもやってもらったけど、今日の方がもっと丁寧で、私の輪郭に沿って綺麗に収まってる。
「でも、これ誰に見せる用なの……?」
「お前が“駒”じゃなくなったときのため、だな」
その言葉が、刺さった。
「……まだ、私は“駒”なんだね」
「おう。面白い動きをする駒。飽きられてないってだけ、ありがたく思えよ?」
その軽口に、私は少しだけ目を細めた。
「私は誰かのゲームのために動かされるだけの存在じゃない。“私の意思で”動いてるってこと、ちゃんと見ててよ」
ギィさんはほんの一瞬、黙って私の顔を見て――
「……いい目してるな」
とだけ、呟いた。
その一言に、なんだか胸がぎゅっとなった。
嬉しくて、悔しくて、でもやっぱり……ちょっと誇らしかった。
「次にお前がオレの城に来たときは、もっと飾ってやる」
「……え、それって罰ゲーム?」
「いや。お前に似合う飾りが、きっとあると思うだけだ」
真顔でそんなこと言うから、どう反応していいか分からなくて、私は言葉に詰まった。
だけど、どこか心が温かかった。
この人は、私を“駒”と呼ぶけど、私を“見て”くれている。
ただ弄ぶだけじゃなくて、私がどう変わっていくかを、どこかで楽しみにしてる。
そう思えたからこそ、私は言えた。
「ギィさん。……ありがとう」
ギィさんはひらひらと手を振りながら立ち上がった。
「また来るぜ。そん時は、覚悟しとけよ」
そう言って、ギィさんは
残された私は、丁寧に編まれた自分の髪をそっと触りながら――
(……やっぱり、私は“駒”なんかじゃない)
心の奥で、そっと誓った。
この髪を、意思の象徴に変えてやる。誰かに飾られるだけじゃない、私自身の力で。
盤面ごと、全部――塗り替えてやるんだから。
書いてて楽しかった。ヴェルザードさんにバレたら大変です。